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2010年1月

2010年1月31日 (日)

信州から

信州長野の蕎麦(そば)よりも

あたしゃアナタの傍(そば)が良い

という事で只今信州は伊那、小黒川のサービスエリアにいます。高速バスで京都に向かっております。

普段は東名高速を通る便で行くのですが、本日は中央道を通って。

長野を通って南アルプスの山々が雪化粧を纏っているのを見ながら、なかなかどうして風流でございます。

今日は師匠の命日。もうかれこれ四年が経つのですね。

師匠を思ってたくさんの人達が一同に介する場に私も末席ですが参加します。大変光栄です。

空から射す太陽の光が、何かの祝福の光のようにも思えます。

長野はとても寒いです。

時が経っても、いつまでも思い出にならない事もあるものなのですね。

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2010年1月30日 (土)

さよならサリンジャー

若い頃の悩みというものは、人によって個人差こそあれ、大半が「しょーもない」。

後から考えてみれば、「何故あんなつまらぬ事で悩んでいたのか」といささか赤面すらする。

しかし問題は、「そのしょーもない悩みは当人にとってはかなりの一大事である」という点だ。

確かに30歳の私から見れば、15歳の私が抱えていた悩みなど極めてつまらぬもので、そんな瑣事によくもまあ膨大な時間を費やしてうじうじと悩んでいたな、などと(今となっては)思うが、15歳の私にその旨を伝えた所できっと「五月蝿い、貴様のような下衆な大人に俺の悩みがわかるものか」と一蹴される事はまず間違いない。

15歳の私に30歳の私の言葉はきっと届かない。

だが、畢竟それが「若い」という事ではないかと思うのだ。良きにつけ悪きにつけ。

そんな「若い」人にこそ届く言葉、というものも確かに存在するだろうと、私は思う。

うじうじと思い悩む「若い時代」に、例えば映画であったり音楽であったり、そういったものに多少なりとも心を救われた経験というのは誰しもあるのではないだろうか。

私も、ある。

私の場合はそれは本、とりわけ小説であった。

最近ではとんと小説も読まなくなってしまったが、私は若い頃、自らへの慰めとして実にたくさんの小説を読んだ。

登場人物や作者に感情移入をし、憧れた。そんな小説体験が、「しょーもない悩み」に捕らわれていた私の心を確かに癒やしていたのだ。

そうやって、その時代に読んだ小説というのは印象的なものが多い訳だが、その中でも特に心に残っている小説が幾つかある。

J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』は、そういった幾つかの小説の中で、私にとって最も思い出深い一冊だ。

数年前に村上春樹が翻訳を出した事で少々話題になったが、私としては野崎孝氏の名訳(迷訳?)を強くお薦めしたい。理由は長くなるので割愛。また別の機会に。

さて、この『ライ麦畑でつかまえて』。周囲が全てインチキ(phony)に見えて、心を閉ざしながらもどこかで繋がりを求めてしまう主人公の少年、ホールデン・コールフィールド。私はこのホールデンが大好きだった。

とても痛々しくて恥ずかしくて、けれどとびきりに可愛いホールデン。自意識過剰で偽悪的で、まさに「正しい少年」の姿がそこにある。

また『ライ麦畑』は、少年を主人公にしている小説にしては珍しく「教養小説」の体裁を採らない。(補足:教養小説とは主人公の成長を描く小説の一ジャンル。ビルドゥングスロマン)つまりホールデンがほとんど成長しないのだ。

一貫して大人の世界を否定して、「みんなインチキだ。大人になんてなりたくないやい」と嘯くホールデン。何て可愛いんだろう!抱きしめたい!

きっと私がホールデンを抱きしめたら、ホールデンは「もうヘドが出そうでたまらなかったね。あいつの口の臭さときたら君にも嗅がせてやりたいぐらいだったよ」なんて言っちゃうんだろうな。可愛い!ホールデン!

しょーもない悩みにうじうじしていた私は、『ライ麦畑』を何度も何度も読み返した。あちこちに傍線を引いて、ホールデンの言葉をありがたいお経か何かみたいに覚えた。

昨日我が家の本棚を調べてみたら、『ライ麦畑』の本だけで五冊もあった。野崎孝訳の文庫本が二冊とハードカバーが一冊。村上春樹訳が一冊。原文のペーパーバックが一冊。何でこんなにたくさんあるんだ(笑)

『ライ麦畑』をきっかけにして、J・D・サリンジャーは私のフェイバリットな作家の一人に仲間入りした。サリンジャーの作品はさほど多くはないから、おそらくはサリンジャーのほとんど全ての作品を読んだ。『フラニーとズーイー』、『ナイン・ストーリーズ』、どれもこれも不思議な魅力に溢れた素晴らしい作品ばかりだった。

そのサリンジャーが、亡くなったそうだ。

つい先日の話。

ある一時期から完全に執筆をやめて、ニューハンプシャーの山奥で仙人のような隠遁生活を送っていたとは聞いていたが、ついに死んでしまったそうだ。

私は何とも言えない気持ちになった。

サリンジャー。あなたの書いた小説は、きっと世界中の「しょーもない悩み」を抱えた若者たちを救い続けて来たのだろう。ホールデン・コールフィールドはクソ野郎達の親友になったし、フィービーもアックリーもシーモアもシビルもみんな思い出したらすぐに記憶の中に鮮やかに蘇る。

サリンジャーの小説に私は救われた。ものすごく影響も受けた。

サリンジャーについて書きたい事はまだまだたくさんあるけれど、この辺でやめにしておこう。

サリンジャーが近くにいない事を思い出して余計に気が滅入っちまうから。

さよならサリンジャー。

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2010年1月29日 (金)

無価値なヤツなんていない(オレを除く)

無価値なヤツなんていない(オレを除く)
作りましたのは「クズ野菜の福島炒め」。

捨てるしかない野菜の部分を何とか再生させました。

ネギの上の方の青い部分。白菜の固い芯の部分。

それらをざく切りしてゴマ油で炒めます。

更に、匂いでちょっとむせてしまいそうなくらいに唐辛子を入れて激辛仕様にします。辛いものをたくさん食べるとバカになりますよ。

最後に賞味期限が切れたザーサイを混ぜて、醤油と和えて完成です。

意外とうまかった。

酒のツマミです。

野菜だって人間だって、みんな価値がある。

無価値なものなんて無いんだ(オレ以外)。

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2010年1月28日 (木)

週末に京都へ

京都行きのバスのチケットを買った。

片道6000円、往復12000円。

もっと安いチケットもあるのだけれど、「高速バスの達人」こと私から言わせればこれがザ・ベスト。往路は朝に東京を出て夕方に京都着く便。復路は昼に京都を出て夜に東京に着く便。夜行バスで行くと、朝早く着きすぎてしまって、時間を持て余す。また、夜行バスは寝れないから体力を消耗するが、昼行のバスならば元来起きている時間に移動な訳で、寝られなくとも何ら問題は無い。

1月31日に東京を出る。1月31日は私の師匠、市川修の命日だ。

毎年関西のあちらこちらで彼を偲んだライブが1月31日に開催される。その事だけを見ても、つくづくみんなに慕われていた人なのだなと思う。

「京都ラグ」というライブハウスでも1月31日にはその催しが開催される。何故か出演者の名前の所に私の名前が。恐るべし事後承諾(笑)

といってもまあ他の出演者達は関西のジャズシーンを代表するような凄腕のメンバーがズラリ勢揃い。私はのんびりと師匠を思い出しながら酒でもかっくらってようと思いやす。

という事で私は半分以上客の立場なのでイベントの詳細はわかりませんが、多分ネット上のどこかにあります。

ザ・丸投げ。

今日は「ジャイアント・ステップス」という曲でサックス奏者のジョン・コルトレーンさんが吹いたアドリブソロを引き続き模倣して練習していましたが、やっとテンポが200を超えても安定して弾けるようになって来ました。嬉しいです。

