« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

2009年10月31日 (土)

明日は西池のりこさんと

今日は一日丸々レッスン。

朝から夕方までは千駄ヶ谷でレッスン、夕方からは自宅レッスンというスケジュールなので、眠い目をこすりながら朝から総武線に揺られているのだが。

他人が持っているスポーツ新聞がちらと目に入って、そうか明日は天皇賞かという事を知る。競馬の天皇賞。最近ではとんと競馬もやらなくなってしまったので、最近の馬はわからない。ウォッカとかはギリギリ知っているけれど。

今でも秋の天皇賞は中山の2000mなんだろうか。

競馬のレースで見ていて一番好きなのは、2000m〜2500mぐらいの中距離走。1200mぐらいのスプリント走だとあっという間に終わってしまうし、3000mを超えるような長距離走だと最後の直線のスピードがイマイチ見ていて物足りない。中距離走が一番好きだ。

京都に住んでいる時にはよく土日には一人で淀の競馬場に行って、一レース千円ぐらいの安い馬券を買って、ぼんやりと競馬を見ていたっけな。殆ど勝った記憶もないのだけれど、目の前で馬が走って、周りで人がわーわー言っているのが楽しかった。馬は単純に結構可愛かったりするし。

ミホノブルボンとライスシャワーのライバル戦とか、ナリタブライアンの三冠とか、そういうのはよく覚えている。ステイゴールドっていう万年三着の馬が好きだったな、そう言えば。

明日はライブなので、日中はそれに向けた練習もしなくてはならないので、競馬やってる暇なんかはないのですが。

という事で明日の宣伝です。

高円寺はアフターアワーズで、ボーカルの西池のりこさんとのデュオ。昨日軽くリハーサルをしてきましたが、楽しくなりそうです。

普段のインストものをやる時のように、ゴリゴリとアグレッシブに弾くばかりではなく、のりこさんの歌の良さを少しでも引き立たせられるように、いつもよりも柔らかくピアノを弾いて。そういうものがうまく調和した時には、自分の中でも「オシっ!」ってなる(笑)

明日、11月1日(日)、高円寺アフターアワーズで20:00からです。確かチャージは1200円だったような気がする。

ご都合合う方は是非ご来場下さい。

| | コメント (0)

2009年10月30日 (金)

たけしとまつ~理想の女性像~

ぎゃー、昨夜の記憶が無い!(←酒のせいで)

ハーモニカの皆川さんと呑んでいたのだけれど、全裸になってゲラゲラ笑っていた記憶がうっすらとある!(←酒のせいで)

朝の5時に奈美子に対しての発信履歴が携帯に残っていた!(←酒のせいで)

自己批判と総括をして、可及的速やかに死にたい!間違いない!

嘘です死にません。

さ、本日も誰にも何の為にもならない糞エッセイを書いていきましょうかね。酒の席での失敗で一々死んでたら、命がいくつあったって足りねえっつうの。

さて、本日は「理想の女性」というテーマで一席。

私にとって理想の女性は誰かと問われれば、それはもう「奈美子」と答えるより他無い。それ以外の解答は恐らく死を招く。

恐怖から言う訳では無いが、奈美子はだいぶ素敵な女性だ。尋常ならざるほどの強烈な遅刻癖があることを考慮に入れてもまだ素敵だ。あと、10円ハゲもあるけれど。

が、死を覚悟の上でそれ以外の解答をしてみようではないか。

さて、私がここで答えるべきは、芸能人の名前であってはならない。石田ゆり子氏、本上まなみ氏。確かにどちらも好きだが(そして彼女達も私を好きな筈だが)、今日は彼女達との妄想スイートデイズを綴る訳ではない。

最近の私の理想の女性は、前田まつ氏、このお方で間違いない。

前田まつ氏、生きていればおよそ430歳とかそんなものだろうか。前田まつこと「おまつの方」は、戦国時代を生きた武将、前田利家の妻であった。数年前に「利家とまつ」という大河ドラマがあった事が記憶に新しい方もいらっしゃるのではないだろうか。

今日はひたすらにこの「おまつの方」を愛でようという目論見である。前田まつ、こいつはエエ女やで…ホンマ…

おまつの夫、前田利家は織田信長の家臣であったが、初めより身分の高い武将ではなかった。足軽の出であり、当時の木下藤吉郎、後の太閤豊臣秀吉とは隣同士の長家に住む間柄であった。

こういった貧乏生活の経験がまたより一層おまつを素敵にする。

数年前の大河ドラマでは、おまつ役は確か松嶋菜々子が演じた筈だが、私のおまつのイメージは松嶋菜々子とはまるっきり違う。

おまつは二男九女という十一人の子供達の母でもあり、幾多のエピソードからも「肝っ玉母さん」的なイメージが強い。ならば松嶋菜々子ではないだろう、というのが私の印象だ。若い頃の田中裕子や、役者ではないが漫画家の西原理恵子、多少無理やりだがこの辺りがイメージに近い。

利家という男は、若い頃には「槍の又三」の愛称で知られた織田信長軍きっての闘将であるが、年老いてからはなかなかにしょぼいエピソードには事欠かないヘタレ武将である。

1587年に「意地を通すのは不便なものよのう」でお馴染みの佐々成正が前田家所領の末森城へと攻め込んだ。末森城城主は、「傾(かぶ)くなら傾(かぶ)き通せ」でお馴染みの奥村永福、そう、奥村助右衛門である。ちなみに補足しておく必要があるが、私の戦国時代に関する知識の九割九分はマンガ「花の慶次」から来ている。

さて、佐々成正が攻め入ったその時、当然前田利家は末森城へと援軍を送らねばならない訳だが、何と利家は「お金がないよーう、援軍が送れないよーう…」と妻のまつに泣きついた。

まつは利家を一喝して曰わく、「この金銀を召し連れて槍を突かせたらどうだ」と強烈に皮肉ったというのだ。

つまり現代風に言えば「金なんて後からどうにでもなるだろうが、このクソボケ!」といった塩梅だ。

ぎゃー、まつ、超格好良い!

またこんなエピソードもある。

秀吉の最晩年に催された「醍醐の花見」というイベントがある。秀吉は「花見がしてゃーのー、女の子もいっぱい呼びてゃーのー」とジジイのくせにスケベ全開に花見を開かせた。

そこには秀吉の正室から側室まで、300人を超える女達が集ったというが、秀吉の正室側室以外で唯一立ち入りを許可された女性がまつだったというのだ。

女達は秀吉の寵愛を受けようと必死になり「あーら太閤様、今日もお髭がス・テ・キ」と言ったり言わなかったりして、秀吉に歩み寄った。

中でも秀吉の正室である「ねね」と、側室であった「淀君(お茶々の方)」は大変仲が悪く、秀吉からの盃を「きー!アタシが盃をもらうのよー!アタシよー!アタシよー!」と激しく争ったというのだ。

そこに割って入ったのが、まつである。

(まつはエエ女やで…ホンマエエ女やで…)

すまぬ、今のは私の心の声だ。

割って入ったまつは、「まあまあ、あなた方、ケンカをするなら私がその盃はいただくわ」と言った。

先述したように、まつと秀吉は嘗て隣同士の長家に暮らした昔馴染みである。気心の知れた間柄だからこそ、太閤にもそのように出れるのだ。

「はい、もうねね殿も淀殿ももうケンカしないの」

そう言ってまつは盃を取り上げ、ゆっくりと飲み干した。

振り返って曰わく、「女房酔わせてどうするつもり?」と。刹那、スターダスト・レビューの歌が鳴り響く。

♪会いたくてー会ーいたくてー

カラン。ロックグラスの中で氷が鳴る。

いや、鳴らない。「女房酔わせてどうするつもり?」も言っていないし、戦国時代にはスターダスト・レビューはいない。

ちょっと色々とごっちゃになった。

まあとにかくまつは女のケンカを華麗に、そして可憐に収めた訳だ。

まつはエエ女やで…

こんな女性が最近の理想なのです。

奈美子はまつに劣らず素敵な女性ですが。

私はと言えば、日々変態度が上がりまくっていて困ります。

電車の中で前田まつに関する本を読んで「まつはエエ女やで…」などと呟いている訳ですから、もはや通報されてもおかしくないレベルです。

次は監獄で会いましょう。

| | コメント (0)

2009年10月29日 (木)

すごく貧乏だった頃の話

先日の京都旅行の最中、久しぶりの後輩にも何人か会った。

結婚式のようなものに出ると、やはり多少は昔馴染みの知人に会うものだ。

現在も学生をしている彼ら。笑えるぐらいに金が無い。

曰わく、「缶系の酒(ビール、チューハイ等)はコストパフォーマンスが悪い。瓶系の酒(ウィスキー、焼酎等)の方が安く酔える」や「値段当たりのカロリーでモノを見たい」等々の発言。

私自身は現在も金持ちとは程遠いが、少なくとも学生の時ほど貧乏ではない。しかし、それらの発言は大変に懐かしかった。私も学生の時は彼らと同様に見事に金が無かった。

激安にして激マズの焼酎「大五郎」の4リットルペットボトルを家に常備し、スーパーで100円程度で買っておいた緑茶パックからお茶を淹れて、水道水で作った氷と共に割って作った「緑茶ハイ」を毎日呑んだ。恐らく一杯当たりの値段は10円するかしないか微妙なラインだ。

ツマミは例えば大量のモヤシ炒め、材料費20円。或いは味噌をそのまま舐める、タマネギをまんまカジる等の、人間の尊厳のようなものを初手からフルスイングでドブに捨てた恰好の糞メニュー。それでも楽しくやってたから不思議なものだ。

その頃に戻りたいかと聞かれれば、二つ返事で「No」ときっぱり答えるけれど。

貧乏でも快適に生きていく為には、それなりに知恵を絞らなくてはならない。

私は「人に助けてもらう」という完全に他力本願な基本路線を変えた事はなかったのだが、やはり時には誰からも助けてもらえない時がある。そういう時には自力で何とかしなければならないのだ。

