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2008年10月16日 (木)

敗北から立ち直る為に

敗北は時に人を成長させる。成功よりも失敗から、勝利よりも敗北から人は多くの事を学ぶのかも知れない。誰もがみなそうだ、とは断言出来ないが、少なくとも私はそうだ。

無論、二度三度と同じ過ちを繰り返す事だってある。前回の失敗であれほど悔しい思いをした筈なのに、何故再び、と自らを責める。例えば演奏においてもそういった事はあるし、当然それ以外の日常生活にもそういった負の連鎖反応は存在している。

私はそれほど学習能力が高くない。自覚した上で、一つの失敗や敗北から、出来うる限り多くの事を学び取りたい、と願うのだ。つまり、結果としてどうなるかは別にせよ、一度の過ちを繰り返さぬようそれに向けた最大限の努力をしよう、と。

そうやって前を向く事で人間は成長する。勿論それが成長する為の全ての手段だとは思わないが、確実に有効な手段の一つだ。成長し、向上する為に前を向こう、私はよくそう考える。

しかし、敗北や失敗があまりに重大であった場合、つまり自らの理解の範疇を遥かに凌駕した重大な敗北であった場合、我々人間は前を向くよりも先に、下を向き俯く。茫然自失とし、自らの無力さに狼狽する。その場しのぎの苦笑いでお茶を濁し、力無くその場を後にする。前を向く余裕など、遥か彼方へと消失してしまう。

つい先日、私はそのような決定的な敗北と遭遇した。やはり、私に出来る事は力無くうなだれる事だけだったのだが、その顛末について少し書いてみたい。

私は、完膚無きまでに敗北した。負け犬扱いをされても何の反論も出来やしまい。

過日の事である。私はレッスンとレッスンの合間の時間を二時間ほど持て余していた。時刻にして午後三時を少し回ったぐらいではなかったろうか。空腹を感じていた。その為に、胃の辺りに違和感が生じていた。今現在は確かにダイエット中であるが(私が絶賛肥満中のため)、これは何かを食べなくてはならない、食べずにはいられない。そんな事を思った。

ふと、視線の先に吉野家を見た。牛丼の吉野家、である。橙色の佇まいを距離を置いて眺めながら、牛丼も悪くないではないか、私は心中でそう独りごちた。

夜明け間際の吉野家では、化粧の剥げかけたシティガールと、ベイビーフェイスの狼たち、肘をついて眠る

そんな歌の文句が脳裏をよぎった。中島みゆきの「狼になりたい」である。思い通りにならない現実に鬱屈とし、うんざりしながらも、ただ一度狼になる事を夢見る人間の心情を描いた佳曲である。「狼になりたい」発表当時の中島みゆきは、そういった或る意味では土臭い人間ドラマを描く事を得意としていた。彼女の作り出すやり切れない人間交差点に私は幾度も嘆息を漏らしたものだ。

私は吉野家へと歩みを進めた。昼間俺たち会ったら、お互いに「いらっしゃいませ」なんてな。そんな鼻歌を歌いながら。

吉野家へと近付いた私は、ある衝撃に慄然とした。それは普段決して感じる事のない、非日常的な衝撃であった。足を竦め、店内に入る事を一瞬躊躇う程であった。

「牛丼80円引き」

そのコピーに私は慄然とした。

80円、である。つまり普段380円の牛丼並盛りが300円という衝撃の価格で提供されているのだ。無論、品質はいつもの安心クウォリティで、だ。何たる衝撃。今日は卵に加えて味噌汁も……!頼んじゃうか……、そんなものも……!何なら御新香も……!私の心はと福本伸行調に小躍りした。

店内に入ると、そのキャンペーンを知らせるポスターが貼ってあった。俳優の佐藤隆太が「牛丼食いてえー!」という本能に忠実なコメントを吐いているという構図のポスターである。私はそのポスターに甚く共感を示した。

「牛丼食いてえー!」?

如何にも。

ああ、私も食いたい。その為にここにやってきたのだ。繰り返して言う、私は牛丼を頼む為に今ここにいるのだ、と。

「牛丼並、つゆだくで、あ、あと卵も下さい」

私は斯様に注文を済ませた。もう、この時点で様々な事象の歯車は狂い始めていたのかも知れない。有名な「吉野家コピペ」が言うように、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ、ボケが、という声がどこかで聞こえていたのかも知れない。私はその声を聞き逃したのだ。小一時間問い詰められていれば良かったのだ。

注文を済ませてから、そうだ、トイレに先に行っておこうと思った私は、席に荷物を置いたまま席を離れた。トイレで用を足し、ものの1分少々で私は席へと戻った。荷物は相変わらずそこにあった。主人である私の帰りを忠実に、待ち続けていたかのように。余談だが私は最近、どこへ行くのにも鞄は40リットルのバックパックを使用している。「どこに旅行に行くんだ」などと揶揄される事も少なくないが、電車の中で多少邪魔になってしまうというデメリットを除けば、バックパックは非常に便利なのである。譜面を大量に持ち運ぶ事も可能だ。着替えを入れておく事も出来る。公園で昼寝、などとなれば枕にもなってしまう。何より20kg近いバックパックを常に背負って歩き続ければ、それ相応のダイエット効果というものも期待できるであろう。本当に、バックパックにはメリットだらけだ。その、バックパックが席に置かれたままになっていたのだ。