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2010年1月27日 (水)

すっかり忘れてた

今日はブログを更新するのはすっかり忘れてた。

滅多にこんな事はないのだけれど。

日常的に普通にやっている事を(例えば食事や排泄、ブログ更新も同列)、すっかり忘れていたりすると、健忘症を50%ぐらい疑う。

「あれ?オレ、どした?」みたいな感じで。

杞憂だが。

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2010年1月26日 (火)

現代経済を生き抜く私

「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」

などとはよく言うが、こうして言えば響きこそ良いものの、実際の所は経済観念がパーフェクトに欠如したダメ人間である。

東京生まれ、ヒップホップ育ち、じゃなかった、東京育ち。いわゆる「江戸っ子」である私は(厳密には違うけれど)、ご多分に漏れず経済観念がミジンコほどしか無い。

月収が6兆円あることも手伝って、私は金があればあるだけ使ってしまう悪癖がある。昨日もヤマと二人で五億円使った。それも「肉豆腐:250円、マグロ刺:300円、チューハイ:150円」の店でだ。店ごと買いかねない勢いであった。

このように金はあればあるだけ使ってしまう自らの悪癖を熟知している私は、最近ではライブのギャラやレッスンの月謝など、収入があれば逐一「ナミコ信用金庫」という所に預ける事にしている。

この「ナミコ信用金庫(通称:NFJ)」、実に細緻かつ最先端の方法で金を管理してある。まさに現代経済の技術の結晶がそこにある。

私が奈美子という「NFJ」の会長に金を預ける。すると即座に会長である奈美子はその辺にある紙に殴り書きで「入金・5000円」などと書き、私から預かった金を箪笥に無造作に放り込む、といった塩梅だ。

まさに完全無比、鉄壁のセキュリティーである。この経済における「ナミコ・メソッド」は、現代経済に大きな影響を与えたとか与えないとか。マルクスの「資本論」が20世紀に最も影響を与えた経済書であった事は周知の事実であるが、21世紀はこの「ナミコ・メソッド」である。この間ビルゲイツが奈美子の元を勉強に訪れたらしい。嘘だと思うだろうが信じてほしい。私は嘘をつく時以外はいつも本当の事しか言わない。

そうした「ナミコ・メソッド」に基づいた「NFJ」であるが、唯一の欠陥がある。

「マジに金が必要な際に、私が直接奈美子の所まで金を貰いに行かねばならぬ」という点だ。

今週末にちょっとした用事で関西に行かなくてはならない私は、只今高速バスのチケットを買う為の金を持っていない。

ゆえに奈美子に金を貰わなくてはならない。

という事で電車を乗り継いで奈美子の所へ向かっている。

便利なのだか不便なのだかわからぬ「NFJ」である。

追記:コメント返すの遅くなっています。しばしお待ちを。

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2010年1月25日 (月)

いつまでも柔らかでいられなくて

史実であるのか創作であるのかは知らないが、坂本龍馬のエピソードで一つ、好きなものがある。

それは龍馬の師となる勝海舟との出会いの際のエピソードだ。

ある日、尊王倒幕を目指した龍馬が、佐幕保守派・開国論者の急先鋒であった勝海舟の元を訪れた。名目上は「勝の開国論を聞こう」という事だったが、実際の所、「いざとなれば勝を斬ろう」という心構えであったという。つまり、龍馬は刺客として勝と出会ったと言っても過言ではないのだ。

勿論、結果として龍馬は勝を斬らなかった。その開国論、世界観に感銘を受けて、その場で勝に弟子入りした。

このエピソードから現在を生きる我々が学び得る教訓は様々あるであろうが、やはりその内の一つは龍馬の卓越した柔軟な思考ではないだろうか。(龍馬をあっさりと説得させてしまった勝海舟は流石であるが、今回は触れない)

立場的には相反する立場の人間の意見であっても、良いものは良いとして取り入れる。龍馬の魅力として度々語られる「ボーダーレスで広範な視野」というものがこのエピソードからわかる。

ただし、「反対側の人」の意見を訊いて、あっさりと自らの意見を変える事が出来る程、私は(或いは私達は)もはや大して柔軟ではない。その事もまた、知っている。

二十代の前半までには、私の思考の中でのコペルニクス的転回とでも言うべき大きな変化が何回かはあった。その原因は人からの意見であったり、読んだ本であったり、或いは自分で考えた事であったりだった。

良い意味で私は私に不信感を抱いていた。「今自分が良いと思っている事、指針としている事は、いずれ流転する。ただ身を任せろ」と。つまり私は私の信念を、良くも悪くも信じてはいなかったのだ。

それが、知らぬ間に固まって来た。

三十代に突入した今、「私はもう恐らくは私から大きくは変わらない」という絶望にも似た諦観を抱いている。私という人間の凡その骨組みは既に出来上がってしまった。枝葉末節においての変化・修正は当然あるにしても、根っこの部分はもはや強固に出来上がってしまっているのではないか。私はそう感じている。

「年を経るごとに頑固になる」、簡単に言ってしまえばそういう事なのだろうし、それは別段悪い事だとは思わない。

別の見方をすれば、「動じなくなってきている」という見方も出来る。これまでに幾つもの屈辱的な言葉を浴びせられ続けている内に、大半の事を「聞き流す」ようになってしまっているのかも知れない。最初は柔らかだった空手家の拳が段々と固くなるかのように。

だから龍馬のような柔軟さと広い視野に、私達はいつまでも憧れてしまうのだろうか。

どんどん頑固にはなるが、処世術だけは経験値として覚えていく。そういった一種の自己乖離の裏返しとして、柔軟な思考の男に、広範な視野の男に憧れてしまうのだろうか。

そうやって少しずつ凝り固まってきたのは何時の頃からだったかな、と考えると、恐らく私の場合は25歳ぐらいではなかったか、という気がしている。

先程から書いているように、良く言えばあまり動じなくなった。悪く言えば、人の言う事にあまり左右されなくなった。そういう傾向が始まり出したのは、大体25歳ぐらいの時だったと思う。

ひょっとしたら、それがやっと「物心が付く」という事なのだろうか、と思うのだ。「私」が大体出来上がる、それが「物心が付く」という事なのかな、と。

そうだとしたら、20代以降の私は、随分と酒で意識を失っている時間が長いのだよな、と思い出した。せっかく物心も分別もついてきたのに。

10年間は3650日であり、1日は24時間なのだから、3650×24=87600時間、というのが10年間の長さだ。

私は大体一日の四分の一ほどを酩酊して過ごしていたので、87600÷4=21900時間、実に10年間で21900時間もの時間を意識下なのか無意識下なのだかよくわからぬ状態で過ごしてしまっている訳だ。それを考えると、私はどこかで「分別がつくようになってきた事」を無意識の内に拒絶しているのだろうか、とも思う。

まだもう少し人生は続きそうなのだけれど、こうしてこれまでの事を考えるとうんざりさせられる事も多々ある訳だ。

何だか今日はいつにもましてとりとめがないので、ここでヤメ。

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2010年1月24日 (日)

何も変わらない

色々終わってちょっと一休み。

体調もまだ戻らないので。

明日からまた練習です。

レッスンもあります。

何一つ変わりませんね。

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2010年1月23日 (土)

復活途上

とりあえずは50パーセントほど復活。

熱は下がったっぽい。測ってないけど。

後は気合いです。

今から昼間はレッスン。

そして夜はライブだ。

リゲインの高いやつ買って飲もう。

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2010年1月22日 (金)

不安

一日中布団の中にいると飽きるな、流石に。

ちょっとこの冬は体調崩し過ぎた。身体が少し弱っているのかも知れない。

熱が引かない。

明日治るのか?本当に。

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ぎゃぼー、風邪ひいた!

