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2009年4月

2009年4月28日 (火)

明日はピアノトリオ!でも…

頭が痛い。寒気がする。体の節々が痛い。そして全身がダルい。

どこからどう見ても、風邪の諸症状である。

風邪を、ひいた。

今日が休みで良かった。

うーん、文章も思い浮かばない。

今日中に治すよ、気合いで。

明日は楽しみだったピアノトリオのライブなんだから。

明日、金町ブルーで19:30ぐらいからです、確か。詳細はこのブログ内のどこかにあるぼくのライブスケジュール欄を参照。

さあ、再び寝ます。おやすみなさい。今は昼の13:00ですけどね。

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2009年4月23日 (木)

剛の呪縛

私の名前に冠された「剛」の一文字について。

私の名前の由来など、ここで語るべきような事ではないので割愛する。

比較的よくある名前である。私の名前は「たけし」と読むが、これを「つよし」、或いは「ごう」と読む人を包括して考えれば、恐らく世の中には数多の人間がこの一文字を背負いながら今日も確かに生き続けている。

「剛」の一文字。これはまさに強固な誇りであると同時に、拭い難きカルマである。「撰ばれてあることの恍惚と不安とふたつ我にあり」と書いたのは作家太宰治であるが、我々「剛」の字を背負った者達は、まさしくそういった恍惚と不安を共に享受しながら、茫漠たる人生という砂漠を一歩一歩進んでいかねばならぬのだ。

SMAPという有名アイドルグループにおいて唯一人、私と同じ「剛」の字を受け継ぐ男のいる事を私は知っていた。

チョナン・カンの別名でも有名な彼である。そう、ウェブ上では漢字がきちんと表示されない事でお馴染み、草なぎ剛、その人である。

朝起きて、ぼんやりとテレビを点ければ、飛び込んでくる「草なぎ剛容疑者逮捕」のニュース。私は固唾を呑みながら詳細を見守った。

彼は元来、漢であった。勿論、この漢は「おとこ」と読まなくてはならない。

深夜番組「ぷっすま」における、江頭2:50とのやりとり。そこには江頭への溢れ出る愛情が画面上からでも伝わって来たし、彼の掴み所の無いぐだぐだトークは、いつも私の心を捉えていた。アイドルらしからぬ、ざっくばらんな発言。私は彼が好きだ。

そして、その漢が、天高く飛翔した。

漢から、侍になった。

公然わいせつ容疑による逮捕。

港区の公園で、泥酔して独りで全裸になりながら胡坐をかいて座り、意味不明の言葉を叫び続けていた所を警察に確保された。捕まった際には、「全裸で何が悪い!」と憤っていたという。

「全裸で何が悪い!」

その質問に対して私が代わりにお答えしよう。

「悪くない!全然悪くない!」

そう、まるで問題がないのである。

立川流落語家元である、当代立川談志師匠の発言の中に、私がとても好きなものがある。

「酒が人間をダメにするんじゃないンです。人間はもともとダメな生き物だという事を再確認させる為に酒があるンです」

そう、私たちは元来罪深い存在なのだ。それを酒が気付かせてくれる。家元はとても良い事をおっしゃる。

草なぎ剛、大丈夫!大丈夫じゃないかも知れないけれど、大丈夫!!!

さて、このニュースを貪り見ていたら、昼過ぎになってしまった。

ピアノの練習してこよっと。

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2009年4月17日 (金)

4月と5月のライブスケジュール

4月と5月のライブスケジュールです。宜しければ是非遊びにいらっしゃって下さい。

2009年 4月

4月25日(土)東京代々木音楽館
tel 03-3372-0069
http://www.din.or.jp/~ongakkan/yoyogi2/yoyogi2.html
【ミュージック・ワークショップ・東京 vol.1】
ライブではありません。ワークショップ(集団レッスンみたいなもの)です。今回のゲスト講師は何とギターの廣木光一氏。ぼくが緊張しています(笑)
18:00~start 参加費:2000円

