« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月

2008年2月29日 (金)

青い空と白い肌

私は酒を呑んでいるのだろうか、呑まれているのだろうか、と自らに問いかけてみた。

不思議なものである。「お酒はねえ、呑んだら呑まれなきゃダメなんれすよぉ」と酩酊の末に私が時折口走る言葉、そこには嘘偽りの感情は無かったはずだ。私は上手に酒と付き合おうなどという気持ちは断じてなかった。

しかし、ここ最近はどうであろうか。私は、寝る前に独り自らの部屋で焼酎を呑み、ほどほどの二日酔いとともに目を覚ましている。何だこれは。

私は、酒に呑まれるよりも、呑み乾してやりたいのだ。それにやっと気が付いた。しかしこの体たらく。私は見事に酒に呑まれているではあるまいか。

嘗て、私にとって、呑み屋という場所は、夢のような場所であった。

いや、今もだと言いたいのだが。

呑み屋に行く、となれば、私はたとえ煉獄の如き二日酔いであろうと、サウナに寄って大量に汗をかき酒を対内から抜いてでも行った。金がない、となれば女房を質に入れてでも行った。ちなみに私は独身なので女房は未だ持たないのだけれど。女房を持ったら、酒の為に質に入れる覚悟であるという、決意表明である。

以上の喩えはいささか極端に過ぎたが、私にとっては呑みに誘われるというのは、余程の事(たとえば親族に不幸があるとか)がない限り断る事はなかった。無論、今でも誘いに関してはほぼ断らない。

問題は、それ以外の時なのである。

嘗て、私は親しい誰かや仕事仲間の音楽家達と呑みに行く事のみならず、我が身一つで呑み屋に赴く事の愉しみをも知っていた。いや、知っていた筈だ。独りで部屋にいる。すると何かは知らぬが、不気味な不安の塊が私の心を侵していく。そういう時には、私は独りで夜の街へと呑みに出掛けた。

「呑みにでも出るか」

そう考えると、私の心は不思議と落ち着いた。そして、何やら俄かに興奮し、愉しさに心を躍らせた。

今はどうだろうか。家で独りでいる時に、「呑みにでも出るか」と考えた所で、「でも面倒くさいな」、や「明日は早いしな」といった宿便よりも惨めな想念が脳裏に寄せては返す。在りし日の、「呑み屋に行く事」に心を躍らせていた私はどこへ行ってしまったのだろうか。

これはまさに「酒に呑まれている」ではないか。この際の「呑まれている」は、雰囲気に呑まれる、気合いに呑まれるなどと同義だ。何を酒に怖気付き、怯んでいるのだろうか。

と、自問自答した私は、独りで呑みに出る事を決意した。

ここの所、呑みに出るとなれば、その9割は小学校以来の友人Yとの酒の席であった。大抵はYの方が私よりも時間に融通が付け難いがために、彼よりメールが来る。「暇?」という、何とも簡潔なメールである。案ずるな、私は大抵暇だ。

電話の場合も同様である。

Y:「ああ、オレ。暇?」

私:「うん、今パワプロしてた。もうやめるよ。今もう永川出したとこだし」

以上のやり取りがわからない方のために、無粋を承知で説明を入れれば、パワプロというのは日本のプロ野球を模した野球ゲームである。私は必ず広島東洋カープを使う。永川というのは、現在広島カープの抑えのエースである。彼が出てきている、ということは、試合は最早さほど長くない、という文脈のメタファーであるのだ。数年前の同義語であれば、「おお、ちょっと待ってね、今大魔神佐々木登板したし」がそうであろうし、現在ならば、「待っとけよ、藤川に火の玉ストレート放らしたらもうやめっから」がそうであろう。要約すれば、以上のやり取りは