風邪をひいたようで、随分と発熱している。昨晩、奈美子邸にやってきてからすぐ寝たのだが、起きてみたら完全に発熱、といった具合。奈美子は朝から仕事へ。私は朝から病院へ。面倒くさい(病気でダルい)ので小岩には帰らない。気合いで高円寺で治してやるんだ。もう今日は練習もしない。ありえないんだけど、本番前日に練習しないなんて。でも治さなきゃ。大丈夫、ここまで随分練習したんだから。何とかなる。

明日はライブじゃないか。ずっとずっと楽しみにしていたピアノトリオのライブじゃないか。

病院で検査したら、恐らくインフルエンザではない、との事。OK、OK。あとはひたすらに水分補給と睡眠だ。

奈美子の家にある「のだめカンタービレ」を熟読してはいけません。のだめと千秋のフランス編に入って、だいぶ今面白い所なのだけれど、ガマンガマン。

暇な時に奈美子の写真を眺めている。超カワイイ。明日金町ブルーのライブに来ると、恐らく生奈美子が見れる。見に来てくれるって言ってたから。

一人だけ桁違いに可愛くて、少し神々しく後光が射している女がいたらそれが奈美子です。

さあ、再び気合いで寝ます。

あ、スポーツドリンクのがぶ飲みしなきゃ。

おやすみなさい。

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2010年1月21日 (木)

二日酔いじゃねえか

もはや芸術的というレベルの二日酔いになる。

頭が痛くて気持ち悪くて身体の節々が痛くてそしてだるい、という状態。完全無欠の二日酔い、もはや芸術的、という訳だ。

どうやって帰ったのかは全く覚えていないのだが、きちんと寝巻きに着替えてコンタクトレンズを外して寝ている所がなかなかにやりよる。起きてから我ながら感心する。

あー、頭が痛い。

こんな時は風呂です、風呂。風呂入ると二日酔いって少しマシになるんだぜ。78へえのトリビア。

仕事してから練習すっかな。水も飲みまくらないと。

あ、明後日のライブ情報はこちらね。

1月23日(土)東京金町 Jazz inn Blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/
b:長谷川明弘 ds:松永博行 pf:福島剛
20:00~start  music charge:1500円

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2010年1月20日 (水)

訂正

先程の記事に、土曜日のライブ、19:30~スタート、などと書いてしまいましたが、正しくは20:00スタートです。

記事も訂正しておきましたが、ここに改めて訂正いたします。

なぜかいつも間違えるんだよなあ。バカなのかなあ。

以下が正しい情報です。

1月23日(土)東京金町 Jazz inn Blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/
b:長谷川明弘 ds:松永博行 pf:福島剛
20:00~start  music charge:1500円

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ラクな事は何一つない

今週末、1月23日には本当に久しぶりのピアノトリオのライブが控えているので、昨日から今日にかけて、家で選曲とアレンジをずーっと籠もってやってます。引きこもりです。

バランスも考えながら選曲して、それぞれに曲の持ち味の良さを引き出すようなアレンジを考えて、飽きたらレコード聴いて(笑)

一つもラクな事はありませんが、これが愉しいんですな、実に。あ、レコード聴くのはそんなにしんどくないけど。

Mっ気があるのか何なのかは知りませんが、難曲も幾つか選曲してしまい、当然それは練習しなくてはならない訳です。難しい。アホか。

という事で、今週末のピアノトリオライブ、入魂です。闘魂三銃士です。是非おいで下さいませ。

1月23日(土)東京金町 Jazz inn Blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/
b:長谷川明弘 ds:松永博行 pf:福島剛
20:00~start  music charge:1500円

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2010年1月19日 (火)

二つの訃報

昨日、一昨日と立て続けに、著名人の訃報が二つ、飛び込んできた。

歌手の浅川マキ氏と、元プロ野球選手の小林繁氏だ。どちらも少し私にとっては思い入れがある著名人である。勿論、知り合いだった訳ではないのだけれど。

初めて浅川マキ氏の歌を聴いた時、私は決して衝撃を受けた訳ではない。けれど、とても自然に、すんなりと彼女の歌声は私の心に入ってきた。

少し気だるそうな歌い方と、いささか退廃的な世界観。

彼女はジャズを志向した。また、ブルーズを志向した。個人的な感想を言えば、私は彼女の歌は良くも悪くもジャズやブルーズとは少し違うと思っている。しかし、そこには確固たる彼女の世界観が存在する。それは大変な事であり、つまりそのようにして「浅川マキのジャズ」というものを確立できたのだったならば、ステレオタイプ的な「ジャズ」という要素は無くても全く構わないのではないか、と私は思うのである。

「浅川マキはジャズなのか?」と問われた時に、私は「少し違うような気がする」と答えるだろう。しかし、「浅川マキって良いの?」と聞かれたら、「良いし、好きだ」と答えるだろう。

私は彼女の作品を聴いて、一度涙を流した思い出がある。その思い出も相まって、私にとってはちょっと特別な歌手だったのだ。

享年67歳だという。合掌。

小林繁氏の現役時代というものは、子供だったもので私には殆ど記憶に無い。サイドスローから繰り出される巧みな変化球と強気なストレートは、あくまでも録画映像、VTRの中でしか見たことはなかった。

だが、現役時代を知らぬ私でも、小林繁氏の名前は、当然知っていた。そう、江川卓の「空白の一日事件」。この事件に運命を翻弄された野球選手こそ、小林繁その人だったのだ。

プロ野球に興味の無い方は「空白の一日事件」と聞いてもピンと来ないかも知れないが、これは恐らくは日本プロ野球史上稀に見る大スキャンダルであった。

1979年、阪神タイガースに入団が決定した怪物ルーキーの江川卓だが、何とたったの一日で読売ジャイアンツへのトレードが決定。交換でジャイアンツから放出された選手が、当時のジャイアンツのエースであった小林繁だった、という訳だ。

この事が二人の間に大きな溝を作った事は言うまでも無いが、その後約30年を経て、2007年に、日本酒のCMで何と二人は邂逅を果たしている。私にはとても衝撃的なCMであったし、このCMを印象深く覚えておられる方も少なくないのではないだろうか。

その中で、とても心に深く残る小林繁の言葉がある。

「どうもすみませんでした」と頭を下げる江川に対して、「謝る事なんてないよ」と制してから盃をカチンと鳴らす。

「しんどかったよなあ。オレもしんどかったけどな。二人ともしんどかった」

小林繁という人が、とても優しい人なのだという事がよく伝わってきた。私はこのCMにもつい涙を流していた。

享年57歳。合掌。

二人とも、若過ぎる。

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2010年1月18日 (月)

何を今更

かつて故・中島らもが大麻所持(使用)で逮捕された時、「えーっ!?中島らもって大麻なんてやってたの!?ショック!!」と幻滅してしまった彼のファンというのは、果たして何人ほどいたのだろうか。恐らく皆無ではないだろうか。

私は「らも氏が大麻をやっているなんて、もはや公然の秘密、周知の事実ではないか。今更逮捕するなよ、野暮だな」という感想を抱いたのだが、同様に思われた方も少なくなかっただろう。らも氏の逮捕に関しては、「何を今更感」が大変に強かった。

この数日間に渡り世間を騒がしている「小沢一郎問題」、これにも私は似たような感想を抱いている。

つまり、「何を今更」という感想である。

漫画家、福本伸之氏の佳作に「銀と金」という漫画がある。浦社会でのマネーゲーム、株の仕手操作や画商との絵画の取引を描いた漫画であるが、この漫画に「明らかにモデルは小沢一郎」というキャラクターが登場する。うろ覚えなのだが、名を伊沢と言う。