4月29日(水祝)東京金町 Jazz inn Blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/
b:長谷川明弘 ds:松永博行 pf:福島剛
現在ぼくがリーダーとして定期的にやっている唯一のバンドです。美しくて猥雑な音楽を表現する為に、試行錯誤して現在の形が出来つつあります。超絶オススメライブです。
19:30~start  music charge:1500円

2009年 5月

5月4日(月祝)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
harp:皆川和義 b:長谷川明弘 pf:福島剛
ゴールデンウィークには、このハーモニカトリオを。音と音とがぶつかり合って融けていく過程をご堪能下さい。グランドピアノです。
19:30~start  music charge:2000円

5月12日(火)東京大塚All in fun 
tel 03-3987-6242
http://allinfun.jp/
harp:皆川和義 piano:福島剛
上野から一週間置いて、今度はハーモニカとのデュオ。ここもグランドピアノです。よく鳴ります。
19:30~start  music charge:2000円

5月16日(土)京都深草ざぶざぶ 
tel 075-642-6348
sax:黒田雅之 b:椿原栄弘 ds:副島正一郎 pf:福島剛
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
京都の名店「ざぶざぶ」にて怒涛のカルテット。ちょっくら関西に行って、アホ、やって来ます。
19:30~start  music charge:1800円

5月24日(日)京都岡崎ZAC BARAN
tel 075-751-9748
http://www.secondhouse.co.jp/zacnew.html
tap:清宮Sam悟 pf:福島剛
ずっとやりたかった、タップダンサーSamさんとのデュオ。ついに念願叶います。
19:30~start  music charge:1500円

5月29日(金)東京高円寺After Hours 
tel 03-3330-1556
http://www.afterhours-1975.com/index.html
vocal:おおたりこ piano:福島剛
以前当ブログでも大絶賛したヴォーカルのおおたりこさんとのライブ再び!是非一度見に来てみて下さい。腰抜かしますよ。オススメです。
20:00~start  music charge:1800円

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裏切りの街角

女性の好みとして。

端から見れば超ビッチ!姿形から連想するキーワードはガバ何トカとか、ズベ何トカとか。けれど出汁のしっかり効いた関西風のうどんを作らせたら右に出る者はいないんだから!みたいなギャップは好きだ。現代用語で言えば「萌える」。これは間違いない。「ギャップ」は時に我々男子の心をくすぐりまくる。

しかし、ギャップがあれば何でも良いのか、と問われれば、それに対してはNoと答えざるを得ない。逆に「萎える」ギャップというのも存在するのだ。

もう一つ、飯の趣味である。

石田ゆり子(女神)然とした女性が、私が穫ってきた釣りたての新鮮極まりないアジの刺身に、おもむろに大量のマヨネーズをぐしゃぁぁぁっ!とかけ始めたらどうだろう。私は力無く頭を垂れ、「アジってそうやって食うもんじゃねえんだよ…」と呟くより外ないだろう。千年の恋が二秒で醒める。いや、ゆり子ならば醒めぬかも知れぬが。しかし、そのようなギャップは真っ平御免だ。頼むからゆり子はマヨラーでいないで欲しい。

「萎えるギャップ」。これについて本日は駄文を巡らせてみたい。

過日、新宿で酒を呑む機会があった。

新宿。

そこは私にとってはあまり馴染みの深い場所ではない。

幼い頃の私にとっては、大好きな漫画「シティハンター」の舞台である街、それが新宿であった。駅前の伝言板に「XYZ(後がない、の意)」と白いチョークで書けば、槇村香と冴羽獠に会えると信じていた。知っていたかい、香は射撃の練習でいつも明後日の方向に弾丸を撃ってしまっているが、あれは獠がサイトに細工を施していたからきちんと撃てない仕組みになっていたんだぜ。理由?聞くのかい?野暮だな。香に人殺しをさせたくないからに決まってるじゃないか。良い話だ。

