長渕剛のキャラ変遷とまーくんの豪腕
長渕剛はいつからあんな風に体育会系空手バカマッチョキャラになってしまったのだろうと思うと、それはやはり2001年に発売されたアルバム、「空」あたりからではないだろうか、と私は思う。
長渕剛のキャラ変遷は非常に興味深い。
デビュー当初は、高い透き通るような声で、比較的鬱屈とした恋愛の歌などを歌っていた。風貌も、長髪で線の細い感じ。はっきり言ってしまえば、今とはおよそ別人である。当時の歌で言えば、「おいらの家まで」、「順子」、「巡恋歌」、「ひざまくら」など佳曲が並ぶ。私はこれらの楽曲群は、好きだ。
それからは次第にチンピラ路線を辿るようになる。それはおそらく1980年代半ばから1990年代前半までの話。アルバム「昭和」、「JEEP」、「JAPAN」などがその最たるものかも知れない。「浦安の黒ちゃん」、「西新宿の親父の歌」、「東京青春朝焼物語」などは、私は今でもソラで歌える。これもまたすごく好きな歌だ。
1990年代後半になると、何故かインドに傾倒しだし、仏教マニアキャラを経て、ほんの数年、なぜか「将軍キャラ」を長渕は標榜した事を私は知っている。きっと本人は「侍キャラ」のつもりだったのだろうけれど。「猿一匹、唄えば侍」という、非常にシュールな曲を歌っていたのもこの頃だ。
その後のマッチョキャラに至っては、正直私はもうついていけないので、あまりよく知らないが、テレビで彼を見る度に、「迷走しているなあ」という思いに駆られる事しきりだ。
このキャラ変遷は、何によって変遷していったのであろうか。
先日の事だが、ヨドバシカメラの家電コーナーで、私はヘルスメーターに乗った。体重や体脂肪率などばかりでなく、体内年齢などが測れるというアレである。私の結果は、意外な事に、肥満に関してはまだ標準のレベル内であった。内臓脂肪の量がかなりの危険信号を出している事にはさほど驚かなかったが、驚くべきは私の体内年齢である。
体内年齢は驚異の52歳。私はまだ29歳だと言うのに。
また、その日の内に、私はバッティングセンターでバッティングに興じた。投げるピッチャーの映像(最近のバッティングセンターでは、実在の投手の映像が投球マシンに映し出され、恰も実在のピッチャーと対戦しているかのようなバーチャル感がある)は、楽天の田中将大投手。そう、天下のまーくんである。
左打席の私に向けられたまーくんの速球(設定では時速100キロ前後)は、7割がたが私のバットを交わし、後方のネットへと吸い込まれていった。さすがまーくん。
いや、さすがまーくん、ではないのだ。私の体力低下が著しすぎるのだ。
20球を振った所で、私の身体は早くも悲鳴を上げ始めていた。肩と腰と背中が痛かった。何だ、この体たらくは。
これは流石に本当にマズイ、と感じた私は、一念発起した。
早速今日、ユニクロへと赴き、トレーニングジャージの上下を6000円にて購入した。そう、私はこれから暫らくトレーニングに励む。
閑話休題。
長渕のキャラ変遷をここで思い出す。長渕は、やはり何かこういった危機感を感じ、マッチョキャラへと変遷していったのではないだろうか。何故彼はああなってしまったのか、という秘密の一端を、私はここに垣間見たような気になった。
さて、私もマッチョキャラになろう。
日本ジャズピアノ界きってのマッチョキャラを目指すべく、今からジョギングと筋トレをしてこようと思う。
ていうかさ、マジに引いたわ、体内年齢52歳。ヤバいわ、コレ。
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コメント
52歳?
むねりんと一緒だね♪
投稿: 宗rin52好き | 2009年4月 7日 (火) 20時17分
宗rinちゃんへ
一緒です。目標は前田健太の背番号ぐらいを目指します。エースナンバー18です。
投稿: ふくしまたけし | 2009年4月17日 (金) 16時57分