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2010年3月 8日 (月)

今年のカープへの期待その3

天才、という言葉を聞いた時に、完全無比、そういったイメージを抱かれる方も少なくないかも知れない。

しかし、私の場合はと言えば、抱くイメージは完全無比とはいささか異なる。

天才、と聞いて、何か少々不完全なイメージを抱いてしまうのだ。

一芸に秀で、凡庸な人間が辿り着けぬ境地を見ていながら、何かつまらぬ所で簡単なミスを犯す。そんな不完全なイメージが私にはある。「誰にも出来ない事」が出来る一方で、「誰にでも出来る事」が出来ない。異端であり天才、そんな風に思ってしまうのだ。

そういった意味では、私はシアトルマリナーズのイチローにはあまり天才のイメージは抱きづらい。頑なにフォアボールを選ばないという一風変わった所はあるものの、やはり彼の勤勉で真摯な野球に対する態度が生み出した数々の技術を前にして、至高の芸術品を見るような心持ちにさせられる。

そのイチローと同じ背番号51を背負う男、広島カープの末永真史(すえながまさふみ)外野手、彼には私は強く「天才」のイメージを抱いてしまう。

開幕前のカープエッセイ、第三弾は彼、末永真史選手を取り上げてみたい。

佐賀県生まれの28歳、左投げに左打ち、俊足巧打のバッターである。怪我に泣かされる事も多い彼であるが、昨年はこれまでで最多の73試合に出場、得点圏打率は驚異の0.487を記録した。

勿論、0.487というこの数字、規定打席には半分程しか達していない事を考慮に入れれば、あまり信用に足る数字ではないかも知れないが、末永真史という選手を知る一つの手掛かりにはなる、と私は思う。

得点圏打率が高い、という事が何を意味するのか。それは端的には「尋常ではない集中力の高さ」を表している。

ランナーが二塁、或いは三塁にいる、いわゆる得点圏と呼ばれる状況。選手達の気持ちの昂ぶりたるや、相当のものがあるだろう。そこで通常よりも神経を研ぎ澄まして、相手投手の心理を読み、価値ある一点へと繋がる一打を放つ。それだけでもまさに「尋常ならざる事」なのだ。

また彼の打席を見ていると、不思議な違和感を抱く時がある。

投手には、「このコースにこのボールが投げれればまず打たれない」という聖域があると言う。土壇場の緊張した場面で、その聖域へ自らの渾身の白球を投じる。「ウィニングショット」とも呼ばれる東京である。

だが、稀にその聖域を陵辱する選手がいる。つまり、投手が「ここに決まれば打たれない」と自信を持って投じた一球を、無慈悲に打ち返すバッターが。

そういったバッターの代表格は、前回紹介した前田智徳である。

膝元に鋭く投じられた切れ味抜群のスライダー。普通のバッターならばまず打つことの出来ない乾坤一擲の一球。それを前田智徳は無慈悲にライトスタンドへと放り込む。そのようなシーンを目撃したカープファンは少なくない。

そしてまた、末永真史もそういった無慈悲な選手の一人なのである。

「何故それが打てる!?」というバッティング、そして彼の天才の真骨頂、ど真ん中に入ってきた緩いカーブを悠々と空振り、「何故それが打てない!?」である。

不完全という天才のイメージ、まさに私には末永真史は天才に見える。

今年のカープは外野手のレギュラー争いは熾烈を極めている。

天谷宗一郎はほぼレギュラーを手中にした感がある。それに割って入る強肩外野手廣瀬純、圧巻の俊足で驚異的な守備範囲を見せる赤松真人、新外国人のフィオレンティーノ、そして復活を期す嶋重信。私個人の希望を言えば、やはり守備でも前田智徳は見たい。

そういった中で、天才末永真史の存在感がより一層際立てば、こんなに嬉しい事はない。

覚えておいてほしい、「天才」末永真史である。

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