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2008年8月

2008年8月31日 (日)

過剰な要求への罰

稀に演奏を褒めて頂ける事がある。褒められるのは嬉しい。褒められて伸びる、ではなく褒められて逆上(のぼ)せる、を自称する私にとって、賞賛の言辞を浴びせられた際には、「いやあ、そうですかねえ、それほどでも…あるんですけどね!」とわかりやすく悪ノリする。嘗て、師匠市川修が私の事を殆んど褒めてくれなかったのは、師匠が私のそういったふざけた性格を見抜いてくれていたからに違いない。決して褒める箇所が見つからなかった訳ではなかったのだと信じたい。

褒めて頂ける際には、「熱いねえ」だの、「魂の演奏だねえ」などの言葉で褒めて頂けるのが殆んどだ。「武骨だねえ」と言われる事はあっても、「オシャレだねえ」、「爽やかだねえ」、「流麗だねえ」などの言葉で褒めて頂いた事は、未だ嘗て一度たりとも無い。

無論、全ての「長所」が「短所」の裏返しであるように、私に向けられる賛辞は、そのまま批判の言辞に転じる事はある。「熱い」というのは悪く言えば「くどい」という事だ。「魂の演奏」というのは、裏を返せば「技術の足りない演奏」という事だ。半分はわかっている。私はまだまだ技術的にも知識的にも未熟であるし、それを自覚しているから「巧くなりたい」という欲求も強くある。

「技術」というのは、必ずしも指が速く動くという事とイコールではない。世に言われる難曲をさらりと弾きこなす事とも。

私の考える「技術」は、「脳裏にある思念、感情を、音楽を媒介にして現実世界へ還元する能力」である。その為の技術、それは私にまだまだ足りないものである。地道でたゆまぬ研鑽を続けなくてはならない。それは、赤木しげる先生が言うところの「もっとずーっと地味で真っ当な道」である。

いつものように話がどんどん逸れていくが、それはさしたる問題ではない。つまり私は今のところ「そういったタイプのピアニスト」である、という事がここまでの総括だ。

ピアニストにも色々なタイプがいるのだ。それだから面白い。偉大なる芸術を私如きと比肩するのは大いに恐縮であるが、私は『ドカベン』なのである。決して『タッチ』ではない。爽やかに汗を拭いながら「上杉達也は浅倉南を愛しています」などとは言わない。「夏子はぁーん!」と叫びながら「ドンガラガッシャングワラバキー!」という効果音とともにバットを振る事はあっても。『魁!男塾』ではあっても『シュート!蒼き伝説』ではない。額の血管を膨らませつつ「わしが男塾塾長江田島平八である!」と叫ぶことはあっても、サッカーグラウンドで後光を浴びつつ「トシ、サッカー好きか?」とは聞かないのである。

注:江田島平八

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注:『ドカベン』岩鬼正美(何でこいつ葉っぱ咥えてんだよ)

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私がよく出演させて頂いている錦糸町のアーリーバードには、ソロピアノとして私を含め三人のピアニストが定期的に出演しているとマスターより聞く。奇しくもほぼ同年代(20代後半~30代前半)の三人であると聞くが、マスター曰く、三者三様にまるっきりタイプが異なる、との事だ。不幸にして私は彼らの演奏を未だ聴いた事がないのだが、とても興味はある。是非とも近い内に聴いてみたい。

かように、異質なるものを見るのは、面白い。勿論、そこに最低限の技術が必要な事は自明であるが、私は私と異なるタイプのピアニストを見る時に、「ほほう、この曲をこんな風に料理するか」と感嘆することがしばしばある。発想の違い、着眼の違い。それらを目の当たりにする時、何か広大な荒野に独りぽつねんと立っているような錯覚に襲われる。荒野の名は、「可能性」という名の荒野である。とても気分の良いものだ。

それらの差異を、「特長の違い」と言い換える事も出来る。様々な物事には、特長があり、特徴がある。特長とは特徴と異なる。特徴とは「目立つ点」であり、特長とは「優れた特徴」である。