例えばタバコ。

金が無い、だがタバコは吸いたい。しかし金が無い。

そういう時にはどうすれば良いのか。

まずは灰皿をもう一度見直す所からスタートだ。長めのシケモクでもあれば、それを吸うのが手っ取り早い。

問題は、長めのシケモクが無い時である。その時はどうするかと言えば、新たにタバコを作る。無い物は作れば良いのだ。

短いシケモクを分解して、葉っぱの燃えていない部分を取り出す。それを数本分集めると、結構な量の葉っぱになる。

おもむろに本棚から英和辞典などを取り出し、今後読まなさそうなページ(例えば「Q」の項)を一枚ビリリといく。それが葉っぱの巻き紙だ。

あとは何も複雑な所は無い。何故だかはすっかり忘れたが、私はアジアを旅行中にタバコを手巻きするスキルを身に付けていたので、そういう事はお手のものだ。あっという間にシケモクとシケモクとのジョイントタバコが完成する。

このタバコが実にマズい。パキスタンで「K2」というマズくてマズくて仕方がないタバコを愛煙し、インドでは「ビリー」というクソのようなタバコを愛煙していた私であるが、それらのタバコよりもシケモクジョイントはマズい。世界一ウマいタバコである「ロングピース」や「ショートホープ」がここまでマズく生まれ変わるのである。なかなかに劇的な話である。

しかし私はその激マズタバコを愛でて吸った。

「中古品なら悪いって…誰が、言った…?傷ぐらい…みんな、あるだろ…」

と、田中邦衛のモノマネをしながら私は呟き、シケモクジョイントを吸った。大変にマズかった。

貧乏は他にも幾つもの間違った工夫を私に生み出させた。

自家製うどん。これは激烈にマズかった。うどん玉はきちんとスーパーで買ってくるべきである。

賞味期限を二週間も過ぎた豆腐。これはヤバかった。味噌汁に入れたが、味噌汁から腐った犬の臭いがした。

「火を通せばイケる」という標語は稀に身を滅ぼす。読者諸兄は覚えておくと良い。

だがね。

そんな惨めな事を、ほぼ毎日していたにも関わらず、貧乏生活は楽しかった。

次回のバイト給料日まであと3日、残金は70円、というようなヒリつく状況。どうやら私はその状況を楽しんでいたようだ。

そんな事を、今現在リアルに貧乏を楽しんでいる最中の後輩を見ながら思い出した。本人達には「楽しんでいる」などという気持ちは殆ど無いのかも知れないが。

追記:このブログを書きながら見ていた『深夜食堂』という深夜ドラマが異常に面白かった。小林薫は相変わらずすげえ良い役者だなあ。

| | コメント (2)

2009年10月28日 (水)

唐辛子ドバー!→大火事

唐辛子ドバー!→大火事
写真の小皿は、モツ煮込みとほうれん草のおひたしですが、上にかかっている赤いアイツは、紛れもなく唐辛子であるワケです。

昨日ヤマと飲みに行った時に食ったものなのですが。

七味唐辛子の中蓋を取って、モツ煮込みにドバー!ほうれん草のおひたしにドバー!

食べて「ギャー!辛いー!」

ええっと…

バカなのかな?死ぬのかな?

もちろんこんなものを食べた翌日には、業界用語で言う所の「ツーケーがタイイー」状態、つまり大変にアナルが痛い状態になる訳です。菊門が阿蘇山大噴火になるのです。

ホントさあ。バカなんだなあ。残念な事に。

帰りに酔っ払って「戦国時代の乱世を駆け抜けた100人の女たち」みたいな本をコンビニで買っていました。

まだ少ししか読んでいませんが、信長の妹の「お市の方」に激萌えです。

変態です。

| | コメント (0)

2009年10月27日 (火)

マッケンジーが阪神へ

シアトルマリナーズのジョージ・マッケンジー捕手が阪神に入るとの一方を聞いた。

マッケンジー捕手は「HAHAHAHA、世の中ハ、マネーでース!」という邪悪なコメントを残していたとかいないとか。

片や、我らがカープの新監督である野村謙二郎監督はそのニュースに対して、「いや、もう根性しかないっす!根性っす、根性!オラ、レギュラー陣、全員走り込みじゃあ!20km走れ、20km!」と、「昭和か!」もしくは「軍隊か!」とツッコミを入れたくなるような根性論を展開しており、来年4月の開幕までにレギュラー陣が全員故障を抱える事は必至です。

ああ、もうプロ野球はおしまいや…おしまいやで…

| | コメント (0)

秋晴れの空の下で

京都から帰って来て翌日である今日。

また見事に日常が始まる。

今は池袋へ向かう電車の中。今日はレッスンを一つ。それから病院へ行って目の様子を見せに行って、銀行へ行って種々の支払いを済ませて、あとは残った時間でピアノの練習をして、という予定。ものすごく「普通」の一日。

ピアノの練習に関して。

ここの所ずっとベーシストがいるライブが続いていた。ピアノの弾き方について言えば、ベーシストがいる時といない時ではピアノの弾き方が変わる。

今週末には久しぶりにボーカルとのデュオのライブ。ベーシストはいない。その為の練習を少ししなくては。

一緒にやって頂くボーカルは、西池のりこさん。彼女のステージは、客として観る事は何度かあったのだけれど、本格的な共演は初めて。

柔らかい中にしっかりと芯のある、素晴らしい歌を歌われる方。客として観ていた時も、のりこさんの歌を聴くと自然と笑みが漏れた。そんな包み込むような歌を歌う稀有な人だ。とてもスイングするし、近日中のリハーサルがもうすでに楽しみ。喋りがまた面白いのだけれど、それはステージまでのお楽しみ(笑)。

11月1日の日曜日、高円寺は「After Hours」でやります。詳細はまた追って。

ちょっと恥ずかしいので前回は若干ちゃかして書いたけれど、実は先日の日曜日のザックバランでのライブがとても楽しかった。

昔からずっと一緒にやっている黒ちゃんと鶴賀と、「よっしゃ!もう難しい事ナシ!楽しくやりましょ!」というアホな真似をしていたものだから、そして徹底的にそれ(アホ)を守りながらやり遂げたものだから、それは随分と楽しかった。

そういう事があると、「音楽は良いなあ。また頑張って練習しよう」という気に改めてなる。

私はそんなにストイックな方でもないし、我慢強い方でもないので、たまにはこういう風に良い思いをさせてもらわないとならない。辛い事ばかりだと途中でくじけてしまう。

どんなにたくさんギャラをもらったって、つまらない時はつまらないし、逆にどんなにギャラが安くても、面白い時は面白い。

カワハギの肝なんかは釣り人しか食べられない美味だけれど、こういう演奏の悦びは、演奏をする我々だけの特権だ。

だから今日も頑張れる。

大変良い事だ。

| | コメント (4)

2009年10月26日 (月)

京都旅行を振り返って

京都旅行を振り返って
京都旅行を振り返って
只今、帰りのバスの中からの更新。

外は雨が降っている。少し肌寒くて、雨の音が聞こえて。何だかとても良い天気だ。あくまで個人的にではあるけれど、良い天気だ。

今回は、いつも寄る「ぎやまん」と「ラッシュライフ」に立ち寄れなかった。少し観光をしてたせいだ。

一人で京都に来たら、決して観光なんてしないのだけれど、今回は奈美子さんと二人で行っていたので、多少観光もした。

初日には大変ベタに三十三間堂などに行ってしまった。千体を超える多数の仏像は、何とも言えない迫力があった。一体一体の存在感は大した事がないのかも知れないが、それが千体の束になった時の圧倒的な迫力と言ったらなかった。

しかしベタな事をしておる。

その後、師匠の墓参りに二人で行って、北大路の「みなもと」でうどんを食べて、腹も膨れた所で奈美子の希望で北白川の「ガケ書房」へ。

その後私は結婚式へ。奈美子は一人で京都をふらふらと、というのが初日の顛末であった。

さて、明けて翌日、二日目の昨日は、朝から嵐山へと観光に向かうという、これまたベタなスタート。

奈美子が多数の観光客を見ながら、うつむき加減に焦点の定まらない視線で「バルス…バルス…バルス…バルス…バルスバルスバルスバルスバルス…」とひたすらに滅びの呪文を唱えていたものだから、地は裂け、川は割れ、雷鳴は轟き、まさに世界の終わりが訪れたかのようであった。

「奈美子、ダメだよ、そんなライトかつポップな気持ちで滅びの呪文を唱えては。見てよ、人がゴミのようになってしまっているじゃないか」と私が言うと、奈美子は「あっ、ごめーん、てへっ」と可愛らしく照れた。可愛らしく照れたが、奈美子の両の傍らには夥しい数の死体が転がっていた。滅びの呪文によって滅ぼされた者達だ。

私は奈美子と「バルス禁止」の指切りげんまんをした。

さて、嵐山の渡月橋の片側が奈美子の呪文のせいで地獄絵図となってしまったので、私たちは渡月橋を渡って対岸へと向かった。

対岸にはサルの楽園があるので、そこに向かった。

山に入ると、奈美子の表情が一変した。足取りは途端に軽くなり、その表情には溢れんばかりの歓喜を湛えていた。

「ただいま、お前たち!」

奈美子がサルの群れにそう声をかけると、サル達が一斉にキーキーと鳴いた。そう、それは王の帰りを待ちわびた群集のように。

奈美子がサルに向かって何やら喋りかける。サルがそれに返す。

「言葉…わかるの…?」私が聞いた。

「ええ、もちろん」奈美子が明るく頷いた。

「無理に喋ろうとするからわからないのよ。ただ、感じるようにすれば良いわ。そうすれば、この子達と簡単に話せるわ」奈美子は言った。

私はとうとう奈美子がイッてしまわれたと思うより外なかった。

「この女…狂うとる…狂うとるでんがなまんがな…」と、ネイティブ顔負けの流暢な関西弁で私は独白した。

ほどなくしてサル山を下り、桂川の周辺を散歩する。

そうしてから京都市内へと戻り、夜のライブへ。

ライブは大変楽しかった。

客席にはスペイン人のカップルもいた。奈美子がスペイン語でスペインの核武装について熱く語っていたのが印象的だった。

スペイン語には一切明るくない私であるが、奈美子のその尋常ならざる剣幕から、会話が決して穏やかな内容でないことは想像に難くなかった。

「この女…ガチでマジに狂うとる…」

その場にいたサックスの黒ちゃんが呟いた。

「ああ、ホンマや…大阪名物パチパチパンチや…」

私がそう答える。

「え?俺は鬼畜じゃないっすよ。女をヤリ捨てしたりしてませんって、多分。っていうか万に一つ」とベースの鶴賀が言ってきた。私は昨日まで尊敬の念を込めて鶴賀の事は「鶴賀さん」と呼んできた、いや、呼ばせていただいていたのだが、今後は「エロ賀さん」と呼ばせていただくことを固く心に誓った。