この伊沢という男がまた凄い。インサイダー取引、贈収賄、裏工作の限りを尽くして政治界の権力を牛耳っていく、という男なのだ。

漫画であるから当然デフォルメされている部分もあるにしても、小沢一郎という男は少なからず「そういうイメージ」で見られている、という事がこの事からわかる。

だから今回の一連の小沢一郎問題、私は大いに疑問を抱く。

小沢一郎の元に不明な政治資金?そりゃああるだろう、何を今更。

不正な金の流通?そりゃああるだろう、何を今更。

そういった感想だ。

皆それを承知の上で彼を擁立していたのではなかったのか?何を今更ヒステリックに騒ぎ立てているのだ?と。

実は私は昔から小沢一郎という男の物腰や顔つき、そういったものが大変に好きなので、どうしても彼寄りの意見になってしまう。

さあ、政局、どう動くのでしょうか。

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2010年1月17日 (日)

福島剛、雪山に死す

福島剛、雪山に死す
ご臨終です。

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雪国

雪国
こなーゆきー

雪国に来ました。

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2010年1月16日 (土)

アホかと。バカかと。

今日は久しぶりに朝からレッスン。移動の電車内から更新。

昨日は昼と夜に一つずつレッスンがあっただけだったので、日中はずっと音楽の勉強と練習。

千駄ヶ谷のスタジオを夜9時過ぎに出た時に、「おー、今日はたくさん練習したしたくさん勉強でけたなー」などと満足げな私であったが、暫く歩きながら「ん?何か忘れてねえか?」と疑問を抱く。

えーっと、コルトレーンのコピーはしたし、クラシックの練習もしたし、普通のジャズの練習もした。リズムトレーニングもした。何だっけなー、何を忘れてるんだろうなー。

そう考えながら、急に思い出した。

ぎゃー!ピアニッシモで弾き続ける練習を忘れているー!

ピアニッシモというのは音楽用語で音のボリュームを指定する言葉。意味は「めちゃんこ小さく」。

そう、ここ数ヶ月、ピアニッシモのボリュームでピアノを弾く訓練をしていたのに、クソボケカスな私はその練習を昨日はすっかり忘れていたのだ。

私は私自身をなじった。

何を調子に乗って「よーし、コルトレーンのコピーが終わったから次はパパ、バッハ弾いちゃうぞー」だ!おめでてーな、もう見てらんない。もうね、アホかと。バカかと。お前が弾くバッハなんてきょうび流行んねーんだよ、ボケが。お前は第一バッハきちんと弾けんのかと、問いたい、問いつめたい、小一時間問いつめたい。「バッハ」って言いたいだけちゃうんか、と。フォルテ、フォルティッシモ、クレッシェンド。汚い音でピアノかき鳴らしやがって。そんなの音楽じゃねえ、と。まーアレだな、今の流行りは、ピアニッシモでバッキング練習、しかも10分間同一のテンポをキープしつつ、だ。ただしこれをやると翌日からヤマハの店員にマークされるという諸刃の剣だ。まーお前みたいなドシロウトは「こどものバイエル」でも弾いてろってこった。

こんな感じで自らをなじってみた。

やー、サボってはいかんなー。

次のレッスンまで30分だけ時間があるから、今日はピアニッシモの練習します。

もうね、アホかと。バカかと。

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2010年1月15日 (金)

途方も無く果てしない旅

音階(スケール)の勉強が面白くて仕方がない。

とは言っても所詮私は平均律の楽器の演奏者であるから、12平均律の中でのみの話なのだが。

(注:平均律とは、1オクターブ、例えばドからドまでの高さを12個に割る事。ピアノがその最たる楽器。ドからオクターブ上のドまでの鍵盤数は12個。それに対するのは自然律。コントラバスやバイオリンなどのフレットが無い楽器は自然律楽器。理論上は1オクターブを無限に分ける事が出来る)

種々の音階、それらの背後には民族的で文化的な背景が色濃く出る、と私は思う。

例えば、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドという音階は、一般的に「メジャースケール」、或いは「アイオニアンスケール」などと呼ばれるが、これは極めて西洋的な響きを持っている、と私は感じる。アングロサクソン的な響きだ。

ではそのメジャースケールの第二音(レ)、第六音(ラ)、そして第七音(シ)をそれぞれ半音下げて「ド・レ♭・ミ・ファ・ソ・ラ♭・シ♭・ド」と弾いてみたらどうだろうか。これは俗に「スパニッシュスケール」、或いは「ジューイッシュ(ユダヤ人の)スケール」と呼ばれるが、なるほどその響きは私達にスパニッシュやジューイッシュのイメージを喚起させる。これは実に面白い話である。

モンゴロイド的な音階(例えば沖縄音階)、インド的な音階というのも存在する。

先ほど軽く触れた「自然律」を使って話せば、インドには「ラーガ」と呼ばれる固有の音階もあり、これらの事からしても、音階の背後に民族的・文化的背景を見る事は決して荒唐無稽な話ではない。

数年前、ピアニストのランディ・ウェストン氏が来日した折に、氏は講演会の中で「星にはそれぞれ固有のリズムがあり、固有の音階がある」と語った。「畢竟、音楽は宇宙から常に(地球に向けて)降り注いでいる」と。氏は古代エジプト文明の下にあった学者達がそれを実際に感知して採取したデータの原型を後世に残しているという歴史的事実を用いてそれを説明した。氏の言葉には大変な説得力もあったし、その話は不思議なほどに私の「腑に落ちた」。

しかし、大変面白く興味深い話なのではあるが、まだ私は実感としてそれを感知するに至っていない。無意識に感知しているだけなのだと思わない事も無いが、やはり実感が伴わない為、その事実に対してはっきりと理解しているとは俄には言い難い。

しかし、少し規模を縮小してみて、「それぞれの民族にそれぞれ固有の(リズムは言うまでもなく)音階がある」と考えれば、その論理の延長線上に「星に固有のリズムと音階がある」というのは自然な話となってくる。人間達ごときが民族ごとにリズムと音階を持っているのだから、星が持っていない訳がなかろう、という寸法である。星の中に生命は内包されているのだから。

様々な音階やリズムを学んでいる内に、私は何か旅をしているかのような錯覚に襲われる。

世界各国の、様々な民族が暮らす様々な地域へと。音階を一つ半音ずらす度にまた違う別の地域へと。リズムを半拍ずらす度にまた次の大陸へと。

そうして遠い地の見知らぬ誰かに思いを馳せる。

音楽の学習は、途方も無く果てしない旅なのだ、と私は妙に納得するのである。

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2010年1月14日 (木)

モンクの赤と黒

初めて買ったCD(レコード)を、皆さんは覚えておいでだろうか。

私は覚えている。一番初めの初めと言えば、小学4年生くらいに買ったCDシングル、堀内孝雄の「ガキの頃のように」だ。何とべーやんだ。

当時私は何故かはわからぬが、藤田まこと主演の刑事ドラマ「はぐれ刑事純情派」が大好きで、その主題歌であったべーやんの歌を小遣いを貯めて買ったのだ。不思議な事に歌のメロディも未だに覚えている。勿論、小学生である私にドラマ内で描かれていた「大人の事情」や「人情の機微」といったものが分かっていたのかどうかは甚だ疑問である。

さて、その後様々なCDを買って、中学三年生だか高校一年生ぐらいの頃に、初めて米利堅(毛唐人)の人のCDを買った。それはロバート・ジョンスンという名前のブルーズマンの二枚組のCDだった事をはっきりと覚えている。御茶ノ水で買った。それも覚えている。

