龍馬と弥太郎
私はこれまでに様々な人々に憧れ、影響されながら生きてきた。
それは大して珍しい事ではないだろう。逆に誰の影響も受けず、自らの信念のみで生きてきた人間、そちらの方が遥かに珍しい。そこまで強固な自己を確立しながら生きている人というのを、私は殆ど知らない。「自らの信念のみで生きていると勘違いしてしまっている人」ならば何人かは見た事があるが。
友人や親兄弟、師や有名人、そういった「他者」から影響を受けながら、流転の如く考え方が変わる事、それは決して悪い事ではない。成長とは、畢竟変化の事なのだ。
私が幼い頃、影響を受けた有名人の一人に坂本龍馬がいる。皆様ご存知の幕末維新の志士の一人である。何を隠そう、中学生の折には、私の部屋には一畳分ほどの大きさの坂本龍馬のドデカいポスターが張ってあった。「アイドルか!」というツッコミを待たなくてはならない所である。
昨日、NHKの大河ドラマ、「龍馬伝」の第一回目の放送を見て、私は再び坂本龍馬の事を想った。それは随分と久しぶりの事で、何か疎遠になっていた旧知の友を想うような、奇妙な懐かしさを伴った感慨が私を襲った。
福山雅治演じる坂本龍馬、それにはまだいささかの違和感がある。少々「繊細すぎる」というか、そういった面で少し私の考える「龍馬像」とは隔たりがあった。龍馬という人間を勝手に私が推測するに、もう少し照れ屋で、粗暴さのようなもので自らの優しさや繊細さを誤魔化して隠すような、そんなイメージがある。
しかしこのイメージの齟齬は大した問題では無い。そこを刷り合わせようとするのは私の単なる自己満足に過ぎない。
大河ドラマ「龍馬伝」は、なかなかに斬新な構成を持っていた。それは「視点」である。
明治時代に入ってから三菱財閥を興す岩崎弥太郎という男がいる。土佐藩(現在の高知県)で1835年に生まれた、という事であるから、丁度龍馬とは同年代に当たる。この弥太郎の視点から龍馬を視る、そういった構図をこの「龍馬伝」は持つのである。
この構図がなかなかに面白い。弥太郎の龍馬に対する視線は、憧憬と嫉妬、愛憎入り混じるものであった。
天衣無縫な龍馬に対して、弥太郎は憧れもするが妬みもする。そしてどこかで感じている、「この男はいずれ日本を変える」と。
龍馬に対して、弥太郎は別の方向から日本を変えようとする。弥太郎が信じたのは「金の力」、そしてそれに伴う「権の力」であった。後に弥太郎は巨万の富を得る実業家となり、実際に日本の中でも有数の権力を誇る人物となる。それは龍馬への嫉妬からも来ているのではないだろうか、というこの「龍馬伝」の構図、これがなかなかに面白いのだ。
陰と陽、闇と光。弥太郎と龍馬を並べた時に、そういった単純な二項対立の構図を打ち立てる事で、弥太郎の魅力が存分に引き出されていく。ドラマの中で弥太郎を演じるのは、俳優香川照之であるが、ひょっとしたらこれは近年稀に見る「当たり役」になるのではないだろうか、という予感を抱くほどに、香川の弥太郎は光っていた。
元々は龍馬が好きで観始めた「龍馬伝」。しかし、一時間強のドラマを観ている内に、私は知らず知らずの内に弥太郎の視点と同化していたのだ。
そう考えれば、いささか爽やかで男前に過ぎる(悪く言えば少々リアリティに欠ける)福山龍馬も、弥太郎という男の羨望を際立たせる事を考えた時に、しっかりと腑に落ちてくる。
激動の時代を生きた男たち、そしてそれに翻弄されていく女たち。
久しぶりに、歴史ブームが私の中でもやってきそうだ。
誰か、一緒に幕末トークしようぜ。
追記:昨日、リアル「親父の一番長い日」やって来ました。死ぬほど緊張しました。
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コメント
おー!これはおめでとう!ってこと?福島くんもとうとう?
こんな大事な事をメインじゃなくて追記にするところがあなたらしいわね。
投稿: クロサバ | 2010年1月 5日 (火) 02時51分
クロサバさんへ
ん?何のことかな?まだよくわかりませんが、少しずつ、着々と(笑)
投稿: ふくしまたけし | 2010年1月14日 (木) 14時54分