そんなこんなで京都旅行、終わりました。

楽しかったです。

あと、このブログには嘘の事ばかり書いてあるというのは周知の事実ですが、「エロ賀さん」が「エロ賀さん」なのは本当です。

もう何も信じられません。

| | コメント (4)

2009年10月25日 (日)

酔いどれ日記

酔いどれ日記
ビジネスホテルの狭い鏡台を、容赦なく散らかし倒すわたくしと奈美子。

何で王将の餃子があるのかは疑問に思わないように。

さて、今からはホテルで一人飲み会。

横にいる奈美子は下戸ですが、本日のホステスです。

結婚式に行ってました。

古賀とマミちゃん、おめでとう。

| | コメント (0)

2009年10月24日 (土)

60億の孤独

60億の孤独
バスを待つ新宿の高層ビル群の風景。

きっと最上階では悪趣味な金持ち達が、決死の鉄骨渡りなんかを見物して楽しんでいる。

ざわ…ざわ…

クソがっ…!もう、止せっ…!そんな悪魔沁みた事っ…!

という妄想をしています。

バス来ねえなあ。

| | コメント (0)

2009年10月23日 (金)

ガラスの天才

やあ、パソコンモニターの前のボーイズアンドガールズ、今日も元気に心を病んでいるかな?

私か?私は心配に及ばない。絶好調だ。夜毎、誰からも必要とされなくなる悪夢を見たり見なかったりだ。快調だよ、安心したまえ。

さて、本日夜半から関西へ。

そのバスの出発時間を待つ暇つぶしに本日のブログ更新だ。

今日は、起きてピアノの練習をして、荷造りをして目医者に行ってバスで出発という一日だった為、これと言って特筆すべき話題も無い。皆大体がそうだと思うが、日々ドラマチックな日常を送っている人間など少ない。凡庸な日常を消費する事が大半、それはそんなに恥ずべき事でもないと私は思うのだが、どうだろうか。日々を生きるのに精一杯。それは我々凡人の現実だ。

だが、そのような時に何一つ誰かに伝える事も無い、というのはこれまた寂しい話だ。

私だって伊達や酔狂だけでこのブログを数年(多分約四年)続けている訳だが、そのような時にも書くべき事は無数に転がっているのを私は知っている。

有り体に言おう。

「何だって良い」のだ。正直な所。

何だって良いので、徒然なるままに書こう。

という、いささか長い前置きである。

さて、本編。

ファミコン世代の皆様、『スペランカー』というTVゲームをご存知の方はいるだろうか。

洞窟を探検するアクションゲームなのだが、それなりにヒットした作品である筈だ。ご存知の方が何人かいても、それは全く不思議な話ではない。

この『スペランカー』、ある特異な点から、現在も語り草になっているゲームなのだ。

その特異な点とは。

「主人公が異常に弱い、すぐ死ぬ」という点である。

そのあまりのひ弱さに、『スペランカー』の主人公は、「TVゲーム史上最弱の主人公」などと揶揄される事もある。

どう弱いかと言えば。

例えば、自分の膝ほどの高さの段差から落ちて死ぬ。コウモリのフンを踏んで死ぬ。遠くの爆弾が爆発すると爆風で死ぬ。などなど、まあ見事に簡単に死ぬ。

同時期に大ヒットした『スーパーマリオブラザーズ』と比較してみても雲泥の差だ。

マリオは自分の膝ほどどころか、自分の背丈の7〜8倍の所ほどまでジャンプし着地するが、それでも決して死なない。人間に換算して考えれば、地上約10mの位置から落ちても何ともないのだから、流石のスーパーマリオだ。『スペランカー』の主人公も多少は見習ってもらいたいものだ。

しかし、その脆弱さは我々に強烈なインパクトをもたらした。

いつしか「すぐに怪我をする人、すぐに病気になる人」の代名詞として「スペランカー」という言葉が使われるようになった。

(補足:ちなみに怪我をする事を「スぺる」などとも言う)

さて、現在の日本プロ野球界において、その「スペランカー」の異名をほしいままにするプロ野球選手がいる。

横浜ベイスターズで研鑽を積み、現在は福岡ソフトバンクホークスに所属する多村仁志選手だ。2006年のワールド・ベースボール・クラシックスでの「確変」とも言えるような活躍が記憶に新しい方もいらっしゃるのではないだろうか。今日は彼の「スペランカーぶり」を楽しく読者の諸兄と見ていこうという試みだ。「多村仁志スペランカー伝説」をご存知ない方は、きっと驚愕される事だろう。

やはり最も有名な所で言えば、球団宣伝用ポスターの撮影時、軽いジャンプをして着地時に足を捻挫、という一件であろう。無論、スーパーマリオよろしく10m近いジャンプをした訳ではない。ほんの数十センチのジャンプだ。流石は天下のスペランカー、多村仁志である。

他にも彼のスペランカー伝説は枚挙に暇がない。

握手会で握手し過ぎて腱鞘炎。流石はスペランカー!

A型インフルエンザの予防接種を受けて、B型インフルエンザに感染。流石はスペランカー!

勿論、今年のCSも腰痛で欠席。流石はスペランカー!

さて、ここまで私は彼を馬鹿にしているように書いてしまっているが、彼の名誉を少しでも回復させる為に、彼のスペランカー伝説以外も少しは記してみようか。

多村仁志選手、その野球センス自体は類い希なものがある。

パワーとミートを兼ね備えた打撃、堅実な守備、走塁も一流だ。走攻守の全てを兼ね備えた名選手ではあるのだが、いかんせん「スぺる」のである。

もし彼が「スペら」なければ。そうなればこれはもう非常に素晴らしい成績が約束されたも同然だ。

3割、30本、100打点。ひょっとしたら30盗塁のおまけまでついてくるかも知れない。それほどまでに卓越した選手であるのだ。本来ならば。

我らがカープにも、怪我に泣かされた選手は数多存在する。

先日引退した緒方孝市選手や、イチローや落合博満をして「天才」と言わしめた前田智徳選手もその代表格だ。彼らの怪我との闘いには、一種の悲壮感のようなものが漂う。

しかし、多村仁志。何故かあまり悲壮感が感じられない。

本人はそれは苦悩もしている事だろう。あまつさえ、脆弱な自らの身体に苛立ちすら感じているやも知れない。だが、全くもって悲壮感が感じられない。

多村がスペる。すると、我々プロ野球ファンは、「スペランカーktkr!」と何やらテンションが上がってしまう。

春を告げるそよ風のように、夏の到来を教える夏祭りの音のように、それは最早一種の風物詩とも言えるほどの風情と風格を兼ね備えているのだ。

スペランカー、それも含めての多村仁志の魅力だろう、と。

そんな多村選手が今オフ、FA権を取得した。その動向が気になる所ではあるが、一野球ファンとしての正直な所を言えば、「そんな故障の多い選手、獲る所あるのか?」といった所だ。

だからこそ、だからこそ、である。

広島にあるあの赤い球団が多村仁志を獲得してはくれまいか。私はそんな事をぼんやりと思うのである。

前田、末永、多村で組むスペランカートリオの外野陣。9回までは誰一人も残っていない外野陣。そんなものが組めたら、と夢は膨らむ。

まあ、先に断りを入れておけば、120%、それはありえないのだけれど。

まず多村を獲得することが現実的にありえないし、万に一つ獲得したとしても、今の競争の激しいカープ外野陣の中において、その三人が揃って外野を守る事はまずない。

天谷、廣瀬、赤松、フィリップス。なかなかに優秀な外野手がカープには既に何人もいるのだ。現実は厳しい。

今オフより野村謙二郎の新体制となった我らがカープ。毎年毎年「来シーズンこそは!」とファン達が鼻息を荒くするのがこの時期の常であるが、毎年毎年その荒めの鼻息は、シーズン終了時には溜息にとって代わる。

そんな事もあるけれど、優しい目で今年もカープを見守っていきましょう。

さ、そろそろバスの時間です。

そうだ、最後にライブ告知。日曜日、暇な人は京都岡崎までどうぞ!