アニメ版「シティハンター2」においては、エンディングシーンでTMネットワークの歌う「Still Love Her(失われた風景)」がかかるバックで、新宿の街並が映し出されていた。カッコ良かったなあ。

高校生ぐらいになると、馳星周や大沢在昌の小説の影響で、新宿は恐ろしい街なのだ、と認識するに至った。歌舞伎町のゲートをくぐれば、そこでは麻薬の売人である黒人が闊歩し、青竜刀を持った中国マフィアが何の躊躇もなく通行人を殺す。そんな事が日常茶飯事として起きるものだと思っていた。

略奪、嘘、愛憎、裏切り。

そういったキーワードの裏で、それでも「愛されたい」と願う寂しい人間たちが、寂しさゆえに牙を剥いているのだ。私は勝手に、そう想像していた。

全然違ったけれど。

それなりの回数、新宿には行った事があるが、普通の歓楽街であり、オフィス街であり、まあ、いわゆる「都会」だ。閑静な部分と猥雑な部分が入り混じっている、普通の街だ。シティハンターにXYZを書く為の伝言板は見当たらなかったし、中国人マフィアが突然青竜刀を振り回したりもしなかった。なんて事だ。全然イメージと違う。

正直に言えば、私はあまり新宿という街は好きではない。何か嫌いになるような理由が特別にある訳ではないのだが、あまり好きになれない。波長が合わないのだろうか。

ちなみに私が東京の中で好きな街は、小岩、新小岩、錦糸町だ。次いで阿佐ヶ谷、御茶ノ水、上野。新宿、池袋、渋谷という三大都会は、思い切りランク外だ。多分私はそんなに都会を愛していない。田舎もさほど愛していない。恐らくは、ひたすらに「下町の雰囲気」を愛しているのだ。貧相で、猥雑で、胡散臭い下町を。

新宿で呑み屋に向かった。向かったのは、思い出横丁という名前の通りである。

雑多な呑み屋が跋扈するその思い出横丁。不思議と落ち着いた気持ちになる。立ち呑み屋や一杯呑み屋、もつ焼き屋に焼き鳥屋。そういった風情は、私の心の中にある「ふるさとの原風景」みたいなものと一致するからだ。

適当にその中の一軒に入る。カウンター席だけの一階から、テーブル席のある二階に通される。隣でインテリぶったオヤジが偉そうに大声で喚いていたのがいささか癪に障った。

「デリダやソシュールなんてのはね、もうダメなんだよ!」

お前、そうやって大声でアピールして、賢い自分をアピールしたいだけだろ、と思って鬱陶しかったが、敢えて無視。そういうオヤジだっていてもいいや、そう思わせるのがそういった呑み屋の良い所だ。

さて、安い肴をアテにして安い酒でも呑むかな、と店内に貼ってあるメニューを一瞥した所、私は愕然とした。そう、裏切りの瞬間、「萎えのギャップ」の瞬間だったのである。

モツ煮込み600円……

なめてんのかああああっっっっっっっ!!!!!!!!!!!

煮込みは高くても400円までしか設定してはいけないという日本国憲法で定められた法律があるのを知らねえのかあっ!

更に何!?ホッピーはあるがホッピーセットが無いだと!?

ホッピーって言うのはそんな一杯ずつ呑むような贅沢な酒じゃねえんだよ!!一回のホッピーセットで中の焼酎は二~三回おかわり、つまりホッピーセット一回で4杯乃至3杯は呑むんだよ!3杯で700円程度、一杯あたり200円強、それだけ安いからホッピー呑むんだよ!ふざけろ!何が一杯450円だ!

