剛、ふたたび
過日、当ブログ上におきまして非常に感情的な発言が私にありました。普段からお読みのお兄イ様方お姉エ様方におきましては、大変お見苦しいものをお見せ致しました事、ここに深くお詫び申し上げます。
という事で、以上は謝罪文でした。
数日前にこのブログ上で醜い言い争いなんぞをしてしまった。
深く後悔している。
最終的にこちらからケツを捲って脱兎の如く陳謝→逃亡!というヘタレコンボをかました所、思いの外すんなりと相手も引き下がってくれて事なきを得る。相手にも感謝だ。
やってみてわかったのは、ウェブ上の言い争いというのは、リアルなそれの何倍も疲れる。リアルな生活では「怒らない」が今年の目標なのだが、それはウェブ上にも大いに適用させていこう、と決意を新たにした。
目を見ながら話すのは色んな意味で楽だ。五感の全てを総動員して相手の言うことを聞けるのだから。しかしウェブは違った。
そもそもブログを書き始めた時に、私なりに目標があった。
「下らない事ばかりを書き続けて、日本一下らないブログを作ろう!」
という目標である。
師匠の命日であるとか、彼女にふられた日などは多少おセンチな事も書いてしまう。それは仕方ない。けれど、それ以外の時には私の持ちうる知性(別名:痴性)とボキャブラリーを駆使して、最大級に下らない事を書く事に心を砕いていた筈なのに。ウンコチンコという小学校低学年の男の子が脊髄反射で喜ぶキーワードを散りばめ、手淫にエロという深夜ラジオに首ったけな中二男子が喜ぶキーワードを連発する事で、下衆な笑いをクリエイト!そういう事がしたかった筈なのに。
過日の一連のコメントを恐る恐る読み返してみると(もう本当に嫌だったからまともに読んでも書いてもいなかったんだけど)、驚愕。一言で言えば、「野暮」。何こいつムキになってんの?超ダセえ。私は私に対してそう思った。
「下らない事」は私にとってはとても素晴らしい事だが、「野暮な事」は、悪しき事なのだ。
わー、超野暮だー。
そう思うと、失恋に心が癒えきっていない私の繊細なガラスハートは更に羞恥にまみれた。もう泣きっ面に何って言うんだっけか?こんな時!
誰かから怒られたり非難された時には、何はなくとも謝っておけば良いのだ。つまらぬ弁明や反論はいらない。頭を下げておけば、勝手に小言は頭上を通り過ぎる。そういうものだ。
生意気を絵に描いてみたような私は、老若男女を問わずに散々無益な自己主張など繰り広げてきたが、良い結果をもたらした試しは一度たりともなかった。酷い目にしか遭った事はない。そんな私を「こいつは馬鹿だから可愛い」と言って可愛がってくれた人も何人かはいるが、そういう人達は「嘗て生意気だった人」達だ。皆、そこから自意識との折り合いを巧いことつけていった、現在では「とても優しい人」達なのだ。私も、彼らのようになりたい。音楽家である前に、私は人間なのだ。レイモンド・チャンドラーが言うように「強くなければ生きていられない。優しくなければ生きている資格がない」。強く優しくある事、これは今後の一つの大事な指針だ。
ブログは、書き始めてから多分三年くらい経つけれど、書いちゃいけない事っていうのもあるんだね。
今回、レッスン中の私の発言なんかも「書くと超危険」っていう事もわかった。何だか国歌斉唱で不起立とかしてクビになっちゃうような公務員教師の悲哀も少しだけわかった。確かに私も荒唐無稽な発言だらけだもんなあ。ピアノのレッスンなのに、「ピアノが弾けたら何だっていうんだ!」とかたまに熱く言ってる時あるもんな。また有識者の方々に怒られちまうから、とてもじゃないけど全ては書けないけど。
今私の所でピアノを習っている30人ぐらいの方々は、皆それなりに変わり者ばかりだ。全員大好きだけどさ。きちんと全員上手くなって、大変「良く」なっているからそれで良いのだ。これで良いのだ。
昔、学習塾で英語の教師のアルバイトをしている時に、「ヤンキーとか心がねじくれ曲がったガキしか教えたくない」と思った事があったのだけれど、今もそれは変わっていない。個性のキッつい生徒に囲まれて、刺激が絶えない。それは講師業としては至上の喜びだ。
明日から三連休。金も無いので、引きこもる。久々にがっつりと基礎練が出来るなと思うと、それはそれで心が躍る。
さあ、今が正念場。
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