そのCDは未だによく聴くCDなので、初めて買って聴いた当初の印象からは今では随分とかけ離れている。多分その当時は「英語の歌を聴いているオレってカッコイイ」という、所謂「中二病」と呼ばれる症状の一例としてそういったものを聴いていた、という事実も否めない。今の私から言わせてもらえば「カッコつけたいんだったら、まずはビートルズ辺りから聴いておけ」とも思うのだが、何故だか一発目からロバート・ジョンスンだった。たまたま「どれどれ、ワシもたまには毛唐の音楽でも聴いてみるかのう」という気まぐれでたまたま買ったのがロバート・ジョンスンだったのだから、それはそれで仕方ない。初めて買ったCDがべーやんだったのと同じように、それは覆す事の出来ない過去なのだ。

それから暫らくブルーズにかぶれる事になる。勿論、この時私のマインドに「ブルーズなんていう大人の音楽を聴いているオレ、カッコイイ」という自負があったのは言うまでも無い。あの頃に戻れるならば、私は私をぶっ飛ばしてやりたいのだが。

その中二病をこじらせて、後々ジャズにかぶれる事になる。無論、「ジャズを聴いているオレ、カッコイイ」に変化しただけである。カッコ良くねえっつうの、死ねよバカ。

しかしまあ、それが仕事にまでなったのだから、これはこれで良いのかな、とも思う。きっかけなんて様々なのだから。

では、初めて買ったジャズのCDは何だったのか。これも私ははっきりと覚えている。それはチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの共演した「Bird and Diz」というアルバムであった。

「オシャレでオトナなワシはそろそろジャズなんかも聴いとかなきゃならんのう」と思ってみたは良いものの、何がジャズなのかがわからん!と即座に私は途方に暮れた。そんな折に、当時リバイバルとして流行っていた森田童子の「ぼくたちの失敗」を思い出した。

森田童子「ぼくたちの失敗」
http://www.youtube.com/watch?v=7H5555py7OA

山崎ハコに中島みゆき、そしてこの森田童子。私は暗い歌を歌う人達が大変に好きなのであるが、しかしこれは暗すぎるな。

この歌の中に、「ジャズ喫茶」、「チャーリー・パーカー」といったフレーズが入っていたのを聴いて、「そうか、チャーリー・パーカーというのがジャズの人なのだな!何やってる人だかは全然知らねえけど!」と私は知った。

なので、御茶ノ水のCD屋にチャーリー・パーカーを買いに行った。と言うよりも、チャーリー・パーカーしか知らなかった。しかも森田童子経由で。

CD屋で「チャーリー・パーカー下さい」と言って、「おバカ様、こちらのコーナーにございます」と案内された所で何枚かのチャーリー・パーカーのCDを見つけて、当然の事ながらどのCDにも一曲たりとも知っている曲が入っている訳も無く、ただ何となく「このCDのジャケットは赤くて黒くてカッコイイような気がする」という理由で前述の「Bird and Diz」を購入した。

聴いてみた時の印象をよく覚えている。「何だコレ!?」である。それはあまり良い印象ではなかったかも知れない。

それはアルトサックスのチャーリー・パーカーとトランペットのディジー・ガレスピーに対して抱いた印象ではない。ピアノを弾いていたセロニアス・モンクに対してである。「何だこの変テコなピアノは!?」であった。それなりに衝撃を受けたのを覚えている。

確かにモンクのピアノは変わっている。それはジャズの事を何も知らなかった(今でもあまり知らないけれど)当時の私でも容易に分かった。

一言で言えば、「理解の範疇を超えていた」のである。難解であった。

先にリンク先まで貼って紹介した「中二病」をこじらせた症状の一つとして、「難解なものこそ良いと思う」という症例がある。私は中二病を抜けて「高二病」を患っていたので、まさしくこの症例に当てはまり、「このセロニアス・モンクというピアニストはなかなかに良いのう」と通ぶってみせた。お願いだから死んで欲しい。

それ以降、モンクの音楽をずっと聴き続ける事になる。今でも私の大の憧れのピアニストの一人だ。印象としての「難解さ」は流石に薄れたが、その深遠を、恐らく私はまだ淵ほどまでしか知らない。

そして、モンクの音楽を聴いた時に、私の脳裏には、少し黒味がかった赤い色がイメージされる。そう、それは「Bird and Diz」のジャケットの色だ。色彩的なイメージなので、なかなか共有が難しい話だとは思うのだが、私にとってモンクの音楽は黒く、そして赤い。

1940年代の、若かりし頃のモンクの音楽を聴くと、「赤」のイメージが強い。それから次第に「黒さ」が濃くなり、ラストレコーディングとなった1971年の「London Collection」の頃にはその配色がほぼ「無」となっている。そんな印象を私は抱いている。

先日、久しぶりに私が初めて買ったジャズのCDである「Bird and Diz」を聴いてみた。やはり、モンクの音は黒く、そして赤かった。ひょっとしたらジャケットの印象のせいだけではないのかもしれない。

あの頃から15年近く経った今、そんな事を思った。

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2010年1月13日 (水)

秋葉先生の懺悔

夜、酔っ払いながらふらふらと歩いている時などに、たまに口ずさんでしまう歌がある。

恐らくはほとんどの人が知らない歌だ。

それはこんな歌だ。

「たーまごたまごがパチンと割れて、かわいいひよこがぴよっぴよっぴよっ」

と。

知っている人がほとんどいないのは仕方がない。それは酔狂なオジサンが勝手に作った歌なのだから。

この変てこな歌を作ったのは、私の小学校の時の担任の、秋葉先生というオジサンだった。私はこの秋葉先生という変わり者のオジサンの事がとても好きだった。酔っ払いながら「たーまごたまご」の歌を歌うと、私は今でも何とはなしに秋葉先生の事を思い出してしまうのだ。

そう遠くない最近の事であるが、ある日、我が家で文集のようなものが発見された。それは私が小学校の一年生か二年生の時に編集された、即ち当時の秋葉先生の手によって編集された文集だった。

中身はちょっと衝撃だった。

そこには、秋葉先生を糾弾するような言葉ばかりが並んでいたからだ。

事の顛末はこうだ。

どうやら私が何かの折に秋葉先生に怒られたらしい。私は普段から落ち着きのまるでない、今で言うところの注意欠陥・多動性障害を完全に具備した児童であったので、常に怒られる要素をフルに持っていた。椅子に座らない、廊下に飛び出して奇声を上げる、10秒とじっとしていられない、等々。

だが、どうやら私がいつものように怒られたその日、私にはいつものような非がなかったらしいのだ。珍しい事もあるものだ。間違っているのはいつも大体私なのだが。

つまり、秋葉先生は私を無実の罪で叱ったという事になる。間違って叱ってしまったのだ。

秋葉先生はそれを大層後悔したらしく、自らの過ちを認め、生徒全員にその事について作文を書かせた。

小学校二年生程度のクソガキが書く内容と言えば、「今日ふくしまくんがなにもわるくないのに怒られてかわいそうでした」みたいな寝て言った方が良いタイプの文言(通称:寝言)や、「今日はふくしまくんはわるくありませんでしたが、いつもふくしまくんはおちつきがないので怒られた方が良いと思います」といった「The正論」がほぼ同じような割合で散りばめられた。

本人である私は「今日秋葉先生がぼくを怒った。ぼくはわるくないのに」といった、普段の行いを1ミリも反省していないと見られる頭の悪い発言をカマしていた。子供の時からバカだったんだな。