といささか怒り心頭の私。つまりここでいう「萎えのギャップ」とはこういう事だ。

・店構え自体はいかにも下町にありそうな大衆向けの呑み屋

・赤提灯などもぶら下げてあり、適度に油汚れなどが染み付いた壁からもそういう雰囲気は漂う

・しかしその内実は、スーパーセレブ御用達の呑み屋

・年収が5000万円以下の人間にはいささか経済的にキツイ値段設定。

小岩にこんな呑み屋があったらニキビより簡単に潰れちまうよ、と毒づいていたが、河岸を変えるのも面倒で、結局その店でそのまま呑む。出て来る食べ物はそれなりに美味かったので、それで私も機嫌を多少良くする。

幸いにして、私は年収が6兆円あるので、呑み屋の支払いは事無きを得たが、やはりあのギャップはいただけない。店の雰囲気と値段設定は、統一しておいて頂きたい。

そう思って、私は新宿の街を後にした。

XYZ

もう後が無いぜ、と呟きながら。

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2009年4月16日 (木)

私的妄想野球観戦

納豆ご飯に味噌汁という純和風テイストの朝食を採りながら、新聞をパラパラとめくっていた。

スポーツ欄をちらと見れば、昨日もカープは勝ち勝ち。宮島さんの神主が言うことに間違いはないのうとほくそ笑んでいれば、傍らにはふと気になる他球団の試合結果が。

巨人−ヤクルト戦である。結果詳細は失念したが、確か6対2で巨人の勝ち、との事。私の興味を惹いたのは、その両チームの先発投手である。

巨人の先発はセス・グライシンガー、そしてヤクルトの先発は木田優夫とあった。

これにピンと来る人も少なくないのではないだろうか。

グライシンガー、木田共に、「古巣に対して投げる」という構図である。

グライシンガーは、一昨年、ヤクルトスワローズに所属し、最多勝投手の誉れに輝いた。巨人はヤクルトスワローズの四番バッターであったアレックス・ラミレスと共に、高年俸をもって自チームに迎え入れた。私はこの補強に対しては未だに反感を抱いているが、それはこの際は置いておくとして。

対する木田優夫は、巨人軍において先発から中継ぎ、更にはリリーバーとして嘗て大車輪の活躍をしたベテラン投手である。その後、肘の手術による成績不振からオリックスにトレードに出され、更には海を渡りメジャーリーグにも挑戦した。日本球界への復帰の地がヤクルトスワローズという球団であり、現在もヤクルトの投手陣の一角を担っている。

さて、ここまで紹介した所で、当然私の脳裏に浮かぶのは、「巨人を追い出され、最終的にヤクルトに拾われた木田」と「金でヤクルトを裏切り、巨人に移籍したグライシンガー」という両者の構図である。

かなり私の私見と独断と偏見にまみれた構図なので、野球ファンはまともに相手すると疲れるぜ。

無論、プロフェッショナルの世界なので、より高い賃金のチームでプレーするのが当然であるし、結果の出ない者から切られていく世界であることもわかっている。しかし、それでも考えてしまう。

「両者の心中たるや、いかほどであったのだろうか」、と。

勝手にストーリーを妄想すれば、観戦の醍醐味は一層増すかも知れない。私はいつも勝手にそういうストーリーを妄想しながら野球を見ている。

カープ戦において、ヤクルト福地や巨人木村拓、阪神金本が活躍する時の複雑な心中。逆に、阪神戦において我らの赤松や喜田剛が活躍した時の爽快感は、まさしく妄想の賜物である。ちなみに「優勝出来るチームでプレーしたい」とか何とか、泣きながら阪神に移籍した某氏に関しては、打てば打つだけ腹が立つ。ファンというのはかくも勝手なものなのだ。

たかだか球を投げて棒でひっぱたくだけのゲームである。

けれど、そこに無数のドラマを脳裏で追えば、球場は途端に人間劇場へと変貌する。

さあ、本日は横浜戦。移籍してきた石井琢朗は、どんな活躍を見せてくれるだろうか。

移籍していった森笠繁、彼にも少しは頑張っていただきたい。

今日はレッスンなので、帰ったらスポーツニュースで見ます。

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2009年4月11日 (土)