長い枕になったが、本日の私の主張は、「特長を過剰に要求すると、それは特徴どころか汚点へと堕す。痛い目を見る」という事だ。

私は比較的やかましい演奏をする方だ。つまりここまで述べたように「そういうタイプ」なのだ。そこへ来て、必要以上に「やかましい演奏」を要求された場合、そして仮に私がそれに応じた場合、それは音楽ではなくなり、単なる「騒音」になってしまう。攻撃的なだけで、美しさが無くなってしまう、という事だ。おわかりいただけるだろうか。何?「現在でも十二分に騒音だ」?あー、聞こえない。俺は俺を肯定する。繰り返す、俺は俺を肯定する。(『ザ・ワールド・イズ・マイン』)

さて、先日の事である。少し前に当ブログにても書いたが、友人Yが肝炎で入院した。そのYが、奇跡的な早さで退院してきた。一ヶ月の入院予定が十日に短縮された。私は恐らく病院の怠慢だと思っているのだが、兎に角Yが退院してきた。

Yは暇を持て余しており、私に連絡をよこして来た。私は自宅でのレッスン中であった為、レッスンが終わってからなら少し付き合える、とメールを返した。Yはそれまでの間、パチスロに興じながら時間を潰していた。私もレッスンが終わってからYの元へ向かった。二人して軽くパチスロ、これが大火傷。返せ一万五千円。それは良いとして。

近くに新しく出来たせんべろ(千円でべろべろに酔える、の意)居酒屋に向かい、入院生活の様子を聞く。Yは病院食の不味さに閉口していた。こっそり持ち込んだ醤油を料理にかけ、こっそり持ち込んだふりかけを白米にかけ、という事でその不味さを凌いでいた、と言うのである。飲んではいけない筈の酒を、Yは一杯だけ飲んでいた。「レモンチューハイ、うめえ!」と言いながら。200円で買える幸せは逆説的にプライスレスなのだ。

そしてYは言った。「辛いものが食いたい」と。

我々は思案した挙句、タイ料理屋に向かった。さて、ここでもう一度先ほどまでの話を思い出していただきたい。タイ料理の特長の一つに、「辛くて美味い」という点がある。我々はあろう事か、タイ料理屋で、ただでさえ辛い料理を「うんと辛くしてくれ」と頼んだのだ。つまり、その特長を過剰に要求してしまったのだ。

やって来た料理、それは鶏肉と野菜の炒め物と、トムヤムクンラーメンであった。そして、そのどちらもが「殺人的に辛かった」。

食べている時は良いのである。「辛え!うめえ!」と二人して言いながら食べ進める。確かにそれらは辛くて美味かったのだ。ひりつく口の痛みと戦いながらも完食、大した事ではなかったかのように私も思った。

大変だったのは翌日である。

私の菊門(英語名アナル)が、大惨事になっていた。そこでは未曾有の火事が起きていた。一夜の間を置いて、神が私に罰を与えたもうたのだ。特長を過剰に要求してしまった私に。

私はYにメールをした。「肛門が火事だ」と。

Yからはメールが返ってこなかった。おそらくあいつは再び肝炎になったのだろう。

タイ料理をうんと辛くしてはいけません。これが良い子のお約束だ。

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2008年8月30日 (土)

宣伝

本日錦糸町アーリーバードにてソロです。

最近気付いたのですが、ちょっと値下げしたみたいです。2000円でおつまみワンドリンク付き、みたいな感じです。

相変わらず好き勝手にやらせてもらっています。20時スタートです。宜しくお願いします。

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2008年8月27日 (水)

不便さへの憧れ

以下、キリンの新製品「氷結ZEROレモン」を呑みつつ、「よっちゃんいか」をねぶりながら、久しぶりにパソコンから更新。よっちゃんいかは超ウマい。つまり暇なのだな。

さて。

不便さ、というものをどこかで過剰に信奉していたりする。

それは恐らく余りにも便利で快適な環境に生きる自分に対する潜在的かつ無意識的な批判なのかも知れない。或いは、そういった事に対するコンプレックスの類なのかも知れない。二者択一で便利なものと不便なものの利用を選択するケースにおいて、私は便利なものを選ぶ事は多々ある。階段とエスカレーターがあればエスカレーターを選ぶだろう。徒歩よりも自転車、自転車よりもバイク、バイクよりも電車を選ぶように。利便性を享受することは、全くもって悪い事でも何でもない。ガスのない生活は不便だ。電気のない生活は不便だ。それは、間違いない。

そもそも人類は不便性を嫌い、利便性を愛したからこそ文明を発展させてきた。それは向上心である。礼賛すべき人類の美徳の一つであると言ってもいいだろう。

だけどね、私は不便さを愛したい。何だか薄っぺらい甘えた理屈だな、と感じた方、あなたは全方向的に間違ってはいないが、私はあなたの「正論」など1ミクロンも聞くつもりはない。早く帰れ。具体的には左上の「戻る」ボタンを激しくクリックだな。帰れ!このスカポンタン!

