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2008年3月13日 (木)

バッドチョイス

誰しもが経験のある事だろうから、大仰に書くのはいささか憚られる事だが、人生には幾つもの分岐点というものがある。

分岐点。ターニングポイント。呼び方は何だって構わない。

道が幾筋にも分かれているケースもあれば、たった二筋という事もある。或いは、一筋でしかなかった為に(もしくはそう見えただけ)、それが分岐点であると気付かないケースというのもあるだろう。しかし、それは確かに分岐点なのだ。我々はそうした分岐点と対峙した時に、好むと好まざるとに関わらず、意思決定を迫られる。逆説的な言い方をすれば、分かれた道の多少を問わず、意思決定を迫られた時、或いは意思決定をした瞬間というのは、我々が分岐点にいた証ではないだろうかと私は思うのだ。

私もこれまでの長くはない人生の中において、数度は意思決定を迫られた経験がある。言い換えれば、分岐点に対峙した事がある。私はその都度、最悪、とまでは言わないが、少なくとも最良の選択をした事は一度たりともない、と自負している。何が良い判断で何が悪い判断なのかは分からない。しかし、私の意思決定の根拠は常に曖昧模糊たる物であり、悪い言い方をするならば、私は常に「流されながら」生きてきた。

嗚呼、我が人生に悔いあり。

そんな言葉で自らを揶揄し、小馬鹿にする事で私はバランスを保っている。それは今も変わらない。

分岐点における選択の良し悪しを、後悔するか否かという一点で判断する向きがある。それはそれで構わない。構わないが、今一つ気に食わない。

「何を選んだって良いじゃん。自分が後悔しなければそれはそれで良いんだよ」という文言は、私の心には殆んど響かない。

「何を選んだって良いじゃん。嫌だったら脱兎の如く逃げれば良いんだよ」

これならば多少は響いてくるか。実際私もそういった物言いをする事もある。

青くなって尻込みなさい。逃げなさい。隠れなさい。

加川良の『教訓』という歌に以上のような文句があったが、私は概ね賛同する。

大した分岐点ではないのかも知れないが、私は今、一つの分岐点にいる。流されながら、意思決定も下した。無論、いささか後悔している。

そんな時に、音楽だけが残酷過ぎるほどに優しい。

レッスンの仕事に行ってきた。数時間早めに教室に入って、自らの慰めの為だけにピアノを弾く。言うなれば、一種の現実逃避だ。

珍しい事に、ピアノは、今日は、私の言うことを聞いてくれた。私が出したいと思った音を紡いでくれた。

高い音が、耳の奥の方で木霊する。

低い音が、腹の真ん中辺りに染み込んで、揺さぶる。

生きていても、まあ、いいか。

私がそんな事をお気楽に考え始めた所で、生徒が教室に入って来た。

機嫌良く、私は今日も音楽の話をして、ピアノを弾いてきた。

帰って、酒を呑もう。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

あなたよりちょっとだけ長く生きてきたので、
その分(?)分岐点も多かったかもしれないけど、
最近は自分らしい選択をしてると思います。
何回その分岐点があっても、同じ選択をするんだろうなという。
それに後悔がないということではなく、
自分はそれしか選択できないということだと思います。
それしか選択できないということは、
傷つかないということでもなく、
それを選択する生き方しかできないということです。
そうやって生きていけばいいと思っています。
そのために自分は生かされているとも思えます。

投稿: ぴょん | 2008年3月13日 (木) 23時48分

私も少なからず分岐点はあったよ。

「もし、あっちを選んでたら…」って考える時期があったけど
それはそれで多分あっちを選んでたら
こっちの方が良かったんじゃないかって
悩んでたと思う。
どっちを選んでも一長一短。

常にないものねだりです…。

音楽って良いよね。
好きな曲を聴いたり、演奏したりしてる時って
それだけで気持ち良いもんね♪

投稿: りん | 2008年3月14日 (金) 10時27分

お酒やらコーヒーやら、苦い味は大人の味だって。
慣れたら病み付きなんだよな

でもなあ悶える苦さに耐えきれないのよ、まだまだ子供の甘ちゃんか知らん

投稿: はんたま | 2008年3月14日 (金) 14時19分

子どもの頃やった究極の選択『カレー味のウンコとウンコ味のカレー』を思い出しました。懐かしい?

でも、世の中には選択の余地もなく、もっとひどい物を食って生きていくしかない人間がいます。ゲロの混じった残飯を食わされて育つ子供がいます。

何も難民や恵まれない人の事を考考えろという偽善者ぶった説教がしたいわけでないのですが・・・。

ただ『選べる』という自体は幸せな事だと思います。
せめて貴方も今最善と思える選択を自信を持ってして下さい。良かれと思って生きて下さい。

ブルハが素敵なこと言ってました。遅すぎるなどというこことは一つもありはしないのだ。ってね。

福島さん、もっと自分を大切にしろ!

って読んでて思わず熱くなってしまいました。エラソーですいません。これからも応援してます!

投稿: ラバーソール | 2008年3月15日 (土) 16時46分

ぴょんさんへ
>最近は自分らしい選択をしてると思います。
ってとこが良いね。
そうだと思う。色々失敗した挙句に自分が納得する身の処し方が身に付いて来るんだと思う。失敗は成功の母だ、なんてポジティブ発言でお茶を濁すようだけれども、それはそれでありなんだろうね。難しいよね。

投稿: ふくしまたけし | 2008年3月18日 (火) 17時28分

りんさんへ
音楽は、そうですね、良いですね、助けられてます。
ただ、ぼくの場合はそれが(助け舟になったのが)たまたま音楽だった、というだけであって、色んなケースが考えられるんだと思います。例えば、読書であったり、TVゲームであったり、お酒であったり。色んな解決策は、気付かないうちに真横にあったりしますね。世の中は、不思議なものです。

投稿: ふくしまたけし | 2008年3月18日 (火) 17時31分

はんたまちゃんへ
「痛みは始めの内だけ、慣れてしまえば大丈夫」
っていうブルーハーツの歌を思い出しちゃった。
でも、その後には
「そんな事言えるあなたは、ヒットラーにもなれるだろ」
って続くんだよね。
そうそう、慣れないものは慣れないって言ってたほうが良いのかも。よくわかんないね。

投稿: ふくしまたけし | 2008年3月18日 (火) 17時34分

ラバーソールさんへ
>何も難民や恵まれない人の事を考えろという偽善者ぶった説教がしたいわけでないのですが・・・。

ぼくは結構人から説教されるのはあんまり好きな方じゃないんですが、件の書き込みは、何だかすっと入ってきました。何かね、「アツい書き込みだなあ」って。アツいのは決して嫌いじゃないんですよ。ありがとうございます。
エラソーだなんておっしゃらないで下さい。人に向かって何かを言うのは、結構めんどくさい。でも、そのめんどくささを承知の上で書き込みしてくださった事に、感謝してます。

投稿: ふくしまたけし | 2008年3月18日 (火) 17時37分

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