~撰ばれてある事の恍惚と不安と、二つ我にあり。~
この言葉を目にして、「第二次UWF」とか「前田日明」とか脳裏に浮かぶ方は、現在30代以上のプロレスファンの方々に違いない。今日はプロレスの話をするつもり。では全くないので、ここからはいきなりの余談だが、私はその当時のプロレスというものは、「プロレスとして最も元気であった頃のプロレス」だと認識している。
現在は、「ショーとしてのプロレス(ex:新日本、NOAH等)」と「それ以外のプロレス(ex:総合格闘技系のイベント等)」との境界線が、極めてクリアになってきている。が、前田日明、藤原喜明、高田延彦、船木誠勝らが「UWF」を旗揚げしたその当初は、まだ現在ほどその境界線は明確ではなかった。混沌とした中で暗中模索しつつ出来上がったのが「UWF」であり、そしてその後の「リングス」、「パンクラス」、「Uインター」などの団体である。そこには「未完成」ゆえの面白さがあった。現在の「PRIDE」以下のイベントがその頃の格闘技団体に比べていささかなりとも高い完成度を誇っている背景には、そうした黎明期の模索があったからであろう事には疑いの余地がない。ちなみに私は初期の「パンクラス」が抜群に好きだ。静寂に包まれた中での闘い、という見慣れない光景に私は固唾を呑んだ。それは、ショーでもなければスポーツでもなかった。原始ギリシャのパンクラチオンの中での「肉体闘争」を現代社会に還元しようとして出来た、極めて実験的な試みであった。実験的であるがゆえに完成度に劣る所はあった。しかし、それは間違いなく現在の総合格闘技ムーブメントの礎となっている。「リングス」や「Uインター」に関しても同様である。
閑話休題。
さて、冒頭に挙げた台詞であるが、確かに前田日明は第二次UWF設立に際してこの言葉を引用した。確かに、当時としては未開拓なる格闘技領域へ足を踏み入れる事に対する恍惚、そして、未踏の領域であるがゆえの不安を表現するには、なかなか適切な言葉であったのかも知れない。
誰の言葉か。
フランスの詩人、ポール・マリー・ヴェルレーヌの文言である。そして、この文言を日本において一躍有名にしたのは、かの太宰治であった。
太宰は、自身の著作『晩年』の冒頭において、このエピグラフを引用している。そして、それは『晩年』という作品全編を通して描かれる「原罪意識」を端的に表しているとも言える。
私は、この文言が、今、飛び切り似合うお笑い芸人を先日発見した。
それは、江頭2:50(えがしらにじごじゅっぷん)である。今日は、「江頭2:50=太宰治論」を無駄に展開したいと思う。
先日、酒の席で「江頭2:50は露出狂なのか」という何ともチンカスのような話題になった。確かに、彼はテレビの画面を通じて我々視聴者にその裸体を見せ付ける事がしばしばある。露出狂、と一笑に付してしまうのは、案外容易いかも知れない。
しかし、彼のその偽悪的とも取れる芸風に、私は太宰治の影を見た。私が今考えているのは、「江頭2:50は太宰治である」という事だ。
こういった文章を書くに当たり、江頭2:50についてインターネットを駆使して再度調べてみた。主に私が情報源として頼ったのは「wikipediaによる文章」であった。普段、情報源として活用するのは「東京スポーツ(東スポ)」が殆どである私であるから、今回に関しては綿密に調査を行ったと言っても過言ではない。
そこに記された数々の「江頭伝説」を読むにつけ、私の「江頭2:50=太宰治論」はさらに確信の度合いを強めた。幾つかの例を出そう。
まずは、江頭2:50の性格を表した以下の文章。
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テレビで描写される江頭しか知らない視聴者には蔑まれる傾向があるが、共演者の話や楽屋の隠し撮り場面などに現れる素顔の江頭は真面目で礼儀正しい常識人である(非常に大人しくて腰が低く、週刊文春の芸能人特集でも「店員が恐縮するほど礼儀正しい人」と記載されるほどである)。むしろ真面目過ぎるために自身に対する期待を理解し、それを踏まえた上で暴走しているとも言える。 (wikipediaより)
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これはまさしく、『人間失格』に描かれた、主人公葉蔵の心理と同じではないか、と私は戦慄した。葉蔵は、道化を演じる事で、周囲の期待に応えようとしていた。そして江頭2:50もまた、その真面目さゆえに道化を演じている。
この太宰の『人間失格』を、私は自らの中で、或る意味では普遍的価値のある作品だと位置づけている。それは夏目漱石の『こころ』に卑近な例を見るように、人間の心中に潜む、暗いエゴイスティックな部分、或いは自意識というものに焦点を当てた作品であるからだ。
エゴイズムや自意識の存在を普遍的なものだと仮定するならば、江頭2:50の芸というものは、人間の根底に在る原風景のカリカチュアだと捉える事が出来る。江頭2:50は、その芸風をもって、我々人間の抽象を表現していたのではないだろうか。太宰治が葉蔵という主人公に、その劣悪な(劣悪であるがゆえに私の共感を呼び起こした)自己を投影し、表現したように。