全自動洗濯機よりも二層式、二層式より洗濯板、というこの趣味嗜好、お分かり頂ける方はいるのだろうか。いないのだな、それならばそれで構わない。みんな帰れ。

私がCDよりもアナログレコードを好んで聴くのにはそういった理由もある。懐古主義?ああ、全くもってその通りだ。

ただし、私は「エコ主義」の人間を嫌う傾向にある。懐古主義とエコは、私が考えていた以上に卑近な処に在るようで、私がこの自己満足的かつ独善的な懐古主義を披露した折には「でもそういうのって結構エコだし…」などとフォローを入れてくる輩もいる。何がエコだ。よし、今から鯨を殺して喰らおう。

エコを標榜する人間たちには、自分たちは「正論」を標榜しているという自負がどこかにある。それが私がエコを嫌悪する理由の一つだ。私自身も何かをリサイクルしたり無駄をなくしたりする事は全くもってやぶさかではない。むしろ積極的に取り組んでいきたいほどであるが、それを決して標榜したくはないのだ。

駅前などによくいる「何々に反対の署名をお願いします!」といったような連中の90%が嫌いなのだが、それは「良い事をしている(正論を吐いている)自分、超クール!」みたいな自己陶酔がありありと見て取れるからだ。そういう連中に「署名お願いします!」などと声を掛けられると、私はいつも心中で「お前らのやっている活動の中身なんか知りたくもないし、そして絶対に署名はしない!」と叫ぶ。ああいう活動にはもっとユーモアが欲しいな。

「日本国内の家賃を全て無料にする活動でーす、署名お願いしまーす」
であったり、
「ニートを法律で保護する運動でーす、署名お願いしまーす」
などならば署名しても良いかな、となってしまう。
或いは峰不二子ばりのナイスバディが寄ってきて、私の顎辺りを撫でながら「ねえ、お名前書いて下さらない?」と妖艶に聞かれれば、「ロンのモチだよ!」と二つ返事で名前を書かざるをえない。市民活動の全てが嫌いな訳ではないのだ。ユーモアのない活動が嫌いなのだ。

随分と話が逸れた。私が不便さを信奉している、という話であった。人間の生活には、必要なものと不必要なものがある。私は不必要なものにまみれて暮らしている為、それと対極にある簡素な生活をしている人々に、途轍もない憧憬の念を抱いてしまうのだ。テレビが必要なのだろうか。パソコンが必要なのだろうか。それらは「あれば便利だが、なくても何とかなる」というレベルのものである。

洗濯をするのも掃除をするのも料理をするのも一々不便な生活、そんなものも悪くはない。それでも何とか生きている生活、私はそういった生活に埋没していくことは今は出来ないが、強い憧れがある。いつか、してみたい。

でも、そういう生活をしている仙人のような人も、好きではない。何だか嘘臭くて。出来れば、ロト6をコンスタントに買いつつ一攫千金を狙っていたり、たまには合コンに出かけたりするほどの俗臭さがほしい。

しばらくは無駄なものにまみれた生活をしよう。その内、家がない人(俗称ホームレス)になってしまう可能性が高いから。ホームレスになったらお金を下さい。

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2008年8月24日 (日)

ohmyJEEP、全てを許してやろう

またしても当日にアレなんですが、本日は京都岩倉JINTAでライブです。昨日に引き続きサックス黒田雅之と、今日は更にベース椿原栄弘というメンバーでやります。19時30分〜、チャージは1500円だったかな。

↑ここまでは全部ホントね。

今日はアジ演説からスタートして、後、客をオルグという流れで行こうと思っています。共闘出来る同士は常に求めていますので、我こそは革命戦士だ!という方はお気軽に声をおかけ下さい。お待ちしております。