「暇?」

「うん、だらだらとゲームに興じるくらい暇だったんだけど、もうやめっから」

という事になる。ご理解いただけただろうか。そして私たちは、二人して夜の街へと繰り出す。話の内容は瑣末な事だ。仕事の話や昔話、そしてYが最近ハマっている秋葉原の「耳かき屋」の話や(Y談:「あれはマジやべえって!女の子はみんなアイドルクラスだよ!?60分4000円は超安い!!」)、「花の慶次」の話などである。大したことはない。酒の席での話に、崇高さや荘厳さを求めてはいけないのだ。政治家にユーモアを求めるのと同じくらい無理がある。しかし、確かに、愉しい。

友人と呑みに行く事、それはそれで確かに愉悦であるのだ。だが、彼が仕事で帰りが遅い時、私は無意識化に呑みに行く事を諦めていた。いいじゃん、家で独りで呑めばさあ、といった塩梅に。それではいけない。

それではいけないのだ。

私の頭の中で、自戒の声がこだまする。幾度も、幾度も。

逃げちゃダメだ。

逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ。

逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ

逃げちゃ……ダメだ……!

私の中の加藤優が声を荒げた。

Katou_2

「オレは腐ったミカンなんかじゃねえ!!」

それは、地底の奥底から絞り出されたような、切実な声だった。そしてそこに込められた真意は、「独りでも呑みに出掛けてやる!!」という事だった。

それに担任の金八が続いた。

Kinpachi

「我々はねえ、ミカンや機械を造っているんじゃないんです!我々は人間を創っているんです!!」

と。これはつまり、「行っちゃうよ!?独りで呑みに行けないなんて思うなよ!?行っちゃうからな!?」という事である。

という事で、独りで呑みに行って来た。小岩の大衆向けの呑み屋である。

過去に何度も行った事のある店だったが、独りで行くのは本当に久しぶりだった。

私は店の一番端の席で呑んだ。いじけていたから一番端、という訳では決してない。随分と繁盛した店であるために、私が店を訪れた時分にはその席しか空いていなかったのだ。そこから、店を眺めた。

雑多であり、猥雑であった。しかし、そこには何故か人の気持ちを落ち着かせるものがあった。

ふと正面を見ると、私の眼前に二枚のカレンダーが並んで貼ってあった。とても衝撃的な光景であった。それは、あらゆる意味で異色であった。カレンダーというものは、機能的な意味で見れば、二枚並べて貼る必要はないのだが。

しかし、この二枚のカレンダーの異色なコントラストこそ、私にはその店を象徴するもののように思われた。

一枚には、チベットの聖地、ラサにある宮殿、ポタラ宮が飾ってあった。背後にはヒマラヤ山脈の壮大な山々がそびえ、空には突き抜けるような青が広がっていた。手前には緑、である。空の青、宮殿の白と茶、そして地上の緑。これらの色彩が溶け合い、何とも雄大な景色がそこには描かれていた。

そしてもう一枚の中からは、麻美ゆまがこちらを向いて微笑んでいた。前述の永川や大魔神佐々木同様、名前からwikipediaのリンクに飛べるように設定しておいたので、彼女についての詳細な情報はそちらのリンク先に譲るが、一言書かせていただくならば、彼女はHカップでなおかつ「ドM」である。

そして、其処にはOPPAIが在った…

神聖で荘厳なポタラ宮の横には、これまた聖的でありなおかつ性的な麻美ゆまである。いささか大きめだが色の薄い乳輪が可憐ですらある。

聖と俗の織り成すコントラスト。勿論、その聖なる側と俗なる側は、瞬きの間に目まぐるしく入れ替わる。ポタラ宮が聖でゆまチンが俗、と思っていたその2秒後には、ゆまチンが聖でポタラ宮が俗という事になる。ガンジス河が何故澱んでいるのか、そしてそれを何故人々は「聖なる河」と呼ぶのか、という事の答えがそこにあった。

ゆまチンの右おぱいの少し上辺りが、油汚れで黒ずんでいた。白く透き通るような肌に、油汚れが穿たれた。それは、果たして本当に汚れなのだろうか、と私は考えた。油汚れにまみれる事で、ゆまチンは更に美しさを増しているように見えた。