また、私は『人間失格』という作品を、「露悪趣味な作品」として認識している部分がある。これは必ずしも悪い意味で言っている訳ではない。そこまで書かなくてもわかるよ、言いたい事は伝わってくる、でも、そこまで書いちゃうんだねえ、君は難儀な人だねえ。という感想である。寧ろ賞賛の言である、と受け取っていただきたい。そしてまた、江頭2:50に対しても、そういった賞賛の念をもって彼の芸を受け止めてしまう。
江頭2:50は、数々の「事件」を起こしているが、その中でも最も有名なものは、「トルコ全裸事件」である。参考までに、今一度wikipediaによるこの事件の概要を転載したい。なお、wikipediaによるリンクの指定は、外してある。
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トルコ全裸事件
江頭が引き起こした最も有名な事件であり、当時は大規模なニュース沙汰に発展した。
- 全容
1996年、江頭はテレビ東京の『ザ・道場破り!』の企画の一環として、トルコで行われたオイルレスリング交流試合の会場に前座として乱入、3000人以上のトルコ人を前にして自らの芸を披露した。事前に準備した「座禅縄跳び」が予想以上にウケたため、江頭は調子に乗り芸をエスカレート。しまいにはふんどしを脱いで「3号機発射!」と叫び全裸パフォーマンスを敢行するが、肛門にでんでん太鼓を刺して逆立ちした直後、会場から一斉にブーイングの嵐が巻き起こってしまう。事態を受けた江頭は逆立ちしたまま会場から退場するが、その後は即座にトルコ警察によって身柄を拘束され、同時にわいせつ物陳列罪の容疑で逮捕されてしまうのだった(イスラム教国家のトルコでは戒律の関係上、公衆の面前で性器・肛門等を露出する事が日本よりも強く規制されている)。ただし、本人はこの事件に関し「リハーサルで少人数の前でやった時には大ウケだった」と言及しており、この点については集団心理によってブーイングを受けた可能性も少なくない。
幸いにもトルコは戒律が厳しくなかったため、江頭は罰金刑(日本円で75円)のみで釈放されることとなった。なお、この話には後日談があり、その際居合わせたトルコの民衆が危うく暴徒になりかけたため、江頭はほとぼりが冷めるまでトイレで身を潜めていたらしい。この件に対し、日本のトルコ大使館は「詳しい話は聞いていないが、決して嬉しい話ではない」とコメント。この一件はトルコ国営放送や地方紙によって大きく報道されることとなり、後に日本でもセンセーショナルに扱われている。その際、江頭は当時『FNNスーパータイム』のアナウンサーであった露木茂ら「国辱者」と批判されることとなり、同時に『ワイド!スクランブル』のニュースキャスターを務めていた水前寺清子からも「情けない、最低」とけなされてしまうのであった。
なお、このことについて大川豊は、個人的な意見として「彼だけ責めるのは冷静に見ておかしい」、「でんでん太鼓状態までかなり間があり、ふんどしを外した時点でなぜ誰も止めなかったのか」と述べており、「半分ブーイング状態でもネタを続けたのは、彼なりの焦りの現れではないか」と語ると、「というのも彼はそもそもオイルレスリングをするためにトルコ入りしたが、練習中に頭部を二針も縫う怪我をこうむり、やむなく急遽ネタをする運びとなった。この事件は誠実な迷惑をかけてすまないという思い、彼なりの負い目からことに及んだのではないか、件のVTRの江頭からはその様に感じる」と推察、「また、彼は現地コーディネーターに「SEXを連想することはタブー」と注意されていたが、自身は「オレのはもっとバカバカしい」と思っていたようだ」と証言している。(同wikipediaより)
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私は、この事件についての上記の内容を読んだ時に、「撰ばれてある事の恍惚と不安と、二つ我にあり」の言葉が即座に脳裏に浮かんだ。
江頭2:50は、トルコという見知らぬ土地で全裸で肛門にでんでん太鼓を挿した上で逆立ちをした。その時、彼は「恍惚と不安」を同時に享受していたのではないだろうか、と。
それは、私たちが生きる、という事の一つの答えであるように感じるのだ。恍惚と不安を共に感じながら、それでも直立するという人生に対する姿勢。私は、彼の荒唐無稽な姿勢を想像するに、ある種の憧憬の念を禁じ得ない。
嘗て太宰治に共感した私のメンタリティは、ここへ来ていささか姿を変えた、江頭2:50への憧憬という形に帰結した。
狂気の芸人、江頭2:50。彼もまた一箇の「かぶき者」であったのだ。(←最近結論は全てこれだな)
さて、酔狂な「江頭=太宰論」はこれにてお開き。熱心な太宰ファンや江頭ファンの方々は、このようなクソミソ文章を読んでくれぐれも腹など立てぬように、と注意を促しておきたい。
そうそう、今日はこれからライブです。宜しければお越し下さい。
3月18日(火)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
ピアノソロです。普段のジャズを中心としたステージとは少々毛色が変わります。ブルーズ、童謡、そしてぼくのオリジナルなども織り交ぜて。ピアノという楽器の持つ可能性に、真っ向から挑んでいきます。
20:00~start music charge:1900円(1ドリンク・おつまみ付)
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