10月25日(日)京都岡崎ZAC BARAN
tel 075-751-9748
http://www.secondhouse.co.jp/zacbaran.html
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 pf:福島剛
19:30~start  music charge:1200円

| | コメント (0)

2009年10月22日 (木)

盗ッ人たけだけしいわたくし

昨日は自宅レッスンの後、近所のジャズハウスのジャムセッションへ。

昔からよく行ったな、ジャムセッション。最近は月に一度行くか行かないかみたいになってしまった。

昔は「誰かと一緒に演奏する、合奏する」という事を一番の目的に置いていた。それはそれで良かったと思うし、今でも「合奏する」という目的も持って行く。

けれど最近は目的はまた別にある。合奏だけではなくて。

それは「他人の演奏を聴く」という事。そしてそこから「盗む」という事。

盗ッ人ですよ、ええ。ふてえ野郎ですよ、ええ。

昨日は、とあるピアニストAさんがやっていた「If I were a bell」と、とあるピアニストBさんがやっていた「Stella by starlight」がとても良かったので、「ねーねーどうやってたんですか、教えて下さい!」とAさんBさん両者共に対してウザさ満点に聞いたら、大変親切に教えてくれたので、容赦なくアイディアをパクらせて頂きました。

プライド?ねえよ、そんなもん。

あとはやはり細かなタッチ。ペダルを踏むタイミングであるとかね。音の切り方、伸ばし方。とても勉強になります。

セッションがお開きになったら、昨日は比較的早々に店を後にして、チャリンコを漕いで新中川まで。

「何とか流星群」が見れるかもしれないという事で一人でそれを眺めに行ったのだけれど、結論から言えば見れなかった。ただ単に寒空の下で缶チューハイを一本呑んだだけ。

まあそういう事もあるわな。

寝る前に奈美子さんが電話をかけて来てくれたので、嬉しかった。

さ、今日も今から練習です。最近流行り(自分の中でね)の「一人エロール・ガーナーごっこ」を少しやって遊んだら、昨日他人からパクったアイディアもお浚いしよう。

あと、スタンダードの暗記も今日も何曲かやろう。

そうだ、今週末は関西に行きます。

一本だけですが、ライブもやります。以下詳細。

10月25日(日)京都岡崎ZAC BARAN
tel 075-751-9748
http://www.secondhouse.co.jp/zacbaran.html
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 pf:福島剛
昔からの馴染みのメンバーでリラックスしたジャズを。とは言いながら、三人とも途中からぶち壊れのイキまくりになります。アホライブです。
19:30~start  music charge:1200円

関西方面の方、是非お越しを!

| | コメント (4)

2009年10月21日 (水)

ガーナーごっこ

今日の練習でやっていた「一人エロール・ガーナーごっこ」が超面白い。

だいぶコツもわかってきた。

あとは髪の毛をポマードべっちょりのイカした髪型にしなくては。

エロール・ガーナーの髪型だけは掛け値ナシにダサい。

| | コメント (0)

眼を使わずに

色々あって、右目の視力が今殆ど無い。

ぼんやりと見えてはいるけれど、正確な輪郭を掴む事は出来ずに、本当に、「ただ何となく見えている」状態。

右目から見た視界の上から、何重も膜のようなものを被せられている状態と言ったらわかるかな。とにかく、殆ど見えていないのだ。

どれほど困るだろう、と思っていたら、実はそれほど困らなかった。少なくとも日常生活においては。

もう片方の左目はしっかり見えている訳なので(ド近眼だけど)、それを頼りに生活すれば、さほどの困難は無い。

唯一、非常に困るのが、譜面を書く時。

左目と右目で距離を測るのが普通なのだけれど、今はそれを左目だけでやっているので、書いた音符が微妙にずれる。嘘だと思ったら片目を瞑りながら譜面を書いてみると良い。ものすごく書きにくいから。

音符がすれるのはマズイ。なぜなら指示する音程が変わってしまうから。

「あー、ミがファになっちゃった。書き直さないと。くそっ…見えねえ…」みたいな感じで少々苛つく。

しょうがないので、目を使わない練習に力を入れる。最近やっている練習は、これまでにやって来たスタンダードの楽曲を暗記する練習。コード進行やテーマメロディぐらいは少なくともしっかり暗記するように、という事。

意外と覚えてない曲というのも多くて。昨日暗記した曲の中には『Body and Soul』なんてのもあった。あー、覚えてるつもりが実はきちんとは覚えてなかったんだー、と反省。今日もその練習。

ソラで弾ける曲がたくさん増えていく、っていうのはやっぱりそれはそれで嬉しい訳で。

勿論、この練習の目的は他にあるのだけれど。

でもそれは教えてあげない(笑)

| | コメント (6)

2009年10月20日 (火)

音楽の聴き方

ピアノレッスンの時にちょっと面白かった話を少し。

レッスンでは殆どの場合において何かしらの課題曲を設定する。難易度や、これまでの課題曲とのバランスなどを考慮しながら、生徒ごとにそういった曲を設定していく。

その際に、私はいつも「参考になるかならないかは別にして、なるべくその曲の名演を聞きましょう」と言う事にしている。ジャズで使われるような簡単な譜面だけを眺めていては湧いてくる筈のアイディアも湧いて来ない。

先日、とある女の子の生徒のレッスンでの事。課題曲は美しいバラード、『My one and only love(以下マイワン)』だった。

私のレッスンの仕方を仔細に書いても仕方が無いのだが、私は課題曲を決めたら「まずは自分なりに考えて弾いてきて」と言うのが殆どだ。そこで言う「自分なりに考えて」というのは、当然ながら「既存の名演奏を参考に、アイディアをパクる」という事も含まれている。参考の音源のお薦めを聞かれればそれにも答える。勿論そこには多少なりとも私の好みが入るのだが。

さて、その女の子が「とりあえず自分で考えて弾いてきた」『マイワン』は、なかなかに良かった。

「何か参考にしたの?」と私が聞くと、彼女は「はい、コルトレーンとジョニーハートマンのやつを」と答えた。

サックス奏者ジョンコルトレーンと、ボーカリストのジョニーハートマンの共演盤。全編バラードで統一されたその名盤は、私も大好きな一枚だ。コルトレーンは、激しい演奏も大変素晴らしいが、少し抑えた演奏もまた素晴らしい。大好きだ。その共演盤では、ジョニーハートマンとコルトレーンのサックスが何層にも積み重なり、大変奥行きの深い演奏となっている。

「あのレコード、良いよねえ。ぼくも大好きだよ」私は彼女に言った。

それに対する彼女の返答がなかなかに興味深かった。

「はい、携帯の着うたでダウンロードして、何回も繰り返し聞きました!」と。

そうか。今はジャズも携帯でダウンロードして聞く時代なのか、と私は少し遠い目をした。

携帯で聴くジャズ。そんなのも悪くないと思う。

私の個人的な好みとしては、やはりきちんとしたオーディオで、それなりに落ち着いて音楽を聴きたい、というのがある。だから私は京都時代は出町柳のジャズ喫茶「ラッシュライフ」に足繁く通った。「ラッシュライフ」のオーディオからは、決して大きすぎない音で、極上のジャズがかかっていた。コーヒーは美味かったし、マスターや奥さん、或いは常連客とジャズ談義や他愛の無い会話をしながら音楽を聴くのが、私は本当に好きだった。今でも京都に行けば「ラッシュライフ」には必ず寄る。

だがしかし、そういった音楽の聴き方は、数多ある音楽の聴き方の中のたった一つに過ぎない。

人それぞれで、多種多様な音楽の楽しみ方があって良い筈だ。

「音楽はこうやって聴かねばならない。こうやって聴かなければ、音楽の本当の良さはわからない」

そんな事を言うヤツは、豆腐の角に頭でもぶつけておけば良い。

私自身は、ジャズ喫茶でジャズを聴くのが好きだ。iPodなどはあまり性に合わない。だがその一方で、携帯でジャズを聴いて何が悪い、とも思う。

それで、様々な事を学び、また新鮮な感動を得る事が出来るのであれば、何も非難されるような事は無い。

そして私がもう一つ嬉しかったのは。

時代が移り変わり、携帯で音楽が聴かれるようになっても。次から次へと新しい音楽が作り出され、棄てていかれるような事があっても。

それでもコルトレーンとジョニーハートマンの名演は今でも若い人に感動を与え続けている、という事だ。

願わくば、これから何年経っても、そういった事が続けば良い。

そんな事を、思った。

| | コメント (0)

2009年10月19日 (月)

ドS女医と聖なる光の差す行方

数日前から、目の病気に苛まれていた。

本日、月曜日に病院へ行くつもりだったが、あまりの痛みに耐えかねて、昨日の日曜日、病院へ行った。

いや、行かされたと言う方が正しい。昨日の日曜日は、彼女の奈美子と会う約束の日であったが、私の真っ赤な目を見た奈美子は開口一番「病院に行こう」と言い出し、その場で携帯電話を駆使して、手際良く近所の眼科を幾つかリストアップした。

その内の一件、N眼科(仮称)という所へと向かう。私は余りの眼球の痛みに多少不機嫌であり、奈美子に延々と楽天イーグルスのフロント・オーナー陣の無能さを説いていた。

「ノムさんクビでブラウンて。笑わしてくれるよね。仙台でその内に暴動が起きるよ?」などと。

「黙れ・病院へ行くぞ・小僧」と冷たい声で言い放った奈美子に首根っこをがしりと掴まえられつつ私たちは病院へと向かった。

病院。それは「出来るならば行きたくない場所」である。

以前、医者になった先輩がそんな事を言っていた。「病院に来たいヤツなんて基本的には一人もおらんからなあ」と。

確かに私も憂鬱だった。煩わしい種々の検査。それから診療。私だってそもそもは病院は嫌いだ。

だが、そこのN眼科は、多少の珍しさがあった。

医者は女医。大きなマスクと眼鏡で顔を覆っているが、それなりに端正な顔立ちをしている事は想像に難くなかった。

顕微鏡のような器具で私の眼球を覗き込み、私に何やら話しかけてくる。

「あーあ、派手に腫れちゃってる、パンパンですよ」などと私に向かって呟く。

そこから簡単に病状を説明される。曰わく、角膜に傷が付き、その傷から細菌が入り込んで眼球に感染し、そういった原因から眼球が極端に腫れている、と、そういう事だった。

そしてここからが魅惑のショーの開始だった。

何と、女医は「ドS女医」であった。

そこから繰り返される女医の私への攻撃、いや、口撃。

「とりあえずは私の言うことを完全に守って下さい。治す気があるのならね?」

「は、はい…わかりました!」

「まず目薬。三種類出します。これを三種類全て二時間おきに差すこと。きちんと二時間おきにやれば、そうね、今日は六回ずつは差せるわ。いいわね、六回よ。それ以下は一切認めません」