そしてそれらの作文を集めた秋葉先生は、文集のようにしてそれを綴じ、全ての保護者達にそれを配った。

「自分は過ちを犯しましたよ」という懺悔にも似た気持ちだったのかな、と思う。

そんな作文を書いた事も忘れていたし、そんな文集があったという事も知らなかった。

ただ、二十年以上の時を経てそういうものを見た時には、「秋葉先生は難儀な生き方をしていたのだなあ」と、そう思った。

もう少し楽な生き方もある事を三十歳の私は知っている。

それを選べる人もいるし、選「ば」ない人もいるし、選「べ」ない人もいる。

誰が良くて誰が悪いという話ではない。ただ、難儀な人はいるものだ。

秋葉先生が子供達(二十年前の私達)と一緒になって「たーまごたまごがパチンと割れて」と歌っていた光景を思い出して、私は何となく笑顔になる。

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2010年1月12日 (火)

道を照らす土産

一昨昨日の9日はワークショップ、昨日11日はライブだった。

そういった事をやる度に必ず幾つか持ち帰るものがある。

それは一つは「課題」だ。これは「反省点」とほぼ言い換えられる。至らなかった事、出来なかった事、それらを家に持ち帰ってブラッシュアップする、対策を練る。対策を練ったらそれを反復練習として取り入れて、出来るようにする。幾多の芸事が似たようなプロセスを経て「上達」という結果に辿り着くのではないだろうか、と思う。「課題」はまず間違いなく毎回出る。それはそれで仕方が無い事なのだ。

しかし、もう一つ、「課題」とはいささか異なる土産物を、稀に持ち帰る事がある。

それはなかなかに表現が難しい。どうやって筆舌を尽くせば良いのか悩む所であるが、比較的近い言葉は「ヒント」かも知れない。

これまでに私の記憶、或いは感性の中に無かった「何か」を、稀に持ち帰る事があるのだ。

それは時に音色(響き)であったりするし、フレーズであったりするし、リズムであったりもする。何かの拍子に偶然出てしまった「音」が私に新鮮な驚きをもたらし、すうっと、暗い夜道に仄かに通る一筋の光のように、辺りを照らす事がある。

辺境の地は茫漠として未だ所在を確かにしえない。しかし一筋の光が通る事で、それは少しずつ場所としての輪郭を明確にさせていく。

そういうものを持ち帰った時、私は暫らく「心ここにあらず」といった状態になる。

普段の音楽の練習をしていても、不安定な足場の上でぐらついているような、しかし一方でどこかに確実に浮いているような、そんな心地を味わうのである。

その状態を我慢して堪えていると、次第に足が地に付いてくる。そしてその感覚は以前よりもほんの少し強固になっている事を私はその時に知るのである。

ワークショップとライブと。その中で、久しぶりにその「ヒント」のようなものを持ち帰ってきた。

耳に残るリズムと音色がある。それが私を少し照らしている。

とても面白い。

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2010年1月11日 (月)

新春アリエス

本日は19:20より上野アリエスでハーモニカトリオのライブ。

良かったら来てね。

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2010年1月10日 (日)

なめろう自作

なめろう自作
有楽町で「釣りバカ日誌20ファイナル」を奈美子と見て来ました。やっぱり「釣りバカ」は良いすなあ。客の年齢層が異常に高い。恐らく平均年齢60歳ぐらい?

二人して金がなくなったので、とっとと奈美子の家に帰ってきて二人で料理。買ってきた鰺を捌いて「なめろう」を作りました。鰺自体がスーパーで買ったあまり良いものではないので薬味を多めに。ネギとショウガと大葉をたっぷり。結構満足のいく出来。

やっぱり次は釣って来た鮮度の良い鰺で作りたいな。味噌も美味しいやつを使ってさ。

料理は楽しいのう。

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悪魔の天ぷら

悪魔の天ぷら
悪魔の天ぷら
昨年の年の暮れの大掃除の際に、奈美子の家から百貨店商品券が5000円分も発見されました。

なので今日は奈美子がその商品券を使って昼飯を奢ってくれると言うので、新宿高島屋内の天ぷら屋「つな八」に行って参りました。

まあ美味いの何の。

穴子の天ぷらを食べた時には、そのあまりの美味さに足はガクブル目は虚ろ。小海老のかき揚げにトドメを刺され、気を失いました。

美味いものを食べると幸せになりますが、何回も続くとおそらくは死にます。

天ぷら最高。

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2010年1月 9日 (土)

ワークショップ終了

ワークショップ終了
大変盛り上がりました。

添付写真は参加者のベーシストのバッキングをしてくれているゲストインストラクターのベーシスト飯田雅春氏。

レアなものもお目にかかれました。

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2010年1月 8日 (金)

消えていく記憶、残る思い出

我が街小岩の駅前には、大きな声で独り言を言っている人がちらほらいる。今日も「写真が出来たんだってよ!でも取りに来いって言われてもなあ!」と叫んでいるオッサンがいた。見えないお友達と話しているのだ。平和な街だ。

さて、今日は「忘れる」という事について考えてみよう。

私たち人間の記憶力というのは往々にして曖昧で、生まれてから今までの事を全て詳らかに覚えている人間には私は未だ嘗て会った事が無い。もしも「そういう人(全てを記憶している人間)だっている!」と言われれば、それを否定する術を私は持たないのだけれど。「へえ、そうなんだ」と返すより外ない。私達は随分と狭い世界で生きているのだから。

私たちは、過ぎた事を「忘れる」。それは良きにつけ、悪きにつけ。

あくまでも個人的な仮説ではあるが、それは何かの自己防衛本能に則っているのではないだろうか、と私は思う。ある一定量の情報を頭に入れた時に、容器としての脳から情報がこぼれ落ちる。それが或いは「忘れる」という事なのではないだろうか、と。

あまりに多くの物を所有して人間が生きていけないように、記憶もまた量としての臨界点をそれぞれに持っているのかも知れない。それを超えた時に、私たちの脳は余剰の情報をほぼ自動的に削除し、忘れる。勿論、容器の嵩は、成長や退化によってある程度伸縮はするのだろうけれど。

「忘れる」という現象を、実生活レベルで頻繁に経験する。

年が明けてから私は完全に思い付きでジョン・コルトレーンというサックス奏者の「ジャイアントステップス」という曲の練習に取り組んでいる。一つのエクササイズとして、コルトレーンが吹いたフレーズを一音ずつなぞっていく、所謂「コピー」と呼ばれる練習だ。

コルトレーンのサックスソロは、前半だけでおよそ10コーラス近くに及ぶ。1コーラスが16小節の長さであるから、単純に計算すれば約160コーラスもの長さをそのソロは持つのである。

これがなかなかに覚えられない。

前日に何時間も練習して覚えた筈のフレーズも、一夜おいて翌日になれば綺麗さっぱり忘れている。仕方がないからもう一度覚え直す。さらに翌日になれば、その大半をも再び忘れている。そんな事が日々続いていく。

しかし私はどこかで諦観にも似た感情を抱いている。

「忘れたらまた覚えれば良いのだ」と。

それは先に言ったように、私の脳が「その情報はまだ不必要だ」と判断して自動的に削除した結果として忘れているのだ。必要とする時が来れば、それはごく自然に私の記憶に組み込まれる。その時を、じっと待つのだ。地道に忘れたり覚えたりを繰り返しながら。アフリカの砂漠の中で寒さに耐えながら夜明けを待つフタコブラクダのように。

脆弱な記憶の中で、どうにも消えない記憶もいくつかある。それは、顔から火が出そうな程に恥ずかしい記憶もあれば、思い出しただけで歯軋りを堪えきれない悔しい記憶もある。中には、私の大切な人達の、宝石のように素敵な記憶だってある。

いつかは忘れてしまうのかも知れないし、もしかしたら私が息を引き取るその瞬間まで、それらは残っていくのかも知れない。

覚えたり忘れたりを繰り返して、そうして私たちは生きている。

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2010年1月 7日 (木)