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2008年8月23日 (土)

ohmyJEEP、悲しくてやりきれなかった

当日にアレなんですが、本日は大阪高槻はJKカフェでサックス黒田雅之とデュオ演奏やっとります。

ここのお店はカンパ制となっていますので、演奏が気に入って頂いた方には、差別用語を声高にシャウトしながら、マーク・クルーンばりの豪速球で、的確にぼくのこめかみ部に金を投げつけてもらう、という体裁を執ります。

勿論、頂いたお金はこれからの左翼活動の資金として有効に活用させて頂きますのでご安心下さい。

政府転覆のその日はさほど遠くはありません。

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2008年8月20日 (水)

釣りレポート、B型肝炎

最初に先日赴いた釣りの事を少し。

随分と久しぶりに親父と二人での釣行。当初、アジを深場に狙いに行くという目的で船宿へ行くも、本日のアジ船は午前タチウオ午後アジのリレーだ、という旨を聞く。話によれば、ここの所のアジの不調をカバーする為に午前中のタチウオによって土産はしっかり確保してもらおうという目論見だとの事。期せずして初体験のタチウオ釣りに挑む事となる。

タチウオ釣り、「中層で根掛かりするような」とはよく言ったもので、コツンという微妙なアタリを感じて後に緩やかに誘いをかけると、途端にグイっと、まるで根掛かりを思わせるように竿先が重くなる。アタリが微妙なので難しいとは聞いていたが、私も親父もよく釣れる。こんなに簡単に釣れるものなのか、と訝るほどに。26リットルのクーラーがみるみると埋まっていき、午前を終えた段階でクーラーに魚が入りきらなくなる。昼食や飲み物を入れる為に持って来たもう一つの13リットルのクーラーを空にして、午後のアジ釣りに臨む。

アジは全体的に不調。形を見られれば(一匹でも釣れれば)良いぐらいの気持ちでやってくれ、と船長からアナウンスが入るが、始めてすぐに傍らの親父が良型を一匹上げる。おや、本当に不調なのか、と思っている内に、私にも一匹。良い意味で話が違う。その後も立て続けに数匹。食い自体は頗る好調であった。不満を言えば、海底近くの潮の流れが随分と速かったようで、近隣とのオマツリ(仕掛け同士が絡んでしまう事)に悩まされ続けた事。それさえなければ、確実に釣果は更に伸びた。もう一点。アジ釣りにおいては、小まめなタナの取り直しがいかに重要かという事を思い知った。底から2m、と指定されたら、しつこいほどにそのタナを攻め続けなければならない。何より重要なのはその一点に尽きる、と実感した。万物は流転し、行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらずと言うように、底から2mのタナはじっとしていればすぐに底から2mではなくなってしまう。大事な事だ。

結局親父と二人合計して、タチウオが50匹前後、アジが20匹前後、サバが10匹弱という釣果。充分と言える。我が家だけで食べきれる筈もないので、近所の方々や親戚に配る。それでも充分以上の魚が残る。当日はタチウオを中心に食してみたが、驚くほどに美味。取り分け短冊状にした刺身は絶品であった。

という事で前回の釣行レポートはこんな所。

今週木曜日にも釣行を予定していた。小学校以来の友人逹と三人で向かう予定であった。その件で友人Yにメールを送ると折り返し電話がかかってくる。曰く、「休みは取れたが体調がちょっとアレで」との事。「どうした」と聞くと「恐らく肝炎だ」とYは答える。仮にもし肝炎だとすれば、アレっていうレベルじやねえだろ、と思う。取り敢えず会うか、という事でYと落ち合う。呑み屋に行くも、Yは肝臓の事があるので禁酒。ホッピーの外(つまりほぼノンアルコール)だけを呑み、三矢サイダーを呑み、バヤリースを呑んでいた。私は普通に酒を呑んでいた。オマエ早く治さねえと酒呑めねえよ、と。怨めしそうなYを眼前にして、「酒うめえ!超うめえ!」と言いながら。今考えてみれば悪魔の所業だな。

呑み屋でYは「先日検査を受けて、明日結果を聞きに行く」と私に告げる。「多分大した事ないと思うんだけど」と付け足して。その日は比較的早い時間に別れた。恐らく午前二時ぐらい。

翌朝、病院から帰って来たYから電話が来た。「やっぱ肝炎だった」と。絶句する私にYは続ける。「B型肝炎。ガンマGTPが1300ぐらいあった。基準値の100倍ぐらいらしい。医者に、オマエ舐めてるとマジに死ぬぞって言われた」と。

「それ笑えねえなあ」と言いながらも、最早笑うしかない。私も電話口で苦笑いをぶつしかなく、げんなりとして電話を切った。それからインターネットでB型肝炎について色々と調べてみる。慢性と急性があるそうだが、Yの肝炎はどちらなのだか聞き忘れた。いずれにしても、それなりにヘヴィな病気のようで、あまり笑い事ではない。

電話があったのが昨日の事。本日より入院だと聞くが、きちんと入院したのであろうか。

珍しく人様の事を心配している。私は薄情な人間なのであまり他人を心配するような事も少ないのだが、流石に今回ばかりはそうもいかない。心配し、不安にならざるをえない。

その前に今日だ。

今日は錦糸町のいつもの店でソロピアノやっています。アーリーバード亀沢店で20時〜、2000円で1ドリンクおつまみ付きです。お暇な方はどうぞ。詳細は当ブログ内のプロフィールページ(左上にあります)から。

週末は関西でやってます。これはまた追って。

人生色々ありますな。

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2008年8月17日 (日)

今日もカープは

宮島さんの神主が

おみくじ引いて申すには

今日もカープは

勝ち勝ち勝っち勝ち!

激勝!

良い試合だった!

投げるやつが投げた!

打つやつが打った!

良い試合だった!

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2008年8月15日 (金)

遠い昔の今日、戦争が終わりました

当日になってしまいましたが、本日は演奏しております。

どうぞお立ち寄りください。

8月15日(金)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
終戦記念日にピアノソロ。レフティなマインドがちょっとうずきます。危険です。
20:00~start music charge:2500円(1ドリンク・おつまみ付)

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2008年8月14日 (木)

オリンピックもやっていない深夜

日付も変わった0時過ぎ、体調不良も手伝って珍しく早く寝ていたのだが、一本の電話で起こされる。少し喋って電話を切るも、そこからは何となく寝付きが悪くなる。手持ち無沙汰になって、本を読んだり携帯電話をいじったりするも、眠気は未だ到来せず。ブログでも書くか、と思い、布団に横になりながら携帯電話から更新する。パソコンの前まで向かうのは面倒くさい。

最近買ったジャズの理論書をパラパラとめくったが、あまり内容が頭に入って来なかった。実際にさほど難しい事が書いてある訳ではないのだけれど、Poly tonalityとかDeceptive Cadenceなんていう言葉は、読んでいて少し鬱陶しくなる。今度時間を見つけてまとめ読みしよう。

深夜の静かな時間、寝付けなくてほんのりと煩悶するような時間というのは、実は嫌いではない。テレビをつけてみると、流行りのJPOPのランキング番組がやっていた。30位から11位まで見たが、知っている歌手が羞恥心とレミオロメンと鬼束ちひろの三組しかいなかったので、つまらなくなってすぐに消した。鬼束ちひろは昔少し好きで聴いていた事がある。TSUTAYAでCDを借りてきて、MDにダビングして。そのMDもどこかにある筈だけれど、探すのは億劫だし探さない。そういうものは、忘れた頃にふっと出てくるのが好きなのだ。躍起になって探すのは面白くない。

鬼束ちひろを聴いていたいた時は、ちょっとした女性の歌手ブームが私の中で来ていた時だ。鬼束ちひろ、Cocco、一青窈、元ちとせ。この辺の歌手達を、少し聴いた。今聴いてもきっと悪くないと思う。今でもたまにCoccoの「強く儚い者たち」という歌は自転車に乗りながら鼻歌で口ずさんだりもする。きーっととーびうーおのーアーチをーくぐーってー、なんていう具合に。一青窈の「ハナミズキ」という歌も好きだった。たまにはジャズばかりではなく、そういう音楽も聴きたくなる。そういう時だってあるのだ。

オリンピックが開催されている。以前のアテネの時には、時差がかなりあったから、深夜の時間によく中継をやっていた。眠れない夜はそれをよく見た。眠れない夜に、そんな眠れない私の為に、私の暇をまぎらわす為に、選手達が世界レベルの技術で凌ぎを削ってくれている、そんな妄想をすると愉快になって、嬉しかった。今回は北京開催なので時差は殆んどないから、深夜にオリンピックはやっていないのが少し残念だ。オリンピックは深夜に見る方が私は好きなのだ。深夜ラジオを聞きながら、「自分以外にもこの時間に起きている人がいるのだな」と思うと何やら安堵した昔を思い出すかのようだ。

ちょっと色々あって、精神的に少しだけ疲れている。大した事ではない。今週末と来週半ばには釣りに行く予定でいるから、釣りに行けば元気になる筈だ。

今年中の渓流釣りデビューは難しいかも知れない。

冬には、ワカサギ釣りデビューを果たしたい。

氷の張った湖の上で、寒さに震えながら釣り糸を垂らしたい。さぞや愉しいのだろう。

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2008年8月 9日 (土)

オンリーワンでありナンバーワン

昨日の広島カープ対阪神タイガース戦、その戦いをもって我々カープは4連勝、タイガースは実に4連敗、結果、赤ヘル軍団は4位へと上がった。ちなみに「赤ヘル」の「赤」は勿論「赤軍派」の赤であるし、「ヘル」は「地獄(hell)」、ではなく性病ヘルペスの「ヘル」に間違いない。つまり赤ヘル軍団というのは過激派の隠語なのだ。ご理解いただけるだろうか。ご理解いただけたこれを読んでいる諸氏は、今後一切カープ以外の球団を応援する事を禁じる。宜しいだろうか。

さて、このガイキチ度300パーセントの文章は何の枕かと言えば、「順位」というものに関する枕である。カープは現在4位である。そこから派生する本日の福島劇場。うんざりしながら読み進めていただきたい。

私たちの人生には、好むと好まざるとに関わらず、「順位」というものがほぼ必ずと言って良いほど附いて回る。中学生からの定期テスト。体育大会。優劣は明確に数字として表され、勝つ者と負ける者とに二分される。就職活動、生涯年収、そういったものも一種の順位だと考えても差し支えないだろう。一頃昔、「ナンバーワンにならなくても良い、元々特別なオンリーワン」などという愉快な珍フレーズが世間を賑わした事があったが、それは常に順位、つまりナンバーワンを意識してしまうという人間の心理の裏返しだと言っても過言ではない。我々が常日頃から順位というものを身近に感じていなかったとしたら、上記の文言は決して一世風靡セピアすることはなかっただろう。あ、セピアは余計だ。

そして、それは全くもって容易くない事をも本能的に知っているのだ。

反感を買う事を承知で乱暴に言えば、私たち(敢えて一人称複数形を用いたい)は心の底ではどこかで「ナンバーワンになりたい」と思っている。他人を押しのけてでも自分が認められたい、誰よりも高い頂に立ちたい、と思っているのだ。それは、私は決して特別な感情だとは思わない。人が人として生きていく上での、拭いがたいカルマの一つのような気すらしている。原罪。或いは大袈裟に言えばそうなるのかも知れない。「認められたい」という欲求は、非常に深いところから来ていると私は感じる。

「ナンバーワンよりオンリーワン」という文言。この文言自体は、私は賞賛に値するものだと感じている。しかし、いかんせん使いようだ、どこかでそんなひねくれた事を考えてしまう。

「ナンバーワンになれなかったから、仕方ないからオンリーワンを目指す」

このような心構えは既に凡庸の極みであると言って良い。つまり、オンリーワンという言葉の指す所が「非凡」に近いものであるならば、その凡庸な心構えを抱いた時点で既に決定的な矛盾が生じてしまうのである。語弊を恐れずに言えば、それは単なる「負け惜しみ」に堕してしまうのだ。

