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2008年10月

2008年10月31日 (金)

過去の堆積である現在

ブログ、というものを書き始めて凡そ三年になる。始めた当初はここまで続くとは考えてもいなかった。一年ももてば良いか、というぐらいで。ここに書き散らかされている文章の質の低さを考慮に入れなければ、我ながら本当によく続いているなと感心する。続ける事は、本当に大事な事なのだ。音楽などは、その最たるものであろうけれど。

比べるのはどうかと思うが、一人の女性と三年も付き合った事はない。恐らく私が20代の前半の時分に付き合っていた「ミヒロさん」が、私がこれまでに一番長く付き合った女性であろうと思う。二年と半年くらいではなかったろうか、と思うのだが、どうだったろうか。

その「ミヒロさん」とは、今年の4月だか5月だかに、共通の友人の結婚式でばったりと再会した。変わらず明るい彼女であって、「ああ、相も変わらず良い女ですな」と私は彼女に面と向かって言った記憶がある。「花の慶次」的なイディオムを使えば、「匂い立つような女ぶり」という事になる。私は彼女を口説きたかった訳ではないのだが、平気でそういう事をぺらぺらと口にする所がある。拭い難きカルマとしか説明はつかない。

全ては「過去」の事で、私には今はその時とはいささか事情の異なる「現在」がある。過去の堆積が現在である事に何の疑いの余地も無いが、時間は不可逆であり、現在と過去は決して同居しない。ミヒロさんと私とは、二度と人生を交錯させる事はない。そんな事を比較的直観的に、そして極めて無根拠に思うに至った。

人生足別離。

さよならだけが人生だ。

それはそれで良いではないか、と。

斯様に、ミヒロさんとの思い出は私の中で随分と美しい過去の物語として記憶されている。実際に付き合っていた時は、愉しい事ばかりではなかったが、後から振り返ればそういうものだ。

こんな事を思い出しながら呑む酒は、切ないながらも美味い。暗く乱雑なバーで、過去の美しい恋の話を思う。マスター、そこにあるボンベイサファイアをロックでいただけますか。ジンの薫りが鼻腔をつく。決して弱くはない酒だが、すうっと喉をくぐり、食道を通って胃を濡らす。一つ、大きくため息をつく。

一連の所作。中井貴一辺りが演じれば、情感溢れるシーンとなりそうだが、あまつさえ私のような面白ピクニックフェイスが演じても、それなりに形になってしまう。つまり完全に状況設定の勝利である。恐らくはザブングル加藤、バナナマン日村といった辺りが演じても、同様だろう。

昔の恋を思い出すザブングル加藤
Katou

ジンを呑んで深くため息をつくバナナマン日村
Himura

といった具合である。なかなかの塩梅だ。

昔の事は美しく見える。往々にしてそうかもしれない。私たちが生きている「今」は、それぞれに苛烈で、時に優しくない。それら全てがそのままリアルであり、私たちは皆その「リアル」を受け入れる事無しに「今を生きる」事は許されないのだから。それゆえに、私たちは過去を美しくする傾向にある。

Things ain't what they used to be.

もう昔のようにはうまくいかないよ。昔は良かったね。そんな言辞を弄びながら。

(ちなみに本日は、「何かに特化したブログって良いよね」みたいな事(ラーメンブログ、釣りブログとか)を書こうと思ってた書き始めたのだけれど、書いている内に話があらぬ方向に飛んでいってしまった。もう修正は不可能です。MAGI、制御不能を示しています。このまま前進を続けます)

そんな私でも、ひたすらに醜くしか思い出せない過去と言うものもある。確か、ミヒロさんの後に付き合った女であったが、別れた際には、「ああ、これでまた一つの恋が終わってしまった」と感傷に浸るどころか、「助かった!マジ助かった!危なかった!」と安堵したのを覚えている。

相手を仮に名前をA子としようか。

私が寝ている時、顔の傍らに何かの衝撃を感じた。

そこには、つまり枕の横の布団の部分には、鋭く銀光りする棒状のもの、もっと分かりやすく言えば、包丁が刺さっていた。A子が般若の形相で私を見下ろしていた。

その時私はドラクエの作戦であった「いのちをだいじに」を思い出した。まずい、私はベホイミもザオリクも使えないというのに、さまようよろいが私の命を狙っている。そう直感した。

たたかう
→にげる
まほう
どうぐ

たけしはだっとのごとくにげだした!

しかしAこにまわりこまれてしまった!

たたかう
→にげる
まほう
どうぐ

しかしまわりこまれてしまった!