The Wedding

明日は結婚式。無論私の結婚式ではないけれど。

鬱屈とした高校時代の、数少ない友人、一番仲が良くて、よく一緒にパチンコに行ったり麻雀をしたりしていた友人の結婚式だ。

ピアノを演奏する事を頼まれた。

こんな時に決まって弾くのは、Abdullah Ibrahimの佳曲、『The Wedding』。前日なので少しだけ練習している。

ありがとうとおめでとうを込めて。

こういうノーギャラの演奏が大好きな辺り、私はプロとして失格かも知れないけれど、それで良い。

たった一曲だけ、心を込めて。

ありがとう。

おめでとう。

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2009年4月10日 (金)

葱再び

葱再び
ちょっと前にも載せた、葱のごま油と醤油炒めアゲイン。

今日は戯れに柚子コショウをゴリゴリと入れてみた。激辛い。

でも美味い。

独りで呑むのはつまんないな。

やっぱり誰かに迷惑をかけながら呑みたいな。

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2009年4月 8日 (水)

筋肉痛を利用したピアノ学習法

前回の日記に経緯は書いたが、という事でここの所、日中走っている。なかなかに日中走るのも良いものである。

今の時期だけだろうが、風が吹くと桜の花びらが舞い、私の頬を撫ぜる。それを感じた刹那、

「こやつ、なかなか死なぬとおれに悪態をついてござるよ」

と心の中で呟く、『花の慶次』大好き!超ジャンプ世代!な私であるが、確かに日中のトレーニングには風流を感じてしまう。

風流せい、風流せい、銭まくさかい風流せい!である。

ジョギングを30分少々行った後に、少しだけ筋トレをするようにしている。現在のメニューは、腕立て伏せ、腹筋、スクワットを各20回ずつ×2セットという具合である。大した量ではないが、体内年齢52歳の私にとってはしっかりと腹八分目までくる。目標は50回×3セットであるが、現在は無理だ。無理の無い所から徐々に行かなければ続かなくなるのは目に見えているので、私は決して無理はしない。続ける事が何より大事なのだ。

まだ始めてからたったの二日目であるが、良い兆候が一つ見え始めた。それは図らずも普段のピアノの練習の時に実感するのである。

一昨日よりの運動によって、現在身体中が筋肉痛である。脚や背中が特にひどいが、それは腕や腰も例外ではない。

私の考える理想的なピアノの弾き方の一つに、腰の中心で全身を体重を支え、上半身を自由にする、というものがある。イメージとしては、それにより上半身に余分な力が入れづらくなる、という所なのだが、この姿勢、或いは身体バランスを、筋肉痛によって体感出来る、という発見があった。

腰の位置を中途半端にすると、それだけで腰に筋肉痛が走る。それと同時に、腰が身体を支え切らぬものだから、上半身にも余分な力が入り、ピアノの発音時に上腕三頭筋の部分に鈍い筋肉痛を感じる。

つまり、全身筋肉痛な状態においてピアノを弾いた時に、身体のどこかに筋肉痛を感じれば、その痛みは「誤ったピアノ奏法」を示唆している可能性が極めて高い、という事だ。

身体は本能的に痛みを避ける。脳が命令する不自然な身体運用を、普段ならば粛々と遂行する筈の肉体が、痛みを避けるのと同時に本能的に自然な身体運用へと矯正する、という不思議を私は見た。

普段からピアノの発音時における身体運用には比較的気をつけていたつもりだったが、やはり全体の中で20%程度は痛みを伴う奏法に堕していた事がわかった。そういう意味では、より精度を高める為に、今の状態を利用して、「正しい弾き方」と「間違った弾き方」とを自らの中ではっきりと分けてしまう必要がある。良いチャンスなのだ。

けれどお前がもしほんたうに勉強して、ほんたうの考へとうその考へとを分けてしまへば、その実験の方法さへ決まれば、信仰も科学も同じやうになる。

というのは宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』におけるブルカニロ博士の言葉であるが、私はそれを思い出した。

筋肉痛を持続させる為にも、暫くはトレーニングを続けてみたい。

先に宣言しておくが、二日酔いの朝は、当然サボる。

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2009年4月 7日 (火)