「は、はい…頑張って…差します!」

「それから明後日、また様子を見せに来て。状態が改善されてないようならば薬を増やしたり変えたりします」

「や、あの…明後日はちょっと仕事があって…日中は来れるかどうか微妙っていうか…」

「は!?何言ってるの!?アタシはあなたの予定を聞いている訳ではないの。明後日見せに来なさいと言ってるの。来れないって何を言っている訳!?」

「いや!仕事とかないです!あっても動かします!明後日来れます!」

「ふん、当たり前じゃないの…」

といった塩梅で診察は進んでいった。随所にチラリと顔を覗かせる「ドSっぷり」に私は半ば圧倒され、そして半ば興奮しながらの診察であった。

待合室に待つ奈美子。「どうだった?」との問いかけに私は一言「ドSだった」と返す以外にほかなかった。

私に投げ掛けられた女医からの視線は氷の視線そのものであり、そこには慈悲は欠片も無かった。ただ、彼女の特筆すべきは「病を治す」という自らの本分への揺ぎ無き意志と自信であり、その遂行の為ならば鬼にでもなろうではないか、という鉄の覚悟であった。

私に出来る事といえば、それに対しての完全なる服従のみである。

女医は決して「ツンデレ」ではなく、「ツンツン」、もしくは「激ツン」であった。診察の最中に、「インリン・オブ・女医トイ」などという強烈に下らないダジャレが私の脳裏を掠めなくもなかったが、そんな事を口に出してしまえばおそらくは「帰ぇれ!帰ぇれ!ここはテメエのように病を治す事に不誠実なヤツの来る所じゃねえんだ!」という意味を内包した「お帰りはあちらです」という冷たい言葉を浴びせられる事は必至であり、私はそれに脅え、必死に口を噤んだ。ドS女医は医療のプロフェッショナルなのだ。是非今後ともその姿勢を貫き通してもらいたいものだ。

さて、その後一日経って、言われた事を忠実に守る犬のように、こまめに目薬を差し続けた結果、数日前ほどのハタから見ても明らかにヤバイ目の充血は徐々に取れてきた。痛みもほぼ無くなって来た。ドS女医は、なかなかにやりおる。流石の鉄の女、である。

病院を後にした後は、私と奈美子は埼玉へと向かった。

奈美子の持つ飛行石のペンダントが放つ聖なる光がそちらの方向を向いたからだ。

「全てを終わりにさせないといけないの」奈美子は静かに、しかし確かにそう呟いた。

私だけが知っている奈美子の秘密であるが、奈美子にはその「奈美子」という名前の他に、両親から与えられた秘密の名前があった。

ナミーコ・トエル・ウル・ラピュタ。

「トエル」は「真」、「ウル」は「王」を意味する。つまり奈美子は、ラピュタ王国の正統継承王女なのだ。

その血生臭い歴史に彩られた一族の系譜を、奈美子は終わりにしたいと考えていた。

私たちは伝説の地を目指し、東武東上線に乗車した。

車内は多数の人で雑多な様相を呈していた。

「見てよ、人がゴミのようだね」と私が言うと、奈美子は私にこう言った。

「土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう」

私が呆気にとられていると、奈美子は毅然とした口調で言い放った。

「どんなに恐ろしい武器を持っても…たくさんのかわいそうなロボットを操っても…土から離れては生きられないのよ!!」と。

「うん、ごめんね」と私は謝った。

ほどなくして電車は川越を抜け、若葉という街へと辿り着いた。道中の川越市では「川越祭」なるものが開催されており、皆一様に「バルス!バルス!滅びの呪文を唱えましょ!ア、ソレ!バルス!バルス!」と叫びながら歌い踊っていた。

と、ここまで書いた所で収集がつかなくなったのでもうやめます。

単にとある川越のカフェに野菜多目のヘルシーランチを食べに行っただけなのですが、何故ラピュタが出て来たのか、私にも皆目見当がつきません。

ただ、信じてほしい。このブログには大体において本当の事しか書いていないという事を。私は嘘を書く時以外はいつだって本当の事を書いているという事を。

リアルな奈美子さんが最近「アンタのブログをたまに見ると、アタシがとんでもないキャラ設定になっているから、マジやめて」と言って私の後頭部を鈍器のようなものでがっつんがっつんと殴打してきますので、いい加減にしないといけないと思っています。

それでは皆様、See You 来世!

追記:『ハチミツとクローバー』、全巻読破しました。最後はスンスン泣きながら、というよりは、えぐえぐ泣きながらの読破でした。何だよ、最後のあのサンドイッチ。反則だよ。

| | コメント (4)

2009年10月18日 (日)

溢れ出る涙

今朝から、右目から涙が止まらない奇病に悩まされている。

眼球は超痛いし。

明日目医者行こう。

| | コメント (4)

2009年10月17日 (土)

久しぶりに海に出て

シャクってシャクってまた巻いて、を繰り返していたら、見事に全身筋肉痛に。

魚美味かったなあ。イナダとカツオ。

今日は朝からひたすらレッスンをして、夜はライブです。

ライブは金町ジャズインブルー。夜20:00よりの開演です。

全身筋肉痛だろうと疲労困憊だろうと、そんなの関係ない全力投球のピアノトリオです。

是非皆様ご来場下さい。

私も大変心待ちにしていたライブです。

| | コメント (0)

2009年10月16日 (金)

漁
祭りだ祭りだー!

船出の刻だー!

テンション超たけえ。

たんまり釣って来ます。

| | コメント (0)

2009年10月15日 (木)

訂正

また間違えてる…

下の記事で、明後日17日のライブ、19:30開始になってますが、20:00の間違いですよ。

訂正致します。

そして、死んで詫びます。

勿論死んで詫びますはウソです。

| | コメント (0)

緒方孝市が引退した

おがたー、おーがーた、おがたー
この一打に闘志燃やして
勝利の地へ駆け抜けろ
かっとばせーおーがーた!おーがーたー!おーがーたー!おーがーたー!おーがーたー!おがたー!!おがたー!!

完全に気が狂ってしまった訳ではない。これは先日引退した広島カープの背番号9番、通称「鬼緒方」こと緒方孝市選手の応援歌だ。

緒方の引退試合は10月10日に行われた。私はその日は一日発表会の本番だった為、緒方の引退試合は泣く泣く見ていない。ものすごく見たかったが。

落ち着いて今日、youtubeで緒方の引退試合、並びに引退セレモニーを見た。最近の世の中は大変便利だ。こうして引退試合まで見れてしまうのだから。

見ていて驚愕した。

何だ…このドラマのような展開は…と。

緒方が試合に出場したのは、八回表の守備から。全盛期に慣れ親しんだセンターの守備位置だ。そう、緒方はゴールデングラブ賞を何回も受賞している守備の名手でもあるのだ。

そしてなかなかに粋なのは、相手チームの原監督。代打に送り出したのは、嘗ての盟友、木村拓也。その木村拓也の放った打球は、まさしく見事にセンター定位置にいた緒方のグラブへ。打った木村も笑顔で一塁まで走り、捕った緒方も笑顔でそれに応えた。キムタクは打球で語った。「緒方さん、これまでありがとう」と。そして緒方もそれに守備で応えた。男同士の、言葉無き会話。本当に痺れる一打席だった。

この時点で私の涙腺は随分と緩んでおり、すでにちょぼちょぼ何かが出始めていた。

そしてその裏の緒方の打席。ここにもドラマはあった。緒方の代名詞と言えば、積極的な初球打ちである。その初球を捉えた打球は、右中間方向へと大きく伸びていく。綺麗に右中間を破る二塁打、さすが緒方、と思ったその瞬間である。緒方は二塁を蹴り、更に三塁まで猛然と走り始めた。それは俊足を売りにしていた緒方の一種の矜持であったのかもしれない。最後まで、この脚を魅せてやる、という矜持。私はそんなものを感じた。

三塁ベースの数歩手前、緒方の脚が微妙にもつれる。しかし、構わず緒方はそのままヘッドスライディング。ぎりぎりの所でセーフとなり、何と驚愕の三塁打を放ったのだ。

しかしそれを見ながら私はこう思った。緒方さん、あんたそういう無茶なプレーで怪我ばかりしてきたじゃないか。溢れる野球センスと身体能力、間違いなく球界屈指の選手だったあんたはそうやって自分を犠牲にしてしまったじゃないか。でも、最後までその全力プレーなんだね。あんたはやっぱりバカだね。最高の野球バカだね。

そう思っていたら、私の目から何かがとめどなく溢れてきた。こんなに感動的なスリーベースヒットは、見たことが無い。

感動も乾かぬ間に、次の展開がやって来た。バッターボックスにはピッチャーの大竹。その打席、相手ピッチャーのワイルドピッチ。キャッチャー阿部がボールを後ろへと逸らしているその間に、緒方は本塁へと突入した。

全力で走る緒方。だが、やはり最後の所で脚がもつれる。先程のプレイバックのようなヘッドスライディング。緒方の差し伸ばしたその両手は…

あと、数十センチ、いや、数センチ、ホームプレートに届かなかった。野球の神様は、最後の最後で緒方にほんの少しだけ意地悪をした。

その届かなかった数センチ。そこに緒方の23年間の現役生活が凝縮されているのだろうか。そんな事を考えていたら、次から次から涙が溢れて止まらない。何というドラマなのだろう、こんな感動的なドラマはそうそう無い。

そして引退セレモニーでの言葉。「いつまでも、最後までも、ユニフォームが真っ黒になるような選手でいたかった」という言葉。実直で、決して手を抜かない、そんな緒方の性格が窺い知れる、感動的な引退挨拶だった。

花束贈呈の際には、選手会長の倉に引き続いて出て来たのは、何と前田智徳。球場がどよめいた。

前田は、花束を渡しながら緒方と熱く抱擁し、そして涙を見せた。天才の高みにある二人だけにしかわからない会話。そして前田の男泣き。もう私は限界だった。手ぬぐいタオルが、びっしょりと涙で濡れた。

という訳で、今日は朝からものすごく感動していたのです。

緒方さん、本当にお疲れ様でした!あなたの全力プレーが大好きでした!これからはコーチとして若いカープの連中にあなたのバッティング技術、そして走塁技術を余すところ無く伝えてやってください。

という事で緒方の話はここでお終い。

今週末、というか明後日ですが、ライブです。金町Jazz inn blueにて、渾身のピアノトリオ。是非いらっしゃって下さい。

10月17日(土)東京金町 Jazz inn Blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/
b:長谷川明弘 ds:松永博行 pf:福島剛
19:30~start  music charge:1500円

| | コメント (2)

2009年10月14日 (水)

はじめてのきょうさんとうせんげん

昨夜はヤマと泥酔。

釣り会議。今週行くので。

帰りに二人してコンビニに寄るのはいつもの事だが、何故か酔っ払った私は本を二冊購入していた。

「はじめてわかる太宰治」

「マンガで読破、共産党宣言(マルクス/エルゲルス)」

の二冊。

………………

意味がわからねえ……

とりあえず「共産党宣言」は読んだ事が無いので、今日、電車の道中に読もうと思います。

革命だ!革命だ!ワッショイワッショイ!

