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2009年10月13日 (火)

スキマに潜る

(読者諸氏へ。本日、あまり笑いの要素が無い単なる独白なので、あまりしっかり読まないように)

昨日のアリエスライブ、お客さんに来て頂いた事は勿論の事として大変嬉しい。

ただ、それと同じくらい、ピアノを弾いてお金がもらえるなんて、それで生活が成り立つなんてとても嬉しい事だなあと改めて実感。

上記の上野アリエスは、50分を3セットの長丁場。しかもBGMのような営業仕事ではないから、それなりのテンションで臨まなくてはならない。

集中力を研ぎ澄まさなくてはいけないのは営業もライブも一緒だけれど、ライブはテンションを上げなくてはならないし、営業は逆に上げ過ぎても良くない。誰に教わった訳でも無いけれど、自分なりに学んで来た事だ。

誰に教わった訳でも無い、というのは少々傲慢過ぎるかな。ウチの師匠の教えでもある。「そんなもん、現場で苦労して覚えて来い」という愛のある教え。師匠、苦労してます(笑)

そんな感じの高めのテンションで長時間演奏するとやはり疲れるのだけれど、その疲れは存外に心地良い。そもそもただ愉しいだけでやっていた音楽が、何でかは知らないけれどメシの種になっているのだもの。疲れもまた心地良い。

正直に言えば、京都から東京に戻って来た時はかなりの不安があった。

こんな下手くそなピアニストが、潜り込むようなスキマは、果たして東京にあるのだろうか、と。

その不安は半ば的中し、半ば外れた。

東京に戻って来て実感したのは、本当に自分がピアニストとしては底辺に近い、「ものすごくヘタクソ」だという事だった。

少々話はずれるが、中学校三年生の時、私は校内で一番柔道が強かった。けれど、それはあくまでも柔道人口の低い小岩四中の中での話であって、恐らく世田谷学園や国士舘高校など、柔道の名門高校に行ったら箸にも棒にもかからない弱小部員になっていた事だと思う。そもそも練習にもついていけなかったのではないだろうか。高校はムチャクチャぬるい柔道部でやっていたのであくまでもそれは想像の域は超えないのだけれど。

それと同じように、というかそれ以上に状況は過酷で、私は京都でも随分とヘタクソな部類のピアニストだったし、器用なタイプでもなかった。それが激戦区東京に戻って来てしまって、さっきの例で言えば、小岩四中柔道部の補欠部員が世田谷学園でレギュラーになんてなれる訳は無い、そんな状況を目の当たりにした。

(誤解の無いように言っておくが、関西のジャズシーンは小岩四中ほど低レベルでも何でも無い。相対的に見てもレベルは高い。絶対数が少ないだけで)

ただね、実際の所スキマはあった。確かにあった。

それは、個人競技で勝ち負けがはっきりと着く柔道よりも、野球で考えた方がわかりやすい。

野球は、全員ホームランバッターでは勝てない。これは数年前にジャイアンツが身を持って体現してくれた。余所のチームの四番を金で買ってずらりと並べた金満打線。結果は見るも無惨だった。

塁に出るトップバッターがいて、繋ぐ二番がいて、返すクリーンナップがいて。野球というスポーツはそうやって点を取っていく。

守りにしてもそうだ。試合を作る先発ピッチャー、相手に傾きかけた流れをぐいっと戻すタフな中継ぎ、相手が試合を諦めてしまうような威圧感のある守護神。そういった様々な要素が噛み合って、初めて試合に勝てる。

役割は本当に多種多様で、誰かが利己的になった瞬間にその脆くて危ういバランスは簡単に崩れていく。

そういう意味では現在のジャイアンツは、バランスの取れた本当に良いチームだと思う(嫌いだけど)。カープはバランスもへったくれも無い。酷いチームだ(大好きだけど)。

翻って音楽の話を。

音楽にもやはりそういう「役割分担」みたいなものがある。付け込むスキマは、そこにあった。

そこに、スキマに無理やり滑り込んで、何とかやっている。自分を卑下しているつもりは毛頭無い。そういうスキマを埋める人間だって世の中には必要なのだ。間違いなく。

今の自分に何が出来て何が出来ないのかを客観的に観察してみると、必然的にやるべき練習が浮かび上がって来る。「今出来る事」を更に洗練させて、精度を上げていく練習。「今出来ない事」を新たな自分の知識として獲得していく練習。当たり前の話だけれど、そんな当然の事ばかりが練習メニューに上がってくる。