それを見ながら、私はモツ煮込みを喰らい、レモンハイを啜った。何故か私は自分がひどく「正しい酒の呑み方」をしているのではないだろうか、という気にすらなった。

ただ、それと同時に、私は残酷な事実に気付きもしてしまった。

やはり、独りで呑むのは、誰かと呑むよりも愉しくない。

誰かと呑む方が、格段に愉しい。

カレンダーの可憐なオパーイを見ながら、私と「花の慶次」トークに花を咲かせてくれる御仁はおらぬのか。勿論それ以外のネタでも一向に構わぬのだが。

人を誘う為に、その二つのカレンダーの写真を以下に載せておこう。ね、誰か今度小岩で呑みましょうよ。

ていうかさ、ヤマはもう少し休みをたくさんとってよ。

080228_214101001

↑聖と俗の輪廻

080228_222101

↑そして店内

| | コメント (4)

2008年2月22日 (金)

審美眼と歴史認識

本物志向、というものが、殆ど無い。

以前からそういった傾向が私にはあったが、ここの所それを再認識するに至った。

例えば、酒、である。

美味い酒と、高級な酒、というのは必ずしもイコールにならない、と私は考えている。高級な酒を口にした機会というのは、少ないながらも私にはある。それは確かに美味かった。しかし、それは必ずしもその酒の品質のみによるものではない。

とても極端な喩えになってしまうが、「いけすかない人間の自慢噺に適当な相槌を打ちながら呑む高級な酒」と「気の置けない仲間と下らない会話に笑いながら呑むホッピー」ならば、どちらが美味いのかは明白である。この事に異論を唱える人間は少ないのではないだろうか。酒や料理の美味さというものは、それを口にする環境によって大きく変化する。こういった喩えを出すまでもないのかも知れないが、それほどまでに私たち人間の感覚というものは、言わば「いい加減」なのだと思っている。

酒の喩えを出したついでに、もう一つ。

少し前に、スペインのスパークリングワイン、「カヴァ」なるものを呑む機会に恵まれた。値段はフルボトルにして一本1000円前後であるらしい。フランスのシャンパンならば、一本5000円から10000円、勿論高級なものであれば更にゼロが一つ増える価格のものも少なくない。

しかし、カヴァの芳醇な香りとすっきりとした喉越しは、十二分に私を満足させうるものであった。実際、このカヴァの人気は現在日本でも俄かに沸きつつあるらしい。私にカヴァの良さを判断するほどの審美眼があるのかないのかは別にして、カヴァが1000円前後で呑めるのならば、シャンパンなど最早私には不要なのではないだろうか、と思ったほどである。

私は、「面白い贋物、二流品」を愛する。「面白い二流品」は「凡庸な本物」を越える。そこには想像力が必要だ。

今回、こうした事を考えたのは、歴史認識について考えを巡らせた結果である。

「正しい歴史認識」という言葉に、私は何とも言えない齟齬感というか、疑念を抱いてしまう。

坂本龍馬の事を考える。彼の事を好きだと言う人間は多いし、私も彼に憧れる部分はある。しかし、その事に対して、批判的な見解を述べる人間が少なからずいる事も知っている。

批判的な意見の骨子は大体こうである。「坂本龍馬という男は、当時(江戸時代末期)の薩摩の使いっ走りに過ぎない。革新的な事をした人物でもなければ、多くの人間が憧れるような偉人でも無い。彼を偉人にしたのは、司馬遼太郎という歴史小説家のハッタリに過ぎない」というものである。

こういった意見を聞いて、私の感想は一言、「野暮だなあ」である。

仮に司馬遼太郎という作家が自身の著作「竜馬がゆく」の中で創り上げた「坂本竜馬」という登場人物が幻想だったとしても、つまり司馬氏の想像力によって描かれた人物だったとしても、それがどうだというのだろうか、と私は考えてしまう。坂本龍馬とはもっと下らない取るに足らない人物なのだ、と述べる意見に処する方法は、苦笑いの一択である。