↑アホ

| | コメント (0)

2009年10月13日 (火)

スキマに潜る

(読者諸氏へ。本日、あまり笑いの要素が無い単なる独白なので、あまりしっかり読まないように)

昨日のアリエスライブ、お客さんに来て頂いた事は勿論の事として大変嬉しい。

ただ、それと同じくらい、ピアノを弾いてお金がもらえるなんて、それで生活が成り立つなんてとても嬉しい事だなあと改めて実感。

上記の上野アリエスは、50分を3セットの長丁場。しかもBGMのような営業仕事ではないから、それなりのテンションで臨まなくてはならない。

集中力を研ぎ澄まさなくてはいけないのは営業もライブも一緒だけれど、ライブはテンションを上げなくてはならないし、営業は逆に上げ過ぎても良くない。誰に教わった訳でも無いけれど、自分なりに学んで来た事だ。

誰に教わった訳でも無い、というのは少々傲慢過ぎるかな。ウチの師匠の教えでもある。「そんなもん、現場で苦労して覚えて来い」という愛のある教え。師匠、苦労してます(笑)

そんな感じの高めのテンションで長時間演奏するとやはり疲れるのだけれど、その疲れは存外に心地良い。そもそもただ愉しいだけでやっていた音楽が、何でかは知らないけれどメシの種になっているのだもの。疲れもまた心地良い。

正直に言えば、京都から東京に戻って来た時はかなりの不安があった。

こんな下手くそなピアニストが、潜り込むようなスキマは、果たして東京にあるのだろうか、と。

その不安は半ば的中し、半ば外れた。

東京に戻って来て実感したのは、本当に自分がピアニストとしては底辺に近い、「ものすごくヘタクソ」だという事だった。

少々話はずれるが、中学校三年生の時、私は校内で一番柔道が強かった。けれど、それはあくまでも柔道人口の低い小岩四中の中での話であって、恐らく世田谷学園や国士舘高校など、柔道の名門高校に行ったら箸にも棒にもかからない弱小部員になっていた事だと思う。そもそも練習にもついていけなかったのではないだろうか。高校はムチャクチャぬるい柔道部でやっていたのであくまでもそれは想像の域は超えないのだけれど。

それと同じように、というかそれ以上に状況は過酷で、私は京都でも随分とヘタクソな部類のピアニストだったし、器用なタイプでもなかった。それが激戦区東京に戻って来てしまって、さっきの例で言えば、小岩四中柔道部の補欠部員が世田谷学園でレギュラーになんてなれる訳は無い、そんな状況を目の当たりにした。

(誤解の無いように言っておくが、関西のジャズシーンは小岩四中ほど低レベルでも何でも無い。相対的に見てもレベルは高い。絶対数が少ないだけで)

ただね、実際の所スキマはあった。確かにあった。

それは、個人競技で勝ち負けがはっきりと着く柔道よりも、野球で考えた方がわかりやすい。

野球は、全員ホームランバッターでは勝てない。これは数年前にジャイアンツが身を持って体現してくれた。余所のチームの四番を金で買ってずらりと並べた金満打線。結果は見るも無惨だった。

塁に出るトップバッターがいて、繋ぐ二番がいて、返すクリーンナップがいて。野球というスポーツはそうやって点を取っていく。

守りにしてもそうだ。試合を作る先発ピッチャー、相手に傾きかけた流れをぐいっと戻すタフな中継ぎ、相手が試合を諦めてしまうような威圧感のある守護神。そういった様々な要素が噛み合って、初めて試合に勝てる。

役割は本当に多種多様で、誰かが利己的になった瞬間にその脆くて危ういバランスは簡単に崩れていく。

そういう意味では現在のジャイアンツは、バランスの取れた本当に良いチームだと思う(嫌いだけど)。カープはバランスもへったくれも無い。酷いチームだ(大好きだけど)。

翻って音楽の話を。

音楽にもやはりそういう「役割分担」みたいなものがある。付け込むスキマは、そこにあった。

そこに、スキマに無理やり滑り込んで、何とかやっている。自分を卑下しているつもりは毛頭無い。そういうスキマを埋める人間だって世の中には必要なのだ。間違いなく。

今の自分に何が出来て何が出来ないのかを客観的に観察してみると、必然的にやるべき練習が浮かび上がって来る。「今出来る事」を更に洗練させて、精度を上げていく練習。「今出来ない事」を新たな自分の知識として獲得していく練習。当たり前の話だけれど、そんな当然の事ばかりが練習メニューに上がってくる。

勿論、客観的に観察と言っても限界がある。やはり、自分を真に客観的に見つめてくれる他人の意見は貴重だ。他人の意見で少しでも有益だと思ったら、それがキライな奴から言われた意見だったとしても素直に聞くに限る。逆に単に自分が上の立場に立ちたいが為だけの傲慢な意見だと思ったら、「そうっすね、マジ勉強になります!サーセン!」と言って逃げるに限る。サーティシックス計エスケイプするに如かずだ。

そんなムカつく意見というのは非常に稀で、殆どの場合、他人からの意見は様々なヒントを包括している場合が多い。

私は精神年齢が中二で止まっている為に大変生意気かつ子供なので、言われた瞬間には「うるせえ!クソが!」と心の中で思うことも少なくない。けれど言われてから数時間、少なくとも数日も立てば、「やべえ、こないだの指摘、的を射ているっていうか…当たってるっていうか…寧ろわかってねえのは俺の方っていうか…」と思うに至り、「よし、死のう!いや…酒呑んで寝よう…」と数時間の不貞寝の後、「チキショウ、こないだ言われた事ムカつくから、出来るように練習しよっと」と「ザ・ポジティブ君」へと変貌する。

大体において、10回中9.8回くらいは私が間違っているという残酷な事実に気付いたのはつい最近の事なのだ。仕方がない。

だから私が繰り返し何遍も言うような思考に至る。

「間違っても良い。修正すれば良い」と。

修正出来ないようになったらいよいよ終わりだとは思うけれど、間違ったら何遍だって修正すれば良いのだ。

大丈夫、人間はそう簡単に潰れない、と私は知っている。

何だか今日は全く取り留めもなくて、つまらない文章だからアップしようかどうしようか迷ったけれど、折角たくさん書いたし、冒頭にクソのような言い訳文章を挿入してアップする事にする。

皆さん、「口は災いの門」って言葉知ってる?

| | コメント (4)

2009年10月12日 (月)

悪魔的僥倖

昨日の日曜日。

精神的にも肉体的にも随分と解放されたような、一山越えたような感を得て、1日のんびりとする。

彼女の奈美子と二人で新宿まで映画『カイジ』を見に行く。

一夜限りのギャンブルクルーズ、「エスポワール(フランス語で希望)」、そんな船に奈美子は嘗て一度乗った事があるらしく、映画に描かれたその世界に事ある毎に舌打ちをしていた。

曰わく「ざわつき足りねえ……っ」と。

奈美子曰わく、実際のエスポワール並びに地下労働所は、映画で描かれたよりも遥かにざわつき、ヒリついていると言うのだ。

「アタシはねえ…あそこで人間の裏切りを見たよ…本当の裏切りをね…そして地下に堕ちた…そこからはもう、真の地獄だった………っ!」

絞り出すように奈美子は語った。目にはうっすらと悔し涙を浮かべ、両の掌は強固に握られ、強い拳を形作っていた。二の腕に少し血管が浮き上がったせいで、私は拳の中で突き刺さった爪を想像した。

映画を見終わった私の感想は、「ざわざわが足りない」、「鉄骨渡りは実写でリアルになったお陰で怖さUP」、といったものだったが、奈美子は「マイルドかつソフト過ぎる……っ!」と随分とご立腹だった。

昼にラーメン屋「青葉」でラーメンを一緒に食べた時には、「美味すぎる………っ!悪魔的だ………っ!」とご機嫌だったのに。

奈美子は帰りに「勝たなきゃゴミだ!」とずっと呟いていたので、私は手を繋ぎながら「そうだねえ、人生最後の大勝負、そんな所でなおもまた負けるような、そんなヤツの事はもう知らんよねえ」と宥めるように相槌を打った。

すると奈美子の表情が一変した。

「いや、そこまでは言ってないっていうか…いや、負けた人にもきちんと人生があって…いや、アタシ、ちょっと言い過ぎちゃった…」

奈美子は明らかに動揺している風であった。

「猛省だっ……!猛省しなくてはならん……!」奈美子は急に大声を上げた。

「焼いた鉄板を持って来いっ……!その上で土下座をして猛省するっ……!焼き土下座だっ……!」

奈美子がそう叫びだしたので、私は彼女を抱きしめて、「良いんだよ、奈美子、そんな事をしなくて大丈夫だよ」と必死に語りかけた。

そういう風にしていると、彼女の震えは次第に収まっていった。

「でもアタシの肩の焼き印は…決して消えないの…!」彼女はそう言って泣いた。

人間の汚れには石鹸で落ちる汚れと石鹸で落ちない汚れがある。そんな事を言ったのは、「ノースの国から」でお馴染みのブラックボード・五郎さんだ。

奈美子の肩の焼き印は消えないかも知れない。けれど、圧倒的なまでに雄大で優しい北の大地は、全てを包括し、そして赦してくれる。

そんな事もある。

とまあ。

昼間っから妄想全開日記を書き殴ったが、単に昨日は『カイジ』を観てイマイチで、「青葉」のラーメンが美味かった、とただそれだけなんですが。

今日はライブです。上野アリエス。皆川和義ハーモニカトリオです。

「素晴らしい………っ!悪魔的だ………っ!」

と言ってもらえるように頑張ります。

19:20からスタート。3セット、こってりやります!

| | コメント (2)

2009年10月11日 (日)

やっと一息

発表会終了!

