権利を主張する
4月1日より首都圏の駅は全面禁煙になるらしい。
何だかなあ。
喫煙者である私だけれども、この喫煙者と嫌煙者との軋轢というか、上手く共存出来ていない現状に対しては、比較的ニュートラルな立場を守っている、と自覚している。
軋轢の構造としては、双方の権利主張というシンプルな構造だ。喫煙者は喫煙の権利を主張し、嫌煙者は嫌煙権を主張する。お互いに折れる所がないから、結果として双方に疎んじ合い、憎み合うような事になっている。非常にナンセンスだ、と私は感じている。
こういった際に権利を主張する人間は、いつも思う事なのだが、自らの醜さという事は考えないのだろうか。
ヒステリックに権利を主張する人間を、軽蔑するとは言わないまでも、「カッコ悪い」と私は思っている。無粋であり、野暮だ。私には私なりの美学がある。その美学の見地から彼らを俯瞰した時に、ついつい「ダセえなあ」と思ってしまうのだ。
今回の喫煙問題のケース、具体的な権利主張とは以下のような事例となる。
・喫煙者による喫煙権主張
煙草はそもそも日本国家が認めた嗜好品だ。含まれる税金は重要な財源の一つに違いない。それが何故今更になってこうも喫煙を制限されなくてはならないのか。ふざけるな、不当だ!
(↑これに対する私の感想)
「良いじゃん、よそで吸えよ」
・非喫煙者による嫌煙権の主張
煙草なんてものを吸っている人間は害悪以外の何物でもない。その煙で他人の健康を害し、寿命を縮め、本人達はのうのうと臭い息を吐いている。社会から排除していくべきだ!
(↑これに対する私の感想)
てめえみたいのは長生きしても意味がないから早く樹海に行け。多分空気とかマジ綺麗だから。
いやいや、しかし。
何とも不毛な言い争いだな。
つまらん。
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