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2009年5月30日 (土)

U・T・Aの魔力

(本日の日記は、実在の人物などをモチーフに書かれてはいますが、基本的にフィクションです。取り分け文中に登場する一人称の「私」及び「たけし」という人物は、想像上、架空の人物です。そんな人は存在しません)

池袋で立ち食い蕎麦屋に寄る。二日酔いの胃に、月見蕎麦が優しく沁みる。二日酔いの時の蕎麦って何であんなに美味いんだろう。そして何で直後にあんなに気持ち悪くなるのだろう。

立ち食い蕎麦屋の有線で、ラルカンシエルの歌がかかっていた。ラルカンシエルなど、別に好きな訳ではない。ただし、ひどく懐かしい。

高校生の頃、狂ったように麻雀をしまくっていた時期があった。48時間耐久麻雀とかしてたものな。どこからどう見ても正気の沙汰とは思えない。

で、その時によくラルカンシエルがラジカセからかかっていた。ラルカンシエルを聴くと、反射的に高校生の時の狂った麻雀を思い出す。

ちなみに大学生時代の麻雀を思い出すのは槇原敬之だ。♪もう恋なんてしないなんて〜♪おりゃっ、リーチじゃボケっ!みたいな感じ。

色んな事が不安で仕方なかったあの頃。出来るならば当時に戻って、ガラスの十代の私に言ってやりたい。

「安心しな。君は30歳までは少なくとも無様な儘だから。今君が抱いている漠然とした不安は、全てきちんと具体化するから」と。

もう少しきちんとした大人になっていると、高校生の私は未来の私に対して想像していたのだけれど、微塵も予想は当たらなかった。

「お前、何?25歳くらいで結婚したいとか思ってるワケ?ふざけてるの?バカなの?教えてやろうか、ヒリつくようなリアルフューチャー。お前は29歳にして独身。なおかつ彼女もいない。更に言うと、酒乱でメタボリック。もうちょい下方修正しろよ。」と教えてやりたい。

未来はぼくらの手の中。嘗て甲本ヒロトという偉人がそう歌った。確かに未来は私達の手の中にあった。それがいつの間にか、するりとこぼれ落ちた。

またその偉人はこうも語っている。

「どうにもならない事なんてどうにでもなっていい事」

「色んな事が思い通りになったら良いのにな」

全くもっておっしゃる通りである。もう私はヒロトの言葉しか信じない。スナックに行けば必ずカラオケで歌う「少年の詩」は伊達じゃない。

さて、本日起きたら知らない家にいた。

少し思い返してみよう。

昨日のライブの後、店でだらしない顔で酒を鯨飲していた所、光よりも速く終電を逃した。そもそも終電を気にしていたかどうかも甚だ疑問ではあるが、高円寺という街である、何とかなりそうな気はしていた。

私のキチガイ酒にお付き合い頂いたのは、昨日のライブに来てくれていた友人の小説家(彼は小説家じゃないって自分では言ってたけど)である石田ゆうすけご一行様。

昨夜のライブは、共演のおおたりこさんのお陰で随分と愉しかった。やっぱり彼女は一種の天才だと改めて思う。何も飾らずに、真っ直ぐに、そして情熱的に歌い上げる彼女の歌は、それだけで人の心を打つ。本当に大事な事は決して難しい事なんかじゃない。彼女は歌を通してそんな風に言っているみたいだった。そんな歌と共演させて頂いたものだから、私の機嫌も頗る良かった。演奏が良ければ機嫌も良い。演奏が悪ければ機嫌も悪い。そんな子供の思考回路だ。酒が、ぐいぐいと進んだ。

石田ゆうすけご一行様は、皆異常に濃いメンツであった。総じて皆自己主張が強めだ。そういうのは嫌いではない。

話の中で、私と石田ゆうすけ氏の共通点が見えた。私はよく好きな女性に宛てて音楽を描く。共に見た景色などを音楽に置き換え、一つの楽曲を作る。それなりに喜んでもらえるものである。

石田ゆうすけ氏は、好きな女の子に向けて絵を描くらしい。最近はどうだかは知らないが、昔確かにそういう事をしたことがあるらしい。私の作曲に負けず劣らず痛々しい行為の一環であることに疑いの余地はない。その内「イタイーズ」というユニットを結成してデビューしようと思っている。活動の中心は、「絶叫による自作ポエム朗読」である。決め台詞は「死ねば良いのに!」である。

酒と共に、そんなチンカスのような会話を心から楽しんでいると、知らぬ間に夜は更けた。私の預かり知らぬ所でも粛々と時間だけは過ぎていく事を思い出した。

いよいよ宴もお開きという所で「たけしはこの後どうすんの?」と聞かれた。

私は自信たっぷりに「決めておりませぬ」と答えた。

答えたならば、返す刀で「ウチ、泊めてあげよっか」の声。

コチンを具備した男として生まれたからには、一度で良いから言われてみたかった台詞である。

もう一度書こう。返す刀で飛んできた台詞は「ウチ・泊めて・あげよっか」である。ローマ字でかけば、「Uchi tomete ageyokka」である。想像力の鬼である私はその瞬間に射精に至った。いや、至っていない。嘘をついてはいけない。

飛んできた声の主は、石田ゆうすけご一行様の中にいた女性からであった。先に断りを入れておくが、なかなかの別嬪である。

更に言えば、女性は二人である。私の脳裏に浮かぶのは「3」で始まって「P」で終わるキーワードであったが、それはおくびにも出さない。極めて平静なジェントルマンを装う。「いやね、夕べウチのワイフが言ったのさ」。今にも低い声でそんな事を言い出しかねぬ勢いで。

その別嬪女性二人、CさんとNさん、この二人はルームシェアをしつつ高円寺に共に暮らしているとの事。そこを指しての「ウチ泊めてあげよっか(U・T・A)」である。この申し出を断る人間がいるならば、見てみたい。そいつとは美味い酒は決して呑めそうにない。

音よりも速く「泊めて下さい!」の返事をカマした私であったが、その時点での酔い具合はすでに6回表。ブルペンではシュルツと横山竜士が肩を温めていた。つまりそこそこ酔っ払っていた、という事だ。

その後、その女性二人と数件の呑み屋をハシゴした。最後の店を出たその時点では、守護神永川勝浩が登板の準備をしていた。つまり泥酔の直前であった。

彼女達の家へ辿り着き、何をするかと思いきや、再度の飲酒である。

「こいつらザルやない…ワクや…」

直感的にそう思うに至った所までは記憶にある。

その後の断片的な記憶では、彼女達がまるで坂本龍馬が海援隊隊士に「おまんら、世界は広いぜよ」と言ったかのように私に「外国人男性の魅力」を語ったのに対し、「チンコがデカいのはそんなに偉い事なのか!」と推定偏差値12ほどの糞台詞で私が反論していたシーンなどがうっすら記憶の片隅にあるが、それは恐らく記憶のノイズだ。そんなのは私ではない。スッピン女性が如何に素晴らしいかを私が熱っぽく語っていたような記憶もうっすらあるが、勿論それも記憶のノイズに間違いない。

「あ、朝八時だ。寝よう。」

という全方向的に狂った声がかかったのは、何となく記憶にある。朝八時って、おまんら何時間呑み続けてるんじゃ…

起きたら私はその家の居間に一人でいた。見知らぬ天井が、そこに在った。

かくして「U・T・A」の魔力に屈した私であった。

全体的に、早く死ねば良いと思う。

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