みんな最高だった。

打ち上がり過ぎた。

二日酔いがひでえ。

それと金がすごい減ってる。

アルコールは恐いねえ。ホント。

| | コメント (0)

2009年10月10日 (土)

本日発表会

タイトルの通り、本日発表会本番当日です。

出かける時からバタバタ。

あーあれ持ったか!?あれ忘れてねえか!?やべえ、金忘れてる!

みたいな感じ。

とりあえず今日が終われば一段落。

無事終わりますように。

遅刻しそうだったから家から小岩駅まで小走りしたら、早くも汗だるま親方な私ですよ。

さあ、頑張ろう。

| | コメント (0)

2009年10月 9日 (金)

お笑い芸人

女お笑い芸人である椿鬼奴(つばきおにやっこ)。

薄化粧で出て来た時に、予想以上に好みのタイプの顔であった件について、誰か納得のいく説明をしてくれまいか。

テレビを見ていてわかった事は、椿鬼奴は猫舌でパチンコが大好き。

以上。

クソの役にも立たないどうでも良い情報を流布していくのも当ブログの大切な役割である。

テレビを見ながらギターを練習していたら、ビリーズバウンスが弾けるようになった。

ちょっと嬉しいけれどだいぶ虚しい。

次はコンファメーションが弾けるように頑張ります。

| | コメント (0)

2009年10月 8日 (木)

過ちを正す

我々人間は、過ちを犯す罪深い生き物だ。

そう、生まれてこの方過ちを犯した事のない人間など皆無なのだ。

しかし、過ちにはレベルがある。取り返しのつかないレベルの過ちというものも存在する。例えばそれは人を殺めてしまうような過ちだ。

そういったS級の過ちを除けば、大体の過ちは凡そ償う事が出来る。一つの過ちから、反省し、学習し、修正する。それは「過ちを犯してしまう」という宿命を与えられてしまった我々人間が編み出した窮余の策である。起死回生の能力である。

私はいつも思う。「間違える事がいけないのではない。間違いを修正出来ない事がいけないのだ」と。確か足立区立桜中学の三年B組を担任していたゴールデンエイト先生も似たような事を言っていた。

「彼らはまだ未熟なんです!だから間違えるんです!間違えたら、それは間違いだと繰り返し繰り返し教えてやる!それが教育なんです!」と。

最早、熱いを通り越してクドい、というのがゴールデンエイト先生の長所でもあり欠点でもある。

「君たちはまだ15歳。『死ぬ』なんていう言葉をそう簡単に使うなよ!」

これもゴールデンエイト先生のお言葉だが、ライトなノリで「じゃっ、また来世♪」などとしょっちゅう口に出す私には若干耳が痛い。

金エイト先生の話は、ついつい力が入り過ぎて話が脱線してしまいがちだ。私は実はTVドラマの「三年B組ゴールデンエイト先生」のファンなのだ。

話を戻そう。私達人間は過ちを犯すが、それを修正出来るという話である。私は今日、そういった人間独自の修正能力を、自らの生活の中でリアルに実感した。

昨夜は、久しぶりに彼女の奈美子に会いに、東高円寺まで行っていた。

奈美子は先日、引退を表明した。南海ホークスからソフトバンクホークスまで、背番号90を背負って44年間、愛用のバット「物干し竿」と、バッターボックスへ入る時の酒飛沫(さけしぶき)を吹き付けるパフォーマンスでファンを長きに渡って魅了し続けた。勝負強いバッティングで、タイトルを獲得した事も一度や二度ではなく、前監督の王貞治氏は、「俺はチョーさん(長嶋茂雄氏)とのONがなくなった後も、ナミ(奈美子)と一緒に新しいONが出来る。こんなに嬉しい事はないよ」といつも目を細めていた。練習に対する姿勢は誰よりも厳しく、妥協を一切許さないその姿は「鬼のナミさん」と若手から憧憬混じりに恐れられていた。

そんな奈美子が、バットを置いた。引退試合の前日、私にはたった一言だけ、「もうここいらにしておくよ」と静かに笑った。私はやはりたった一言、「お疲れ様」と肩を叩いた。

結果から言えば、現役最後となる打席で、奈美子はライトスタンドへと突き刺さる逆転サヨナラホームランを放った。その鮮やかな放物線を見ながら、この放物線をもう見ることは出来ないのかという寂しさと、奈美子、まだまだ現役いけるだろ!?という未練とが交錯した。しかし、それは私が決める事ではない。奈美子が、もう辞めると決めたのだ。口出しは無用だ。

そんな現役を引退したばかりの奈美子と、遅い夕飯を一緒に食べて、寝る前に二人でビールを少しだけ呑んだ。奈美子は、部屋の片隅に立てかけた「物干し竿」を見て、時折寂しそうに目を俯かせていた。雨音が、部屋の外で複雑なポリリズムを奏でていた。

明けて今日。東高円寺から小岩まで、私は昼頃に電車で帰ろうとしていた。

しかし本日は未曽有の台風が本州を縦断しているさなかであり、交通網には大いに狂いが生じていた。

私は東高円寺から御茶ノ水まで、地下鉄丸の内線で何とか辿り着く事に成功した。そこからは総武線に乗り換えて20分ほどなのだ。

が、乗り換えた総武線が一向に動かない。30分待とうが一時間待とうが、動く気配は微塵もない。総武線は、台風の影響を受けて完全にストップした状態だと言うのだ。

困った私は思案した。流石に御茶ノ水から小岩まで歩く訳にはいかない。しかし、このまま電車内で手をこまねいている訳にもいかない。

私が選んだ結論は、御茶ノ水から上野まで歩き、そこから京成線に乗り、京成小岩まで行く、という結論であった。

この案は、結果としては効を奏した。京成線は比較的順調に動いており、私は京成小岩駅まですんなりと辿り着く事が出来た。

問題はその道中である。

御茶ノ水から上野まで、歩けば20分〜30分少々かかるのだが、私はその距離を歩く事に「まあ良い運動にもなるし。あわよくばちょっと痩せるし」などという算段をうっすらとしていた。

だのになぜ…

私は悪魔の誘いに乗ってしまったのか…

私は何故、過ちを犯してしまったのか…

過ちとは、豚骨ラーメンである。あろうことか愚かな私は、道中で豚骨ラーメンを食べてしまったのだ。

店の中から漂う暴力的なまでに美味そうな豚骨スメル、そして500円という低価格設定。

私はほぼ脊髄反射でその店に入っていた。

ダイエット?何それ?食えるの?知らない。

そんなマインドで店内に入った。

予想通り、なかなかの美味さだったので貪り食った。そして傍らに見えた張り紙には「替え玉無料」の文字。私はまさにジャンキーのように虚ろな目をしながら「替え玉…お願いします…」と店員に呟いていた。

そうして、多量のカロリーを摂取した私。ここまでが過ちである。

だが、先ほどから言っているように、私達人間は過ちを犯すが、それを修正する事が出来る。

この場合の修正とは、ロンモチで黒烏龍茶である。私はすぐにコンビニへと急いだ。そして、黒烏龍茶を購入。グビグビといった。

これにより、豚骨ラーメンのカロリーは恐らく完全にチャラになった。なので、もう何を食っても大丈夫だ。

皆様も、過ちを犯した時には、まずその修正案を考える事を忘れないようにしてもらいたい。

私からの心優しい提案だ。

| | コメント (0)

2009年10月 7日 (水)

秘密基地

小さな頃に、秘密基地を作って遊んだ人は少なくない筈だ。

そこにはビックリマンチョコのキラキラシールを隠したり、お気に入りの駄菓子を置いていたり。

「あー、そういうのやったよ、わかるわかる」と言ってくれる人は恐らくある一定数いる。漫画「20世紀少年」はその子供時代の秘密基地が物語の大きな鍵を握るし、映画「いけちゃんとぼく」の中でも秘密基地は重要な物語の小道具だった。

私も秘密基地は作った。それは近所のアパートの空き部屋だった時もあれば(←マイルドな住居侵入罪)、小学校のプールの下にある倉庫、通称「おばけ通り」の中だった事もある。それから、新中川の土手の一角だった事も。

今でも私は近所にあるその新中川に、よく行く。殆どは一人で行くが、たまにヤマと行く。この間はなみこを連れて行った。何をしに行く訳でもない。コンビニでビールやチューハイを買って、川を眺めながらぼんやりと呑む。一人の時は暇なのでついでにブログを更新したりもする。

実は今日は、新中川から更新している。ちなみに現在は午前0時24分だ。

いつも私が訪れる、お気に入りの新中川スポットがあった。とある橋の下なのだけれど、そこは静謐で、大変風情があった。言わば、秘密基地なのだ。

私を包む闇と、眼前の川の流れ。その組み合わせが妙に心地良いのだ。

ところが、今日そのお気に入りスポットを訪れてみると、そこは既に他の住人の住処となっていた。

屋外で暮らすのが好きな人もいれば、そうせざるをえない人もいる。それはそれで仕方の無い事なので、私はそういう人たちに対しての反感は殆ど無い。

しかし、大人になってから私が勝手に作った秘密基地に、他の人間が入り込んでしまった事は少し寂しかった。

仕方無く、私はその「元秘密基地」から30メートルほど離れた位置で、買って来たビールを呑み始めた。ツマミはやはりコンビニで買った30円のベビースターラーメンだ。まあこういう事もあるよ、と自らを慰めて、缶ビールを呑んだ。

すると、暫くするとその「元秘密基地」から何やら声が聞こえてくる。オッサンの声だ。

耳を澄ませて聴いていると、それは歌だった。

「椰子の実」という歌だった。

名も知らぬ遠き島より

流れ寄る椰子の実一つ

故郷(ふるさと)の岸を離れて

汝(なれ)はそも

波に幾月(いくつき)

そんな歌を、オッサンが「イイ声」で歌っていた。

何だか良いじゃないか。私はそう思った。

私の秘密基地は、オッサンの家になってしまった。けれど、オッサンは夜中に「イイ声」で「椰子の実」を歌うオッサンなのだ。

ひょっとしたら、オッサンも故郷を離れて、流れ着いた椰子の実なのかも知れない。

そんな事を考えていたら、私は愉快になっていた。

これからの季節は寒いからね。気をつけて暮らしてくれよ。

そんな事を思っていた。

話し掛けたかったけれど、私は意外にトゥーシャイシャイボーイなので、それは叶わなかった。

もうすぐ台風が来る。

オッサン、流されんなよ。

| | コメント (4)

2009年10月 6日 (火)

超人

ミノワマン、すげえ!

