秘されたもの
夏である。
俄かに蝉も鳴き始めた。木立の翳りの中で風を頬に感じる時、私は夏に包まれている実感を覚える。
元来あまり得意な季節ではない。が、先のような光景に加えて、夏のもたらす何とも言い難い郷愁は、私を奇妙に心地好い気分にさせる。
少年時代、丁度今時分に訪れる夏休みの到来は、幼い私の心を確かに躍らせた。学校から出された幾ばくかの宿題、そんなものには目もくれずに、区民プールだの近所の川だの公園だのに赴き、日が暮れるまで遊んだ。暑さでどうしようもない時は、友人の家や私の家でファミコンに興じた。今時の子供達と、やっている事は大差はない。夏休みの到来が嘗ての私の心を魅了したように、今の子供達もきっと今は全てを忘れて遊び惚けているのだろう。
そんな事を考えていると、妙な郷愁に駆られる。子供の頃に戻りたいとは思わない。けれど、その頃に感じた夏への期待、そんなものは今一度感じてみたいと思う。恐らくそれすら不可能なのは明白なのだが。
Everything must change.
変わらざるものなど何一つない。何れにせよ、街も私も変わりすぎた。
さて、夏である。私も仕事で日々街に出るが、人々の装いも俄然夏の様相を呈してきている。
「夏はおなご達が薄着になりますさかい、たまりませんなあ!うひょひょ!」
何処からかそんな声が聞こえてくる。
確かにそういった文言に対して、面と向かって反論する術を私は持たない。街中を歩く若い雌。恐らく磯野ワカメに心酔しているからだろうが、「それを腰に巻くことで何かが隠れているのかい?」と問いただしたくなる程のミニスカートを身につけているのをしばしば目にする。最早ミニスカートとは名ばかり、或いはそれは単なる布の切れ端ではあるまいか、と考えてしまうほどの代物も時には視界に入る。私は死んだ魚のような眼でそれを見つめる。また、その魔界の中にあるデルタ地帯をも。バミューダトライアングル!脳裏でそんな単語が太文字で浮かぶ。特に意味はない。ただそこにあるものを私は見つめているだけだ。そこにあるバミューダトライアングルは物質であり空間である。それを一次的な物だと考えれば、それを見つめる私の精神や意識は二次的であり、つまり私は唯物論的な価値観の中でそれを見つめている事になる。
いい加減な事ばかり書きすぎて、私自身も何を書いているのかさっぱりわからなくなってきた。少し話を戻そう。薄着の話である。
上述のように、私もそれ(布の切れ端)を批判する立場ではない。仮に往年の森高千里女史が眼前に現れて、そのミニスカートから覗く二本の脚を好きなだけ見つめて良いと言われれば、それは確かにやぶさかではない。寧ろ積極的に見つめていくだろう。さしもの私も非実力派宣言してしまいかねない、という事だ。
しかし、である。私は折角の日本人なのだ。日本人には日本人の美的感覚というものがあるだろう。私はそれを愛でていたい。私は貝になりたい。
秘すれば花、秘せずは花ならざる
世阿弥の「風姿花伝」の中の言葉である。当ブログでも度々紹介した記憶がある。
隠すからこそ良いのではないか。隠さないものなど何が良いのか。
誤解を恐れずに世阿弥の言葉を解説するならば、そのようになる。
包み隠さない、そのままの姿もまた良いかも知れぬ。しかし、隠してこその花ではないか。そう考えた時に、浮かんでくる選択肢は、ロングスカートである。足首がやっと見える程度のロングスカート、その趣を考えて頂きたい。
嘗て清少納言は自身の著作「枕草子」の冒頭で「春はあけぼの」と語った。「やうやう白くなりゆく。やまぎは少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる」と続くのであったろうか。虚覚えであるがゆえに間違いがあれば御容赦頂きたいが、確かその後には「夏はロングスカート」と続いた筈である。私の記憶が確かならば。
そうなのである、「夏はロングスカート」なのである。秘すれば花、の精神を体現するロングスカートを私は賛美したい。
印象派から象徴主義へと続いた芸術の流れを考えれば、この問題提起に対する理解を深める手伝いとなるかも知れない。光の美しさを表した印象派、それに対して物質主義や実利的なブルジョア主義を批判した象徴主義。朝を描いたのが印象派だとすれば、黄昏を描いたのが象徴主義である。ロングスカートとは極めて象徴主義的ですらあるのだ。世阿弥の言う神秘主義をも内包しつつ、精神性に重きを置く象徴主義を具現化するロングスカート、最早至高の芸術であると評さずにはいられない。
日本のロングスカート界には偉人がいる。幸いな事にまだご存命であるが。石田ゆり子(Yuriko Ishida ,1969〜)氏である。
現在パソコンからこの文章を書いているのであれば、そのご尊顔をここに添付もしたいのであるが、生憎現在は携帯電話から書いているため、それも叶わない。あくまで読者諸氏の各自の想像力に委ねる事となるが、氏が夏の黄昏の中でロングスカートをはためかせている風景をご想像頂きたい。全盛期のマイク・タイソンのパンチ力を10だとすれば、12ほどの破壊力がそこにはある。つまりまともに喰らえば即死、というレベルである。意識をまともに保つ事は許されず、半ば強制的に視界は歪む。恐らくPS3を発売日に買いに行った輩も「これ、綺麗ってレベルじゃねえぞ!」と怒号を上げるに違いない。あまつさえ柳沢某氏は「急にボールが来たので(QBK)」と呟く事だろう。
はためくロングスカート。ちらと見える足首。そしてその奥に潜む、秘しているからこその「花」。これぞ日本の侘び寂びを生かした美である。異論は認めない。
更に私の好みだけを語らせて頂くならば、そのロングスカートから覗いた足先には、いささか薄汚れたスニーカー、これが鎮座していれば完全体である。但しこれはいささかマニアックな嗜好である事も自覚しているので、共感は求めない。
ロングスカートの素晴らしさ、ご理解頂けたであろうか。
本当は今週末、土曜日のライブの告知をしようと思っていたのに。
26日土曜日、隅田川花火の傍らで亀沢アーリーバードでピアノソロのライブやっていますからね。21時スタート、来て下さいね。
明日きちんとライブ告知書こうっと…
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コメント
ええっ~、これを携帯から書いているんですか、凄いですね。そんなパワフルなところも尊敬してます(笑)。
アーリーバード、いいですよね。とってもいい。
かなりスケジュールがきついのですが、伺いたいとは思っているのですが、うむむむむ・・・。
投稿: あのじ | 2008年7月23日 (水) 20時24分
テレビのCM☆浴衣の前のが確かロングスカートの☆れいさんでしたね…振り付けが凄く可愛いらしかった。あれはアドリブとか…金麦☆サッパリしてて私は好きです。毎日蒸し暑くてヤですね~
投稿: のりまき | 2008年7月23日 (水) 22時20分
あのじさんへ
たまに携帯から長文を書いてしまいます。思い浮かんだ事を家に帰ってからパソコンで書こう、なんて思っていると、忘れてしまうか飽きてしまうのどちらか、という事がよくあるんですよね。でも、やっぱりパソコンが書き易いんだけど。
投稿: ふくしまたけし | 2008年7月30日 (水) 16時09分
のりまきさんへ
れいちゃんは、最近「狙ってる感」が増し過ぎていてちょっとアレですね。やはり最初に金麦のCMで現れた時の衝撃には叶わない、と思う今日この頃です。
投稿: ふくしまたけし | 2008年7月30日 (水) 16時11分