素顔のままで2~そして伝説へ~
ライブの情報。見に来てもらいたいので、載せておきます。
7月4日(金)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
今月も二回やります、入魂のソロです。やりたい音楽を、やりたいようにやっています。
20:00~start music charge:2500円(1ドリンク・おつまみ付)
さて、昨日のブログの内容について、いくつかの感想を頂いた。コメント欄に頂いたものにはきちんと返信を書くが、それ以外の感想も頂いた。
曰く、「あまりスッピン女性の美しさが伝わってこない」とのご指摘が一つ。ならば、と思い立ち、未練がましいのは承知の上で補足をここに追記しようという魂胆である。本日も、女子供は帰った帰った。
書店でよく目にする女性誌の見出しやコピーが、甘いカクテルよりも苦手な私である。「この秋、明るいニットが超マスト!」などのコピーは言わずもがなであるが、「内面から美しくなる12の鉄則」みたいなコピーも反吐が出そうなほどに嫌いである。責任者、出て来いよ、とかぶりを振りながら憤りを表したい。内面の美しさが本当の外面的な美しさを醸し出す、それはそれで事実だとは思うのだが、そのように安易に表現されてしまっては、私も辟易としてしまう。
しかしながら、このスッピン至上主義は、言葉の使い方を一歩間違えてしまえば、そのような安易な賛辞に陥ってしまいかねない。故に私も言葉を慎重に選びつつの運びとなる。
一つ誤解して欲しくないのは、「化粧によって女性が美しくなる」という事を私は決して否定はしない、という点である。化粧は女性を化けさせるだけではなく、美しくも見せる。それはそれで一つの事実なのである。しかし、それを「敢えて捨てる」心意気。この心意気に私は武士道に卑近な例を見る、何か潔さのようなものを見るのである。
ドラゴンクエストというゲームをご存知だろうか。私の世代、つまり30代前後の男性諸氏ならば、このゲームの存在を全く知らずに育った方というのは皆無なのではないだろうか。かく言う私も幼少の砌、このゲームに夢中になった口だ。私が一番好きなのは、ドラクエⅢそして伝説へ、である。
このゲームは、様々な敵を倒して経験値を獲得し、自らのレベルを上げていくといったものである。その過程で様々な出会いや別れを主人公たちは経験する。そしてまた、物語を進める上で必須なアイテムを、主人公たちは獲得していくのである。この重要アイテム、化粧とはそれに類するものなのだ、と考えていただきたい。
人間は手のひら一杯の米と野菜で生きていける、私の敬愛する宮澤賢治はそう言った。手に持てるものだけで良しとしなくてはならない。つまり、余剰は「捨てて」いかなければならないのだ。
ドラクエにおいても、余った道具は売るか捨てるかしなくてはならない。しかし、重要なアイテムを「捨て」ようとすると、「それをすてるなんてとんでもない!」という神の声が飛んでくるという斬新なシステムが採用されている。強制的に「捨てる」ことを拒否される、という訳だ。
王者の剣、というアイテムがある。「こうげきりょく」が125もアップする(数値はうろ覚え)夢のようなアイテムであり、当然捨てるような真似は許されていない。捨てようとすれば、「それをすてるなんておまえはきちがいか」という天の声が聞こえてくる。
つまりは「化粧」とはそういったアイテムである訳だ。装備すれば強くなる事は目に見えている。捨てようとすれば天に拒絶される。しかし、敢えてそれを捨てる、スッピンの持つこの心意気である。
スッピンという生き方を選んだ女達は、とにかく「捨てる」。「それをすてるなんてとんでもない!」と言われようと何だろうと、捨てるものは捨てる。「ラーの鏡」だろうと「最後の鍵」だろうと、ばんばん捨てる。たとえその後の冒険に支障をきたす事が目に見えていても、捨てるものは捨てるのである。これをどうして礼讃せずにいられようか。いや、いられない(今日も反語)。
軽い装備で冒険を続ける為には、己の根本的なレベルを上げておく必要がある。つまり、安易な言い方を模すならば、それこそが「内面的な美しさ」という事になる。はぐれメタルを倒しまくらなくてはならないのだ。
そこで一つの価値基準の転覆が起きる。
そもそも戦わなくてはいけないのか?というテーゼ。
つまりはドラクエ的世界観の放棄である。
戦いを有利に進めるために、主人公たちは経験値を積む。そしてレベルを上げ、更に強い武器を手に入れていく。しかし、そんな事は最早どうだっていい事なのではないか、そういった崇高な諦観がここから見ては取れないだろうか。
「私には私の生き方がある」とか
「自立した女の気持ちがなぜわからないの?」だとか
どこそこのレストランで地中海料理を食べるだとか
「イタメシにエスニック、ボルシチなんかも最高よね」って言いながら
と私はまたも長渕剛の歌詞を引用してしまう。
そういった「戦い」を諦める強さが、スッピン女性にはある。手に入れたものは、「捨てる」のである。
素顔のままで良いじゃないか。
美しいものを愛でたい気持ちはわかる。十全に理解は出来る。が、本当に美しいものは、少々いびつな形をしている事も往々にしてある事を私はご理解いただきたいのである。
嘘だとお思いならば、セロニアス・モンクの亡くなる直前のピアノソロの演奏に耳を傾けていただきたい。そこには何の虚飾もない、スッピンの美しさがある。簡素で素朴。けれど、何人の追随をも許さない、独特の美しさがあるのである。
という事で、二回に渡ってお届けしたスッピン女性への礼讃。これにてお開き。今日は私は今から病院に行かなくちゃならねえんだよ。
さようなら。また来世で。
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コメント
化粧しててもいいじゃないですか。
すっぴんで世間に勝負して喰いついてくれる男は
なかなかいないと思います。
あなたのような酒臭い人だけです。
それよりも、普段は社会的なのに!
ベッドの上では俺だけにこんな顔を!
そっちのほうが僕はゾクゾクします。
投稿: | 2008年7月 4日 (金) 23時29分
知らない人へ
それは我々の学会の中での学術用語で言うところの「ギャップ萌え」ってやつですな。わかります。ぼくクラスの人になると。
ぼくは新しい学問分野であるところの「諦め萌え」の大家ですので、こういった論旨になるわけです。ご了承下さい。
投稿: ふくしまたけし | 2008年7月16日 (水) 21時00分