釣行記
昨夜、疲れ果てて夜10時に入眠。ねえムーミン。途中で起きる事もなく、ひたすらに寝続けて起きれば朝6時30分。これが世間で言うところのの「早寝早起き」というやつか、と苦笑。
昨日のブログにも写真を載せたが、昨日は海へ。
何のために海か、と問われればそれは、愛する人を守るためであり大切なものを築くため、海に出たのである。
ウソである。
↑はCoccoの歌の歌詞の一部だ。ふと脳内をよぎったので書いた。
嵐の中で戦って、突風の中を生き延びて初めてポイントについた訳ではない。
単純に釣りに行っていただけだ。
結果は大満足の釣果。一緒に行った友人ヤマと共に、100匹を超える良型の白鱚を持って帰る。
帰りの船中で二人して、獲物の頭を首から切り落とし、腸(はらわた)を引きずり出して海へ投げ捨て、人間にとって皮膚とも言うべき鱗をガリガリと無慈悲に剥いだ。
↑戯れにホラー小説風に書いたが、つまるところ下拵えをしていただけである。家に帰り着いてからの調理の手間をはぶく為に、船中でオートメーション工場のような「作業」に取り掛かった。
まさしく流れ作業である。ヤマがナイフで鱚の首筋に切れ目を入れる、私がそこから首をもぎ、はらわたを出して海に捨てる、この繰り返しである。
頭やはらわたを海に捨てる。この事に関しては罪悪感はゼロだ。元々海の中の生き物であるし、そういったキスの生首や臓物など、食物連鎖の輪の中にいとも簡単に溶けていく。極めて自然な事なのだ。輪廻の一端に自分がいる、と考えるとほんのり愉快にもなる。
実際、この下拵えがかなり効いた。家に帰り着いてからの調理は随分楽であった。ヤマは魚を次から次へと背開きにし、私は刺身を作った。丁度帰って来た私の母親を交えて、その後三人で天ぷらを揚げた。椎茸やエシャロットなども揚げた。下拵えのせいで、ゴミは殆ど出なかった。
私の両親に出来上がった料理を少々お裾分けして、ヤマと二人で宴。ムダ毛。絶品料理に舌鼓を連打。暴れ太鼓の乱れ打ち。釣り立ての魚って何であんなに美味いのだろう。
私もヤマも余りにも疲れ果てていたので、宴は夜9時には閉幕。その後、サクッと風呂に入って気が付けば就寝。起きてみたらば朝6時30分という状態であった。
さて、今日からはまた普通の日常が始まる。音楽にまみれた日常が。
やりたい事も、やらなくてはいけない事も、たくさんあり過ぎて。何から手をつけていいのかも分からないが、取り敢えずは眼前の事から。
最近、1ヶ月が経つのが速く感じる。
あれ、もう6月か。といった具合に。
グズグズしてると来年の正月がすぐにやってくる。
来年の正月はどうなっているのだろう。誰の為にピアノを弾いているのだろう。ドラえもんのタイムマシンがあれば、そこまで行って、見てみたい。
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