以下略。

途轍もなくバイオレンスな日々であった。

私がツアーに出かけている最中に、A子から三行半のメールが来て、「やった!これでオレは自由だ!革命成功!万歳!」と私の中の革命戦士たちが雄叫びを上げたが、ツアーから家に帰ってみると、家の中のものが軒並みなくなっていた。

どうやら新しい男と私の家の中に入り、私の家をその男と共に荒らしていったようだが、そんな事でも構わない!やっとこれで私も自由に!とひどく喜んだのを覚えている。あんな恋愛はもう二度としたくない。

そういった過去があって今がある。先ほども途中に書いたように、今日は徒然に書き始めたが、着地点は全く見えていなかった。

私は今が好きだ。

はい、着地成功。

10点満点。

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野菜炒めをつまみにレモンハイを呑みつつ

ラーメン屋、「日高屋」における深夜の独り酒というのは、なかなかに「ク」る。

どこに「ク」るかと言えば、具体的にはコメカミの辺りだ。精神的頭痛、というものをご存知だろうか。即物的な頭痛ではないが、ダメージ(或いは破壊力)は桁違いだ。

こういう真似を進んでしている私には、やはりどこか自己加虐的な性質が潜んでいるのだろうか。いるのかも知れぬ。

痴れ者のように呆けながら周囲を俯瞰して飲み続けるのにもすっかり飽きてしまい、携帯電話を片手にこうしてブログの更新である。確かに暇潰しとしては有効なのかも知れぬが、独りで日高屋で呑みながら携帯からブログ更新など、終局性を更に増すだけだという事は、わかっていてもわからないフリだ。

痛々しいだと?

気持ち悪いだと?

あー、聞こえない。俺は俺を肯定する。繰り返す。俺は俺を肯定する。(モンちゃん)

↑毎度お馴染みの自意識過剰劇場だ。見ていくんなら金を払え!

店内のBGMの有線から「ポニョ」の歌が流れ始めた。迷惑極まりない。いたいけな少女の歌を、このような世界の果てで深夜一時に流す事。何の意味があるのだろうか。私は今は鳥羽一郎か前川清か中島みゆきの歌しか聴きたくないのだ。早く少女の歌など終わらぬであろうか。

終わった。

無論終わったのは歌だけではないのだけれど。

そう言えば今日、mixiというサイトに初めて自分のソロピアノの音源を晒してしまった。

私はやはり自己顕示欲が人並み外れて強いのだな、と改めて実感した。

もっと私を見てほしい。もっと注目してほしい。

何だそれ。

反吐が出る。

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2008年10月29日 (水)

珍しく自分のライブを振り返る

過日、アーリーバード亀沢にてのラストパフォーマンス、お陰様で盛況でした。

珍しく随分と緊張していて、硬かった部分もあったのですが、そういった緊張感の中で演奏させていただく喜びを噛み締めながら演奏が出来ました。すごく自分勝手な事を言ってしまえば、「やっていて愉しかった」です。

こうして過ぎた自分のライブの事を文章にして振り返るという事はこれまで皆無だったのですが、今回は振り返ってみます。

普段、ソロの時は、「その日の気分」みたいなものを大事にしたいので、曲目は本番直前まで殆ど決めません。本番10分前に、譜面をざっと出して、「この辺かな」というアバウトな感じです。やりながら修正もします。「この曲はやっぱりやめとこう」とか、「あ、今思い出したあの曲をやろう」みたいに、かなり大雑把な枠組みの中でやっています。それに対応する為には、普段から色んな曲を練習しておかなければならない訳ですし、譜面も大量に持ち歩いていないといけません。なので知っている方は知っているのですが、ぼくはライブにはかなりの量の譜面を持参します。自分が急にやりたくなった時の為と、リクエストを受けた時の為、なんですけど。

今回も、大量の譜面は取り敢えず持参していたのですけれど、曲目に関してはほぼ9割方、予め決めていました。そのライブに向けての練習、という事もしたかったので。

それで、珍しくセットリストのメモが残っていましたので、初めての試みですが、ライブの時に何の曲をやったのかという事を記していってみます。

以下。

1st Set
1.Blue Bolero (Abdullah Ibrahim)
2.The Jitterbug Waltz (Thomas ‘Fats’ Waller)
3.A Night in Tunisia (Dizzy Gillespie)
4.Caravan (Duke Ellington)
5.荒城の月(滝廉太郎)
6.What a Wonderful World (George Weiss / Bob Thiele)
7.John Brown's Body (Tradditional)

2nd Set
1.It's a Sin to Tell a Lie (Billy Mayhew)
2.Everything Happens to Me (Matt Dennis)
3.Little Niles (Randy Weston)
4.草原の風(福島剛)
5.ふるさと(岡野貞一)
~Georgia on My Mind (Hoagy Carmichael)
6.Ganawa ‘Blue Moses’ (Randy Weston)
7.Kite Flying (福島剛)

てな感じです。ぼくの中では「かなりコテコテの選曲」のつもりです。

自分のための記念として録音もしておいたのですが、小ッ恥ずかしくてまだ聞いていません。ミストーンもいっぱい出したしなあ。今度お酒を呑んだ時にでも聞いてみよう。酒が不味くなるかな。

その録音を聞いてみたい、という奇特な方がいらっしゃれば、連絡を下されば、パキスタン人の絨毯売りもビックリのぼったくりプライスで売りつけてあげます。

や、それは冗談ですけれど。

来ていただいた方、励ましのお言葉を頂いた方、本当にありがとうございました。

それから、マスターの池田さん、取り敢えずはお疲れ様でした。お世話になりました。また、お世話になると思います。

さて、11月と12月は殆どライブはやりません。ひたすらに練習しようと思います。いっぱいやりたい練習があって、その為にライブを2ヶ月間、極端に減らしてみました。収入源がレッスンのみになってしまうので、年内は貧乏確定です。構いません。

年が明けた時には、今とは少し違う演奏がお聞かせ出来れば、と思います。

さあ、練習練習。

じゃあの。

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2008年10月22日 (水)

少し寂しいけれど

今週末、錦糸町アーリーバード(亀沢店)でソロピアノのライブをします。

このお店に出演するのは、今回で最後です。

というのも、お店が今月いっぱいで閉店になるとの事。聞いたのは前回のライブの時だったので二週間近く前になりますが、やはりショックでした。

この店でのソロピアノ、約一年でしたが本当に愉しくやらせてもらいました。

「これこれこういう曲をやってくれ」

「もっとスタンダードをいっぱいやってくれ」

「もっと静かにBGMっぽくやってくれ」

ソロピアノのライブ、或いは営業の時には大抵そういった注文を受けます。それはそれで別に腹が立つ、といった事は殆どありません。仕事ですから。求められた要求に応えていく、というのも仕事においては大事な事だと思います。

けれど、ここのお店ではそういった事は一度たりとも言われた事はありません。「ここをこうするともう少し良いんじゃないのか」や「今日のここが良かった」などとアドバイス、励ましのような事を言われた事は何回かありますが、基本的には「君の好きなようにやってくれ。君の演奏が好きだから」と、何ともありがたい事に、好き勝手やらせていただきました。それが結果として良かったのか悪かったのか、という事はぼくにはいまいち測りかねますが、やはり途轍もなく嬉しい事に違いありません。

ミュージシャンとして、或いは一人の社会人として認めていただき、尊重していただき、自由にやらせていただける。責任は重大ですが、当然、やりがいを感じます。こんなに嬉しい事はありません。

このお店がなくなってしまう事で、そうして自由にソロピアノの演奏をさせていただけるのはしばらくは無いのかな、と思うと、どうしても寂しくなります。

マスターの池田氏には、心から恩義を感じております。

このお店では最後のパフォーマンスです。是非、お越し下さい。

10月26日(日)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
20:00~start music charge:2000円(1ドリンク・おつまみ付)

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2008年10月20日 (月)

暇だからにっきなんて書いちゃう。

たまには普通の日記を書こうかな、と思って徒然にキーボードを叩く。

今日、Amazonという極悪買い物サイトからCDが届いた。最近このAmazonを頻繁に使ってしまう。このサイトは宜しくない。クリック一つでものが買えてしまう。つい色々ほしくなってしまうが、我慢。今回注文したのはランディ・ウェストンのCD一枚だけ。だから大丈夫。

そのランディ・ウェストンのCDをパソコンに取り込んでいる合間に簡単に日記を。

朝、若干の二日酔いで起きたけれど、今日は昼間は色々しなくてはいけない事があったので頑張って動き出した。

まずは寝ぼけつつも銀行へ。銀行のカードが古くなっていて、この間触っていたらぽきっと折れてしまった。再発行の手続き。通帳も昔なくしてしまったので、通帳も再発行の手続き。2000円ほど取られる。高いなあ。何で金を預けるような所にこんなに金を払わなきゃいけないんだと思いながらも渋々払う。

小一時間、色んな書類に言われるがままにサインしまくってやっと終わり。もうこれだけで随分ぐったりと疲れる。

もう昼だしメシでも食うかな、と蔵前通りを自転車で走らせてラーメン屋の「三都屋(みとや)」に向かうも定休日。残念。無念。知念里奈。

近くの小岩図書館へ赴き、様々なアフリカ音楽のCDを借りる。これはタダ(無料)。やっぱり図書館は良いなあ。このCD達もパソコンに入れとかなきゃ。

さて、仕方がないので次の用事、観念して病院へ向かう。最近酷くなってきている喘息の様子を見てもらいに。

結局薬を飲み続けなきゃいけないようで、約一か月分の薬を出してもらう。ものすごく大量。全部合わせて7000円近くする。高過ぎる。ふざけんな。病気でこんなに金がかかっててどうするんだ。

あまりに今日は散財デーだな、と思い、ムカついて帰りにラーメンを食べに「麺食屋‘澤’」へ。つけ麺を食べる。ものすごく美味い。機嫌も少しは良くなる。

家に帰ってランディのCDをパソコンに取り込んで、という所で今に至るのだけれど、取り込みが終わったのでパソコンやめにします。これからランディのコピーをします。

あ、そうだ、近日中に詳しくブログにアップしますけど、今度の日曜日、26日かな、アーリーバード亀沢店でライブします。これはちょっと特別なので、皆さん予定空けておいて下さい。宜しく。

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2008年10月18日 (土)

誰も気付いてくれないので

こうしてブログなんぞを書いている連中というのは、総じて恥ずかしいほどに自己顕示欲が強い連中だと思っている。

面白い私の日常を見て。

面白い私の文章を読んで。

過半数、いや、それらの殆どはひどくつまらないのだけれど。

私とて例外ではない。つまらぬ駄文をインターネット上に書き散らかし、悦に浸っている。前回のエントリーであった吉野家での攻防の一件、何だ、あの尋常ならざる長さの文章は。正気の沙汰とは思えない。

繰り返しになるが、それらを書き散らかす全ての根源は、「もっと自分を見て(知って)もらいたい」という宿便の如き業(カルマ)から来るのである。

嘗て、惣流・アスカ・ラングレーという偉い人が「だから、私を見て!」と振り絞るように言った。「あんたバカァ?」とも言ったのだが、それは関係ないので割愛する。

見てもらいたい、という欲望、自己顕示欲は、最大限に好意的に受け止めるならば「人と関わりたい」という前向きな欲求だ。そう捉える事も出来る。

無論、わかり合えない。焦燥は深まり、孤独は増す。それでも人は発信し続ける。そんなくだりが『カイジ』の中にもあった筈だ。

私も、このブログを書いていて、お読みの諸兄姉に気付いていただきたい一点があったのだが、誰も気付いてくれないので自ら指摘をすることに決めた。

それは

最近、私が自らのライブスケジュールをブログにて更新する時、タイトルにかなりの高確率で長渕剛の歌の歌詞を引用している事にどうして誰も気付いてくれないんだ!

ねえ、気付いてよ!気付いてよ!

ぼくを見捨てないで!ぼくを殺さないで!

嫌い!嫌い!みんな嫌い!だいっキライ!!!

目標をセンターに入れて・・・スイッチ。目標をセンターに入れて・・・スイッチ。目標をセンターに入れて・・・スイッチ。

という事で今日はリアルガイキチ風味にお届けいたしました。

ああ、LCLの海に還りてえなあ。

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2008年10月16日 (木)

敗北から立ち直る為に

敗北は時に人を成長させる。成功よりも失敗から、勝利よりも敗北から人は多くの事を学ぶのかも知れない。誰もがみなそうだ、とは断言出来ないが、少なくとも私はそうだ。

無論、二度三度と同じ過ちを繰り返す事だってある。前回の失敗であれほど悔しい思いをした筈なのに、何故再び、と自らを責める。例えば演奏においてもそういった事はあるし、当然それ以外の日常生活にもそういった負の連鎖反応は存在している。

私はそれほど学習能力が高くない。自覚した上で、一つの失敗や敗北から、出来うる限り多くの事を学び取りたい、と願うのだ。つまり、結果としてどうなるかは別にせよ、一度の過ちを繰り返さぬようそれに向けた最大限の努力をしよう、と。

そうやって前を向く事で人間は成長する。勿論それが成長する為の全ての手段だとは思わないが、確実に有効な手段の一つだ。成長し、向上する為に前を向こう、私はよくそう考える。

しかし、敗北や失敗があまりに重大であった場合、つまり自らの理解の範疇を遥かに凌駕した重大な敗北であった場合、我々人間は前を向くよりも先に、下を向き俯く。茫然自失とし、自らの無力さに狼狽する。その場しのぎの苦笑いでお茶を濁し、力無くその場を後にする。前を向く余裕など、遥か彼方へと消失してしまう。

つい先日、私はそのような決定的な敗北と遭遇した。やはり、私に出来る事は力無くうなだれる事だけだったのだが、その顛末について少し書いてみたい。

私は、完膚無きまでに敗北した。負け犬扱いをされても何の反論も出来やしまい。

過日の事である。私はレッスンとレッスンの合間の時間を二時間ほど持て余していた。時刻にして午後三時を少し回ったぐらいではなかったろうか。空腹を感じていた。その為に、胃の辺りに違和感が生じていた。今現在は確かにダイエット中であるが(私が絶賛肥満中のため)、これは何かを食べなくてはならない、食べずにはいられない。そんな事を思った。

ふと、視線の先に吉野家を見た。牛丼の吉野家、である。橙色の佇まいを距離を置いて眺めながら、牛丼も悪くないではないか、私は心中でそう独りごちた。

夜明け間際の吉野家では、化粧の剥げかけたシティガールと、ベイビーフェイスの狼たち、肘をついて眠る

そんな歌の文句が脳裏をよぎった。中島みゆきの「狼になりたい」である。思い通りにならない現実に鬱屈とし、うんざりしながらも、ただ一度狼になる事を夢見る人間の心情を描いた佳曲である。「狼になりたい」発表当時の中島みゆきは、そういった或る意味では土臭い人間ドラマを描く事を得意としていた。彼女の作り出すやり切れない人間交差点に私は幾度も嘆息を漏らしたものだ。

私は吉野家へと歩みを進めた。昼間俺たち会ったら、お互いに「いらっしゃいませ」なんてな。そんな鼻歌を歌いながら。

吉野家へと近付いた私は、ある衝撃に慄然とした。それは普段決して感じる事のない、非日常的な衝撃であった。足を竦め、店内に入る事を一瞬躊躇う程であった。

「牛丼80円引き」

そのコピーに私は慄然とした。

80円、である。つまり普段380円の牛丼並盛りが300円という衝撃の価格で提供されているのだ。無論、品質はいつもの安心クウォリティで、だ。何たる衝撃。今日は卵に加えて味噌汁も……!頼んじゃうか……、そんなものも……!何なら御新香も……!私の心はと福本伸行調に小躍りした。

店内に入ると、そのキャンペーンを知らせるポスターが貼ってあった。俳優の佐藤隆太が「牛丼食いてえー!」という本能に忠実なコメントを吐いているという構図のポスターである。私はそのポスターに甚く共感を示した。

「牛丼食いてえー!」?

如何にも。

ああ、私も食いたい。その為にここにやってきたのだ。繰り返して言う、私は牛丼を頼む為に今ここにいるのだ、と。

「牛丼並、つゆだくで、あ、あと卵も下さい」

私は斯様に注文を済ませた。もう、この時点で様々な事象の歯車は狂い始めていたのかも知れない。有名な「吉野家コピペ」が言うように、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ、ボケが、という声がどこかで聞こえていたのかも知れない。私はその声を聞き逃したのだ。小一時間問い詰められていれば良かったのだ。

注文を済ませてから、そうだ、トイレに先に行っておこうと思った私は、席に荷物を置いたまま席を離れた。トイレで用を足し、ものの1分少々で私は席へと戻った。荷物は相変わらずそこにあった。主人である私の帰りを忠実に、待ち続けていたかのように。余談だが私は最近、どこへ行くのにも鞄は40リットルのバックパックを使用している。「どこに旅行に行くんだ」などと揶揄される事も少なくないが、電車の中で多少邪魔になってしまうというデメリットを除けば、バックパックは非常に便利なのである。譜面を大量に持ち運ぶ事も可能だ。着替えを入れておく事も出来る。公園で昼寝、などとなれば枕にもなってしまう。何より20kg近いバックパックを常に背負って歩き続ければ、それ相応のダイエット効果というものも期待できるであろう。本当に、バックパックにはメリットだらけだ。その、バックパックが席に置かれたままになっていたのだ。

私が席に戻ると、程なくして牛丼がやってきた。暖かそうな湯気と共に、牛丼の匂いが鼻をつく。私の食欲も頂に随分と近付いていた。

逸る気持ちを抑えて、私はまず卵を溶いた。その卵には、ほんの少しだけ醤油を垂らす。白身と黄身がよく混ざるように、念入りに卵を溶いた。

卵を溶き終わったら、今度は牛丼に上から唐辛子をかける。私はこの唐辛子をたっぷりとかけるのが好きなのだ。辛いものが好き、というのも勿論あるのだが、吉野家の牛丼にはこの唐辛子がよく合う、と私は思っている。秋刀魚の塩焼きには、酢橘と大根おろしがよく合うように、吉野家の牛丼には七味唐辛子、これである。

たっぷりと唐辛子をかけたならば、上から溶き卵を豪快に垂らし、紅生姜を少し添えたならば実食開始である。

一口、二口と牛丼を口に運ぶ。相変わらずの牛丼の美味さに舌鼓を打っていると、私の左隣と右隣に一人ずつの来客があった。

私の左手には、如何にもといった風情のサラリーマン、少し禿げていて、眼鏡をかけている。少し撚れたスーツがとてもよく似合っていた。こういう男は或いは心の奥に牙を潜めたりしているのだろうか、そう私は感じていた。

右手にやってきたのは、これまた如何にもな現代風の男である。所謂、チャラ男、とでも言おうか。携帯電話をいじりつつ、虚ろな目をさせながら店内へと入ってきた。

繁盛しているではないか、80円引きセール中だものな、そりゃあ、みんな来るよな。

私もそう感じながら、牛丼を続けて口に運ぼうとした。

その刹那、まさしくその刹那、である。

「・・・・・・うがやきていしょく」

?私は我が耳を疑った。

俄かに聞き取れなかったのは私だけではなかったようで、店員が再度聞き直した。私の右手にいた男は相変わらず携帯電話を弄りながら再度言った。今度は、はっきりと聞き取る事が出来た。

「豚生姜焼き定食」と。はっきりと。

すわ、貴様、何を考えているのだ。

私は狼狽したのを鮮明に覚えている。現在キャンペーン期間中なのは、牛丼関連商品だぞ?豚生姜焼き定食はキャンペーンの外なのだぞ?と。

畳み掛けるように左手のサラリーマンから驚愕の言葉が飛び出した。

「豚丼、大盛り、卵」

一体今ここで何が起きているというのだ?私は訝しがり、そしてうろたえた。

当然の事であるが、豚丼もキャンペーンの範疇ではない。大盛りにして430円、つまり普段480円の大盛り牛丼が80円引きにして400円になっている事を勘案すると、価格にして牛丼<豚丼という不等式が出来上がっているのだ。それなのに、「敢えて」の豚丼である。

私は意識は朧ろ、目も虚ろという精神状態であった。直感的に、これは最早サービスを享受しているしていない(つまり80円引きの恩恵を受けている受けていない)といった事の差ではなく、人間としての差である事を悟っていたからだ。

禿げたサラリーマンと若いチャラ男には、「80円引き?それがどうした」という、動かぬ岩のような強靭な意志が存在したが、私にはそれがなかった。つまり、踊らされていたのだ。人間としての敗北、である。完膚なきまでに敗北した。

右手のチャラ男が私を一瞥した。

「牛丼?センスわりーっすね、マジ超ウケルんですけど。男ならさくっと豚生姜焼きでしょ?マジありえねーっていうかー。ウケル。80円如きで浮かれててチョーめでてーっすね、サーセン」

と言った(ような気がした)。私は自らの手の内にあった牛丼を隠したかった。

左手のサラリーマンもそれに続いた(ような気がした)。

「おやおや、牛丼かね。80円引きだからといって喜んでやって来たんだろう、そんな君の顔が目に浮かぶよ。まあ良いではないか、80円で幸せが買えて、夢が買えるんだから、君は安上がりだよ。だがしかしね、私は君に問いたいが、君は果たして本当に牛丼を食べたかったのかね?私は君が周りに流されるように牛丼を食べているようにしか見えないのだがね。」

そんな事を言った(ような気がした)。

そうやって言われてみれば、私は実際の所、本当に牛丼が食べたかったのかどうかが自分でも怪しく感じてきていた。ひょっとして私の食べたかったものは、どこか別の所にあるのではないか?私はこれで良かったのか?めくるめく自問自答であり、自己批判である。この問題に対する総括がまるで足りていない。総括不足の私に殴るという指導を加えてほしいほど、私の自尊心はぼろぼろであった。

結局はね、器(うつわ)ですよ、器。

どこからか、そんな声が聞こえてきた(ような気がした)。

人間としての、器。

魔女の血、絵描きの血、パン職人の血、神様か誰かがくれた力なのよね。と言ったのは『魔女の宅急便』のウルスラであるが、神様は私にとびきり小さな人間としての器を用意してくださった。凡そ、お猪口の裏ぐらいの大きさの器である。

80円で動く人間、80円では動かない人間。

世の中にはその2種類しかいない。私は動いてしまった。つまり、私の自尊心は80円程度の価値しかないのだ。私は、80円で買える。買えてしまう。

唇をかみしめて、汚辱にまみれながら私は牛丼を完食した。

350円の会計を払って店を出る。店を出る時に、チャラ男が「ちっちぇー!あいつマジでアナルの穴がちっちぇー!」と叫んでいた(ような気がした)。

サラリーマンも「うむ、それだけではない。オオイヌノフグリ、のオオイヌノの部分を取った部分も小さいに違いない。何せ80円で買えてしまう男だからな、あの男は。」と続けた(ような気がした)。

店員もそれに合わせて「あれだけ器の小さな人間、久しぶりに見ましたわ、ホンマびっくりですわ、クリビツテンギョーですわ」と反応した(ような気がした)。何故か大阪弁であった(ような気がした)。

うなだれて帰路に着く私の頬を、少し冷たくなった10月の風が撫でた。

もうじき冬が来る。

私にも、冬がやってくる。

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2008年10月12日 (日)

ひりひりと傷口に沁みて眠れなかったよ

ここ数日、喘息の発作がひどい。

お陰で殆ど眠れない。

体調は最悪だけれど、本日は演奏します。

演奏は良いものになりますように。

10月12日(日)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
20:00~start music charge:2000円(1ドリンク・おつまみ付)

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2008年10月10日 (金)

Randy Weston & Alex Blake African Rhythms Duo

東京に帰ってきて数日が経つが、まだ体の中に違和感が残る。我が身でないかのような感覚に疲れすらする。疲れてしまい、その分よく寝てしまう。ここ数日間の睡眠時間は、異常なほどに長い。一日に、6時間も寝ればよく寝た方だったのだが、ここの所、8時間、10時間と眠ってしまう。本当に、体に違和感がある。

違和感の源泉は分かっている。

Randy Weston、彼が私の中に残していった「何か」の為だ。可笑しな言い方になるが、私はRandy Westonの演奏を上賀茂神社で目の当たりにしてから、体調を崩している。

それは、つまり体調が悪化しているという訳ではない。Randy Weston、彼の演奏が私の体内を通過していった何かの証のように、或いは爪痕のように、私の身体の中の何かが組み換えられたのだ。

大袈裟な言い方をすれば、私は一週間前の私と随分違う。恐らく、いくら望んでもそこには二度と返る事は出来ない。Randy Westonの演奏によって、私は変わってしまった。

10月4日、10月5日とピアニストRandy Weston、ベーシストAlex Blakeによる「African Rhythms Duo」を見てきた。前述したように、京都は上賀茂神社での演奏である。

演奏の素晴らしさについて言葉を尽くす事はしたくない。それらは全て言葉が足りないような気すらしてしまう。何を言っても陳腐に堕してしまうような気がする。ただただ、素晴らしかった。様々な発見があった。私は、本当に奇跡を目の当たりにした。

その爪痕が私の中に確かに残っている。そう感じたのは、翌日、10月6日の事だった。

前回エントリーさせた記事の最後に、京都深草ざぶざぶにて私もライブをしている、と書いた。書いたが、後から見直してみれば日程が無茶苦茶であった。正確には10月6日(月)、つまりもう終わっている。確か12月27日とか何とか書いてあったと思うが、思いきり嘘だ。もう訂正はしない。

Randy Westonの演奏を聴いた翌日、私は私で演奏をしていた。「あんなエグいの聴いた後にどんな演奏しろってんだよな、まったく」と私は半ば苦笑いしながらざぶざぶに向かっていたが、結果としては極めて不思議な事になってしまった。

疲れもあったのかも知れない。その日私は朝から上賀茂神社の片付け作業をしていた。前日は後輩と朝の5時まで酒を呑んでいたにも関わらず、だ。片付け作業それ自体は大した作業ではなかったのだが、あまりの睡眠不足と疲労とが相互作用して、私は昼過ぎには随分とふらふらしていた。そのまま眠れば良かったのだが、結局昼からは母校京都府立大学のジャズ研へ赴いてしまい、セッションなどに興じて遊び呆けてしまった。夕方6時過ぎ、ざぶざぶへ向かう頃には息も絶え絶えといった具合に疲れ果てていた、という訳だ。この辺りの体調管理のいい加減さは、全くもってプロフェッショナルではない。反省しなくてはならない。

実際の演奏の前には、半ば意識も朦朧としていた。そうしたぼんやりした意識の中で、一つだけ演奏に際して自分なりに気を付けていた事がある。「今日は意識的にRandy Westonの真似はしない」という事である。つまり、前日まであまりにも圧倒的な彼の演奏を目の当たりにしているのである。影響されないのがおかしい。しかし、彼の真似をする事は決して良い事ではない。自然と湧き出てくるようなフレーズではなくなってしまう。それを私は気にして、Randy Westonっぽく弾かない事だけを心に決めてその日の演奏に臨んだ。

ピアノを弾いている時には殆どいつも、「二人の私」が現れる。演奏を作ろうとする私とそれを遠くから眺めている私である。片方が片方を監視し、制限する。それによって、より自由になれるのだ。いささか矛盾した言い方だが、実際にそうなのだから仕方がない。私は私を監視し、制限する。それによって、私は自由になる。これが事実だ。逆に言えば、何の制限もなければ、私はひどく不自由だ。可笑しな話なのだけれど。

その日、音楽を作ろうとする私は、「Randy Westonっぽく弾かない事」を何より気にしていた。つまり、「いつも通りに弾く」という事だけを考えて。それを遠くから別の私が眺めていた。

二人の私が、違和感に狼狽したのを覚えている。

確かに私はRandy Westonのモノマネを意図的に避けていた。普段通りに弾く事を意識して、その目論見はある意味では成功していたのだが、それでも大きな違和感が残った。

サックス、ベース、ドラム共に昔から馴染みのメンバーと演奏させていただいた。疲労はしていたが、その中でリラックスしながら演奏をさせていただいていた。その中で、私は何とも言えない違和感を感じていた。

自分の出すピアノの音に意識を集中させて聴けば聴くほど、それは不思議な音がしていたのだ。まるで私が出した音ではないかのように。

私は、それは誰の仕業か、直ぐにわかった。はっきりとわかった。

間違いなく、Randy Westonの仕業である。彼がその前日、前々日と私の中に残していった爪痕は、私の中の歯車を狂わせた。それは途轍もなく心地の良い違和感であった。

私はその日以降、日々、自分の出すサウンドに驚いている。戸惑ってすらいる。Randy Westonによって、私は組み換えられた。当然、影響も受けているが、影響を受けるというのとはまた別の話で、何か身体の仕組みを作り替えられたような、そんな不思議な感覚である。

Randy Westonと数回、話をさせていただく機会にも恵まれた。その中で、私は彼にこう言った。

「あなたは私の神様みたいな人です。私はあなたをずっと模倣してきたし、これからも模倣し続けると思います。けれど、私はあなたの模倣者になりたい訳ではなくて、あなたのような存在になりたい。改めてそれを強く思いました。」と。

それに対してRandy Westonは

「ありがとう。いつか君の演奏を聴かせてくれ。君にそうやって言ってもらえると、私の音楽人生が価値のあるものに思えてくるよ」と言った。そうして、2メートルを超える巨人は、私を傍らに抱き寄せてくれた。

大した事のないやりとりなのかもしれない。けれど、私は嬉しくて嬉しくて。何だか恥ずかしいのだけれど、涙がこみ上げてきた。ずっと憧れてきた神のような存在のRandy Westonにそうやって関われた事は、私にとっては奇跡的に嬉しい事だった。

後から振り返った時に、「あれは記念碑的な出来事だった」と思うような事が人生にはきっといくつかあるのだろう。そして、今回のRandy Westonとの邂逅は、或いはそういった「記念碑的な出来事」になるのかも知れない、と私はそう思った。

何かが、変わった。変わってしまった。

それは、私にとってはとても嬉しい事だ。

最後に、今回こうして奇跡的な体験をさせていただいた事に対して、主催者であるラッシュライフの茶木夫妻、そしてコンサートスタッフの皆様に心より感謝いたします。

勿論、Randy Weston、Alex Blakeの両氏にも。

また今日から一所懸命に精進いたします。

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2008年10月 7日 (火)