ヒールホールドでチェ・ホンマンに勝利!

鳥肌立ったよ!

ミノワマン、マジに超人だ!

| | コメント (0)

ギターとベースと、それからピアノ

いよいよ今週末に迫った発表会の準備に一日。

司会の方に渡す進行表を作るのと、お金の計算をもう一度。

夕方からは自宅でレッスン。

レッスンの時は私はいつも伴奏としてエレクトリックベースを弾くのだけれど、今日はひたすらベース弾いたなあ。ベースが上手くなっていく。ピアノが上手くなりたいのに。

最近は夜、テレビを見たりしながらギターを弾いている。ピアノはうるさくて近所迷惑になるけれど、ギターなら大丈夫。私の持ってるギターはソリッドタイプのエレクトリックギターなので、アンプに挿さなければ殆ど大きな音は出ないから、ベッドに寝ころびながらぽろぽろと爪弾くぐらいに丁度良い。

ほぼ毎日、遊びで弾いているので、最近はギターも上達してきた。ピアノが上手くなりたいのに。

肝心のピアノがいつまで経っても全く上手くならない。本当にうんざりだ。

発表会が終わったら少し時間が出来る。そうしたら、もう一度徹底的に基礎練習を始めからやり直そうと思っている。夜中、ギターを爪弾きながら、その練習メニューを考えるのがなかなかに愉しい。

いつまで経ってもちっとも上手くならないけれど、それでも音楽は愉しい。ピアノは愉しい。

あー、上手になりてー。

| | コメント (0)

2009年10月 5日 (月)

水分への欲求

朝からスポーツドリンクを一気に1リットルも飲む日、そんな朝はどんな朝だか知ってるかい?

そうさ、二日酔いの朝だ。

「ほしいっ!水分がほしいっ!」

その希求はまさに切実そのもので、Tシャツにパンツのみという風体など歯牙にもかけず、世間様からの視線を忘却の彼方へと追いやって、なりふり構わずに自宅前の自販機へとスポーツドリンクを買いに行くのだ。

150円という金銭と引き換えにガタンと落ちてくる「DAKARA」。急いでその場で飲み干したい欲求に駆られるが、自室まで暫し我慢する。

部屋に着くや否や、疾風怒濤、獅子奮迅の勢いで「DAKARA」をぐびりぐびりといく。

一息で、というのは実際には少々大袈裟だが、凡そ二息から三息で一気に飲み干す。

少し欲求は満たされる。

希求していた水分は、染み渡るように私の躯に吸収される。

「大丈夫だ、生きていける」

嘆息を漏らす。

ホッとするのも束の間、寄せては返す波のように欲求は再度私を支配する。

「いや、まだだっ!まだまだ水分がほしいっ!500mlなどでは圧倒的に足らぬわっ!」

「北斗の拳」のラオウ的なテイストで私のマインドがシャウトする。

「もう一本…!もう一本だ…!」

飲み干した「DAKARA」のペットボトルを見てみれば、そこには「カロリーオフ」の文字が。

「イケる…!カロリーオフなら確実にイケる…!二本飲んでも腹回りに支障はきたさない…!」

私は再度150円を握りしめて玄関を出る。

覚醒剤にすっかり依存してしまった中毒患者と私。最早特筆すべき大差も無い。どちらも一様に涎を垂らし、白目を剥きながら一つの外的物質を切望する。

それは片や覚醒剤であり、片や「DAKARA」であるという違いだけだ。

半ば無意識に(或いはほぼ脊髄反射的に)手に入れた二本目の「DAKARA」。それによって私はやっと抗い難い水分への欲求から解放される。

そうしてやっと私の一日が始まるのだ。

今日は朝からスタジオだったのだけれど、移動中の電車内で斯様な本日の朝の阿鼻叫喚模様を思い出しつつ、orzという姿勢でうなだれていた。酒は飲み過ぎてはいかん。

いや、そんな事はない。

飲み過ぎなくてはいかん。

そうして毎回我を失わなくてはいかん。

いや、それはいかん。

めくるめく自己問答。訪れる絶望。

さて、最後に最近一番後悔した事。

なみこが「ねー知ってる?自転車のブリジストンの社長の名前ってさー」と言った所で

「あー知ってるよ、石橋さんって言うんでしょ?」と返してしまった事。

どうしてそこで知らなかったフリをして驚いてやれない!?

「あー!そっかー!石がストーンで橋がブリッジ!逆さまにしてブリジストンって訳か!なるほどー!」と。

何故驚いてやれない!?

しかも愚かな私はその後

「じゃあ、なみこ、サントリーは知ってる?サントリーの社長はトリイさんって言うんだよ。トリイさん。ひっくり返してサントリー」などとつまらぬ不確かなトリビア自慢。

バカなのかな?死ぬのかな?

何、得意になってる訳?そういうの、カッコ悪いよ。

昔、前園真聖がCMで言ってた。

「イジメ、カッコ悪い。トリビア自慢も、カッコ悪い」って。

こんなにも惨めな私ですので、近日中になみこにフられる事は必至ですが、それでも前向きにいきます。

大丈夫。大丈夫なんだ。大丈夫じゃない時以外は全て大丈夫なんだ、と。

さ、リハーサル行ってきます。

| | コメント (0)

2009年10月 4日 (日)

たくさんの譜面

昨日も書いたけれど、今日は今から結婚式の仕事。それが終わったら夜はライブ。

色々譜面がいるなと思ったけれど、必要なものだけピックアップしてコンパクトにまとめて持ち運ぶなんて「デキる」芸当は到底無理な訳で。

で、どうするかと言うと、キャリーケース(車輪が付いててガラガラ引っ張るヤツ)に片っ端から譜面を詰め込んで完了。全て持って行くという力業で乗り切る算段。

私の師匠がいつも同じように常軌を逸した量の譜面を持ち歩く人で、何を隠そう私が今ガラガラと引っ張っているキャリーケースも師匠の形見。

あの人もこうやってクソ重い譜面を引っ張っていたんだな、と思うと、何だか嬉しくなる。嬉しくなるというか、何だろう、切なくなるというか。

まあ間違いなく時代の流れに真っ正面から逆行したアナログ人間だったのは間違いない。似なくて良いような所ばっかり似てしまって、肝心要の部分はちっとも似てこないなと苦笑。

さあ、今日も忙しい一日ですが、頑張りましょうかね。

| | コメント (0)

2009年10月 3日 (土)

崖っぷちライブ

崖っぷちの広島カープが微かな望みを繋ぐ四連勝をカマした所で、同じく崖っぷちな私が明日はライブです。

大塚はエスペートブラジルで、ギターとベースとのトリオで演奏しています。

出演者はギターが二名、鳥居直介氏と三堂寛史氏、ベースが長谷川明弘氏、ドラムが尾田基根氏、そしてピアノが広島鯉太郎です。

私が演奏するのは、鳥居氏と長谷川氏とのトリオ。スタンダードジャズをやります。

どうぞご来場を。

明日は昼間に結婚式の仕事をしていますが、終わり次第ダッシュで大塚に行きます。

今日は一日レッスンだ。

| | コメント (2)

確かなコト

何が本当の事なのか、何が嘘なのか。

そんな事は私にはわからない。

あまりにも不確かな世界を生きている私であるが、これだけは言える。

フェアリーペンギンの可愛さにはマジやられる。

あいつらの可愛さはハンパじゃない。瞬間で悩殺される。すなわち瞬殺される。

不確かな世界の中の、数少ない確かなコトだ。

それでは、See you 来世!

| | コメント (2)

2009年10月 2日 (金)

葛西臨海公園

高校生の頃の話。

夕飯を家で食べ終わって夜の8時頃。翌日の学校の宿題がたくさん出ていたので、鞄から宿題を取り出してみるも、その余りの多さに辟易として、見なかった事にして鞄に再びしまい込む。

宿題から逃げ出した罪悪感を紛らわす為に、部屋で一人でラジオを聴いたりCDを聴いたりしていると、程なくして夜も10時頃となる。そうすると、おもむろに我が家の電話が、鳴る。

別々の高校に行った、中学校の元同級生からだ。

曰わく、「ちょっと出る?」と。

皆すぐ近所に住んでいるので、簡単に集まる。

集まった所で別に特別にする事はない。

「学校の勉強が全くわからない」

「クラスメートの何々さんはきっとオレの事が好きだと思う」

「誰それは早くも童貞を捨てたらしい」

「どこそこのパチンコ屋のモーニングが超熱い」

そんな愚にもつかない会話ばかりを繰り広げる。

小岩にいるのも何となく手持ち無沙汰で、自転車でふらりとどこかへ行く。

よく行っていたのは、葛飾区の水元公園。それと江戸川区の葛西臨海公園。

今日はその懐かしの葛西臨海公園へデートへ。

なみこが「ヤバい眠い」と言って横で眠ってしまったので仕方がないのでブログを更新。

高校生の時に見た葛西臨海公園の風景は、きっと今日も鮮やかに映る。

| | コメント (0)

2009年10月 1日 (木)

二人の伝説

広島の緒方孝市、中日の立浪和義。

確かに一時代を築いた名選手が、相次いで引退を決めた。

時代が静かに幕を下ろす。

様々な事を書きたかったのだけれど、酔っ払っているので、また明日以降。

明日、神宮行きたいなあ。

| | コメント (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »