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2008年7月 1日 (火)

素顔のままで

7月に入った。

先月までも私は日々努力を怠らなかった。

今月からもまた、新たに心を引き締めて努力を重ねていく所存である。

何の努力かと言えば、飲酒の努力なのだが。

日々寝る間を惜しんで飲酒に勤しんでいるのである。他人からは努力と認識されないのがつらい所ではあるが、荊の道である飲酒道に怠慢は許されない。本日も仕事帰りの電車の中から発泡酒により飲酒はスタートしている。カープも勝ったので祝い酒である。

さて、暇潰しに何を書こうか。

あ、ライブの告知書かなきゃいけないんだけど、それは携帯からは無理なんだ。家に帰って書こう。今度の金曜日に錦糸町でソロピアノです。

さて、と思案するが、結局以前少々予告した「礼讚、スッピン女性」について書こうか。世間的には歪んだ私の女性の好みが論述される事は請け合いなので、ここから先は、女子供は読まないで頂きたい。今すぐブラウザ左上部の「戻る」ボタンを激しくクリックする事を推奨したい。

スッピンとは、一つの哲学的で形而上学的な観念形態である、と私は考えている。それは崇高な意志の元に支えられる人生に対する強固なスタイルだと言って良い。スッピン女性を見る度に、私は己の矮小さを自覚し、力無く頭を垂れる以外に術を失うのである。

化粧。それは女性を化けさせる魅惑の手段である。化粧をする事によって彼女達は「いつもと違う自分」を手に入れる。否、手に入れた気になる。そこに諸悪の根源は存在するのだ。

中島みゆきの佳曲に「化粧」というものがある。その歌はこう歌う。

化粧なんてどうでも良いと思ってきたけれど、今夜死んでも良いから、綺麗になりたい。こんな事ならあいつを捨てなきゃ良かったと、最後の最後に、あんたに思われたい。

と。

切ない女心である事は疑いの余地もない。捨てられたのだが、惜しまれたいという自尊。それを中島みゆきは情感たっぷりに歌い上げる。我々人間が抱える「認められたい」という宿便のごときカルマを、何とも切ないケースを利用して粛々と歌い上げる。曲のクライマックスに歌われる

バカだね、バカだね、バカだねあたし、愛してもらえるつもりでいたなんて

という箇所などは、情念や恨み節などを通り越したカタルシスさえ感じられる。

しかし、である。事はさほど単純ではない。

このストーリーの場合、「化粧をして綺麗になってあんたに後悔させてやりたい」という自尊が歌われている訳であるが、そもそもそれは「後悔させる為の手段」としては妥当かつ効果的なのであろうか。私はそこに疑問符を投げ付けたい。

それ以上に、「化粧なんてどうでも良いと思ってきたけれど」というメンタリティ、これこそが現代用語で言うところの「萌え」な訳である。

ならば、捨てた男を後悔させる為の最良の手段としては、化粧は妥当ではない。

男同志には、「ハズレのない会話」というものがある。それは凡そ、野球、博打、エロの三種類に大分される。男達はみなその三種の神器とも言えるトークが好きなのだ。異論は認めない。少なくとも私の周りはそうだ。

女性同志でも「ハズレのない鉄板話」があると聞く。それはどうやら恋愛、美容、そして化粧である、というのだ。何だそれは。どれも至極つまらない話ではないか、と憤るのは股間に拳銃(ワルサーP38)を具備した我々男性のカルマである。

つまり、スッピンという生き方を選んだ女性というのは、こういった大多数の女性達の「円」からの脱却を意図したものだと考えて良い。

疎外感。孤独。そして孤立。

様々なものを彼女は感じ、そして懊悩するであろう。しかし、その懊悩する姿こそが、学術的用語で言うところの「萌え」な訳である。

綺麗には着飾れない。周りの女性達がどこそこの化粧品が良いとか、バッグを持つならシャネルが良いとかプラダだとか、スカーフはエルメスよ、金持ちのボンボンからもらったティファニーのオープンハートのネックレス、などと長渕剛の歌の歌詞のような事を言っている横で、「あたしはそういうの苦手だから…」と明るく諦めながら、それでも心持ち俯き加減な女性をどうして愛でずにいられようか。いや、いられない(反語)。

30歳を越えたら無理のないナチュラルメイク、だ?寝言は寝て言え。

若い内は良いだろう。背伸びがしてみたい年頃の心理はわからなくもない。若い内は化粧ぐらい許してやらない事もない。しかし、30歳を越えたらスッピン。この一択キメ打ちで間違いない。

女性が化粧をしなければならないなどという忌々しい慣習は、今すぐに捨て去るべきだ。

スッピン、礼讚。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

非常に強い志ですね。
私もすっぴんが好きですが、ここまでは考えていませんでした。
自分の甘さを知ることにもなり、勉強になります。
でも、すっぴんが「萌え」であることを分からない人がこんなに多い日本社会に憤りを覚えます。

と、同時に石田ゆうすけさんよりも、ふくしまたけしさんに惹かれそうな自分がいます。
こんなに良質なブログを他に知りません。

投稿: もとき | 2008年7月 2日 (水) 01時16分

そうですね、たいへん良質なブログですね。

それにしても、
スッピンって、結構大変ですよ。
心身健康じゃないと無理ですもの。
さらに、
>疎外感。孤独。そして孤立。
という精神的な部分は、女性はお化粧するのがデフォルトとされているドレスコードを超越出来るだけのパワーに裏打ちされていないと、単に変わった空気の読めない偏屈で貧相な女(そこまで言うか>私)、に堕してしまうんですよね。
(ふくしまさんは社会全体で化粧をやめましょうというご趣旨かもしれませんが)

なぜ、ふくしまさんはスッピン礼賛者になられたのでしょうねえ、
心持ち俯き加減の静かなパワーを秘めた女性をおみそめになられたのでしょうか(笑)。

投稿: あのじ | 2008年7月 2日 (水) 05時57分

もときさんへ
ごく最近はすっぴんもそうですが、「色気のない靴」に激しく萌えるようになってきました。履き古したスニーカーとか、そういうやつに。変態道を日々邁進しております。

投稿: ふくしまたけし | 2008年7月16日 (水) 20時53分

あのじさんへ
あんまりきちんと分析しないで下さいね。ぼくはぼくとて、適当な与太話ばかりを書いているもんですから。
まあ確かにお察しの通り、そういったタイプの女性を好きになった事は多々あるのですが。これって単なるぼくの女の趣味じゃんねえ。

投稿: ふくしまたけし | 2008年7月16日 (水) 20時56分

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