筋肉痛を利用したピアノ学習法
前回の日記に経緯は書いたが、という事でここの所、日中走っている。なかなかに日中走るのも良いものである。
今の時期だけだろうが、風が吹くと桜の花びらが舞い、私の頬を撫ぜる。それを感じた刹那、
「こやつ、なかなか死なぬとおれに悪態をついてござるよ」
と心の中で呟く、『花の慶次』大好き!超ジャンプ世代!な私であるが、確かに日中のトレーニングには風流を感じてしまう。
風流せい、風流せい、銭まくさかい風流せい!である。
ジョギングを30分少々行った後に、少しだけ筋トレをするようにしている。現在のメニューは、腕立て伏せ、腹筋、スクワットを各20回ずつ×2セットという具合である。大した量ではないが、体内年齢52歳の私にとってはしっかりと腹八分目までくる。目標は50回×3セットであるが、現在は無理だ。無理の無い所から徐々に行かなければ続かなくなるのは目に見えているので、私は決して無理はしない。続ける事が何より大事なのだ。
まだ始めてからたったの二日目であるが、良い兆候が一つ見え始めた。それは図らずも普段のピアノの練習の時に実感するのである。
一昨日よりの運動によって、現在身体中が筋肉痛である。脚や背中が特にひどいが、それは腕や腰も例外ではない。
私の考える理想的なピアノの弾き方の一つに、腰の中心で全身を体重を支え、上半身を自由にする、というものがある。イメージとしては、それにより上半身に余分な力が入れづらくなる、という所なのだが、この姿勢、或いは身体バランスを、筋肉痛によって体感出来る、という発見があった。
腰の位置を中途半端にすると、それだけで腰に筋肉痛が走る。それと同時に、腰が身体を支え切らぬものだから、上半身にも余分な力が入り、ピアノの発音時に上腕三頭筋の部分に鈍い筋肉痛を感じる。
つまり、全身筋肉痛な状態においてピアノを弾いた時に、身体のどこかに筋肉痛を感じれば、その痛みは「誤ったピアノ奏法」を示唆している可能性が極めて高い、という事だ。
身体は本能的に痛みを避ける。脳が命令する不自然な身体運用を、普段ならば粛々と遂行する筈の肉体が、痛みを避けるのと同時に本能的に自然な身体運用へと矯正する、という不思議を私は見た。
普段からピアノの発音時における身体運用には比較的気をつけていたつもりだったが、やはり全体の中で20%程度は痛みを伴う奏法に堕していた事がわかった。そういう意味では、より精度を高める為に、今の状態を利用して、「正しい弾き方」と「間違った弾き方」とを自らの中ではっきりと分けてしまう必要がある。良いチャンスなのだ。
けれどお前がもしほんたうに勉強して、ほんたうの考へとうその考へとを分けてしまへば、その実験の方法さへ決まれば、信仰も科学も同じやうになる。
というのは宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』におけるブルカニロ博士の言葉であるが、私はそれを思い出した。
筋肉痛を持続させる為にも、暫くはトレーニングを続けてみたい。
先に宣言しておくが、二日酔いの朝は、当然サボる。
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