南京大虐殺や種々の戦争に関わる歴史認識というのは、その陰で虐げられ、殺された人間達も存在する事から、軽薄な私の意見をここに書き記す事は憚りたいが、龍馬の話などは、そういった問題などと比すれば圧倒的に人を傷つける事も少ない。良いではないか、と思う。

他にも私が好きな歴史上の「妄想的新見解」としては
・源義経=チンギス・ハーン説
・上杉謙信=女説
などが挙げられる。荒唐無稽なこれらの見解には、夢がある。誰も傷つけない嘘ならば、つくのも構わないではないか。

嘘を暴こうとする人間と、嘘に騙されようとする人間。どちらが「粋」であるかと考えた時に、私は即答で後者を選ぶ。どちらが傾(かぶ)いているかを考えても、同様である。

さて、そろそろ本日の本題に入ろうか。

前田慶次こと前田慶次郎利益が、最近私の中でものすごいブームになっている。

彼もまた、「創られたヒーロー」である事には間違いない。

だが、それが良い!

嘗て隆慶一郎が著した歴史小説「一夢庵風流記」、そしてそれを原哲夫がコミック化した「花の慶次~雲のかなたに~」の主人公が前田慶次である。私たち歴史学の素人たちが前田慶次に対して抱くイメージは、これらの著作群からによるものが殆どだ。

実際のところ、前田慶次に関する資料というのはあまり現存しておらず、作者たちの想像力によって、前田慶次の大枠が形作られただろうという見方もある。が、彼は、「傾奇者」として世に名を馳せた実在の人物でもあるのだ。

先日の男呑み会の最中に決議されたこれからの私たちの価値判断基準がある。

これからは、良いか悪いかで物事を判断するのではなく、傾(かぶ)いているか傾(かぶ)いていないかで物事を判断しよう、と。

ものども、マラを出せえええ!

という事で、これからは傾(かぶ)いて生きる事に決めました。とりあえず、その男呑み会に同席した社会保険庁勤務の友人からのアドバイスは、「年金を納めろ。納められないならば、その旨を税務署(だったっけな?)まで報告しに行って来い。それが傾(かぶ)く第一歩だ」との事でした。行こうかな、税務署。

ばかだなあ、負けいくさこそ面白いのに・・・

| | コメント (10)

2008年2月17日 (日)

咳をしても独り

タイトル通り、独りなのです。

明日は。

明日は、ソロピアノでの演奏です。

独りで寂しいので、見に来てやって下さい。

墓の裏に回ります。

2月18日(月)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
ピアノソロです。ひたすらに、自分の中にある音楽を掘り下げていこうという試みです。何が出てくるのかな、と思ったら、やっぱりブルーズが出てきたので、ブルーズをお届けいたします。「この三連符が土臭いね、と君が言ったから、2月18日はブルーズ記念日」
20:00~start music charge:1900円(1ドリンク・おつまみ付)

ブルーズ以外にも、私のオリジナルなんかもお届けしようと思います。

| | コメント (5)

2008年2月 8日 (金)

新潟へ

新潟へ行ってきます。

この時期に雪の降る国へ行くと言えば、9割5分は自殺か失恋か不倫旅行でほぼ間違いない。宿帳には偽名を書き込むのがデフォルトなんだろ!?明るく仲良くスキーに行くなどという選択肢は皆無だ!それは何共和国の習慣だよ!?それは何合衆国だよ!?中東か!

早起きし過ぎておかしなテンションになっているな。

昔新潟行ったなあ、5年だか6年だか前。深夜のサイゼリヤでドリンクバーで粘っていた私と友人Y。どちらから言い出したか忘れたが、発せられたキチガイ度20000%の発言。

「な、雪、見たくね?」

思い付きのみで、その場で決議された新潟旅行。無論出発はその1時間後。Yの車で。更に数時間後には訳がわからないほどだだっ広い駐車場の凍り付いた路面の上で、ドリフトごっこをしながら「滑る!滑るうぅぅぅ!」とはしゃぐ友人Y。私も釣られて助手席でキャッキャと嬌声を上げる。見る人が見たならば、確実に措置入院が必要だと判断するケースだ。

帰り道では私は後部座席で飲酒に耽っていたっけか。

今日は違うのだ。今日はピアノを弾きに行く。素晴らしい共演者達と共に。

さあ、行って参りますかな。今日は宿帳には本名を書ける。私の本名は何であったか。「ケツ毛むしる之助」だったか。違うな、「福島剛」だった。

さあ、勝負勝負!

| | コメント (2)

2008年2月 6日 (水)

訂正

訂正
下の文章に写真を添付し忘れた。これだ。

| | コメント (0)

タバコと暴君

冒頭のピンクのタバコについては、後に触れる。お読みの方々は、あまりにも女性的なそのフォルムのみをまずは印象に留めておいて頂きたい。

過日、新年会へ出席した。睦月も過ぎ、如月の中で東京にも雪が舞い降りる季節である。正月気分もとうに消え失せたこの昨今の中、「明けましておめでとうございます、今年も宜しくお願いしまーす!」の挨拶と共に盃を鳴らすのはなかなかに愉快である。私には季節外れなものや場違いなものに不思議と心ひかれる傾向があるのだ。暑中見舞いが返って来たのは秋だった、とかまやつひろしが歌った文句に、私は妙な「粋」を感じていた。

季節外れな2月の新年会は、私が働かせて頂いている音楽学校の新年会であった。集まった人々は、楽器やジャンルは多岐に渡れど、皆それぞれに音楽を生業にする方々である。私も末席に加えて頂きながら、先輩音楽家の方々の噺に耳を傾けた。そこには私にとって正しく糧となりうる至言が散りばめられていたが、そういった恩恵を恰かも無視するかの如く、私はいつものように酒の酔いに任せて下半身周辺のヘドロトークを繰り広げた。後悔はしない。自らに言い聞かせるのだ。後悔はしない!

その場自体は極めて愉しいものであった。しかし、一つだけ困った事があった。

そこには、「暴君」が存在したのである。

嘗て私が柔道を志していた時にも、暴君はいた。柔道部と暴君というのは概ねセットで考えねばならないものである。暴君は、無茶ぶりをする。そして、好きか嫌いかで言えば、私は無茶ぶりをされるのは好きなのだ。

私の心の中にあるダチョウ倶楽部的な部分がざわつく。「無理ですって!絶対無理!」と言いながら、無茶ぶりに果敢に臨みたくなるメンタリティが私には備わっているらしいのだ。

過日の暴君の無茶ぶりは、「オマエ、タバコの銘柄を代えろ」というものであった。勿論、冒頭に掲げたピンクのタバコに。

彼は、最近禁煙を始めたらしい。「オレはタバコをやめている。オマエには禁煙は強制しない。だが、辱しめとしてこのピーチの香りのするタバコを吸いなさい」という事だ。

異議あり!と私の心の中で学生運動家達がシュプレヒコールを上げる。

しかし暴君は理路整然と私の禁煙欲を指摘しつつ、私の持っていたロングピースを取り上げ、居酒屋の店員に「あ、これ捨てといて下さーい」と悪魔の言辞を吐く。待ってー!!その光景は私の脳裏でスローモーションで描かれ、BGMには中島みゆきの「世情」が流れた。

シュプレヒコールの波、通り過ぎていく、変わらない夢を流れに求めて

という事でした。しばらくは口臭がピーチの香りになる私である。私とキスがしたい女子は、私に向かって「お願い!ピーチの香りを私にも!」と泪ながらに懇願すれば、考えてやらない事もない。

| | コメント (0)

2008年2月 5日 (火)

たまには政治の事も考える

先日、奇妙な縁で外山恒一氏と酒を酌み交わす機会に恵まれた。もちろんサシ呑みではない。が、非常に愉しい場であったし、氏の思いの外に穏やかな人間性にいささか驚いた。

氏の事を知らない人の為に簡単に紹介しておくと、氏は、ううむ、何なのだろう、政治活動家というのが一番適切な呼び方なのだろうか。大仰に言えば、革命家であるのだが。

昨年の東京都知事選挙に出馬し、一躍時の人となった。少なくとも私の周りでは時の人となったのだ。「造反有理、革命無罪」のスローガンは、私の心を躍らせた。

彼と一晩かけて酒を供にさせていただいた結果、私が感じたのは、彼は或いは本当に革命を起こしてしまうかもしれない、という事だった。話にいちいちリアリティがあった。少なくとも彼は夢想家ではない。徹底したリアリストであった。

