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2009年7月 2日 (木)

負け戦こそ面白い

「男」ではなく、「漢(おとこ)」の生き方とはいかなるものか。我々男子たるものや必ずこの命題を一度や二度は考えた事がある。あるはずだ。

これは「必ず」と言い切れる事が出来る。無い人は恐らく、槙原敬何とか氏や平井何とか堅氏に代表されるような、男性の奥さんを欲しがるタイプの人達であろう。

無論、ガチムチで六尺でウホッな感じが悪いと言っている訳では無い。悪い訳が無い。単純に「違う」だけだ。それは単に趣味嗜好の違いなのだ。

ただやはり、菅原文太や梅宮達夫みたいな方々よりも、石田ゆり子や本上まなみに異性としての魅力を感じてしまう極めて多数派で凡庸な私からしてみれば、ゆり子神やまなみ梵天などの「女性らしさ」に対して、「男である私」は「男らしさ」、ひいては「漢(おとこ)らしさ」を意識してしまうものなのである。

生物学的な「性差」(これは英語で言うと超恥ずかしいから言わない。ヒントはSで始まってXで終わる単語。キャー)ではなく、社会的な「性差」というものがある。所謂「ジェンダー」というヤツだ。私は、このジェンダーというものは非常に重要な要素だと思っている。つまり、「ジェンダー万歳」な立場なのだ。

つまらないフェミニスト達はここを曖昧にしようとするが、それに対しては声を大にして異論を唱えたい。「何バカな事してくれてやがるんだ!このスカポンタン!」と。

当たり前の事だが、女性蔑視は良くない。雇用機会も可能な範囲内で(つまり出産などを考慮に入れて)均等に分け与えられるべきだ。

しかし、それとこれとは違うのだ。

女性が女性らしく、男が「漢」らしく振る舞って何が悪い!私はそこを声を大にして唱えたい。

勘違いして欲しくないのは、その「女性らしさ」の部分である。例えば上目遣いに男を見て猫なで声で甘えかける、必要以上のボディタッチ、そして自分を可愛らしく見せようというあざとい仕草の数々。そのような「媚び」を多分に含んだ所作ばかりが「女性らしく」在る訳は無い。いや、寧ろそのような所作は私の基準から言えばまるっきり女性らしくは無い。そういった女性を見かける度に、その女性に対し私は私の脳内で「ズべ・サセ子」、或いは「ヤリ・マン子」という渾名を付ける事にしている。これまで数多の「ズべ」を見て来たし、私自身もそういう女性と付き合った事もあるが、やはりズべはどこまでいってもズべである。ズべの魂百まで。ズべの道は一日にしてならず。なのである。

本当の女性らしさとはそういった部分とは対極にある。少なくとも私はそう思う。

「がはは」と無神経そうに笑う事でなされる照れ隠しであったり、相手に対して思ってもいない憎まれ口を叩いてしまったりであったり、自らの無力さに舌打ちしたいのを必死に堪えている姿であったり、臆病であったり、いい加減であったり。

不完全で難儀な所に「女性らしさ」は存在する。

海風に髪の毛がはためいて、白いうなじがちらりと見える。そんな光景も確かに美しいが、上に挙げたような状況下においても、女性の女性らしい可愛らしさというものは、同等かそれ以上に発揮される。悲しい事や悔しい事があった時に、握り拳の中に爪が刺さりながら、それでも笑顔を作る人をどうやって美しくなく思えようか、いや思えない(反語)。異論は認めない。あーあーあー聞こえない。私は世界で一番正しい。

程良く暴走をカマした所で。

それでは、対して冒頭に挙げた「漢(おとこ)」らしさとは何なのであろうか。

結論から言おう。我々アラサー(三十歳前後)男子の「漢(おとこ)らしさ」の価値観、そしてその基準は、その殆ど、九割近くを「週刊少年ジャンプ」という漫画の影響から形成されている。これまた異論を認めない。サンデーもマガジンも面白かったけれど、当時最も影響力を持っていたのはジャンプであった。

