東京を自転車で走る
東京というのは、つくづく奇妙な街だと改めて思う。
「生まれは何処だ?」と問われれば、私は「東京だ」と答える。しかしそこには何か奇妙な違和感が付き纏う事も確かだ。
それは、東京という街の持つ「実体のなさ」が原因ではないだろうか、と私は思うのだ。東京には、「東京らしさ」がない。その街の実体が、いつまで経っても見えてこない。恰もカメレオンの如く様態は様々だ。東京の東の端、小岩という街が故郷だ、と考えれば、さほどの違和感はない。それは、小岩には小岩のイメージというものがあるからだ。東京には、東京のイメージがない。
本日、小岩の家から、私が勤める千駄ヶ谷の音楽教室まで、自転車で行ってみた。私の住む小岩は東京の東の端、そして千駄ヶ谷という街は東京23区の中でも西よりの場所にある。つまり東京23区の約3分の2ほどを横断した格好だ。小岩から千駄ヶ谷まで自転車で行ってみた事は初めてだった。のんびりと進んで、片道2時間程度である。私はその2時間の間に、実に様々な風景を見た。どれが東京なのだろう。どれもが東京なのだ。本当に、奇妙な街だ。
小岩から出発して、隅田川を越えるまでは、下町の風景が続く。私にとって馴染みの深い風景だ。私の通った高校のある錦糸町までは、度々自転車で通った為、その風景は懐かしいものでもあった。最早高校を卒業してからは10年以上が経っているが、意外なほど風景は変わっていなかった。亀戸の公園や、錦糸町の横十間川。それらはまるで私が高校生であった頃から一分の変化もないかのように感じられた。勿論、実際にはそんな事はないのだが。
万物は流転する。ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、でも良いだろう。何もかもが遍く変化していくのはわかっているが、勘違いしてしまうほどの懐かしさを感じた。車で通り過ぎた時には、そんな事を考えなかったのだが。自転車で移動すると、こういう特典が付いてくるわけか、と独りごちをぶった。
隅田川を渡ると、街は俄かに都会の様相を呈する。浅草、秋葉原、お茶の水。特にお茶の水に近づくに従って、私の心は躍り始める。古本屋、楽器屋、レコード屋、、雀荘、カレー屋。お茶の水は、ほぼ「私の好きなジャンルの店しかない」と言っても過言ではない。あ、いや、スポーツ用品店はあんまり興味ないか、訂正する。本日も、少し時間に余裕があったので、古本屋に少し立ち寄ってしまう。音楽関係の書籍や譜面のみを扱う古本屋。店名は失念した。20分少々を立ち読みして過ごす。
道すがらに小宮山書店なる古本屋を横目に見る。ほのかな淡い思い出が脳裏をよぎる。高校一年生の頃(童貞で童貞を煮染めたような頃)、同級生に小宮山さんという女の子がいた。背の高い可愛らしい女の子で、私は心密かに「良いな」と思っていた。そして高校生の頃(しつこいようだが童貞で童貞を煮染めたような頃)、私は小宮山書店で何かは忘れたが本を購入した事がある。無論、理由はその書店が店名に小宮山の名を冠していたからという理由のみである。高校生男子(童貞)としては360°どこからどう見ても正しい行動である。ちなみにその後小宮山さんとは殆ど喋る事もなければ仲良くなったような経緯もない。これもまた高校生男子(童貞)としては正しすぎる過去である。ちなみにこの衝撃告白、私の高校の同級生が読んでいたら死ぬほど恥ずかしいが、幸いにして私は高校の頃は殆ど友達がいなかったので、それは恐らく大丈夫であろう。
あ、それともう一つ。私が童貞を失ったのは確か去年だったと思う。勿論、未だに童貞魂(DTスピリッツ)は失ってはいない。
さて、神保町を抜けると、靖国神社が見えてくる。「天皇陛下万歳」を日に三十二度は叫ぶような極右の私からすれば、聖地である。深々と頭を下げながら通り過ぎる。ちなみに私は選挙では常に共産党に貴重な一票を投じている。
傍らには千鳥ヶ淵。さだまさしの『風に立つライオン』という歌の一節が頭をよぎる。
ナイロビで迎える三度目の四月がきて今更
千鳥ヶ淵で昔君とみた夜桜が恋しくて
故郷ではなく東京の桜が恋しいという事が
自分でも可笑しいぐらいです可笑しいぐらいです
切ないなあ。そうだ、私も千鳥ヶ淵の夜桜を思い出した。もう一度、見たいものだ。
そこからはまるで別世界だ。四ツ谷を抜けて、信濃町、外苑周りの緑豊かな風景は、まるで東京ではないかのようだ。
いくつかの小学校、中学校、高校が目につく。私でも知っているような有名かつ由緒正しい学校だ。小さい頃からこうした緑豊かな風景を見ながら育ったら、どう育つのだろうか、とふと考えた。ひょっとしたら、同じ人間でも、小岩で育つのと外苑周りで育つのでは違う人間が出来上がるのかもしれない。
そういったいささか非現実的な風景を抜けると、私の勤める音楽学校が見えてくる。私は東京を東から西へとまたぎながら、東京の実体の無さを実感する。それは決して不愉快な事ではない。しかし、何か奇妙だ。
帰り道、私は再びお茶の水に寄る。大手の本屋を物色してからレコード屋に寄る。私が持っていないRandy WestonのCDが1000円で売っていたので購入する。そしてその後は大好きなカレー屋「エチオピア」に向かう。私はインドで生まれ育っているので、カレーが大好きなのだ。少し中国にいた時期もあるので、ラーメンも大好きなのだが。少なくとも、人から「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれたら即答で「カレーとラーメン」である。「エチオピア」のカレー、5倍の辛さはまだまだ辛さが足りなかった。次回は10倍にしよう、と心に誓う。とても美味かったのだが。
ボンディにも行きたいな。
私の友人で、「記憶力は悪いのだがカレーに関する記憶だけは異常に良い」という人がいる。カレーを食べている時の会話や人の表情などは、例外的に鮮明に覚えられるというのだ。わからなくもない。
そんな一日。
自転車は、良いね。
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