鯊釣りとは人生のカリカチュアである
皆さん、どうも。頭脳は子供、体はオヤジ、福島コナン、変態です。
今日は異性と二人きりで食事に行った後、「いざ鎌倉!」的な状況になった時に、「や、ふくしまくんの事は友達としてしか見れないから、ちょっとヤメテ!」みたいなヌルい台詞をカマす女のメンタリティを、理路整然と否定します。ジッチャンの名にかけて!
嘘だ。
そんな事は書かない。
今日は病院で待たされまくっていて暇なだけなのだ。
などと極めて下らない事ばかりを考えている日常である為、私の日々はさして忙しくはない。
演奏の仕事、レッスン、リハーサル。結構な割合でこういった用事が入っているけれど、時間にしてみればフルタイムの仕事をしている方々の、恐らく半分にも満たない。私は結構暇なのである。
空いた時間は、ピアノの練習に充てるか、部屋の隅で体育座り(三角座り)での飲酒に充てるかの二択である。日々は極めて淡々と過ぎていく。それはそれで決して悪くはない。強がりなどではなく、本当にそう思う。
ただ、上述したように、日々何がしらの用事が入っている事が多い。丸一日、完全に予定のない日というのは最近はとんと少ない。ありがたい限りなのだが。
昨日、久しぶりの完全なオフの日を迎えた。何も予定はなかった。何時に起きなくてはいけない訳でもなく、どこかへ行かなくてはいけない訳でもない。私は自らの身の振り方を考えた。さて、何をするか、と。
普通に考えれば、いつものようにピアノの練習に一日を費やすのが無難だ、と思うに至った。金もかからない。技術も多少なりとも向上する。あまつさえ、最近購入したばかりの録音機材を試す機会でもあった。それはどこからどうみても正しい解答なのだが、結論から言えば、私はその選択肢を選ぶ事はなかった。
私が選んだ選択肢は、魚釣りであった。
月曜日にも友人達と魚釣りに行っていた。鯵を釣りに行ったのだが、潮の流れに恵まれなかった事もあり、散々な釣果であった。私は若干釣りに対して欲求不満を感じていたのだ。
それを解消すべく、釣りに向かった。向かったのは江戸川区南方の新左近川である。鯊(ハゼ)を釣りに向かった。
我が家から環七をゆっくりと南下する事一時間程度で新左近川には到着する。平日で人も少なく、ポイントはほぼ選び放題だったと言って良い。到着したのは朝9時ぐらいだったが、午後からの強烈な日差しが容易に想像出来た為、日差しを避ける木陰のポイントに自転車を停め、竿を出す。下半身の竿を出した訳ではない。文字通り釣竿を出しただけだ。当ブログをお読みの諸兄は、どうやらすぐに下ネタを連想してしまいがちな傾向があるようなので、注意を喚起しておこうという意図である。
糸を垂らすと直後にプルプルとアタリがある。喜び勇んで竿を合わせると、すっぽ抜ける。やはり次も同様である。鯊釣り自体は随分と久しぶりの為、勘が鈍ったか?と自ら訝る。
幾度か同様の事を繰り返した後に、いささか小振りな鯊が釣れ上がる。そういった事が昼前ほどまで続いた。
昼前には、20匹少々の鯊を釣り上げていたが、それは決して優れた釣果ではない事も知っていた。
鯊のアタリ、それは二段階に分けられる。
コツ、コツ、というアタリ。これは水中で鯊が餌をつついている合図だ。この時点でアワセれば、当然すっぽ抜ける。針を未だくわえる以前の段階なのだから。
コツ、コツ、というアタリに対して静観という姿勢を取っていると、間もなくプルプルと竿先を震わせるアタリを感じる。これが二段階目のアタリである。このアタリが出たら即座にアワセをしなくては、鯊は針ごと餌を吐き出して逃げてしまう。
そのタイミングを掴む為に半日を要した。こうして言葉にしてしまえば容易だが、実際には体で覚える他ない、というシビアなタイミングだ。結果として、70匹近くを釣り上げる釣果となった。早い段階でこのタイミングを体得していれば、束釣り(一束とは、百匹を表す単位である)も不可能ではなかっただけに、多少は悔やまれるが、全体的な結果としては満足である。
私はこの鯊釣りとは、まるで茫漠とした我々人間の人生のようだ、と思うに至った。無論、話が若干飛躍的になり過ぎているのもわかる。しかし、こう考えてしまうのだ。