そこには幾多の「漢」がいた。

冴羽リョウ、キン肉スグル、孫悟空、両津勘吉、ケンシロウ、大空翼、桜木花道。まさしく枚挙に暇が無いとはこの事なのだ。つまり色んなタイプの「漢」がいた訳だ。

私が最も惹かれるのは、『花の慶次』に描かれた主人公、前田慶次郎利益である。

私の考える「漢(おとこ)らしさ」は、前田慶次から多分な影響を受けている。勿論それだけではないのだけれど。

「生きるだけ生きたらば、死ぬるでもあろうかと思う」

「それより一献くれまいか」

「一騎駆けこそ戦の華よ」

「だが、それが良い」

数々の魅力ある台詞が彼にはあるが、その中でも取り分け好きなのは、これである。

「馬鹿だなあ。負け戦こそ面白いのよ」

この台詞にどうして震えずにいられようか、いやいられない(反語)。

勝ち戦に勝っても「つまらない」、負け戦に勝つからこそ「面白い」というこの価値観、これこそが私の考える「漢(おとこ)らしさ」の根本にある。

損得勘定の放棄、という事も出来るだろう。

こちらが勝ちそうだからこちらにつこう。こちらは最早負けに近いからここからは早々に離れよう。

もうね、バカかと。アホかと。

それは私の考える「漢(おとこ)らしさ」ではない。単純に「計算上手な賢い人」ではないか。

そういう「賢い人」がいたって構わない。構わないが、そいつとは美味い酒は呑めそうに無い。向こうも同様に思うのだろうが、つまり恐らくはそういう人間とはあまり友達にはなれそうにない。こればかりは仕方がない。

さて、ここまでが全て枕であり、ここから以下が本題なのだが、私自身が個人的に、今週末に「負け戦」を控えている。勝算は限り無くゼロに近い、ほぼ完全な「負け戦」である。

『カイジ』風に言えば

「恐らくこの勝負、運否天賦じゃない………!」

しかし、幾らそのような状況でも、戦から逃げることはままならない。

負ければ私の精神的損害たるや甚大なものになるであろう。しかし逃げ出してはならぬのだ。

慶次のこんな言葉を借りよう。

「これより我ら、修羅に入る!鬼と会えば鬼を斬り、仏と会えば仏を斬る!」

碇シンジ君のこんな言葉も借りよう。

「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…逃げちゃ…ダメだっ!」

決戦の地は、確か神保町である。

あー、今週末までに核戦争とかで地球なくならないかなあ。

最後にもう一つ、碇シンジ君の言葉を借りよう。

「最低だ…オレって…」

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コメント

福島くんは最近流行の草食系男子には絶対になりえない肉食系男子だものね。福島くんと田嶋陽子のガチンコ勝負みてみたいよ。細木数子は好きじゃないけど、あの人が言ってた「男女同権には違いないが、同質ではない。男女の質の違いを知りなさい。」には賛成。何でも男女平等で済ませたら、本来女性がした方が上手くいくこと、男性がした方が上手くいくことも全部一律平等になってそこに歪みができちゃう気がするからね。
福島くんはフェミニンな女性が好きだよね。ところで、最近の女性には、上に挙げた冴羽リョウ…とかの漢らしい男がどこまでうけるのだろう?ジャニーズに代表されるかわいい系、爽やか系が主流な気がするからさ。
私はね、フリーアナウンサーの小谷真生子とか最近の大竹しのぶが好き。ああいう熟年女性は素敵だな~って思うけど、きっと自分が決してなれないようなタイプだから憧れるんだろうね。

投稿: クロサバ | 2009年7月 2日 (木) 15時08分

>勝ち戦に勝っても「つまらない」、負け戦に勝つからこそ「面白い」というこの価値観、これこそが私の考える「漢(おとこ)らしさ」の根本にある。

どうやら私も「漢らしい」みたいだ。
どうりでよく言われると思った。
「女らしい」とは言われないもん。

投稿: ぴょん | 2009年7月 2日 (木) 20時43分

くろさばさまへ
小谷真生子、知らなかったのでグーグルの画像検索してしまいました。便利な時代ですね。そして大変綺麗な方ですね。ええ、全くもって嫌いではありません。勿論大竹しのぶも好きなんですけれど。
あと多分ですけど、男性が考える「男らしさ」と女性の考える「男らしさ」との間にはかなりのズレがあると思う。男と女の間には深くて暗い河がある訳です。ロー&ロー。

投稿: ふくしまたけし | 2009年7月 3日 (金) 14時12分

ぴょんちゃんへ
こないだはご馳走様。ありがとうね。
負け戦に「勝つ」事だけが面白いのではなくて、負け戦に「臨む」事、それ自体が結構面白いとぼくは思う。勝つか負けるかというのは所詮結果に過ぎないわけで。
スポーツ選手なんかでも、「負け様」を魅せられる人というのはやっぱり格好良いな、とぼくは思うんだ。

投稿: ふくしまたけし | 2009年7月 3日 (金) 14時15分

>負け戦に「勝つ」事だけが面白いのではなくて、負け戦に「臨む」事、それ自体が結構面白いとぼくは思う。勝つか負けるかというのは所詮結果に過ぎないわけで。

当たり前でしょ。
その上でどうやら私は「漢らしい」らしいのよ。

投稿: ぴょん | 2009年7月 4日 (土) 00時40分

ぴょんちゃんへ
確かにそうだね。「知らねえよ、おら、行ったれ!」っていう瞬間が愉しかったりするものね。
「漢らしい」と同時に、なかなか「頭が悪い」とも言う(笑)。

投稿: ふくしまたけし | 2009年7月 4日 (土) 11時38分

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