ロンバケ

今日まで休みだった。

年末から休みだったから、かれこれ十日近くの休み。もはや長期休暇だ。ロングバケーションだ。ロンバケだ。だから私はキムタクだ。

もちろんキムタクは昨年読売巨人軍で引退した木村拓也だ。元広島カープだ。内野も外野もどこでも守れるぜ。キャッチャーだって出来るぜ。

いやいやいや、休みが長すぎて若干頭がおかしくなってきているのだが。

「休みがたくさんあって良いね」などと忙しい方々からはよく言われるが、良いことなど何も無い。私の場合は、「休み=仕事が無い」なのだから。あなた方は、路上で暮らす何故かお家が無い方々に向かっても「休みがたくさんあって良いね」などと言えるのだろうか。好きで休んでる訳じゃねえっつうの。

だから、そういう時にこそ、練習だ。

「バラまくとたくさんの人が死んだり体調がおかしくなってしまう薬品(サリン)」を作った宗教団体の方々が「修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ!」と叫んでいたように、私も「練習するぞ練習するぞ練習するぞ練習するぞ!」と叫んで練習した。このロングバケーションは随分と練習した。もちろんヘッドギアは装着の上だ。空中浮揚と水中クンバカをマスターした。

嘘です。ヘンデルの「ラルゴ」というクラシックの曲が弾けるようになりました。別名は「オンブラマイフ」という曲です。意味は「チンコがブラブラと風に揺れて、げに風流よのう」です。奈美子が大好きな曲だと言うので練習して弾けるようにしたのですが、奈美子は卑猥なタイトルの曲が好きなのですな。

さて、明日から働きます。

少しでも仕事があるというのは、げにありがたき事かな。

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2010年1月 6日 (水)

1月スケジュール

ほんの少しだけなのですが、一月のスケジュールをご紹介。皆様是非ご来場下さい。

1月9日(土)東京笹塚 リハーサルスタジオ マジェスティック
tel 03-3378-2688
http://www.st-ma.jp/majestic/index.html
「ミュージックワークショップ東京 vol.6」
ゲストインストラクター:飯田雅春(b)
年明け一発目はワークショップから。今回は北海道からベーシストの飯田雅春氏がゲストインストラクターで来て下さいます。毎回熱い議論が活発に交わされるこのワークショップ。「ためになる上に面白い」というのが良い所です。
14:00~start  参加費:2000円(見学のみの方は1000円)
参加ご希望の方は
musicworkshop.tokyo@gmail.com
までご連絡を。

1月11日(月祝)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
harp:皆川和義 b:山崎伸之 pf:福島剛
三連休の最後の日に上野アリエスでハーモニカライブ。澄み渡る皆川さんのハーモニカと、太くてどっしりとした山ちゃんのベースサウンドと共に。
19:20~start  music charge:2000円

1月23日(土)東京金町 Jazz inn Blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/
b:長谷川明弘 ds:松永博行 pf:福島剛
本当に久しぶりのピアノトリオでのライブ。選曲からアレンジから全部考えてやるのは、とてもしんどい事なのですが、それが結実した時の悦びを考えると全く苦にはなりません。是非ご来場を。
19:30~start  music charge:1500円

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2010年1月 5日 (火)

ウィルス型の使徒との闘い

こうしてブログを御覧の皆様は、所謂「PC」と呼ばれるコンピューターをお使いの方が多い事だろう。

ご多分に漏れず、私もコンピューターを使っている。

私が使っているコンピューターは、「NERV社(ネルフしゃ)」の赤木ナオコ博士が開発した「MAGI」というコンピューターシステムである。メルキオール(MELCHIOR)、バルタザール(BALTHAZAR)、カスパー(CASPER)という3つの独立したシステムによる合議制が特徴の優れたコンピューターであり、私はブログを書く時の約半分はこのコンピューターを使って書いている。(残り半分は、携帯電話から書いている)

さて、この私の使用するコンピューター「MAGI」、別名はNEC社のVALUESTARという名前を持っており、windowsXPというOSが搭載されている。なので以降はVALUESTARと呼んでいきたい。うん、まあ普通のパソコンなんだけどさ、ホントは。

このVALUESTAR(長ったらしいので、以下略、バリュ夫)に今日、使徒(別名ウィルス)が侵入した。お陰ですっかりバリュ夫は制御不能になってしまった。

幸いにして、システム破壊寸前の所で使徒殲滅に成功した。どうやら最近流行の使徒らしいので、参考までに皆様にその使徒の全容と殲滅方法をここにご教授しよう。

使徒の名前は「Security Tool」。ウィルス対策のセキュリティソフトのふりをしたウィルスである。

PCの電源をONにして画面を立ち上げた瞬間にこのウィルスは画面を襲う。英文で「おまはんのパソコンはウィルスにしこたまやられてしもてるさかい、うっとこのソフトをダウンロードしてウィルスを退治しなあきまへんで」という表示がなされ、そのソフトの詳細を見ようとすると、「オラ、オマエ、クレジットカードの番号入れんかい!世の中金やぞ、金!金の無い人間がいっちょまえに希望を言うっちゅうんはどないな了見じゃい?」と脅してくる。他の画面に行こうにもどうしようにも、これらの画面が怒涛のように押し寄せて来て、全ての動作が無効化されてしまうのだ。

一つ、考えうる対処法は「システムの復元」である。つまり、そのウィルスが侵入する前の状態へとコンピューターを無理やりに戻す。ドラえもんで言う所の「タイム風呂敷」をコンピューターにかける、という方法だ。これが取り敢えずの応急処置となる。

しかし、その画面(メニュー→アクセサリ→システムツール→システムの復元)に行こうにも、何かをクリックするたびに「オラ、お前ンとこはめちゃウィルスに侵されまくっとんねんぞコラ!シバくぞワレ!」という画面が出まくり、とてもではないがシステム復元の画面にまで辿り着く事は出来ない。どうすれば良いのか。

そんな時には、セーフモードを使うのである。

セーフモードとは、「これ昭和のパソコン?ベーシック?」と疑いたくなるほどにドットの粗い画面でパソコンを起動するモードであり、上述のウィルスはこのモードの時には一切の手出しが出来なくなるのである。

バリュ夫の場合は、電源をONにした時にNECのロゴが出た瞬間にF8キーを親の敵のように連打しまくる事でセーフモード起動への道筋が開ける。「こういうのって何だか昔のファミコンの裏技みてえ」と思いながらも私は左脇えぐりこむよにF8キーを連打した。

ほどなくして開く扉。バリュ夫は普段とはいささか違う面持ちで、セーフモードの顔を見せた。

その瞬間、その瞬間だけはウィルスの野郎も手を出せないのである。

そこで、先程言ったように「システムの復元」である。昨日の状態にパソコンを無理やり戻すのだ。

「オラ行けぇぇぇぇぇ!!!」

祈る気持ちで私はマウスをクリックする。

そこから、五分も経った頃だろうか。パソコンが勝手に再起動を始める。

「またあのウィルスの野郎が画面上に出てくるのだろうか…」

私の不安を余所に、パソコンは初期画面を経て、普段のデスクトップ画面へと移行する。

「頼む…!何とも無いであってくれ…!」

すると…

ktkr!キタコレ!である。パソコン画面上にはあの忌々しき「おまはん、侵されとんで?」の画面の嵐が来ない!応急処置が無事に終了したのである。

だが安心するのはまだ早い。結果として、これは症状を緩和させただけの状態であり、パソコン自体はまだウィルスに感染した状態のままなのである。表面的解決であり、根本的な解決では無いのだ。

仮にこの状態のパソコンから誰かにメールなどを送った場合には、そのメールにウィルスが添付され、メールを受け取った誰かが更にウィルスに感染する、という可能性もあるのだ。根本的に問題を解決しなくてはならない。

