絵島という女の見た景色
先日、歴史上の謎に迫るという主旨の番組がやっていて、偶々見た。
八代将軍吉宗の将軍就任について、二つの説を出し、どちらの節が有力かという事を視聴者に問う、という番組であった。
二つの説とは、
・大奥の権力争い説
・吉宗の母親の陰謀説
の両説であった。
先に挙げた、大奥の権力争い説の中で、キーマンとして登場する絵島という女がいるが、この女の生涯に、私は大変な興味を惹かれた。少し、その事を暇つぶしがてら書いてみたい。
吉宗の先代の将軍であった家継は、四歳の幼さであった。先々代の死により、急遽据えられた将軍であったのだ。
幼い将軍が擁立された折には、実質的な政治を担当する後見人が必要となる。その後見人の候補となったのが、徳川御三家であった吉宗と、同じく御三家の尾張の藩主(名前失念)であった。つまり、家継が将軍ではあるものの、実際的な政治を行うのはそのいずれか、という事だったのだ。
その覇権争いに一枚も二枚も噛んでいたのが、大奥の存在であった、というのだ。
当時の大奥が抱えていた女性の数は、約三千人だったという。物凄い大所帯だ。
そしてそれだけの数が集まれば、大奥の中でも権力争いが起きる。当時の大奥は、月光院という女性と天英院という女性の二派真っ二つに分かれていた、というのだ。
そしてこの月光院と親密に結びついていたのが先に挙げた尾張藩主、そして天英院と結びついていたのが吉宗だったという。将軍世継ぎ問題は、即ち大奥の覇権争いにも通じていた、という事になるのだ。
当初、尾張と結び付いた月光院派がこの覇権争いを優位に進めていた。将軍の後見人にも、尾張藩主が就任するような流れがあったという。
その流れを一変させたのが、絵島という女の起こしたスキャンダルであった。
絵島という女は、月光院派のナンバー2であった女だ。この女が、歴史を変えるようなスキャンダルを起こした。
絵島は元々芝居が好きで、しばしば大奥を出て観劇に出掛けていた。これ自体は何ら問題のある事ではない。
ある日、いつものように絵島が観劇に訪れた所、その一座の看板役者である生島某という男と行きずりで一度の密通をしてしまった、というのだ。無論その真相は定かではない。相反する天英院派の策略であり、デマであったという可能性も十分にありうるのだから。しかし、これが大問題となる。
大奥の女性というのは、将軍家に尽くす為の女性集団なのだ。その女性が、将軍以外の男と不義密通となれば、まさに職務に反する大罪であった。
結局、この絵島生島事件をきっかけに月光院派約1500名は大奥を追われ、大奥の覇権争いには天英院派が勝利、世継ぎ問題も吉宗、という事で決着が着いた。
さて、私が非常に強い興味を惹かれたのは、「その後の絵島」についてであった。
絵島はその責任を問われ、長野県伊那市高遠村という所に幽閉された。三十歳を少し過ぎた所であったという。
この幽閉されていた屋敷が現存しており、テレビではその部屋を映し出していたが、その部屋を見た刹那、私はある戦慄を覚える事となった。
屋敷の外は鉄杭で固められ、窓には強固な格子が嵌められ、決して中からは脱出出来ない仕組みになっている。外には常駐の見張りもいる。絵島に与えられた空間は、六畳ばかりの「何もない空間」だったのだ。
一日に食事は一度、一汁一菜の質素なもの。それ以外は、見事に「何もない」という。
ただ、庭の景色を眺めながら、日々は過ぎていく。何もない日々が、ただ、過ぎていく。絵島は、六十歳過ぎで没するまで、三十年以上もの時を、そのように「ただ過ごしていた」というのだ。
それを考えた時に、私は恐怖に震えた。或いは、死よりも過酷な日々だったのではないだろうか。生きながらにして、完全に他者との関わりを断絶され、同じ景色を同じ所から只管に眺めるという人生。選択肢は、ない。
絵島はその格子の向こうに何を見ていたのだろうか。私はそれを思うと胸が締め付けられた。いくら人生において「諦める事」が大事だったにしても、どれほど諦めればそこまで過酷なほど退屈な日々に自らを組み込んでいけるのだろうか。私は、そう思った。
私も、様々な物事を諦めながら、それでも必死に前を向いて何とか生きている。それは私が私自身の人生に「まだ退屈していない」証拠だとも思っている。
いつかはカープも優勝出来るかも知れないし、いつかは私にも本当のブルーズが奏でられるかも知れない。魚釣りだって愉しいし、酒はいつも美味い。生きていればまたいつか君に会えるかも知れない。
或いはいつか。そんな「希望」にすがりながら、何とか生きている。お陰であまり人生には退屈せずにすんでいる。
絵島はどうだったのだろう。
何を思って死んだのだろう。
拳の中で、爪が、刺さった。
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