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2008年11月 6日 (木)

『はじめの一歩』に見る現代的な「物語」

私が小学生であったり中学生であったりした頃、今からそう、20年から15年近く昔の事、今の小中学生と大差のないものに私たちは夢中になっていた気がする。

女の子たちは次第に子供から少しずつ大人になり始めていた気もするのだが、私たちクソガキはそんな事はお構い無しにプロレスの話題をしたり漫画の話をしたり野球の話をしたり。大学生になった辺りで、やっと少し背伸びをして大人の真似事を始めていたような気がする。

少し、そうやって少年時代を振り返ってみる。

先ほども挙げた漫画について。

私たちが少年の頃、少年漫画はある意味では隆盛の極みにあったのではなかったろうか、と思う。

少年ジャンプ、少年サンデー、そして少年マガジン。

発売日になると、小遣いを握り締めて漫画雑誌を買いに行った。そしてそれを貪るように読んだ。

私は上記三誌の中では、少年マガジンがとりわけ好きであった。当時は、今となってはほぼ壊滅してしまった「ヤンキー漫画」が盛んであった。『特攻(ぶっこみ)の拓』、『カメレオン』、『湘南純愛組』といった、暴走族が漫画の主人公に据えられる漫画が、当たり前に跋扈していた。暴走族を擁護する訳ではないが、そういった時流というのは、ある意味では健全であったのではないだろうか、とすら思う。単なる懐古主義であろうか。

「テメエ、‘バラ肉’にしちまうよぉ?」

などというセリフが普通に登場していたものなあ。

さて、私が少年マガジンを愛でていたのは、ヤンキー漫画にのみならない。『スーパードクターK』という、訳のわからぬ劇画タッチの医療漫画があった。闇の名医Kが、人々の為にメスを振るう、という、何処からどう見ても手塚治虫の『ブラックジャック』をパクった設定の漫画であったが、これが面白かった。私の心を捉えた。

そして、私は未だに毎週水曜日になるとコンビニに寄り、少年マガジンを立ち読みしてしまう。理由はその当時からずっと連載の続くボクシング漫画『はじめの一歩』を読む為だ。

昔から大好きなこの漫画であるが、先日漫画喫茶に立ち寄った際に数巻、立て続けに読んでみたが、やはり途轍もなく面白い。この『はじめの一歩』について少し書いてみたい。

いじめられっ子であった主人公の幕之内一歩がボクシングと出会い成長していく青春群像劇、と書くとあまりにもありきたりな設定に見えてくる。現在世界チャンピオンである内藤大介が、この漫画に影響を受けたのは有名な話である。

しかし、そのありきたりな設定を我々読者に飽きさせることなく読ませていく。作者の技量は流石のものであると唸らせられる。

現代的な「物語」の特徴の一つの類型を、私は「一歩」にも見る。

それは「ガンダム」から「エヴァンゲリオン」、そして「もののけ姫」などにも見られる構図である。

勧善懲悪の意図的な排除。現代的な「物語」においては、最早これがスタンダードになりつつある、と私は感じている。

つまり、「わかりやすい悪役」というものが存在しなくなっている。主人公である正義の味方が、悪役を倒して目出度し。そういう物語は、現在ほぼ見られないと言っても過言ではないのではないだろうか。

「一歩」においてもそうである。主人公幕之内一歩と対戦するボクサー達には、それぞれの「事情」があり、そういった細部を綿密に描く事により、一歩が勝利する事、その事を「正義の勝利」と位置付けるのではなく、純然たる「スポーツとしての勝利」へと昇華する事に成功している。

それぞれの人々にそれぞれの事情がある。そこを排除してしまう事は、最早物語としてのリアリティを損なう、という事なのだろうか。

過日、アメリカ合衆国の大統領選挙においてオバマ氏の大統領就任が確実となった、との報道を見た。

前大統領は、「わかりやすい悪役」を作り出す事の随分と好きな人であった。そして自らが「正義の味方」を演じる事をも。今回のオバマ氏はどうだろうか。

これまでのような「勧善懲悪」の茶番劇は、やめていただきたい。

最後にちょっと社会派を気取ってしまったので、恥ずかしいからもう今日は書くのをやめる。

一歩、マジ面白いよ。

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