天谷と童貞
千駄ヶ谷へ向かう電車の中、私は椅子に座って本を読んでいた。
小岩から千駄ヶ谷まで約30分。いつもの私の貴重な読書時間である。
電車が小岩を出て間もなく、平井駅だっただろうか、亀戸駅だっただろうか、二人組の男子高校生が乗って来て、私の前に立った。
片方は広島カープの外野手、天谷宗一郎(11月8日生まれ)に似ていなくもない、なかなかに端正な顔立ちである。そしてもう片方は童貞で童貞を煮しめたような「The 男子高校生」。まさしく男子高校生のお手本とも言うべき出で立ちであった。私は瞬時に彼らを「天谷と童貞」と名付けた。
私は眼前の彼らにちらと一瞥をくれてから再び手元の本に視線を落としたが、二人の会話が何となしに聞こえてきて、本に向ける集中力がいささか削がれた。
彼らを凝視して会話に耳を傾けるのは憚られたので、視線のみを本に置きながら、聴覚の注意を彼らにやった。
彼らはどうやら高校三年生、受験生のようであるらしかった。「この間の模試の結果が…」や「予備校の講習が…」などといった会話の断片からそれは想像に難くなかった。
童貞が英語について、「オレさー、イディオムが覚えられなくてさー」などと言う。それに対して天谷が、「オマエそれはさー、全体じゃなくて単語単位で考えれば良いんだよ」などとアドバイスを送る。確か天谷は「be interested in(〜に興味を持つ)」という熟語を例に出して説明していたと記憶している。「interestに興味を向かせるみたいな意味があって、それが受け身になって…」などと。
ふんふんと納得しながらアドバイスに耳を傾ける童貞。大変に微笑ましい光景であると私は思った。
それと同時に、私は彼らに何だか声をかけたくなるような衝動に襲われた。
お前たち、普段からきっと仲が良いんだろうな。10代の時の友人関係というのは、全てが全てではないが、一生続くような大切な関係になる事があるぞ。と。
つまり、「お前ら、何かイイな」と声をかけたくなったのだ。
受験に限らず、茫漠とした自身の未来に対して漠然とした不安を抱く。それが中学生や高校生の一時期だ。
そういった不安の中で、自らも頼りないながらも互いに支え合い、励まし合うような、そんな関係。
勉強の話が一通り済んだ後に、天谷が童貞の腹をつつく。
「お前部活やめてから太ったんじゃねえの?」と。
「うるせえな」と童貞がはにかむ。
そんな光景を見ながら、陳腐な表現だが私は暖かな気持ちになっていた。
彼らの受験が成功しますように、などとは思わなかった。受験の失敗の一つや二つくらいあった方が人間は強くなる。そしてそれは大局的に見てさしたる失敗でもないからだ。
だが、私は彼らに対して少しだけ祈った。「お前ら十年後も一緒に呑み屋でクダ巻きながら安い酒でも呑んでると良いな」と。
天谷と童貞は市ヶ谷で降りた。どこぞの予備校にでも行くのだろう。
頑張れ若者。
そんな事を思っていたら、電車は千駄ヶ谷に着いた。
私は奇妙に清々しい気持ちで電車を降りた。
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コメント
童貞と言えば宮澤賢治さんですね。
投稿: けんぞう | 2009年9月17日 (木) 03時10分
けんぞうさんへ
童貞の想像力は創造力ですからね。素晴らしい。
投稿: ふくしまたけし | 2009年9月29日 (火) 15時29分
10代の童貞さんの文章を読む機会があったのですが、とてつもない想像力でした。
素晴らしい。あの頃に帰りたい。
投稿: けんぞう | 2009年10月 3日 (土) 03時44分
けんぞうさんへ
まあ童貞であるかどうかに関わらず、10代の人間のエネルギーってすごいですからね。うまい事創作なんかに向いたら良いけれど。
ぼくは10代の頃は鬱屈としてたなあ。
投稿: ふくしまたけし | 2009年10月 9日 (金) 18時30分