長渕剛のキャラ変遷とまーくんの豪腕

長渕剛はいつからあんな風に体育会系空手バカマッチョキャラになってしまったのだろうと思うと、それはやはり2001年に発売されたアルバム、「空」あたりからではないだろうか、と私は思う。

長渕剛のキャラ変遷は非常に興味深い。

デビュー当初は、高い透き通るような声で、比較的鬱屈とした恋愛の歌などを歌っていた。風貌も、長髪で線の細い感じ。はっきり言ってしまえば、今とはおよそ別人である。当時の歌で言えば、「おいらの家まで」、「順子」、「巡恋歌」、「ひざまくら」など佳曲が並ぶ。私はこれらの楽曲群は、好きだ。

それからは次第にチンピラ路線を辿るようになる。それはおそらく1980年代半ばから1990年代前半までの話。アルバム「昭和」、「JEEP」、「JAPAN」などがその最たるものかも知れない。「浦安の黒ちゃん」、「西新宿の親父の歌」、「東京青春朝焼物語」などは、私は今でもソラで歌える。これもまたすごく好きな歌だ。

1990年代後半になると、何故かインドに傾倒しだし、仏教マニアキャラを経て、ほんの数年、なぜか「将軍キャラ」を長渕は標榜した事を私は知っている。きっと本人は「侍キャラ」のつもりだったのだろうけれど。「猿一匹、唄えば侍」という、非常にシュールな曲を歌っていたのもこの頃だ。

その後のマッチョキャラに至っては、正直私はもうついていけないので、あまりよく知らないが、テレビで彼を見る度に、「迷走しているなあ」という思いに駆られる事しきりだ。

このキャラ変遷は、何によって変遷していったのであろうか。

先日の事だが、ヨドバシカメラの家電コーナーで、私はヘルスメーターに乗った。体重や体脂肪率などばかりでなく、体内年齢などが測れるというアレである。私の結果は、意外な事に、肥満に関してはまだ標準のレベル内であった。内臓脂肪の量がかなりの危険信号を出している事にはさほど驚かなかったが、驚くべきは私の体内年齢である。

体内年齢は驚異の52歳。私はまだ29歳だと言うのに。

また、その日の内に、私はバッティングセンターでバッティングに興じた。投げるピッチャーの映像(最近のバッティングセンターでは、実在の投手の映像が投球マシンに映し出され、恰も実在のピッチャーと対戦しているかのようなバーチャル感がある)は、楽天の田中将大投手。そう、天下のまーくんである。

左打席の私に向けられたまーくんの速球(設定では時速100キロ前後)は、7割がたが私のバットを交わし、後方のネットへと吸い込まれていった。さすがまーくん。

いや、さすがまーくん、ではないのだ。私の体力低下が著しすぎるのだ。

20球を振った所で、私の身体は早くも悲鳴を上げ始めていた。肩と腰と背中が痛かった。何だ、この体たらくは。

これは流石に本当にマズイ、と感じた私は、一念発起した。

早速今日、ユニクロへと赴き、トレーニングジャージの上下を6000円にて購入した。そう、私はこれから暫らくトレーニングに励む。

閑話休題。

長渕のキャラ変遷をここで思い出す。長渕は、やはり何かこういった危機感を感じ、マッチョキャラへと変遷していったのではないだろうか。何故彼はああなってしまったのか、という秘密の一端を、私はここに垣間見たような気になった。

さて、私もマッチョキャラになろう。

日本ジャズピアノ界きってのマッチョキャラを目指すべく、今からジョギングと筋トレをしてこようと思う。

ていうかさ、マジに引いたわ、体内年齢52歳。ヤバいわ、コレ。

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2009年4月 5日 (日)

『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』

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坂口安吾、『桜の森の満開の下』並びに『夜長姫と耳男』、読了。

