漫画狂の詩
殊更に白状するのも馬鹿馬鹿しいが、嘗て私は文学少年であった。
思い通りに儘ならぬ日々に鬱屈としながら、文字の世界、想像力の世界へと私は逃避していた。挙句、いくばくかの教養を身に付けられた事は感謝するべきかも知れないが、その頃の事を思い出すと、いささか気が滅入る。
その当時、つまらぬこだわりで、あまり漫画を読まなかった。漫画など低俗な文化だ。或いは私の心のどこかにそのような思い上がりがあったのかも知れぬ。文学こそ至高の芸術なのだ、という勘違いが。
勿論、今はそんな事など微塵も考えていない。漫画が大好きだ。最近はよく漫画を読む。中には随分と文学的な作品もある。感動し、落涙してしまうような作品も、稀にある。当然、下らない(つまらない)作品も数多あるが、それはあらゆる表現の場において共通する事だろう。素晴らしいものも、そうでないものもある。そうして時代が作られるのではないだろうか。
という事で、本日は私の好きな漫画作品をひたすらに紹介します。そういう回にします。「この漫画が面白いから、読むと良いよ!」という回です。比較的有名な作品に限定しますが、もし仮に私が以下に列挙する作品全てに造詣が深い方はご一報を。旨い酒が呑めそうだ。
では、以下。
・花の慶次(隆慶一郎/原哲夫)
戦国武将、前田慶次郎利益を主人公にした時代漫画。原作は、隆慶一郎の「一夢庵風流記」。媚びず、流されず、自らの「人としての意地」を貫き通す為に、いとも簡単に死すら覚悟を決める慶次の姿は爽やかですらある。途中の沖縄編でやや中だるみの感もあるが、太閤謁見や直江兼次との友情など、見所は非常に多い。私が個人的に好きなのは、最終話に収録された慶次の詩歌。「生きるだけ生きたらば死ぬでもあらうかと思ふ」と締めくくられるその詩歌には、慶次の人生観が表れている。
・ザ・ワールド・イズ・マイン(新井英樹)
「モンちゃん」と「トシ」の二人が、凄惨なまでの殺戮をひたすらに繰り返すという過激な漫画。「トシモン」の二人は、テロリストの類型だと言う事も出来るが、それと同時に精神的に未成熟な人間の類型である、と見る事も出来る。物語の最中に現れるトシの言葉、「ボク、チカラほしかった」という言葉は、混沌とした現代を象徴する言葉のようにも私には感じられる。ラストに近づくに従って、作品の持つ緊張感が薄れていく尻すぼみ感も否めないが、前半から中盤以降におけるテンションの高さは比類ない。
・最強伝説黒沢(福本伸之)
佳作揃いの福本漫画シリーズからは、作者自身が敢えてギャンブルの要素を一切排除した「黒沢」を推したい。第一巻、第一話目から既に黒沢独自の世界観が描かれている。第一話の一コマ目にある台詞、「感動など、ない……!」は衝撃的。その他にも「人望が、ほしい……!」など、心にダイレクトに響く台詞多数。主人公が44歳の土木作業員という設定も、普通では考えにくいが、そうした人間の持つ悲喜交々を存分に描き切っている。ラストの暴走族からホームレス達を守るくだりでは、「人として生きる事」とは何かを考えさせられる。
・殺し屋1(山本英夫)
主人公イチは泣き虫な殺し屋、幼少期のいじめ体験がトラウマとなっているが潜在的なサディスト、というなかなかにコクのある設定。仕事(殺人)の後、死体の傍らで泣きながら手淫に耽る、という倒錯した描写も度々見られる。もう一人の登場人物、ヤクザの垣原が持つ究極とも言えるマゾヒズムと、イチのサディズムが溶け合い、単なる殺人から、「愛の物語」へと昇華される様は圧巻。イチが垣原を追い詰めるラストの描写は、漫画という媒体の新たな可能性を提示しているかのようだ。
・レッド1969~1972(山本直樹)
現在「イブニング」において連載中の漫画。固有名詞はほとんど全て伏字にしてあるが、明らかに山岳ベース事件、あさま山荘事件等、つまり連合赤軍を題材にしている漫画である。同一の構図のコマを連続させるなどの手法を用いつつ、全体的に息苦しいほどの「重さ」がある。重く、そして静かに物語は流れていく。登場人物の頭に丸数字が打たれているが、それは今後死んでいく順番を表わしたものだ、というブラックジョーク的な感覚も散りばめられている。昭和史に残る猟奇的事件を起こした彼ら。その彼らを「特別な存在」として扱わずに、「普通の青春」を謳歌したかった「普通の若者」として描いているところにこの作品の素晴らしさがある。スポーツの金メダルを目指すのも青春であれば、革命を目指すのも青春であるのだ。ふと、そんな事を思った。勿論、彼らに共感などしないのだけれど。
・はだしのゲン(中沢啓治)
1945年の広島への原爆投下、その事件をモチーフにした戦争漫画。平和を希求する、というプロパガンダのみならず、作品を通じて流れているのは、純然たる「怒り」である。戦争への怒り、国への怒り、差別への怒り。そういった怒りを「ギギギギギ」という独特の擬音とともに表現している。使われている言葉の一つ一つをとっても、過激な言葉が多い。連載されていたのは1970年代半ばぐらいであるが、間違いなく現在ならば商業誌に連載することは不可能な漫画である。思想的には随分と左翼思想に偏っているため、読む人が読めば眉をひそめるかも知れぬが、この漫画の良さがわからぬような人とは私は恐らく仲良くなれないだろうし仲良くなるつもりもない。いくらか極論に過ぎるのだけれど。
・ぼくんち(西原理恵子)
人生の中で最も影響を受けた本を三冊選べと言われたら、おそらく私は宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」と親鸞の「歎異抄」(著したのは弟子の唯円であるが)と、この「ぼくんち」を選ぶだろう。それほどまでに私は生きていく上でこの漫画に強く影響を受けている。西原理恵子という作家の持つ「泣く事と笑う事は同じ事だ」という哲学が、具体的に表現されている。ピンサロで働く姉ちゃん。トルエンを売るこういちくん。お父さんがシャブ中のさおりちゃん。しあわせはどこにあるのだろう。わからない。でも、こういうときはわらうんや。作品から受け取れるのは、どこまでも前向きなメッセージである。
他にもいくつか紹介したかったのだけれど、もう書き疲れたのでやめます。古谷実とかさ、松本大洋とか黒田硫黄とか。好きな漫画家は他にもたくさんいるのだけれど、また次回以降に。気が向けば書きます。
それでは永遠にさようなら。
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