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2008年4月 4日 (金)

理想の結婚

これを書き始めた現在、4月4日(金)、午前2時18分である。

深夜2時過ぎ、こんな時間からパソコンのキーボードををカタカタと叩き出したのには訳がある。私はこれより約3時間後の午前5時30分頃まで、今日は強制的に起きていなければならないのだ。

その時刻、まだ夜も明け切らない早朝の時間から、西の都、京都に向けてここ東京を出発する。今回は、鈍行列車の旅だ。簡単に時刻表を調べてみたところ、朝5時19分に東京の小岩駅を出れば、14時13分には京都駅に着く、との事なのだ。5時19分、その時間まで私は起きていなければならない。早起きをしてその時間に起きるなどという事は、到底不可能であるのだから。

また、上記の5時19分~14時13分という予定は、間違いなく達成される事のない事も知っている。私は乗り換えの際などにしょっちゅう逆方向へ進行する電車に乗る事があるし、また、一番危惧するべきは途中下車である。広大な静岡県を越えて、愛知県に差し掛かった辺りで小腹も空いてくる。名古屋駅にて途中下車。

―――うん、ひつまぶしでも食っていくか、いや、きしめんも悪くない。味噌煮込みうどん?素晴らしい。

そういった自問自答が繰り広げられた挙句、途中下車して時間を一時間以上ロス、という事態は十二分に考えられるのだ。

補足であるが、今回、移動の際には「青春18きっぷ」なるものを利用する。この切符、同日内(つまり本日4月4日以内)であれば、何度乗降車を繰り返しても料金は変わらない、という画期的なきっぷであるのだ。

さて、その京都への電車を待つまでの時間、私は我が家での暇潰しの一手段として、当ブログを更新するという手段を選んだ。少々長めの文章を書く時には、毎回凡そ二時間前後を要している。つまり、ブログを更新する事によって、二時間は時間が潰せるのだ。悪くないではないか。そういった経緯から、本日は深夜の更新と相成っている。

ここまでで、2時34分。実に16分が経過した。素晴らしい。

ブログ更新時には、毎回、何を書こうか、と凡そのテーマを決めて書く事が多い。今日も、この更新に当たって、幾つかのテーマ候補が上がった。今回候補に挙がったものを以下に紹介しよう。

・最強伝説えなりかずき~その光と闇~
・金麦新CMにおけるれいちゃんの焦燥
・欲しいものは丈夫なロープと足を乗せる台
・小岩ラーメン事情~群雄割拠の時代~

ざっとこんな所である。勿論こうして紹介するくらいだから、これらは今回の更新に際しては採用に至らなかった、という事になる。「えなり」と「れいちゃん」に関しては、共に5割程度は構想も定まっているので、近々採用する可能性も高い。全国の「エナリスト」達は首を長くしてお待ち頂きたい。下段二つのテーマに関しては、今、適当に思い付いた単語を羅列しただけだ。言外の意味はあまり無い。

さて、では今回のテーマに選んだものは何か、という事についてそろそろ触れていこう。今回私がテーマに選んだものは「結婚」というテーマである。

前回、プロポーズに纏わる少々物騒なショートストーリーを恥ずかしげもなく掲載した。そして奇しくも、今回私が京都へ向かう一番の目的は、非常に親しい友人の結婚パーティの為でもあったのだ。ならば、私なりに無い脳味噌を振り絞って、結婚という人生の一大イベントについて考察を巡らせてみようではないか、と思うに至ったのだ。えなりかずきを無反省に賛美する文章を書くのは、次回以降の機会に譲るとする、というのが賢明な大人の判断である。勿論、今私の中で抗う事の出来ぬほどのすさまじい「えなりブーム」がやって来ているのは明白の事実なのだが。

結婚、である。

古今東西、結婚に関する名言や格言は後を絶たない。そしてそれらは往々にしてネガティヴなものである事が多い。そういったものを引き合いに出して、「結婚とは人生の墓場である」という使い古された常套句のような結論を導き出すのはいかがなものか、と私は考えている。実際の所、そういった向きに私は否定的ですらある。