ここで活躍するのがウィルス駆除ソフトである。そのウィルスを根本から徹底的に駆除する必要があるのだ。

私が「2ch」や「教えてgoo!」などで様々な情報を調べた結果、「Malwarebyte'」という海外のサイトにある「Anti Malware」というウィルス駆除ソフトが優秀だと言う情報を数件得たので、それを無料ダウンロードしてみた。ダウンロードは至って簡単である。

ダウンロード後、そのソフトを使ってパソコン内を隅から隅までスキャンする。つまりどこが悪いのかを徹底的に調べるのだ。ソフトはなかなか優秀なので、「隅から隅までやっとけい!」と命令を下すと、「旦那、がってんでい!」と景気良く答えてから、本当に隅々を調べ上げる。

調べてもらえば、まあ出てくるわ出てくるわ。三時間少々を費やして調べ上げた結果、ウィルスに感染しているファイルの数は実に15個。それらを一つずつ削除してゆく。

それが終わったらもう一度パソコン内を隅々までスキャンし、ウィルスに感染しているファイルやプログラムが無いことを確認する。(実は一つだけ削除漏れがあった。危ない危ない)

こうしてやっとパソコン内から完全に使徒を殲滅させる事に成功したのであるが、終わったのは明け方の4時だ。いやはや、膨大な時間と労力を要したものだ。

原因は、よくわからない。こういったものはおちゅけべサイトなどからよく感染するらしいが、最近はおちゅけべも見ていないからなあ。何が原因なのだろう。兎に角、訳のわからないファイルなどを無闇矢鱈に開かない事、訳のわからないサイトを閲覧しない事、定期的にパソコン内のファイルスキャンをする事などが対策としては挙げられるだろう。

今日は教材用のCD作り。それもパソコンが復活したから可能な訳だ。

皆さんも、各自のコンピューターのセキュリティには是非とも万全を期していただきたいと願う所存である。

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2010年1月 4日 (月)

龍馬と弥太郎

私はこれまでに様々な人々に憧れ、影響されながら生きてきた。

それは大して珍しい事ではないだろう。逆に誰の影響も受けず、自らの信念のみで生きてきた人間、そちらの方が遥かに珍しい。そこまで強固な自己を確立しながら生きている人というのを、私は殆ど知らない。「自らの信念のみで生きていると勘違いしてしまっている人」ならば何人かは見た事があるが。

友人や親兄弟、師や有名人、そういった「他者」から影響を受けながら、流転の如く考え方が変わる事、それは決して悪い事ではない。成長とは、畢竟変化の事なのだ。

私が幼い頃、影響を受けた有名人の一人に坂本龍馬がいる。皆様ご存知の幕末維新の志士の一人である。何を隠そう、中学生の折には、私の部屋には一畳分ほどの大きさの坂本龍馬のドデカいポスターが張ってあった。「アイドルか!」というツッコミを待たなくてはならない所である。

昨日、NHKの大河ドラマ、「龍馬伝」の第一回目の放送を見て、私は再び坂本龍馬の事を想った。それは随分と久しぶりの事で、何か疎遠になっていた旧知の友を想うような、奇妙な懐かしさを伴った感慨が私を襲った。

福山雅治演じる坂本龍馬、それにはまだいささかの違和感がある。少々「繊細すぎる」というか、そういった面で少し私の考える「龍馬像」とは隔たりがあった。龍馬という人間を勝手に私が推測するに、もう少し照れ屋で、粗暴さのようなもので自らの優しさや繊細さを誤魔化して隠すような、そんなイメージがある。

しかしこのイメージの齟齬は大した問題では無い。そこを刷り合わせようとするのは私の単なる自己満足に過ぎない。

大河ドラマ「龍馬伝」は、なかなかに斬新な構成を持っていた。それは「視点」である。

明治時代に入ってから三菱財閥を興す岩崎弥太郎という男がいる。土佐藩(現在の高知県)で1835年に生まれた、という事であるから、丁度龍馬とは同年代に当たる。この弥太郎の視点から龍馬を視る、そういった構図をこの「龍馬伝」は持つのである。

この構図がなかなかに面白い。弥太郎の龍馬に対する視線は、憧憬と嫉妬、愛憎入り混じるものであった。

天衣無縫な龍馬に対して、弥太郎は憧れもするが妬みもする。そしてどこかで感じている、「この男はいずれ日本を変える」と。

龍馬に対して、弥太郎は別の方向から日本を変えようとする。弥太郎が信じたのは「金の力」、そしてそれに伴う「権の力」であった。後に弥太郎は巨万の富を得る実業家となり、実際に日本の中でも有数の権力を誇る人物となる。それは龍馬への嫉妬からも来ているのではないだろうか、というこの「龍馬伝」の構図、これがなかなかに面白いのだ。

陰と陽、闇と光。弥太郎と龍馬を並べた時に、そういった単純な二項対立の構図を打ち立てる事で、弥太郎の魅力が存分に引き出されていく。ドラマの中で弥太郎を演じるのは、俳優香川照之であるが、ひょっとしたらこれは近年稀に見る「当たり役」になるのではないだろうか、という予感を抱くほどに、香川の弥太郎は光っていた。

元々は龍馬が好きで観始めた「龍馬伝」。しかし、一時間強のドラマを観ている内に、私は知らず知らずの内に弥太郎の視点と同化していたのだ。

そう考えれば、いささか爽やかで男前に過ぎる(悪く言えば少々リアリティに欠ける)福山龍馬も、弥太郎という男の羨望を際立たせる事を考えた時に、しっかりと腑に落ちてくる。

激動の時代を生きた男たち、そしてそれに翻弄されていく女たち。

久しぶりに、歴史ブームが私の中でもやってきそうだ。

誰か、一緒に幕末トークしようぜ。

追記:昨日、リアル「親父の一番長い日」やって来ました。死ぬほど緊張しました。

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2010年1月 3日 (日)

ネーミングの勝利

ネーミングの勝利
ネーミングの勝利
京急新逗子駅にて発見。

そりゃあ何はなくとも食わなくてはと思い、食す。

なかなかにまいうー。

やはり名前が良いな。

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頑張れ俺

一路、逗子へ。

と言っても今日は釣りじゃない。

色んな意味でちょっと不安。

頑張れ俺。

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2010年1月 2日 (土)

新年二日目

新年二日目の練習は、コルトレーンのコピーと、エリントン曲集のマイナスワンを使って仮想実戦スパーリング。

バッキングの練習もしたかったんだけど出来なかったなあ。

今から親戚の宴会です。

小さいガキに小遣いあげてきます。

酒を呑みまくってきます。

簡単更新ですまん。

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2010年1月 1日 (金)

投げやり正月日記

皆様ご存知の通り、年なんてものが明けやがりまして、まあ見事に今年なんてものが始まってやがる訳でございます。誰も頼んじゃいねえのにね。

で、私はと言えばご多分に漏れず何をしている訳でもなく、、ダラダラと正月を過ごしております。いわゆる「クソ正月」と呼ばれるものでございますな。

やってきた年賀状に返事を書いてみたり、江戸川まで散歩に出てみたり、ピアノを弾いたりレコードを聴いたりして。

今現在は、昨今流行りの貧乏人向けパチンコである一円パチンコなるものを呆けた顔で打ちながら、携帯電話から新年一発目のブログ更新です。

こんな事をしている人間に飛躍の一年はやっては参りません。笑わせるな、という話でございます。

今年の抱負は、「関東でのカープ戦にはなるべく行く」です。恐らく前田も今年がラストですからな。

それでは、今年一年が皆様にとって良き一年となりますよう、適当に祈っておきます。

良い正月を。

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