審美眼と歴史認識
本物志向、というものが、殆ど無い。
以前からそういった傾向が私にはあったが、ここの所それを再認識するに至った。
例えば、酒、である。
美味い酒と、高級な酒、というのは必ずしもイコールにならない、と私は考えている。高級な酒を口にした機会というのは、少ないながらも私にはある。それは確かに美味かった。しかし、それは必ずしもその酒の品質のみによるものではない。
とても極端な喩えになってしまうが、「いけすかない人間の自慢噺に適当な相槌を打ちながら呑む高級な酒」と「気の置けない仲間と下らない会話に笑いながら呑むホッピー」ならば、どちらが美味いのかは明白である。この事に異論を唱える人間は少ないのではないだろうか。酒や料理の美味さというものは、それを口にする環境によって大きく変化する。こういった喩えを出すまでもないのかも知れないが、それほどまでに私たち人間の感覚というものは、言わば「いい加減」なのだと思っている。
酒の喩えを出したついでに、もう一つ。
少し前に、スペインのスパークリングワイン、「カヴァ」なるものを呑む機会に恵まれた。値段はフルボトルにして一本1000円前後であるらしい。フランスのシャンパンならば、一本5000円から10000円、勿論高級なものであれば更にゼロが一つ増える価格のものも少なくない。
しかし、カヴァの芳醇な香りとすっきりとした喉越しは、十二分に私を満足させうるものであった。実際、このカヴァの人気は現在日本でも俄かに沸きつつあるらしい。私にカヴァの良さを判断するほどの審美眼があるのかないのかは別にして、カヴァが1000円前後で呑めるのならば、シャンパンなど最早私には不要なのではないだろうか、と思ったほどである。
私は、「面白い贋物、二流品」を愛する。「面白い二流品」は「凡庸な本物」を越える。そこには想像力が必要だ。
今回、こうした事を考えたのは、歴史認識について考えを巡らせた結果である。
「正しい歴史認識」という言葉に、私は何とも言えない齟齬感というか、疑念を抱いてしまう。
坂本龍馬の事を考える。彼の事を好きだと言う人間は多いし、私も彼に憧れる部分はある。しかし、その事に対して、批判的な見解を述べる人間が少なからずいる事も知っている。
批判的な意見の骨子は大体こうである。「坂本龍馬という男は、当時(江戸時代末期)の薩摩の使いっ走りに過ぎない。革新的な事をした人物でもなければ、多くの人間が憧れるような偉人でも無い。彼を偉人にしたのは、司馬遼太郎という歴史小説家のハッタリに過ぎない」というものである。
こういった意見を聞いて、私の感想は一言、「野暮だなあ」である。
仮に司馬遼太郎という作家が自身の著作「竜馬がゆく」の中で創り上げた「坂本竜馬」という登場人物が幻想だったとしても、つまり司馬氏の想像力によって描かれた人物だったとしても、それがどうだというのだろうか、と私は考えてしまう。坂本龍馬とはもっと下らない取るに足らない人物なのだ、と述べる意見に処する方法は、苦笑いの一択である。
南京大虐殺や種々の戦争に関わる歴史認識というのは、その陰で虐げられ、殺された人間達も存在する事から、軽薄な私の意見をここに書き記す事は憚りたいが、龍馬の話などは、そういった問題などと比すれば圧倒的に人を傷つける事も少ない。良いではないか、と思う。
他にも私が好きな歴史上の「妄想的新見解」としては
・源義経=チンギス・ハーン説
・上杉謙信=女説
などが挙げられる。荒唐無稽なこれらの見解には、夢がある。誰も傷つけない嘘ならば、つくのも構わないではないか。
嘘を暴こうとする人間と、嘘に騙されようとする人間。どちらが「粋」であるかと考えた時に、私は即答で後者を選ぶ。どちらが傾(かぶ)いているかを考えても、同様である。
さて、そろそろ本日の本題に入ろうか。
前田慶次こと前田慶次郎利益が、最近私の中でものすごいブームになっている。
彼もまた、「創られたヒーロー」である事には間違いない。
だが、それが良い!