鯊釣りにおいて、かなり多量のアタリを感じる機会があるように、我々は人生において幾多の好機に出くわす。それを我々自身が好機であると認識出来るか否かは別にして、それは恰も星の数ほど降り注ぐ。同様に不幸の種も降り注ぐのかも知れないが、それとて同じ事だ。そういった好機を「掴む」か否か、そのタイミングは極めて微妙にして繊細なものだ。仕掛けるタイミングは、一分一秒ズレる事すら許されない。大抵の好機は、私の見当違いな仕掛けるタイミングによって、風塵へと帰す。
鯊釣りと私の人生を比した時に最も大きな違いとして感じられるのは、集中力である。鯊のアタリに神経を集中させる事は可能だが、人生の全ての好機に対して常に神経を張り巡らせる事は、私にはいささか困難である。疲れてしまうし、そもそも全ての好機を効率良く掴もうなどと初手から考えていない私がいる。
それはそれで仕方の無い事なのだが。
仕方の無い事なのだが、確かに私は好機を数多逃しているに違いない。後悔など微塵もしないが、厳然たる事実として確かにそうであろうと感じたのだ。
こういった事から私が自らに対する教訓として得たのは「チャンスが少ない、などと嘆くなかれ」という事である。その気になれば、チャンスなど幾らでも転がっている。それこそ鯊のアタリのように。問題は、それを掴み取るか否か、その一点に尽きるのである。
仕事に対しても、人間関係に対しても、或いは恋愛に対しても。
好機を逃すのには、それ相応の理由がある。悲観的に、そして自己憐憫的に自らの不遇を嘆くばかりでは何一つ進歩もあるまい。
タイミングを体得する事。これが重要なのだ。
私は鯊釣りに人生の機微を学んだ。
さて、結論である。
久しぶりに行った鯊釣りだったが、超面白かった!また行きたい!一人で行くと危険だね、朝から晩までひたすらにやっちゃうもん。あ、添付の写真は、15cm強の大型鯊です。結構引くんだよ、こいつが。
帰ってから、鯊を唐揚げにして食べた。美味かったなあ。ビールのお供に最適!ダイエット?そんなの知らないよ!あんなに美味いんだったらもうデブでいーもーん!
今度は江戸川のボート行こうっと。
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コメント
すげ~小説みたい。
いいところばかり拾って、エッセイ集、出せばいいのに・・・・・。
文章の中に少しエッチな部分が隠れていたり、
こだわりがあったり、
私は本を読むのが、とてもとても苦手なんですが、
読みたいなぁ~から、読んでみように変化し、
実際、時間のあるときは読んでしまいます。
本当に、文章が上手ですね。
いろんな経験をされているからかなぁ~(^^)
投稿: タッタカ | 2008年7月12日 (土) 00時20分
うん、天才的に楽しい文章。
チャンスとかタイミングとか、ちょうど私もこの2ヶ月ぐらいズッと考えていたことでした。
世界には奇蹟があふれていて、それに身体が反応するかは紙一重的なところがあるんだよね。
で、そこで欠かすことが出来ないのがエロ根性というか平たくいうと生命力だという結論に(2ヶ月かけて)至りました。。。
この辺が今後のピアニスト福島さんが楽しみな要因でもありますのょ。
投稿: あのじ | 2008年7月12日 (土) 06時38分
タッタカさんへ
ぼくは最近とんと本が読めません。音楽以外の事は集中力もありません。あ、釣りは別かな。
いよいよアルコールが脳ミソを侵し始めているな、と実感します。
本を読むのはやはり良いですよね。ぼくも読書家になりたいです。
投稿: | 2008年7月16日 (水) 21時08分
あのじさんへ
ああ、なるほど。エロ根性、生命力。うん、すごく合点がいきます。執着心や見栄のような感情を、必要以上にネガティブに捉える必要はないのかも知れませんね。
それらによって、好機を掴む事もあるかも知れない。ないかも知れない。
ピアノがうまくなりたいです。
意味不明ですみません。
投稿: ふくしまたけし | 2008年7月16日 (水) 21時12分
どこへ向かうのかわからない人にはチャンスも何もわからないのだろうかね。
投稿: はんたま | 2008年7月18日 (金) 01時50分
はんたまちゃんへ
そういういじけコメントはあまり可愛くありませんよ。
投稿: ふくしまたけし | 2008年7月30日 (水) 16時02分