座学のすすめ
先生達の言いなりなんかにはならない、俺は自由に生きる、盗んだ牛車で走り出してやるぜ!
などとテイル崎リッチ的な事を口走って若者のカリスマを気取ってみたいものだが(最後の牛車は伊集院先生)、そんなに私は反抗的な人間ではない。
高校が大嫌いだった事を除けば、概して学校というものにさしたる嫌悪感も抱いていないし、教師と呼ばれる人々にも感謝の念こそあれ、抱く感情は嫌悪とはほど遠い。
故に、教師は束縛の象徴的存在、といったような文言を聞いても、私には今一つピンと来ない。束縛される事よりも、学ばされる事の方が圧倒的に多かった。そういった出会いの幸運、みたいなものが私にもあったのかも知れないけれど。
大学の時の思い出話を少し。
何人か、とても好きな教授がいた。大学教授という人達は、或る意味ではとても画一的に「変わり者」が多く、この人達大学教授になれなかったらどうなっちゃってたんだろうな、と親しみを込めた苦笑を禁じ得ない事もしばしばあった。
世間で言う所の、所謂英文科に私は在籍した。九年間も在籍したにも関わらず、私の英米文学に関する知識はゼロに近いし、英語力も壊滅的だ。先日、当ブログにも記したピアニスト・ランディウェストンとの邂逅の折にも、「あ、あ、あ、あ、アイはユーをリスペクトしてます。ベリーベリーマッチ。おーけー?」などとのたまう有り様である。英語力の無さは折り紙付きだ。
だが、大学で行われた授業の多くは、とても刺激的で非常に興味深かった。兎にも角にも自らの頭で考える事を強要され、当面でその場しのぎの「答え」は易々とは教えてもらえなかった。
特に記憶に残る教師が4人いる。
ジェイン・オースティンなどイギリスの女流作家の研究に秀でたN先生。
ジェイムズ・ジョイスの難解な世界に挑み続けるA先生。
英語学や言語学の大家であったY先生。
そして、ウィリアム・フォークナーの描き出した世界と向かい合うK先生。
彼らから教えられた事は、それこそ山のようにある。私は恐らく文学を愛してはいないが(私にとって重要な学問には違いないが)、彼らが私に語りかけた事は、未だに私の中で息吹いている。文学ではなく音楽を生業にしても猶、その息吹きは止まない。
彼らに語ってもらった言葉の中で、とても印象的な言葉がある。
「座学」、である。
文字通り、「座って学ぶ」という事だ。
私はここ最近、折に触れてこの座学の重要性を反芻する。
座学と対極にあるものは、演習だ。実地による経験。確かにそれは素晴らしい経験となりうるだろうし、じっと我慢する座学よりも面白味もあるだろう。
しかし、座学を出来なかった人間に本当に演習の面白さがわかるのだろうか。私は最近それを強く思う。
私自身は、恥ずかしながら座学を疎かにしてきた人間だ。書を捨てよ、街に出よう。そんな言葉の表層だけを切り取って、自身に安易なエクスキューズを与えていたに過ぎない。
座学とは、現在を見るものではない。過去を見るものである。そしてその過去と現在を照らし合わせる作業、ここまでが座学ではないだろうか、と私は思う。
過去は、莫大な情報量を持つ。勿論それらの情報は日々流転し、瞬く間に虚が実になり、実が虚になる。盲信的に過去に頼るのは危険極まりないが、過去について纏められたものを学び、虚実入り混ぜて自らの内に取り込む事は極めて重要な事だと考えている。
宮澤賢治の書いた言葉の中で、私の好きなものにブルカニロ博士の言葉がある。『銀河鉄道の夜』の第三次稿の中の言葉である。
「けれどももしおまへがほんたうに勉強して、実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えをわけてしまへばその実験の方法さへ決まれば、もう信仰も科学も同じやうになる」
ここで言う「ほんたうに勉強して」というのは、正しく座学の事を指しているのではないだろうか。分けるべき虚実を、まずは体内に取り込む事、それが全てに先んじるのではないだろうかと思うのだ。
私は、体系的に過去を見る事をしなさ過ぎた、と専ら後悔している。形の上だけでの現在を見る、そんな自分に酔っていたのではないだろうか。
後悔チンコ立たず。
しかし後悔から憐憫に移ってはいけない。
今まさに座学の時。
じっとこらえて、学ばなくてはならない。
我慢比べである。
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