嘗て隆慶一郎が著した歴史小説「一夢庵風流記」、そしてそれを原哲夫がコミック化した「花の慶次~雲のかなたに~」の主人公が前田慶次である。私たち歴史学の素人たちが前田慶次に対して抱くイメージは、これらの著作群からによるものが殆どだ。
実際のところ、前田慶次に関する資料というのはあまり現存しておらず、作者たちの想像力によって、前田慶次の大枠が形作られただろうという見方もある。が、彼は、「傾奇者」として世に名を馳せた実在の人物でもあるのだ。
先日の男呑み会の最中に決議されたこれからの私たちの価値判断基準がある。
これからは、良いか悪いかで物事を判断するのではなく、傾(かぶ)いているか傾(かぶ)いていないかで物事を判断しよう、と。
ものども、マラを出せえええ!
という事で、これからは傾(かぶ)いて生きる事に決めました。とりあえず、その男呑み会に同席した社会保険庁勤務の友人からのアドバイスは、「年金を納めろ。納められないならば、その旨を税務署(だったっけな?)まで報告しに行って来い。それが傾(かぶ)く第一歩だ」との事でした。行こうかな、税務署。
ばかだなあ、負けいくさこそ面白いのに・・・
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コメント
花の慶次
…パチンコもあるね。
やったことないけど…。
投稿: りん | 2008年2月22日 (金) 09時38分
キミもカウ゛ァなんて小洒落たモノ飲むようになってしまったんだね。昔はいいちこと発泡酒と安ワインだけやったのに笑。一体どこで誰と飲んだの!?少しだけ興味が湧きます。ハハ(^^)
投稿: 卒業写真 | 2008年2月22日 (金) 18時20分
じゃあ、hitomiさんとは真逆ですね。
「愛はどこからやってくるのでしょう?
自分の胸に問いかける♪
偽物なんて興味はないの♪
本物だけ見つめたい♪」(by LOVE 2000)
投稿: はんたま | 2008年2月23日 (土) 20時12分
謙信女説、むかし読んだ気がします。
家康替え玉説ってのもありますな。
八切止男さんっていうあることないこと作家の人が書いてましたよ。
投稿: あー | 2008年2月24日 (日) 01時05分
りんさんへ
ぼくは、最近パチンコの慶次もやってきました。でもね、あんまり面白くなかった。部分々々ではかなり興奮するんですけどね・・・佐々成政が「意地を通すのは不便なものよのう」とか言うと「おっ!」ってなったんですけど。全然アツくねえんだもんなあ。
投稿: ふくしまたけし | 2008年2月28日 (木) 00時52分
卒業写真さんへ
前に京都の先輩の家で呑んだまでですぞ。彼は最近スペイン料理屋の店長になったとかで、スペインのお酒の勉強の最中だったのです。カヴァは、美味かった。ハマりそう・・・
投稿: ふくしまたけし | 2008年2月28日 (木) 00時54分
はんたまさんへ
確か「Love 2008」という歌の中に以下のような一説があったのではないでしょうか。
「愛は地獄からやって来ます♪
自分を修羅に追い詰める♪
勝ちいくさなんて興味はないの♪
風流だけ見つめたい♪」
確か合間々々の合いの手は
「はあ~こりゃこりゃ」
と
「だがそれがいい!」
でしたな。
投稿: ふくしまたけし | 2008年2月28日 (木) 01時00分
あーさんへ
家康の替え玉説は、それも隆慶一郎の「影武者徳川家康」ですよね。確か、関ヶ原で家康は戦死した、という設定で物語が進むやつ。それとも、歴史学的には有力な(有名な)一説なんでしょうか。ぼくはよく知りませんが。
八切止夫、ググってみました。なかなかこやつも傾いたお人のようで。ちょっと興味が出てきてしまいました。
投稿: ふくしまたけし | 2008年2月28日 (木) 01時07分
おお、反応したね(笑)
八切氏の本はほとんど絶版、というより発禁本で、8冊ぐらいのシリーズが新書ででてます。
「影武者徳川家康」を隆氏が書く前に、彼は八切本を参考にしてるようですよ。
日本は仏支持派と神支持派(代表織田信長)の2派の抗争の歴史だ!という独特の史観をもとに、ラディカルな歴史小説を書いてます。
謙信は仏支持派として登場しますよ。
投稿: あー | 2008年2月28日 (木) 19時24分
あーさんへ
隆慶一郎、最近本格的に読み始めてますが、面白いですね。歴史小説、というだけではなくて、実際に現存する資料に対する言及とかあって、読み易いです。
仏支持派と神支持派っていう分け方は、面白いですね。言われてみればなるほど、と思ったりもします。毘沙門天のご加護、という言い方は、確かに仏支持派ですね。
投稿: ふくしまたけし | 2008年3月10日 (月) 17時59分