「女房は死んだ!俺は自由だ!」というシャルル・ピエール・ボードレールの言、これは間違いなく彼の心からの叫びであっただろう。

また、ボードレールよりも少しばかり後の時代を生きたオスカー・ワイルドが「男は退屈から結婚し、女は好奇心から結婚する。そして双方とも失望する。」と書いている事も興味深い。理想的な言辞を幾つ書き連ねてみたところで、結婚にはネガティヴな面は存在する。それはどうやら抗えぬ事実であろう、という事は、未だに結婚を経験した事のない私でも想像に難くない。

しかし、先にも書いたように、私は今日は結婚というものを、可能な限りポジティヴに捉えて考察するという事を心に決めている。ならば、ボードレールやワイルドの上記のそういった言葉たちに振り回される事無く、「理想的な夫婦像」というものを考えてみてはどうだろうか。

私はここで再びもう一つの名言を挙げてみたい。明治の文豪、永井荷風の言葉である。

「ねえ、あなた。話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね。」

この言葉の持つ破壊力、ご理解いただけるであろうか。

妻からこう言われた際の衝撃を、現代風に述べるならば、「萌え」の一言である。私は、この言葉から、「理想的な結婚の形」というものを妄想しつつ探っていきたい。以下、ショートストーリー形式にて。結局それが書きたいだけかよ!というツッコミに関しては、一切受け付けない。

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私は微かに揺れる海の中を見た。

青く、そして暗い海の中では、数多の生命が銘々にその生活を営んでいる。幾重にも連なる食物連鎖の渦の中で、新しい命が育まれ、そして古い命が朽ちていく。誰が決めた訳でもない、しかし数億年の時間の中で綿々と受け継がれてきた生命の摂理が、そこで成されていた。私もまた、そうした生命の摂理の真只中にいる。古い命を喰らい、新しい命を育み、そして朽ちる。その事を考えると、ふいに穏やかな気分になった。

私は同時に風の音を聴いていた。小さな船の上で。

遮るものは何もなく、直截的に風は私の頬を打ち、そしてその音を鼓膜に響かせる。いささか凶暴な音だが、決して不快な音ではない。私が手に持った釣竿の先端が、その風に煽られて、ほんの少ししなる。海中に垂らした釣り糸は、波に流されながら、しかしその緊張を保ったままだ。

私は家を出る時のお前の顔を思い浮かべていた。お前の、あの不安そうな顔を―――

「行ってくる」と私が言った。お前は俯いたままだった。

私が踵を返して背中を向けたその時に、お前は言った。

「ねえ、この間の事、まだ気になすってるの」

私は口を噤んだ。気にしていない、と言えばそれは嘘になるからだった。

私は少しだけ不愉快でもあった。私が釣りに出掛ける。釣りは私にとっては殆ど唯一と言っても良い趣味である。子供染みているのかも知れないが、私は前日の晩には僅かに興奮し、昂ぶったりもするのだ。月に一度か二月に一度、私はこうして船の上から糸を垂らす事を至上の慰みとしていた。その出鼻を、お前の憂鬱そうな表情によって挫かれたかのような錯覚に陥ったのだ。

しかし、少しでもそう感じた自らの幼稚さを恥じると共に、私は心に浮かんだ動揺の色をお前に悟られまいとして平静を装った。

「行ってくる」―――私は一言お前にそう告げた。

事の起こりは先週の晩だった。私が晩酌の席で、お前に対して愚にもつかない事を尋ねたのがきっかけだった。少し酒が過ぎていたのかも知れない。確か、普段ならば二合で止める筈の燗酒を、その日は私は四合呑んでいた。私はお前にふと、過去の事を尋ねたのだった。

お前が躊躇したのがすぐに分かった。お前の表情には、幾つかの徴しが見受けられた。余り隠し事が得意ではないのは、以前から知っていた。お前が沈黙した。傍らで、猫がにゃあと啼いた。

「いや、言いたくなければ構わない。人間には言いたくない事の一つや二つ、あって当たり前だ」私はそう言った。猫が、私の足許に擦り寄って来た。私は適当に猫を撫でた。

「言っても、構いませんわ」沈黙に耐え切れない様子で、お前はそう言った。

「だって、貴方が私の事を知りたいと思ってくだすってるんでしょう。ならば私、申し上げるしかないじゃありませんか」

今度は、私が躊躇した。私が躊躇したのは、お前のその表情に何か決意めいたものがはっきりと見えたからだった。

「厭じゃないのか」私が訊いた。

「厭じゃないわ。私が昔の事を貴方にお伝えして、貴方はそれでもまだ私の事を妻として愛して下さる、私、そう思っていますから」お前の顔には、不思議な力が漲っていた様にも見えた。