本当のオンリーワンはもっと高い極みにある。

オンリーワンでありながら、ナンバーワンになった人間が最近いる。そもそもこの二つは相反する概念ではないのだ。

誰か。

それは、江頭2:50というお笑い芸人である。

彼をモチーフにした動画が、かの有名動画サイトyoutubeで、アクセス数としてナンバーワンになったという事なのだ。

その動画、以下のものである。

「godegashira.flv」をダウンロード

さて、正しく見れたであろうか。見れなかった方は、以下のURLをご参照いただきたい。

http://jp.youtube.com/watch?v=6OKsbaVSblE

私は常々、江頭2:50の事を「エガ神」と呼び神格化してきた。そのエガ神を讃えた動画が上記の動画である。

えーがえーがえが酒屋の子、とリズミカルに歌っている。タイトルはまさしく、「崖っぷちのエガ」である。神の動画なのである。

エガ神はオンリーワンのお笑い芸人として孤高の道を歩んでいるとばかり思っていたが、やはりナンバーワンになったか、と私も万感迫る思いだ。エガ神よ、栄光あれ。

さて、昨日錦糸町アーリーバードにてソロピアノ演奏を行ってきたが(愉しかった)、急遽明日、10日もやる事になりました。

「10日暇?」

「あ、暇です」

「やってくれない?」

「あ、喜んで」

みたいな流れであっさり決まりました。という事で見に来た人はインドの永住権がもらえるとかもらえないとか、そんな話ですよ。来ると良いと思いますよ。

8月10日(日)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
えーがえーがえが酒屋の子~
20:00~start music charge:2500円(1ドリンク・おつまみ付)

ちなみに私がこれまでに書いたエガ神にまつわる文章は以下。
http://whatdisay.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/11_01bc.html
http://whatdisay.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_7a19.html

お暇ならば過去ログとしてどうぞ。

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2008年8月 8日 (金)

自分に負けないで!!

最近はやりの遊びは鬱病ごっこなので、ぼくに「がんばれ」とか「甘えるな」とか言わないで下さい。

という事でライブ告知です。本日でございます。来て下さいね。

8月8日(金)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
手術後の復帰第一戦目は恒例のアーリーバードのピアノソロから。
20:00~start music charge:2500円(1ドリンク・おつまみ付)

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2008年8月 4日 (月)

手術、その後

♪暇人おーざぴーぽー、にゃにゃーにゃーにゃにゃー、ゆふーうーうー

と、ジョン・レノンの「イマジン」の替え歌を歌ってしまうほどに暇な私である。しかも、うろ覚えなので、分からない部分は適当にごまかしてしまう。あのねえ、正直言うと、あんまり好きじゃないんだよ、ジョン・レノン。と言うよりも、ジョン・レノンの事をあまり悪く言っちゃいけないみたいな空気が嫌いなのだ。ジョン・レノン、あんまり好きじゃないんですよねえ、と言った時に流れる「こいつ全然わかってねえなあ」という空気。あれがムカつく。音楽の好き嫌いだけで人格を否定される筋合いはないぞ、と思う。

まあ良い。ジョン・レノンの話題はもうやめよう。彼の事を語れるほど、私は彼の事は知らないのだ。あの、何か良く知らないけど、メガネとヒゲのオッサンでしょ?という程度。話題は簡単に底をつく。という事でヤメ。

暇人な私は、いつものようにピアノの練習をする傍ら、休憩の際にはパソコンを使ってインターネットの中から、石田ゆり子氏の画像を眺めたりしていた。石田ゆり子氏の事をご存じない方の為に説明しておくと、私の婚約者である。まだ会った事はないのだけれど。どんな方かと言えば、とても可愛らしい方である。いつも私の事を第一に考え、内助の功として私を助けてくれる、正に女性の鏡である。まだ会った事はないのだけれど。彼女、料理は全般的に得意なのだが、取り分け出汁を取るのが上手い。味噌汁などは絶品である。蛇足ではあるが。

さて、私とゆり子との甘い生活をここに記すのもいささか気恥ずかしいので、この話はここまでにしようか。また聞きたい人があればいくらでもリクエストにはお答えするが、先ほど気付いたが、こんな妄想を書き続けている私は随分と気持ち悪い。どうして誰も教えてくれないんだ!何かの謀略であろうか。

先日の手術の話を少し。

信濃町にある慶應大学病院で、8月1日に手術を受ける。先に記したように、耳の手術だ。

数年前に空いた鼓膜の穴が塞がらないままでいた。よって、慢性的な中耳炎を患っていた。体調が悪くなったり抵抗力が落ちてきたりすると、耳からばい菌ば入り、そこから膿が出た。簡単な治療を施せば、数日でそういった症状は落ち着くのだけれど、完治、ではない。また、体調を崩すと耳の状態は悪くなる。この繰り返しであった。どこかで手術をしなくては完治はありえない。それは私もわかっていた。

