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2009年7月 9日 (木)

惚れた弱み

夏の悪夢祭にて、朝7時30分という嘘みたいに真っ当な時間に起床。悪夢に次ぐ悪夢。半ば強制的に起床させられる。こんな時間に起きたってピアノ弾いてたら近所迷惑になるしやる事がねえんだよな、と思いつつ、コーヒーを啜り煙草を吸っていたが、幾つか思いついたので、朝から行動的になる事にする。

年に一度か二度、ピアノを教えている生徒達にスタンダードの楽曲を覚えてもらう為に、スタンダード集のCDを気まぐれで製作する事がある。それを朝の作業としてやってみる。合間に書きたかった譜面も書いてみる。

『What is this things called love?』というスタンダードチューンだが、何となく気分でフィニアス・ニューボーンのやっているテイクで収録してしまったが、全くこれは参考にならんな、超絶技巧にも程がある、と苦笑い。もう入れてしまったから仕方が無い。修正は大変面倒なので修正しない。今、出来上がったものを聴きながら、気分転換にブログを書いている。あ、二曲目の『All the things you are』ではミンガスがベース弾いてる。ミンガスのベース、良いなあ、好きだなあ。

昨日、久しぶりに7~8時間という長時間をピアノの練習に充てる事が出来た。長時間よりも「集中して練習に臨む事」を優先させているので、最近ではあまり長時間の練習をする事も少なくなったが、昨日はたまたまその長時間、集中力が持続した。気が付けばそれだけの時間が経っていた、という感覚。これならば何ら問題は無い。

それと同時に何だか寂しくもなった。

自分の大学生時代を思い返した。

ご存知の方もいるかも知れないが、私は京都府立大学という日本一地味で知名度の低い大学を、何と延べ九年間の歳月をかけて卒業している。九年間もの歳月を要した事は何の自慢にもならないが、それでも兎に角卒業した事に関しては多少の自負がある。

最後の一年間から二年間、その期間だけは比較的真面目に授業に出たが、その当時に私は26歳だか27歳である。一年生の18歳から19歳の人達からすれば、明らかに老けたのが一人混じってんな、という感覚だったのだろうか。ま、そこまで見てねえか。

その最後の期間以外は、本当に自分でもびっくりするくらい授業に殆ど出なかった。テストにも碌に行かなかった。何をやっていたのかと言えば、酒を呑んだり、アルバイトをしたり、麻雀やパチンコなどの小さな博打をやったりしていた。

そして、音楽をしていた。

今考えると、当時の練習方法というのは酷い。効率性もへったくれも無い。暗中模索すらせずに、「ただひたすら」練習していた。

我が母校は、今はどうだかは知らないが、その当時は24時間誰でも中に入れるという有り得ないほどに極めて管理体制の杜撰な学校であった。

深夜の二時にアルバイトを終えると、牛丼屋などで軽く腹拵えをした後に大学へ向かい、コンクリート打ちっぱなしのおんぼろな部室に向かい、朝の7時だか8時だかまでひたすらにピアノを弾いた。時には、仲の良いタナカツネキくん(彼はコントラバスを弾いていた)をそんな時間から呼び出して、朝まで延々と二人でセッションをして愉しんだ。

他の学生達が一時間目の授業に合わせて登校してくるのを見て、「そろそろ帰らなきゃ」と帰っていた。逆だろ、普通は。

終われば家に帰って酒を呑んで就寝、起きたら再び大学に向かい、アルバイトの時間までまた練習をした。

恐らくそれは、ほぼ毎日、10時間を超えるような練習時間だったのだと思う。勿論、先に述べたように練習方法はムチャクチャだ。論理性も無ければ、整合性もない。単に「遊んでいただけ」と言っても過言では無いのかも知れない。今の方が遥かに「質の高い練習」をしているという自負がある。しかし、そこにあった訳の分からぬ「熱」のようなものは、今ではやはり薄れてしまっているのかも知れない。それを考えると、何だか無性に寂しくなるのだ。

今では私にとっては音楽は「仕事」でもある。しかしやはり忘れたくないのは、私にとっては音楽はどこまでも「遊び」の面を持っている、いや、持っていてほしい。

練習にしてもそうだ。学生の当時、それだけの長時間練習をした後の気分は、「今日はたくさん練習をして、オレ偉い」という感覚とは全くの真逆。喩えば小学生が面白すぎてファミコンを何時間もやり過ぎてしまった感覚に似ている。「あ、ちょっとやり過ぎてしまったな、まあ愉しかったしな。ボスも倒せたし、まいっか」というような感覚だ。

小学生がファミコンのスイッチを入れる時に抱く筆舌に尽くし難い高揚感、わくわくした感覚、それに卑近なものを私はピアノの蓋を開ける時に感じていた。

私は幼い頃からピアノを弾いていた訳ではない。経験として「弾いた事はある」ぐらいのものはあったが、私の十代は88つの黒白の鍵盤の前でではなく、柔道場の青畳の上で大半を過ごされていたのだから。

そんな人間が、こうして「何故か」(自分でもよく分かっていないのだけれど)音楽を飯の種にしている。そこには、恐らくその学生時代の「無茶苦茶な練習」があったからだと思っている。よくわからないけれど兎に角やる、愉しいからやる、という「アホの論理」によって貫かれた原始人的練習法である。私のバックボーンとしてあるのは、そのアホさなのだ。

最近では変に小悧巧になってしまっている。自分に対する言い訳ばかりが上手くなっている。

喩えば「以前よりも練習方法は格段に質は上がっている」という自覚もその一端を担っている。それは確かに事実だ。五月蠅えよ。そういう事じゃねえだろ。

ストイックに練習する気なんてハナからなかったんだ。その事を再び思い出した。練習(最早この言葉も正しいのかどうだかわからない)が愉しくて愉しくて仕方が無い。新しい事を一つ発見する悦び、技術を身に付ける悦び、知識を得る悦び。挙句、誰かとコミュニケーションが取れるようにもなってしまう。嬉しいじゃないか。そういった快楽的なものに支配されていたい。

最近少々真面目すぎた。

もっと不真面目に行きます。

惚れた弱みだ。

どうにでもなるわい。

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コメント

福島くん、学生の頃、毎日、そんなに練習してたんだね~!凄いわ。やっぱりほぼ独学で、プロになったんだもん、陰ではそれだけピアノ漬けの日々だったのね~。そんなに夢中になれるものがあるって羨ましい。そういうものがあるって幸せだな~。福島くんの情熱とパワーが羨ましいよ。

投稿: クロサバ | 2009年7月10日 (金) 02時35分

けいこさまへ
酔っ払いまくっておりますがね。

いや、ぼくが音楽を飯の種に出来たのは、何をおいても先ずは師匠である市川修のお陰ですよ。彼を置いては今のぼくはあり得ません。これは間違いなく。
もちろんぼくの努力もあったのかも知れないけれど、それは些細な事です。
死んだからもう会えないけれど、いつも会いたくなる。
修師匠となみちゃんが好きだ。

投稿: ふくしまたけし | 2009年7月10日 (金) 02時45分

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