またしても携帯電話紛失

Randy Weston と Alex Blake のデュオ、本当に素晴らしかった。それについてたっぷり書きたいのだけれど、今日は別件。緊急の連絡です。

毎度毎度の事なのですが、また携帯電話をなくしました。人生で覚えているだけでも3回目です。携帯電話って何でこんなに失くしやすいのでしょうか。

新しい電話を買いましたが、電話帳に入っていた連絡先がことごとくなくなっていて、こちらからは今誰にも連絡を取る事があたわない状態です。

「連絡は、こちらから取る」

とゴルゴ13よろしく言ってみたい所ですが、誰の連絡先も知らないので連絡は取れません。困った困った。

という事で、これを見ている方、親切な方はぼくにご自身の連絡先を知らせるメールでも送ってみてください。ぼくのメールアドレス、電話番号は変わっていませんので。

パソコンのメールでもかまいません。

africanpiano@gmail.com

です。どうぞよろしくお願いいたします。

今日は今からRandy Westonの講演会に行ってきます。京都は四条大宮の漫画喫茶からでした。

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2008年10月 3日 (金)

ランディが街にやってくる

拍子抜けするぐらいあっさりと、そしてすっかりと夏が終わった。

激しい日差しの中で汗をかきながら過ごすのが嫌いだったので、夏は嫌いだった。あまりの暑さから何も気力がわかなくなるのも嫌いな原因だったが、最近はそうでもない。

昨年、そして今年などは、私はすっかり夏を満喫していた。暑さを、心地よく受け入れていた。流れる汗を、楽しんでいた。何かが私の中で変わったのかもしれない。それが何なのかはわからないが、兎にも角にも私は夏が去った事に対して一抹の寂寥感すら抱いているのだ。

季節の変わり目には、私は稀に体調を崩す。幼い頃から、気管支喘息を患っており、少年時代にはその発作も時折発症していたりしたのだが、現在は季節の変わり目などに数年に一度、発症する程度である。そして季節の変わり目である今、私には少々喘息の発作が出てしまっている。発作が出ると、呼吸が慢性的に苦しくなるのが億劫だ。病院に行けばいいのかもしれないが、それほどの酷さでもない。故に多少の不便さと暫く共生する事を選択してしまう。構わない。いずれ治る。

タップダンサー川村隆英氏の率いる「The Successors」の一員としてピアノを弾かせて頂いているが、先月の9月は、一か月の半分以上をそのバンドのツアーに割いた。私にとっては随分と有意義なツアーであった。得たものも大きい。今後の課題もいくつも見えた。今回のツアーにおける演奏そのものにはあまり満足していないが、そういった課題が見えた事は少なくとも収穫の一つなのである。その大事な収穫物を腐らせてはならない。ある程度鮮度のある内に自らの中に閉じ込めておく事が重要なのだ、とそう感じている。

ツアーの間はずっと行ったままで、東京には一度も帰ってこなかった。全ての日程が終わって帰ってきたのは、先週の土曜日、おそらく9月27日である。それから一週間も経ってはいないが、今晩夜行バスに乗って、再び関西に向かう。

今回の大きな目的は、コンサート鑑賞である。6日の月曜日に、少しだけ自分で演奏もするが、今回の一番の目的は、上述したようにコンサート鑑賞なのである。

コンサート鑑賞、それは今回の私の目的を表わす記号であるが、書いてみてからその言葉の印象がいささか陳腐な事に気付いた。何だか私はそんな言葉では言い表せないほどにわくわくしているのだ。誰かの演奏を聴きに行くのがこんなにも愉しみなのは、どれほどぶりだろうか。随分と懐かしい感覚だ。

やってくるのはRandy Weston。私にとっては、間違いなく現在存命中の人間の中では最高のピアニストである。盟友、Alex Blakeと共に、京都の上賀茂神社の中にある「庁ノ舎(ちょうのや)」にやって来るのだ。私にとって、あまりにも特別なピアニストである。見たらあまりの嬉しさに固まってしまうのではないだろうか。

4日と5日は彼の演奏が予定されている。6日は別件で私は演奏の予定がある。7日は、ランディの講演がある。それを聴きに行く予定だ。

コンサート鑑賞をしにいく、などという表現ではなくて、少々大袈裟すぎるのだけれど、「奇跡を目の当たりにしにいく」という表現を使いたいほどだ。早く、観たい。

折角なので最後に自分の演奏の告知も。関西の方、勿論東京の方でもいいのですけれど、いらっしゃってみて下さい。

12月27日(木)京都深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
sax:黒田雅之 b:椿原栄弘 ds:副島正一郎 pf:福島剛
久しぶりのざぶざぶです。そして久しぶりの「NEZOE」です。関西にいる時に、やっていた体育会系ピアノトリオ「NEZOE」に、サックスの黒ちゃんをお迎えしてやります。どうぞ、ご来場を。
20:00~start  music charge:1600円

という事です。今から荷造りします。

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