何度目になるかわからない今回の読了であるが、作品の持つ衝撃や痛切さは、回を重ねる毎に色褪せるばかりか、逆に鮮やかさを増す。安吾の描く「ギリギリの世界」、それはいつまでも私の心を捕らえて離さない。

桜の下にやって来た時に表層化する人間の根源的な狂気をモチーフにした『桜の森の満開の下』は、或る意味では究極の純愛小説という言い方も出来る。恰も彼岸の如き狂気の世界と正気の常世。隔てられたように見えるその二つの世界は桜の樹の下で一つに融け合い、山賊である主人公の男が娶った女に対して抱いていた底知れぬ愛情は、刹那、純粋な狂気に取って代わる。

狂気と愛情。

その二つは常に表裏一体だ。

「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして…」

とは『夜長姫と耳男』における夜長姫の今際の言葉であるが、それは或いは狂気と表裏一体となった愛情への慈しみ深い受容の言葉であったのかも知れない。恐らく夜長姫は本能的に察知していたのだ。耳男が深く深く夜長姫の事を愛していた事を。

彼岸の狂気が常世の正気へ再び舞い戻ったその時に、虚空に冷たい風が一陣吹き抜ける。それはこの上ない「孤独」を切り取った、精緻な情景描写のように感じられる。むごたらしく救いの無い、「孤独の情景」である。どこまでも凄惨で、どこまでも美しい情景を描く時、安吾の筆致は至高に色めき立つ。

『夜長姫と耳男』では、過剰に表出する夜長姫の狂気に対して、脅えつつも惹かれ続ける耳男の葛藤が、全編を通じて描かれている。作品を貫くそのテンションの高さたるや、まさに比類ないと形容するより外ないが、私は更にそこに筆舌に尽くしがたいほどのスピード感をも察知した。まるでカーレースの助手席に座っているかのように、我々読者は強烈な疾走感と緊張感を同時に享受する事が出来る。

そしてその緊張感や疾走感は、或る地点で飽和状態に達し、世界がほどかれて液状化したかのような強烈な緩和を迎える。

「サヨナラの挨拶をして、それから殺して下さるものよ。私もサヨナラの挨拶をして、胸を突き刺していただいたのに」

夜長姫が耳男の腕の中で呟くこの科白には、有無を言わさぬ凄味と共に、全てを緩和させる、つまりは全てを無に帰すかのようなエネルギーが内包されている。何と美しくも残酷な言葉なのか、と嘆息を漏らす。

翻って両作品を俯瞰すれば、どちらともアレゴリーというジャンルの作品である。

アレゴリー。寓話。

つまりは何かを寓意した作品であり、それを考えた時に、物語の粗筋を追う事は、この作品を捉える上では至上の選択肢ではない。寓意されたものは、何だったのであろうか。それを考えればこの作品を読む愉しみは更に拡がる。

アレゴリーの大家と言えば、ドイツのフランツ・カフカがまず脳裏に浮かぶ。『変身』、『城』、『審判』。これらも一種のアレゴリーだと考えて良いだろう。

『変身』という作品を考えた時に、私の中で大きなテーゼとなるのは「果たして変身したのは何だったのか」という点である。ザムザが虫に変身した、それは文脈通りの読み方であるが、果たして本当にそうだったのだろうか、と考える所に文学の愉しみの一つはないだろうか。ザムザの周りの人間が変身したのかも知れぬ、或いは読み手である我々が変身させられたのやも知れぬ、『変身』とは、そういった想像をかき立てる佳作だ。

そして再び安吾の両作品。

結末はどちらも似ている。『桜の森の満開の下』では女が山賊である男に殺され、『夜長姫と耳男』では夜長姫が耳男に殺される。どちらも怨恨からではなく、狂気と愛情によって殺されるのだ。

殺される、というこの文脈を、やはり額面通りに受け取るのはいかがなものであろうか。先ほどから述べているように、それは寓意に満ちた文脈であるのだ。その裏に潜むものはぜんたい何なのだろうか。

