面倒くささと結論
「オマエのブログさー、冗長に大層な事を書いているように見せて、いつも同じことばっかり書いてあるし、何よりすげえ下品だよな」
そう、嘗て言われた事がある。
そういった指摘に対して、私は葛飾の偉人、車寅次郎氏の言葉を借りて、こう反論したい。
「それを言っちゃあ、お終いよ」と。
全くもって、その指摘は的を射ている。日常生活の些事を大層に、そして冗長に語るのが私のやり口だ。それは微塵も見当外れではない。
「世情」という歌において中島みゆき様が歌われたように、「包帯のような嘘を見破る事で学者は世間を見たような気になる」のである。私の包帯のような嘘をお願いだから見破らないでほしい。私は腐ったミカンなんかじゃない。
いや、間違えた。腐ったミカンだった。
さて、本日もつまらぬ些事を大層に語っていこうか。そう言えば今日はクリスマスだな。どうでも良いけれど。クリスマスソングを歌うように、誰か私の事を今だけ愛してくれ。暦が変われば他人に戻るのだから。雪に浮かれる街の様に。
ほら、冗長になる。
さて、気を取り直して。
「楽になりたがる事」について少し考えた。
私たち人間は、根本的に「楽になりたがる性質」を持っている、と私は思う。それは別段、死を常に私たちが求めながら生きている、という事ではない。私たちはどこかで「明確な答え」を欲してしまいがちだ、という事だ。
明確な答え。それは或いは「結果」という言葉に置き換えることが出来るかもしれない。
例えば麻雀の場において。
2ピンを切ればテンパイ、しかし2ピンはトイメンのリーチの大本命、というケースにおいて、どうしても私たちは「2ピンを切り飛ばしてアウトかセーフかの結果を知りたい」という欲求をどこかに抱えてしまう。つまり「楽になりたがってしまう」のである。
ここに至る思考の根本には、「面倒くささへの忌避」があるのではないか、と私は考えている。状況を受け入れ、そしてそこを打開する策。それは果てしなく困難な思考の彼岸にあるようなそんな錯覚に陥り、「面倒くさい思考」を回避する為に、決死の二択へと打って出る訳だ。
果たしてそれは正しいのだろうか。そうして「楽になって」、本当に良かったのだろうか。
今年、あまりにも目に付いた通り魔殺人。もはや、「一連の」という接頭語を伴っても良いレベルだろう。それらを十把一絡げにして論じるのは見当違いも甚だしいであろうが、私はどこか根底で通ずる動機の一端に「面倒くささからの回避」があったのではないだろうか、と思うのだ。
生きているのが面倒くさい。いいや、他人を道連れで。何かそういった思考回路があったのではないだろうか、と。
事件の前後でよく耳にした彼ら犯人に対する、死ぬなら一人で死ね、他人を道連れにするな、といった批判。これらに私は何とも言えない違和感を抱く。
私はこう言いたい。
面倒くさい事から逃げるな、と。そして、安易に答えを欲するな、と。
そういった凶行に走る事で彼らは一種の「結論」を得た。それはどこまでも独善的で、共感を得る事の極めて困難な結論である。そのようなつまらぬ「結論」に何の意味があろう。
また、最近耳につく、何とも不愉快な言葉に「自己責任」というものがある。
今の自分の状況が悪いのは、あくまでも自分が悪かったから。全ては自己責任だ、と。
それはそれでどうだろう。
自分を納得させ、いじける為の論拠となる、ただそれだけの為のつまらぬ「結論」ではないだろうか。
いずれにしても同じ事だ。安易に結論に逃げているだけではないのだろうか。
結論を回避する事、これは極めて「面倒くさい」。しかし、その面倒くささからは逃げてはならぬ。
今しているこの努力が何に結びつくのだろうか。こんな日常を繰り返した挙句に、どんな未来が待っているというのか。
そういった自問に、容易く自答などしてなるものか。兎にも角にも、面倒くさい日常を、私たちは生きていかなくてはならない。
今回、こういう事を書いた背景には、私が年賀状を未だに書いていない事からの自戒がある。
面倒くさい事を承知で、私は珍しく年賀状を書く事を心に決めた。遠方に住む人々にそれらは限るのであるが、私は未だに年賀状書きに取り組んでいない。
面倒くさいけれど、自分で書くと決めたのだ。
普段、お世話になっている遠方の方々にくらい、新年の挨拶でもしたらどうだ、と。
面倒くさい事から逃げてはならない。
年賀状書きを、始めよう。
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コメント
目の覚めるようなブルーの背景、きれ~~い☆
年賀状、面倒くさいですね。
おそらく ほとんどの人が面倒だと思っているのに いっこうになくならないですね。
私の独りよがりな偏見かもしれませんが、年賀状をきちっと出す人って 「折り目正しい生活を送っている人」って感じがします。
そういう意味で福島さんって 折り目正しい人 なんだなぁと思いました。
投稿: 桜 | 2008年12月26日 (金) 16時24分
今日さっき、年賀状書きました(笑)。雪が断続的に降り、積もったので…出すのは明日。出掛ける家族に託します。今年はワケ分かんない事とか書いて済みませんでした。…楽しかったです。来年もお邪魔すると思うので…嫌がらずによろしくお願いします。住所が分からないので福島さんには年賀状出せないです。あしからず!
投稿: のりまき | 2008年12月26日 (金) 17時35分
桜さんへ
折り目が正しい、というか…
普段あまりにいい加減なので、年賀状くらいきちんと出そうかな、という程度です。しかも遠方の人に計たったの八通でした(笑)
メールで挨拶っていうのも、何だかねえ。
投稿: ふくしまたけし | 2008年12月29日 (月) 11時32分
のりまきさんへ
東北地方は連日の雪のようですね。東京は雪が滅多に降らないので、ちょっと羨ましいです。
一年間読んで下さってありがとうございます。来年もきっとしょうもないですが、ご愛読下さいね。
投稿: ふくしまたけし | 2008年12月29日 (月) 11時37分