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2009年11月13日 (金)

雑感 練習

まー見事に金が無くて。

「今月の種々の支払い、どうすべ」と思案してあれこれ銭の計算していたのだけれど、多分何とかなる。というよりも何とかしなくちゃいけない。

持ってたら持ってるだけ遣う、という悪癖をどうにかしなくてはならない。やー、しかし金が無い。

本日も順調に練習をする。金が無い時は練習は良いよ。金が一切かからないし、ピアノはちょっとずつだけど上手になるし。

「Drop2」というピアノの技術があるのだけれど、それを少し勉強する。まだ実用化するには遠い。もう少し自然な形で出来るようになるまでは使い物にはならない。

自分にとっての新しい技術や知識というのは、幾つかの過程を経て身に付いていく。

まず「知る」という段階。

語学の習得にも少し似ているような気はする。

例えば、単語単位というレベルで「consider」という単語がある事を知り、それが「熟考する」という意味である事を知る。これはまだ文脈の中で使える段階には無い。あくまでも「そういう単語があるのだな」という事を知っている段階だ。

だからこの時点では、「consider」という単語を見た時には、「あ、それ、何だっけ!何ていう意味だったかなー」と考えた後、「あ、『熟考する』だ!」と分かるに至る。「知っている」ではあるけれど、「使える」には程遠い訳だ。

これがその後何回もその単語を目にし、つっかえながらも「使っていく」内に、「consider」を見た瞬間、「ああ、『熟考する』ね」とスッと出てくるようになる。これは「知っている」という段階から「覚えている」という段階に移行している証拠だ。

だが、まだこの段階ではそれは自分の知識、技術としては未完成なのだ。

その単語がどういったシチュエーション(或いは文脈)で使われるのかを、サンプルとして更に覚えておかなくてはならない。「大体ね、こういう時にはこうやって言うのが普通なんだよ」という感覚的な意味での知識。ここまで行くとかなり「使える」という段階に近くなってくる。

そこから更にもう一段階、「何も考えなくても自然にすっと出る」という段階、ここまでを目指さなくてはならない。

それは知識なり技術なりが「馴染んでいく」段階だ。

なので、一つの知識を本当の意味で獲得していくのには、厄介な事になかなかに時間がかかる。

昔師匠に言われた事に、「今お前がやっている練習は、二年後にお前が普通に出来るようになるんや」というのがあった。これはまさしく師匠の言う事は的を射ていて、逆に言えばそれぐらい長い時間をかけて反復練習を行う事で、耳や指が、つまりは身体全体がその響きを覚えて、しかるべきタイミングの時には、そういった知識がすっと出てくるようになる、という事だと思っている。

確か私はそういう風に言われた時、「え、すぐ出来るようになりたいっす」みたいなクソ生意気な事を言ってしまったような記憶があるが、師匠は笑って「その心意気はエエが、まあ無理や」と言ってくれていた。ホント、出来が悪いくせに生意気な弟子に優しかったな、あの人は(笑)

過去の自分に向かって、「利いた風な口を聞くなああああああ!」と言ってやりたいよ、マジに。

でも今では実感としてよくわかる。知識や技術の定着には時間がかかる、という事が。

だからすぐに出来なくても焦らない。一歩ずつ、確実に昇っていけば良い。

語学の喩えを出したように、これは音楽に限った話じゃない。

何でもそうなのだ。

地道に、やるべき事をじっくりとやらなくては。

そうやって考えていると、退屈な筈の「練習」が少しは楽しくなる。

やっぱり、楽しい事がしたいよね。

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コメント

いいお話です。わたしももっと練習します。
ありがとうございました!

投稿: asamip | 2009年11月22日 (日) 16時17分

asamipさんへ
練習、楽しいですよね。ぼくも最近、もう一度自分の練習や音楽を見直して、それで以前よりも何割か増しで音楽が楽しくなっています。仕事なのか遊びなのか最早わかりません。

投稿: ふくしまたけし | 2009年12月 1日 (火) 12時38分

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