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2008年4月23日 (水)

たけしの酒

Shall we セックス?

いや、かたじけない。ついつい無闇矢鱈と思いついた下ネタを口にしたくなる私の悪い癖が出ただけだ。大目に見ていただきたい。

あ、でも女性とお酒を呑む時に、「ねえ、広島の新井が阪神行っちゃったのってどう思う?」ぐらいの軽いトーンで「Shall we セックス?」って聞いてみたいな。女の子の反応としては、「もーう、やーねえ。」と顔を赤らめてくれつつも、満更ではなさそうな微笑を浮かべてもらえるのが模範解答、100点。まあ、次いで「ウィー、ムッシュ!」とやる気満々で濡れた瞳を投げかけてくる、というのも悪くはない、80点。腰を低く落として「ヘイ、バッチコーイ」は、悪くはないのだけれど、60点。無視、というのはそれはそれで私の中のM的な部分が反応しなくもないのだが、50点。まあ暴力的な行為で反応されなければ、何だっていいや、というのが正直なところなのだが。どうでもいいか、思いつきの下ネタであまり引張ってはならぬな。

さて、気を取り直して本題に。

今日は、酒、である。

ご存知の方も多いかも知れないが、私は酒という液体を深く愛している。酒により重大な人間関係を壊した事も一度や二度ではないが、それでも今日、私は酒を呑んでいる。それは私が酒を愛する所以だ。酒を呑む事により生じるリスクよりも、酒を愛で、嗜み、そして私自身が酩酊するその時を優先させる。わかりやすい言葉でいえば、「クズ」という事である。

日本酒、焼酎、ビール、ワイン。様々な有象無象の酒が世の中には存在するが、ざっくり言ってしまえば酒には二種類しか存在しない、と私は考えている。無論、その二種類とは「美味い酒」と「不味い酒」である。全ての酒が、この二分法によってカテゴライズ可能である。

私は度々この問題について言及する事があった、と記憶しいる。以前、当ブログにおいても、「気の置けない友人と些細な話題に爆笑しながら呑む酒」は「美味く」、「いけすかない人間の自慢話に適当な相槌を打ちながら呑む酒」は「不味い」と書いた記憶がある。

こういった事からもわかるように、酒の美味さを決定づけるのは、呑む酒の種類や銘柄以上に、それを呑む状況設定が重要なのではないか、というのが私の持論である。勿論、酒の種類というものを無視している訳では決してない。私はお気に入りの小料理屋(←小岩にある。どこか知りたい方は私に直接お問い合わせいただきたい)にて、日本酒の呑み比べをする事を、数か月に一度の楽しみとしている。呑む日本酒の銘柄により、味の差が歴然とある事ははっきりとわかる。酒の種類による差というものは、厳然としてあるのだ。あるのだが、それ以上に重要なのは呑むシチュエーションではないだろうか、というのが私の提案である。この私の提案が、今回の話の大前提である。そこに同意できない方は、この先を読む事はあまりお勧めしない。

さて、こうした大前提のもとに私が考えるのは、「美味い(或いは美味そうな)酒の状況ベスト3」である。こうした状況で酒を呑めばハズレはない、という私なりのナビゲートである。参考になるであろうか。恐らく、あまり参考にはならないであろう事を先に断わっておく。

まず、第3位であるが、これは「失意の酒」と呼びたい。我々人間は、失意を味わう事がしばしばある。これまでに一度も失意を味わった事のない人間、或いはそんな人間も世の中にはいるのかもしれないが、そんな奴の話は聞きたくないし、今後も参考にする予定はない。失意を味わった時に呷る酒というのは、格別なものである。

私が呷った「失意の酒」。それは、焼酎であった。銘柄は、確か「大五郎」。4リットルで2000円程度で売られている「最凶」の名に恥じない酒である。味に関して先に言っておこう。掛け値なしにマズイ。ただそれだけである。

当時、私は恋人と別れてしばらく経った頃であった。別れた原因は私の浮気である。360度どこからどう見ても私が悪い状況で、別れを切り出された。私の心境としては、裸単騎イーピンで待っていた処で、ラスハイの東をツモ、ただしトイメンは国士無双13面待ちでオープンリーチをかけている。取れる対処法はただ一つ、「大声を出す」の一択である、という状況に似た状況。有無を言わさずに(言えずに)お別れと相成った。そこまではよくある話なのだが。

さて、暫くしてからその別れた女性から「新たに彼氏が出来た」という話を聞いた。私はまだ彼女に未練があった時分である、それはそれは苦悶した。私はその女性が私の知らない誰かと接吻を交わす処を想像した。そしてコマンとコチンの擦れ合う様をも。私は半狂乱であった。まるで修羅の如き形相をしていたに違いない。そんな折、私の傍らにあった「大五郎」の4リットルペットボトルが目に入った。私に出来る事は、そのペットボトルの注ぎ口に自らの唇をつけ、可能な限りの量の焼酎を、出来うる限り迅速に体内に摂取させる事のみであった。私は大五郎を呑んだ。可能な限り、多量に。

普段、まるで消毒用アルコールと間違えるかの如き香りを放つ大五郎であったが、この時は私のささくれだった心に染みた。そうなのだ、その時に呑むべき酒は、大五郎でなければならなかったのだ。私は、当時の一人暮らしの家で孤独に急速に酩酊し、そして少しずつ憎しみや嫉妬から解放されていった事を覚えている。

失意の酒、それは悲しい心を慰める、優しい酒である。安ければ安いほど良い。チープな自己憐憫が、酒を一層美味くするスパイスとなるのだ。

続いて第2位である。

と、書きたい処なのだが、眠くなってきた。2位以降は次回に持ち越したい。

書かなかった場合は、軽めの罵り言葉で私を罵っていただきたい。

なお、この場合、私を罵って良いのは和服の日本美人のみだ。いや、叱ってほしいな。

「もう、たけちゃんったら相変わらずダメねえ」といった具合に。

うん、叱ってくれる人募集します。

おやすみなさい。

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