私が席に戻ると、程なくして牛丼がやってきた。暖かそうな湯気と共に、牛丼の匂いが鼻をつく。私の食欲も頂に随分と近付いていた。

逸る気持ちを抑えて、私はまず卵を溶いた。その卵には、ほんの少しだけ醤油を垂らす。白身と黄身がよく混ざるように、念入りに卵を溶いた。

卵を溶き終わったら、今度は牛丼に上から唐辛子をかける。私はこの唐辛子をたっぷりとかけるのが好きなのだ。辛いものが好き、というのも勿論あるのだが、吉野家の牛丼にはこの唐辛子がよく合う、と私は思っている。秋刀魚の塩焼きには、酢橘と大根おろしがよく合うように、吉野家の牛丼には七味唐辛子、これである。

たっぷりと唐辛子をかけたならば、上から溶き卵を豪快に垂らし、紅生姜を少し添えたならば実食開始である。

一口、二口と牛丼を口に運ぶ。相変わらずの牛丼の美味さに舌鼓を打っていると、私の左隣と右隣に一人ずつの来客があった。

私の左手には、如何にもといった風情のサラリーマン、少し禿げていて、眼鏡をかけている。少し撚れたスーツがとてもよく似合っていた。こういう男は或いは心の奥に牙を潜めたりしているのだろうか、そう私は感じていた。

右手にやってきたのは、これまた如何にもな現代風の男である。所謂、チャラ男、とでも言おうか。携帯電話をいじりつつ、虚ろな目をさせながら店内へと入ってきた。

繁盛しているではないか、80円引きセール中だものな、そりゃあ、みんな来るよな。

私もそう感じながら、牛丼を続けて口に運ぼうとした。

その刹那、まさしくその刹那、である。

「・・・・・・うがやきていしょく」

?私は我が耳を疑った。

俄かに聞き取れなかったのは私だけではなかったようで、店員が再度聞き直した。私の右手にいた男は相変わらず携帯電話を弄りながら再度言った。今度は、はっきりと聞き取る事が出来た。

「豚生姜焼き定食」と。はっきりと。

すわ、貴様、何を考えているのだ。

私は狼狽したのを鮮明に覚えている。現在キャンペーン期間中なのは、牛丼関連商品だぞ?豚生姜焼き定食はキャンペーンの外なのだぞ?と。

畳み掛けるように左手のサラリーマンから驚愕の言葉が飛び出した。

「豚丼、大盛り、卵」

一体今ここで何が起きているというのだ?私は訝しがり、そしてうろたえた。

当然の事であるが、豚丼もキャンペーンの範疇ではない。大盛りにして430円、つまり普段480円の大盛り牛丼が80円引きにして400円になっている事を勘案すると、価格にして牛丼<豚丼という不等式が出来上がっているのだ。それなのに、「敢えて」の豚丼である。

私は意識は朧ろ、目も虚ろという精神状態であった。直感的に、これは最早サービスを享受しているしていない(つまり80円引きの恩恵を受けている受けていない)といった事の差ではなく、人間としての差である事を悟っていたからだ。

禿げたサラリーマンと若いチャラ男には、「80円引き?それがどうした」という、動かぬ岩のような強靭な意志が存在したが、私にはそれがなかった。つまり、踊らされていたのだ。人間としての敗北、である。完膚なきまでに敗北した。

右手のチャラ男が私を一瞥した。

「牛丼?センスわりーっすね、マジ超ウケルんですけど。男ならさくっと豚生姜焼きでしょ?マジありえねーっていうかー。ウケル。80円如きで浮かれててチョーめでてーっすね、サーセン」

と言った(ような気がした)。私は自らの手の内にあった牛丼を隠したかった。

左手のサラリーマンもそれに続いた(ような気がした)。

「おやおや、牛丼かね。80円引きだからといって喜んでやって来たんだろう、そんな君の顔が目に浮かぶよ。まあ良いではないか、80円で幸せが買えて、夢が買えるんだから、君は安上がりだよ。だがしかしね、私は君に問いたいが、君は果たして本当に牛丼を食べたかったのかね?私は君が周りに流されるように牛丼を食べているようにしか見えないのだがね。」

そんな事を言った(ような気がした)。

そうやって言われてみれば、私は実際の所、本当に牛丼が食べたかったのかどうかが自分でも怪しく感じてきていた。ひょっとして私の食べたかったものは、どこか別の所にあるのではないか?私はこれで良かったのか?めくるめく自問自答であり、自己批判である。この問題に対する総括がまるで足りていない。総括不足の私に殴るという指導を加えてほしいほど、私の自尊心はぼろぼろであった。

結局はね、器(うつわ)ですよ、器。

どこからか、そんな声が聞こえてきた(ような気がした)。

人間としての、器。

魔女の血、絵描きの血、パン職人の血、神様か誰かがくれた力なのよね。と言ったのは『魔女の宅急便』のウルスラであるが、神様は私にとびきり小さな人間としての器を用意してくださった。凡そ、お猪口の裏ぐらいの大きさの器である。

80円で動く人間、80円では動かない人間。

世の中にはその2種類しかいない。私は動いてしまった。つまり、私の自尊心は80円程度の価値しかないのだ。私は、80円で買える。買えてしまう。

唇をかみしめて、汚辱にまみれながら私は牛丼を完食した。

350円の会計を払って店を出る。店を出る時に、チャラ男が「ちっちぇー!あいつマジでアナルの穴がちっちぇー!」と叫んでいた(ような気がした)。

サラリーマンも「うむ、それだけではない。オオイヌノフグリ、のオオイヌノの部分を取った部分も小さいに違いない。何せ80円で買えてしまう男だからな、あの男は。」と続けた(ような気がした)。

店員もそれに合わせて「あれだけ器の小さな人間、久しぶりに見ましたわ、ホンマびっくりですわ、クリビツテンギョーですわ」と反応した(ような気がした)。何故か大阪弁であった(ような気がした)。

うなだれて帰路に着く私の頬を、少し冷たくなった10月の風が撫でた。

もうじき冬が来る。

私にも、冬がやってくる。

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