完治、という言葉で、「東京ラブストーリー」を思い出した。カンチは確か織田裕二だったろうか。先日、お笑い芸人のケンドーコバヤシが件のドラマの有名な台詞をもじって

「カーンチ、アナルセックスしよ!」

と言っていた。そういうストレートな下ネタは嫌いではないので、紹介しておく。

閑話休題。耳の話である。

生まれて初めての手術体験であった。手術自体は簡単なものと聞いていたので、当日まで気分が多少重くなっていたくらいで、私は比較的楽観的な気持ちでいた。まあ、何とかなるだろ、ぐらいの感じで。当日も、さしたる緊張感を感じずに、病院での受付を済まして手術室へ向かった。

刹那、喉の奥の方から湧き上がる違和感。私は明らかに緊張していた。手術室に入って、手術着に着替えた辺りから。それは、本当に突如としてやってきた。不安なのか恐いのか緊張しているのか、自分でも判断はつかなかった。自らの小心ぶりに内心で苦笑したが、そんな事は手術をする医師や看護士には関係ない。恙無く手術の段取りは進められる。

手術台に上った。中年の看護士に「緊張してる?」と聞かれた。「ええ、初めてなもんですから」と私は答える。そんなやり取りで少し気持ちがほぐれる。それは看護士の意図したものなのだろうか。そうだとするならば、これもまた熟練の技の一つだな、と妙に感心してしまう。

それから暫らく、現実感が希薄になったのを覚えている。頭上のライトがパチっと照り付けられ、私の顔に布が被せられる。

「まな板の上の鯉」

まさしくそんな言葉が脳裏に浮かんだ。最早何処へも逃げられない。覚悟を決めるしかない。大袈裟にも、私はそんな事を考えていた。

麻酔を打つ所から始まった。私の耳の内部、鼓膜周辺と、耳の裏辺り、側頭部と後頭部の間辺りに麻酔が打たれる。これが、信じられないくらいに痛かった。耳の中に注射されるのは勿論初めての経験であったが、とにかく痛い。歯を食いしばって痛みに耐える。早く注射終わってよお、とそんな事を考えながら。

麻酔の注射が終わって暫らくすれば、本格的に手術開始である。耳の後ろを切開し、そこから肉片を取り出す。鼓膜の穴の周りを一度傷付けてから、その肉片をそこに埋め込む事で肉片はいつしか鼓膜の一部となり、穿孔は塞がる、といった内容の手術である。

私は麻酔の凄さを実感した。まずは耳の後ろから肉片を取り出すのだが、そこをメスやら鋏やらで切っているのだろうが、何も痛みを感じない。おお、麻酔ってすげえ!そんな事を考えていたが、嫌なのは、音、である。耳の近くなだけあって、音がダイレクトに聞こえてくるのである。ざくっ、ざくっ、ざくざくざくっ、という具合に。未だにその音は脳裏に残っている。非常に嫌な音である。

その後は上記のような手順で手術は進んだ。時間にして小一時間、という所だろうか。終わった後に気付いたのだが、私は下半身にびっしょりと汗をかいていた。手術室は冷房もかなり効いていたのに、これはまさしく冷や汗なのだろうか、と思った。特に膝まわりはびっしょりと汗で濡れていた。これもまた初めての経験であった。

余談だが、手術室ではうっすらとBGMが流れていた。私が手術を受けている時にはずっとaikoがかかっていた。「桜の時」や「花火」など、いくつか知っている歌もあったが、暫らくはaikoの声も聞きたくない。手術中の恐怖が蘇って来る事は間違いないからだ。BGMはせめてクラシックぐらいにしておいて欲しかったなあ。

さしたる問題も起きずに、手術は終了した。しばらくは術後の経過を見て、という段階である。おそらくはしっかりと治るだろう。それならば良いのだが。

医者と看護士に礼を言って病院を出る。何だか無性に空腹を感じ、御茶ノ水のカレー屋「エチオピア」にてチキンカレーを食す。辛さはこれまでで最高の20倍に挑戦。まだいける。次回は25倍だな。しかし、相変わらずここのカレーは美味い。

小岩に帰って、パチンコをして、少しだけ勝ったのでコンビニでビールを勝って、それを飲みながら家に帰る。さっきまで手術してたなんて嘘みたいだな、と思いながら。

そんなこんなで手術終わりました。

励ましのコメントやメールをくれた方々、ありがとうございます。

落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。

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