勿論、客観的に観察と言っても限界がある。やはり、自分を真に客観的に見つめてくれる他人の意見は貴重だ。他人の意見で少しでも有益だと思ったら、それがキライな奴から言われた意見だったとしても素直に聞くに限る。逆に単に自分が上の立場に立ちたいが為だけの傲慢な意見だと思ったら、「そうっすね、マジ勉強になります!サーセン!」と言って逃げるに限る。サーティシックス計エスケイプするに如かずだ。

そんなムカつく意見というのは非常に稀で、殆どの場合、他人からの意見は様々なヒントを包括している場合が多い。

私は精神年齢が中二で止まっている為に大変生意気かつ子供なので、言われた瞬間には「うるせえ!クソが!」と心の中で思うことも少なくない。けれど言われてから数時間、少なくとも数日も立てば、「やべえ、こないだの指摘、的を射ているっていうか…当たってるっていうか…寧ろわかってねえのは俺の方っていうか…」と思うに至り、「よし、死のう!いや…酒呑んで寝よう…」と数時間の不貞寝の後、「チキショウ、こないだ言われた事ムカつくから、出来るように練習しよっと」と「ザ・ポジティブ君」へと変貌する。

大体において、10回中9.8回くらいは私が間違っているという残酷な事実に気付いたのはつい最近の事なのだ。仕方がない。

だから私が繰り返し何遍も言うような思考に至る。

「間違っても良い。修正すれば良い」と。

修正出来ないようになったらいよいよ終わりだとは思うけれど、間違ったら何遍だって修正すれば良いのだ。

大丈夫、人間はそう簡単に潰れない、と私は知っている。

何だか今日は全く取り留めもなくて、つまらない文章だからアップしようかどうしようか迷ったけれど、折角たくさん書いたし、冒頭にクソのような言い訳文章を挿入してアップする事にする。

皆さん、「口は災いの門」って言葉知ってる?

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コメント

剛君は、本当に良いピアニストだと、すぐ近くで聴いていていつも思うなり。
音や音の繋がりに、温度があって、生命力があって、美しさもあって。
そして、全く独善的ではない、皆が引き込まれる個性が強くあって。
生意気ですが、福の字のピアノを聴くと、談志師匠がよく言う[功は拙を蔵する]という言葉を噛み締めたりします。
いつも、福ちゃんのピアノからたくさんのことを学んでいます。
いつも、感謝しています。
ありがとうございます。

投稿: Funky280 | 2009年10月13日 (火) 17時29分

福島くん、凄く鋭く自分の事を分析しているのね。凄く冷静で、俯瞰的に自分の事を見つめられるなんてすごいわ。
ところで、東京は京都以上に雑多で国際的で、色んな人がいると思うし…期待される演奏って、京都と東京では違うの?

投稿: クロサバ | 2009年10月19日 (月) 01時44分

Funky280さんへ
昨日はどうも。ぼく、帰りに自転車乗りながらゲロ吐きましたよ。おお、オレ器用!って思ったもの。酔っ払ったなあ。
いやいや、まだまだですよ、ぼくもあなたも。お互い精進しましょう。自分を天才と信じて(笑)俺達はきっと出来る!みたいなノリでね。

投稿: ふくしまたけし | 2009年10月21日 (水) 14時33分

クロサバさんへ
冷静で俯瞰的かどうかはわからないですけれど(笑)。でも、何とか潜り込まなきゃ仕事が無かった訳ですからね。仕事を見つける為に、やっぱり必死になった部分はあったし、今でもそれはそうですね。やっぱりつまらないプライドで意固地になってもいけないし。
東京と京都の演奏は、かなり違います。同じジャズというジャンルでも。どう違うかを書くと、何だか誤解を招きそうですけど…
でもやっぱり東京は「オシャレ」な感じはします。良くも悪くも。

投稿: ふくしまたけし | 2009年10月21日 (水) 14時37分

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