弱さへの反感
恥の多い生涯を送って来ました。
などと太宰治ごときに言われてしまってはかなわぬ。
私から言わせてもらえば、彼の恥など微々たるものではないか。
太宰治の恥、その度合いや程度を仮に女子高生が授業中に不意に音付きのオナラをしてしまった時の恥ずかしさに喩える事が出来るならば、私の恥はオナラではなく脱糞だ、という事になる。
プーっ…(キャッ、恥ずかしい…っ!)
だったものが
モリモリモリ!(キャッ、今すぐ涅槃に旅立ちたい!)
となる。
太宰治など比較にならぬほどに恥の多い生涯を送って来たのは、他でもないこの私である。
OK牧場!
そうさ、困った時にはこの一言さ。
OK牧場!
ビバ、ガッツ。
いやいやいや、何を急に狂人のように書いているかと言うと。
徒然に他人のブログなどを見ていた時に、「自分は弱い人間だ」というストレート過ぎる表現を見てしまって、それで随分と辟易とした。比較的すぐに、ブラウザ左上の「戻る」ボタンを数回続けてクリックした。自分で自分の事を「弱い」と言うなんて、何であろうか、流行りの言葉を使えばそれは著しく「品格に欠ける」。私はそう思う。
同時に、太宰治が何かに書いていた「弱さ、苦悩は罪なりや」なんていう言葉を思い出した。だから少し太宰治の事を書いた。私は彼のこの言葉を読んだ時に、何か彼の事が根本的に好きになれなくなったのだった。
自分で自らを「弱い」と言う人間の事が、あまり好きではない。人間には弱くて脆い部分もある。けれどそれと同じだけ、鈍感で強靭な部分もある。たった一面だけを捉えて「自分は弱い」などと言われても、「何だかなあ(阿藤海っぽく)」である。わざわざ誰かにそんな「自分弱い」アピールして、どうしてもらいたいんだろうな、と。
けれど確かに世の中には存在する。自分が傷付けられる事には人一倍敏感で、他人を傷付ける事には全く鈍感な人間たちも。
私もついつい人から心配してほしい余りに被害者面をしてしまいそうになる時はあるが、それは深く反省し、そして強く戒めていきたい。そんな自分を発見した時には全くもって恥ずかしい。頭の中でNERV(ネルフ)の人たちが、「恥ずかしい率急上昇!タケシ、活動限界です!」と叫ぶ。ああ、全てはこれからだ。
やはり、困った時には朴訥フェイスで「OK牧場!」。この一択でキメ打ちしていこう。改めてガッツは偉大だ。
ガッツ石松曰わく、「ボクシングと出会って人生観が380度変わりました」だそうだ。
ガッツ…一周して20度じゃん…それじゃ…
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コメント
さすが、ガッツは偉大だ!380度のネタはどこから?はなわから?
福島くんは、自ら「弱い」っていう人は好きじゃないみたいだけど、本当に弱ってる時に「自分は弱い」って表現できるのはいいんじゃないかな。最後まで言えなくて、自ら命を断つ人もたくさんいるし、言わないと周りも気付かないし、助け船もでないっていうこともあると思う。
金八じゃないけど、人は支えあわないと生きていけないんだから。
投稿: クロサバ | 2009年7月21日 (火) 01時38分
クロサバさまへ
なるほど。確かに仰るとおり。ぼくももう少し優しくいたいものだ、と思い直しました。
関係ないですけど、あなたがくれたこのコメントが、記念すべき1000件目のコメントでした。ありがとうございます。
投稿: ふくしまたけし | 2009年7月21日 (火) 16時41分