そして、お前は、ぽつりぽつりと、けれど確かに、自分の過去を話し始めた。

―――私はその晩の何ともやり切れない感情を、今、船の上で思い出していた。お前が語るお前の過去は、聞く前に想像していた以上に私を疵付けた。お前が嘗て苦しんでいたのは分かるが、それでも私は即座にお前の過去を全て許容し切れなかった。どこに向けて良いのかわからない怒りの感情が私を包み、私はお前の話を聞き終えてから、暫し肉体と意識が乖離しているかのような感覚に襲われた。私はどこにいるのだ、私は誰なのだ、と。

お前の過去を知りたくなったという、その欲求自体を私は疑いもした。果たしてそんな欲求をお前に吐露した事は正しかったのだろうか、と。私はわかっていた。私がそれを望めば、お前は戸惑いながらも有り体にお前の過去を語るだろう事も。ならば、それを承知した上で私がお前に過去を尋ねたのは、果たして本当に正しかったのだろうか―――

私の手に持った釣竿が、大きく前方にしなった。魚が、私の垂らした釣り針を口に銜えた証だった。私は竿を大きく上方にあわせ、リールを巻き、糸を手繰った。数分の格闘の後、船上に上がって来たのは形の良い、立派な鰤だった。

この時期の鰤は、脂が乗っていて非常に旨い。刺身にしても良いし、焼いても良い。私はそれまで脳裏に浮かんでいた鬱屈とした感情を意図的に外へ追いやり、今晩の食卓でのお前の顔を想像した。まあ、立派な鰤ですこと、お前はそう言って喜んでくれるだろうか。貴方、大した腕前ですわね、こんな美味しい魚を釣っていらっしゃるなんて。そう言って予定調和の世辞をお前は言ってくれるだろうか。机を挟んで向かい合って、お前がこの鰤に舌鼓を打つ所を、私は目にする事は出来るのだろうか。腕に微かに残る釣竿の振動の余韻は、私をより一層不安にさせた―――

船は、予定の釣行を終え、定刻通りに港へと帰り着いた。地上へと降り立つ。まだ少し船上での揺れが足に残っている。私は、鞄から携帯電話を取り出し、お前に向けて電話を掛けた。無機質な電子音が私の耳に響き渡る。港町特有の魚の脂の臭いが、私の鼻腔をついた。

「もしもし。ああ、私だ。うん、今終わった所だ。これから帰る」私は少々ぶっきら棒にそう言った。

「今日はどうでしたか。魚は釣れましたか」お前が私に尋ねてきた。

「形の良い鰤が釣れた。後は鯖と鯵が少し。きっと旨いと思う。帰ったら私が捌く」私は言った。

「まあ、良かったですわね。楽しみに待っていますわ」お前はそう答えた。

私は、少し口篭ってから、言った。

「折角だから、美味い日本酒を一本、買っておいてはくれないか。今晩は、この鰤で、二人で呑ろう」

お前は、沈黙した。沈黙に気まずくなって、私は言った。

「厭か」

お前はそれに答えた。

「いいえ、嬉しいです。お帰りをお待ちしております」と、呟くように。

そして、それに続けて、こう言った。

「ねえ、あなた。話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね。」

そうだな。私は、笑顔で答えた。

(了)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

という事である。なかなかによく出来た夫婦の妄想であると満足している。断りを入れておくが、完全にフィクションである。

ここまで書き終わって、現在5時27分。あーあ、遅刻だよ。

さ、今から電車に乗って京都に行ってきます。

あ、そうそう、4月6日は高槻JKカフェでライブもしてます。関西の方、宜しければどうぞ。

以下、参考までに。

4月6日(日)大阪高槻JKカフェ
tel 0726-71-1231
http://www6.ocn.ne.jp/~officejk/cafe/jkcafe.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
サックス黒田氏とデュオで。久しぶりです。大阪も、サックスデュオも。ずっと昔から一緒にやってる相手ですので、手の内もお互い熟知しております。息の合った演奏になると思います。
19:00~start  music charge:カンパ制

行ってきます。

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