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2009年8月 6日 (木)

曙橋での既視感

西原理恵子『毎日かあさん』。最近アニメ化されたという話を聞くが、アニメはまだ見ていない。ただし漫画の単行本でここまで発売されているものは全て読んでいる。とても面白い。

それは「家族の話」だ。他愛も無い、ありふれた家族の話なのだ。

その内、8割近くは子育てに関する話題になる。漫画を読みながら私が感想として抱くのは、「ああ、女の子はある一定の年齢から(或いは生まれたその時から)既に『女』なんだな」という事。そして対照的に「男というのは、いくつになっても馬鹿が治らないのだな」という事。全てを十把一絡げにして論じて構わないのではないだろうか。上記のようでないケースというのは、所詮は誤差のレベルでしかいないだろう。

さて私といえば、片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、そして股間にチンコを具備しているので紛れもなく男である。容赦なく男である。ジェンダー的な意味で「男らしいかどうか」という事には甚だ強烈な疑問が残るが、生物学上は徹底的に男である。

そして先に挙げたように、私は男の典型的なパターンの一つを生きているが、「いくつになっても馬鹿が治らない」。それは今日に始まった事ではないのだ。

ふと、自分の中学生の時を思い出した。

私は随分と熱心に柔道に打ち込んでいた。真面目にやっていたしそれなりに強かったと思う。大会などでもよく入賞や優勝をしていたし、やはり「努力が報われる事の愉しさ」みたいなものの片鱗をそこで実感していたのかもしれない。

柔道は、週に6日、月曜日から土曜日まで毎日やっていた。学校の部活動、近所の道場、小岩警察の少年柔道、三ヶ所に同時進行で所属し、毎日どこかしらに練習に行っていた。多い時は、ダブルヘッダー、トリプルヘッダーもあった。それが、とても愉しかった。毎日、へとへとになるまで躯を鍛え上げていた。

週に1日、日曜日だけはどこの練習場も空いていないので、柔道は休みだった。その日に何をしていたかと言うと、実は大変アホな事に、躯を動かしていた。細密に言えば、自転車に乗っていた。

もう一度先程私が提言した真理を確認しておこう。

「男はいくつにたっても馬鹿が治らない」

「『少年』、或いは『青年』と書いて、『バカ』と読む」

読者諸氏にはこの真理を今一度ご確認いただけただろうか。ご確認いただいた上で先へ進もう。

その自転車であるが、今考えれば恐ろしい距離を走っていた。私が住んでいたのは今と同じ東京都小岩。東京都の東の端である。

そこから自転車を飛ばし、行ったのは関東の隅から隅まで。渡良瀬遊水地に行った日もあれば、小田原まで行った事もある。奥多摩や日立。横浜ぐらいならば寧ろ「近い」というイメージでいた。何をしに行った訳でもない。「ただ行った」だけだ。ただ行ってただ帰ってくる。毛が無いと書いて「不毛」だ。不毛以外の何ものでもない。

そう言えば、昔そんな事をしていたな、昨日、ふとその事を思い出した。

用事があって、千駄ヶ谷でのレッスンを終えてから、新宿の近く、曙橋まで行った。

曙橋という街は、私は生まれてこの方初めて訪れる街だと思っていた。さすがに東京のど真ん中にある街だけあって、それなりに都会であるが、四谷や市ヶ谷に似て変な生活感のようなものもそこはかとなく漂う。私は少し曙橋の街を散歩した。

小さな坂を上ったところにある公園にふらっと行った。そこで私を襲った奇妙な既視感。デジャビュー。何なんだ、この既視感は、と多少眩暈がするほどだった。

それは中学生の頃に闇雲に自転車に乗っていた時の記憶とすぐに繋がった。

そうだ、自転車に乗って都内や関東周辺を目的も無くうろうろとしていたあの時、私はこの公園で休憩をとった事がある。そう、確かに思い出した。

公園では気持ち良さそうにホームレスが寝ていた。この季節のホームレスはとても快適そうだ。ちょっとワイルドなアウトドア感覚でやっているのではないだろうかと訝ってしまうほどだ。勿論、冬場は大変に同情するのだけれど。

坂の下を車が行き交う。目の前を珍しいクマンゼミが飛ぶ。

妙に穏やかな気持ちになって

傍らを見た。

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