彼がやっているのは所謂「若い世代」に問題意識を植え付ける事、良く言えば私はそう感じていた。つまり革命のための土台造りのような感覚で。だが、彼は言った。「でも、生きている間に革命がなされなきゃ面白くないしね、ここから10年から20年のスパンで(革命を)考えているよ」と。そして喩えに出したのは江戸幕府の終焉と明治維新、「ペリー来航から15年で幕府は倒れている。革命には実はそんなに時間はかからない」と。

妙に納得させられている私がいた。外山氏がなすのかなさないのかを完全な別問題として考えれば、数十年の内に本当に革命は起きるのかもしれない、と私は感じた。

ちなみに私がここで言う革命とは、現在の政府の構造の完全な解体をさす。

政府転覆。

口に出してみるとなかなかに痛快な言葉だ。

せいふてんぷく。

面白いね。

外山氏は存分に魅力的な方であったし、彼の政治的なビジョンは私がこれまでに聞いたどの政治家のマニフェストよりも説得力があったが、おそらく私は政治的な協力はしないだろう。理由は、面倒くさいからだ。私はさほど政治は好きではないのだ。音楽と女の子が好きなのだ。だからおそらく協力しないだろう。

まあいいや。とっても愉しかった。夕方7時から朝5時ぐらいまで呑んだが、後半5時間ぐらいの記憶はほぼ無い。最後の1時間か2時間は、高円寺に住む友人を夜中の3時だか4時だかに無理やり呼び出してマクドナルドに行った記憶がうっすらある。

気がついたら何の用事もない東京の西の果て、青梅駅だった。まるで意味がわからない。

| | コメント (2)

2008年2月 1日 (金)

2月はタップとソロピアノ!

ライブ情報です。

今月は、タップダンスとのコラボと、ソロピアノです。

タップの方は、去年一度共演させていただいたTAKAこと川村隆英氏に、また一緒にやろうって誘ってもらっちゃいました。嬉しいな。うふふ。嬉しいな。えへへ。頑張ろっと。

さて、一気に書きますね。見に来て下さいよ。見に来てくれたら、泣きゲロ吐きつつ喜びますね。

泣きゲロはウソですけど。

2008年2月

2月8日(金)新潟 GioiaMia
tel 025-224-2588
http://weblog.niigata-gioiamia.com/
tap:川村隆英 b:イチタカタ pf:福島剛
タップダンスシリーズ第一弾は、何と新潟から。新潟、きっと寒いんでしょうね。関係ないですけど。多分やってるぼくらはみんな汗だくなので。終わったら、地酒呑むぞー。魚も食うぞー。新潟、という土地に、ちょっと浮かれてます。ぎゃああああ、愉しみ!
19:30~start music charge:4000円(1drink込)

2月11日(月祝)東京江古田 buddy
tel 03-3953-1152
http://www.buddy-tokyo.com/
tap:川村隆英 b:イチタカタ pf:福島剛
第二弾は、東京に帰ってきてから江古田で。初めてのお店、初めての街です。何をするかと言えば、まあ、アレですよ、祭をするんですよ、MATSURIを。踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らにゃソンソン!よし、やったるよ!
18:00~start music charge:4000円

2月18日(月)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
ピアノソロです。ひたすらに、自分の中にある音楽を掘り下げていこうという試みです。何が出てくるのかな、と思ったら、やっぱりブルーズが出てきたので、ブルーズをお届けいたします。「この三連符が土臭いね、と君が言ったから、2月18日はブルーズ記念日」
20:00~start music charge:1900円(1ドリンク・おつまみ付)

| | コメント (2)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »