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2009年7月24日 (金)

二番手の在り方

早起きをして、朝から大量の譜面を書いている。こんな風にきちんと仕事をしていると、まるで自分が自分でなくなったかのような感覚が少しあるが、勿論、気分は決して悪くない。

丁度区切りの良い所まで来たので、ブログでも書いて少し小休止。といってもまだ朝の8:30。早起きは何文の得になるんだったか、と勘定するまでもない。

さて、普通のエッセイを。

主人公に対する二番手のライバル、というものが昔から大変好きだ。今日はそのライバルの話を。

例えばそれは『ガンダム』におけるシャア・アズナブルであったり『あしたのジョー』における力石徹であったり。歴史に目を向けてもそうだ。足利尊氏の陰に隠れた新田義貞や、織田信長の陰に隠れた上杉謙信や武田信玄。二番手のライバル達が大変に魅力深い存在であるからこそ主人公は際立つ。逆もまたしかり。それは喩えて言えば太陽と月の関係性にも似ているのかも知れない。

さて、そんな「二番手好き」の私が、ここの所いささか当惑している。

それは昨今の都議選での結果である。

民主党の圧勝、自民党の歴史的大敗により、今まさに政権が変わろうとしている。「二番手好き」を自認する私であるから、この結果は喜ぶのかと思いきや、実は全く喜んでいない。私は民主党という、この二番手政権が嫌いなのだ。かといって自民党を支持している訳でもないが。

基本的には、自民党政権というものは打倒されてしかるべきだと思っている。一般的な世論と同じように、現在の麻生政権に多くを望むのは最早酷だ、という認識も私にはある。けれど、それを打倒して第一党となるのが、かの民主党か、と考えた時に、私はやはり少々うんざりする。

それに続く政党、例えば公明党であったり共産党であったりが現状として論外な位置にいる事を鑑みても、自民党が倒れた後にそれを引き継ぐ勢力が民主党であるというのは理解できる。それは単純なパワーゲームの一種だ。しかし、民主党は嫌いだ。

そこには、二番手の品性のようなものが欠けているようにも私には思われる。

私が民主党に抱くイメージというのは、与党である(或いはあった)自民党のミスや粗を熱心に探し、それに対してヒステリックな糾弾をカマしているイメージという、これなのである。

菅直人氏や鳩山由紀夫氏などが国会答弁の際に強気に麻生総理に対して「総理、これは一体どういう事なんですか!」と言っているあの物腰を見るにつけ、「あ、コイツラ、キライ」と私は思ってしまう。本当に国民の為を思って怒りを感じているようには、私にはあまり見えない。それは何だか麻生太郎という分かりやすいステレオタイプの「悪役」を創り上げる為の小芝居にしか見えない私がいる。私という人間がひねくれ過ぎてしまっている為なのかも知れないが。

しかし、好むと好まざるとに関わらず、間もなく日本の政治は一つの転機を迎える。

それに対して、あまり歓迎的な気持ちをもって接する事の出来ない私がいる、という事なのだ。

「じゃあお前が何かやってみろよ」と言われた時には、「すみません、出来ません」と力無く呟いて下を向くしかない私であるので、何だかここに書いた事も便所の落書きと大差もないな、とは思う。

日本の政治はどこに向かうのだろうか。いつまで軍事協定に縛られ続けるのだろうか。

いささか、憂鬱になる。

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コメント

うん、なんか、わかる。

投稿: ぴょん | 2009年7月24日 (金) 23時32分

ぴょんちゃんへ
わかる?民主党が政権をとっても良いけどと最近思ってる。「結局どこがやったってダメなんじゃん」という絶望が広がれば良い、と。

投稿: ふくしまたけし | 2009年7月27日 (月) 22時24分

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