過剰な要求への罰
稀に演奏を褒めて頂ける事がある。褒められるのは嬉しい。褒められて伸びる、ではなく褒められて逆上(のぼ)せる、を自称する私にとって、賞賛の言辞を浴びせられた際には、「いやあ、そうですかねえ、それほどでも…あるんですけどね!」とわかりやすく悪ノリする。嘗て、師匠市川修が私の事を殆んど褒めてくれなかったのは、師匠が私のそういったふざけた性格を見抜いてくれていたからに違いない。決して褒める箇所が見つからなかった訳ではなかったのだと信じたい。
褒めて頂ける際には、「熱いねえ」だの、「魂の演奏だねえ」などの言葉で褒めて頂けるのが殆んどだ。「武骨だねえ」と言われる事はあっても、「オシャレだねえ」、「爽やかだねえ」、「流麗だねえ」などの言葉で褒めて頂いた事は、未だ嘗て一度たりとも無い。
無論、全ての「長所」が「短所」の裏返しであるように、私に向けられる賛辞は、そのまま批判の言辞に転じる事はある。「熱い」というのは悪く言えば「くどい」という事だ。「魂の演奏」というのは、裏を返せば「技術の足りない演奏」という事だ。半分はわかっている。私はまだまだ技術的にも知識的にも未熟であるし、それを自覚しているから「巧くなりたい」という欲求も強くある。
「技術」というのは、必ずしも指が速く動くという事とイコールではない。世に言われる難曲をさらりと弾きこなす事とも。
私の考える「技術」は、「脳裏にある思念、感情を、音楽を媒介にして現実世界へ還元する能力」である。その為の技術、それは私にまだまだ足りないものである。地道でたゆまぬ研鑽を続けなくてはならない。それは、赤木しげる先生が言うところの「もっとずーっと地味で真っ当な道」である。
いつものように話がどんどん逸れていくが、それはさしたる問題ではない。つまり私は今のところ「そういったタイプのピアニスト」である、という事がここまでの総括だ。
ピアニストにも色々なタイプがいるのだ。それだから面白い。偉大なる芸術を私如きと比肩するのは大いに恐縮であるが、私は『ドカベン』なのである。決して『タッチ』ではない。爽やかに汗を拭いながら「上杉達也は浅倉南を愛しています」などとは言わない。「夏子はぁーん!」と叫びながら「ドンガラガッシャングワラバキー!」という効果音とともにバットを振る事はあっても。『魁!男塾』ではあっても『シュート!蒼き伝説』ではない。額の血管を膨らませつつ「わしが男塾塾長江田島平八である!」と叫ぶことはあっても、サッカーグラウンドで後光を浴びつつ「トシ、サッカー好きか?」とは聞かないのである。
私がよく出演させて頂いている錦糸町のアーリーバードには、ソロピアノとして私を含め三人のピアニストが定期的に出演しているとマスターより聞く。奇しくもほぼ同年代(20代後半~30代前半)の三人であると聞くが、マスター曰く、三者三様にまるっきりタイプが異なる、との事だ。不幸にして私は彼らの演奏を未だ聴いた事がないのだが、とても興味はある。是非とも近い内に聴いてみたい。
かように、異質なるものを見るのは、面白い。勿論、そこに最低限の技術が必要な事は自明であるが、私は私と異なるタイプのピアニストを見る時に、「ほほう、この曲をこんな風に料理するか」と感嘆することがしばしばある。発想の違い、着眼の違い。それらを目の当たりにする時、何か広大な荒野に独りぽつねんと立っているような錯覚に襲われる。荒野の名は、「可能性」という名の荒野である。とても気分の良いものだ。
それらの差異を、「特長の違い」と言い換える事も出来る。様々な物事には、特長があり、特徴がある。特長とは特徴と異なる。特徴とは「目立つ点」であり、特長とは「優れた特徴」である。
長い枕になったが、本日の私の主張は、「特長を過剰に要求すると、それは特徴どころか汚点へと堕す。痛い目を見る」という事だ。
私は比較的やかましい演奏をする方だ。つまりここまで述べたように「そういうタイプ」なのだ。そこへ来て、必要以上に「やかましい演奏」を要求された場合、そして仮に私がそれに応じた場合、それは音楽ではなくなり、単なる「騒音」になってしまう。攻撃的なだけで、美しさが無くなってしまう、という事だ。おわかりいただけるだろうか。何?「現在でも十二分に騒音だ」?あー、聞こえない。俺は俺を肯定する。繰り返す、俺は俺を肯定する。(『ザ・ワールド・イズ・マイン』)
さて、先日の事である。少し前に当ブログにても書いたが、友人Yが肝炎で入院した。そのYが、奇跡的な早さで退院してきた。一ヶ月の入院予定が十日に短縮された。私は恐らく病院の怠慢だと思っているのだが、兎に角Yが退院してきた。
Yは暇を持て余しており、私に連絡をよこして来た。私は自宅でのレッスン中であった為、レッスンが終わってからなら少し付き合える、とメールを返した。Yはそれまでの間、パチスロに興じながら時間を潰していた。私もレッスンが終わってからYの元へ向かった。二人して軽くパチスロ、これが大火傷。返せ一万五千円。それは良いとして。
近くに新しく出来たせんべろ(千円でべろべろに酔える、の意)居酒屋に向かい、入院生活の様子を聞く。Yは病院食の不味さに閉口していた。こっそり持ち込んだ醤油を料理にかけ、こっそり持ち込んだふりかけを白米にかけ、という事でその不味さを凌いでいた、と言うのである。飲んではいけない筈の酒を、Yは一杯だけ飲んでいた。「レモンチューハイ、うめえ!」と言いながら。200円で買える幸せは逆説的にプライスレスなのだ。
そしてYは言った。「辛いものが食いたい」と。
我々は思案した挙句、タイ料理屋に向かった。さて、ここでもう一度先ほどまでの話を思い出していただきたい。タイ料理の特長の一つに、「辛くて美味い」という点がある。我々はあろう事か、タイ料理屋で、ただでさえ辛い料理を「うんと辛くしてくれ」と頼んだのだ。つまり、その特長を過剰に要求してしまったのだ。
やって来た料理、それは鶏肉と野菜の炒め物と、トムヤムクンラーメンであった。そして、そのどちらもが「殺人的に辛かった」。
食べている時は良いのである。「辛え!うめえ!」と二人して言いながら食べ進める。確かにそれらは辛くて美味かったのだ。ひりつく口の痛みと戦いながらも完食、大した事ではなかったかのように私も思った。
大変だったのは翌日である。
私の菊門(英語名アナル)が、大惨事になっていた。そこでは未曾有の火事が起きていた。一夜の間を置いて、神が私に罰を与えたもうたのだ。特長を過剰に要求してしまった私に。
私はYにメールをした。「肛門が火事だ」と。
Yからはメールが返ってこなかった。おそらくあいつは再び肝炎になったのだろう。
タイ料理をうんと辛くしてはいけません。これが良い子のお約束だ。
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