私は、坂口安吾という作家は、大変「優しい」人間であったのではないだろうか、と考えている。

ヒロポン中毒で錯乱状態になり伊東で静養したという話、また大の競輪好きで、などといったエピソードなどは有名であるが、写真で見る安吾はいつでも穏やかな表情を携えている。安吾は、とても「優しかった」のではないだろうか。これが私の一つの仮説である。

そしてそれを考えた時に、安吾は「赦したかった」のではないだろうか、という思いに至る。

それは人間の狂気を。

そして、時に滑稽な人間の愛情を。

だからこそ、逆説的にむごたらしく美しい情景の中で、彼岸の狂気と常世の正気の交錯する情景を描き出したのではないだろうか、と私は考えてしまう。

極めて陳腐な言葉でしか表現できないが、今回挙げた安吾の両作品は、「少々ヒネクレタ人間賛歌」であるような気がしている。

狂っていたって良いじゃないか。そういったメッセージを汲み取るのは、見当違いなのだろうか。

そこを「人間だもの」みたいな言葉で括られると、いささか不愉快なのだけれど。

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2009年4月 3日 (金)

開幕

開幕
本日のプロ野球開幕を祝して、いっちょ順位予想などを。セ・リーグのみですが。

優勝:広島東洋カープ

二位:読売ジャイアンツ

三位:東京ヤクルトスワローズ

四位:中日ドラゴンズ

五位:横浜ベイスターズ

六位:阪神タイガース

以上。以下、考察。

身贔屓を別にしても、今年のカープは強い。先発陣の充実ぶりは、本当に久しぶりだ。ルイス、マエケン、大竹という安定感のある三本柱に加えて、昨年から徐々に頭角を顕し始めた斎藤に篠田、また復活の兆しのある長谷川と、大いなる期待を禁じ得ない。横山、梅津を中心とした中継ぎ陣の安定感、そして劇場型ストッパーの永川大魔神、シーズンを戦い切る戦力は十二分だ。

また打線に目をやれば、赤松、天谷、梵という俊足スーパーカートリオに、上位の東出、そして不動の四番バッター栗原の充実も見逃せない。長距離砲である嶋、前田神がこれらの打線に上手く絡めば、打線爆発を待つまでもなく得点の期待が出来る。期待外の場面でいつも活躍を見せるツンデレ内野手シーボル先生には期待しない。期待しない方が活躍してくれるので。

更に今年は横浜ベイスターズから移籍したベテラン石井琢郎内野手の好影響も無視出来ない。彼が若手に走塁技術、守備技術を叩き込み、自らもそのプレーで規範を示す事により、チームはこれ以上ない程に活性化する。若手とベテランの融合。数年前に阪神タイガースが隆盛を極めた時の構図に酷似している。暫くはカープは強くなる。そう思っている。

二位のジャイアンツは、やはり戦力的には頭一つ抜けている。若手が台頭してきているのもそうだが、悔しいけれど戦力の面ではあまり隙が見当たらない。

三位のヤクルト。ここもやはり若手の成長が著しい。川島慶三、田中浩康辺りの戦力は、我らのカープにもほしいぐらいだ。

中日は、固い守備陣をベースにした抜け目ない野球は流石だと言わざるを得ないが、やはり川上憲伸、T・ウッズといった主力の抜けた穴は大きい。苦戦が予想される。

横浜ベイスターズは、やはり着実に若手が育ちつつある。取り分けWBCでも大活躍の内川聖一、彼はまさにセ・リーグを代表する大打者になりそうな予感すらある。しかし、いかんせん村田の出遅れが痛い。彼がどういう状態でいつ復帰するかによって、チームの浮沈は左右されるのではないだろうか。

阪神タイガース、ここは実は現在深刻な状況にあるような気がしている。下柳、矢野、金本というベテランの活躍に頼っているチーム状況は、決して良好だとは思えない。怪我などの要因ではなく、金本の連続出場記録を危ぶむような状況があれば話は別なのだが。

という事で現在東京ドームです!一生懸命応援しまくってきます!

頑張れカープ!

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