初恋の女性とオスカー・ピーターソン
数年前、ジャズピアニストのオスカー・ピーターソンが来日した時、友人が私に「一緒にピーターソンを見に行かないか」と誘ってくれた事がある。確か大阪ブルー・ノートだ。
私は「金がないから」という理由でその誘いを断った。それは事実であったのだ。
それがピーターソンを観る最後のチャンスだった。彼は昨年末に亡くなった。
もうピーターソンが長くない事は皆が知っていた。去年のクリスマスにピーターソンは逝去したが、その報せを聞いた時に、悲しいというよりも「ああ、やはりな」という気持ちの方が私は大きかった。健康状態を著しく崩しているという情報が入ってきていたし、実際の彼を見た人達は口々に「まともに歩けさえしていなかった」と言った。
数年前の来日の際は、「もはやこれがピーターソンを観る最後の機会かも知れぬ」という予感が、観客たちの共通認識としてあったのだろう。(そしてその予感は実際に当たる事となったわけだが)。チケットの値段は法外とも言えるほどに跳ね上がった。私が友人から聞いたその値段は、確か15,000円ほどだったように覚えている。
大阪ブルー・ノートと言えば、高級ジャズクラブとして有名だ。そんな所にミュージックチャージが15,000円もするライブを見に行ったならば、出費は最低でも20,000円を軽く超えるだろう。それを高いと思うか安いと思うかは個人の自由かもしれないが、私には我慢がならない。ジャズとはそもそも貧乏人達の為の音楽であったのだ。誤解を恐れず、そして理解を求めずに敢えて言うが、私は「たかがジャズ」とどこかで思っている。20,000円もの大金を払ってまで聴きにいくようなものだろうか。金持ちの、金持ちによる、金持ちの為の音楽になってしまうのではないか。私はいささかうんざりした。
しかし、ピーターソンの日本公演を私が観に行かなかった理由は、他に大きな理由があった。金額的な問題以外に。私は、その時寧ろピーターソンを「観たくなかった」のだ。
それは、思春期の恋愛を考えるとわかり易い。良い喩えになるのではないだろうか。
私は今現在、28歳である。まだまだ若いのか、それとももう若くはないのか、それは自分ではわからない。ただし、中学生の頃の事を思い出せば、それは随分と昔に感じられるようになってきた。20歳ぐらいの時分は、中学生時代など昨日の事のように思い出していたと言うのに。
中学生の頃に好きだった(とは言っても、それは単に私が一方的に淡い恋心を抱いていただけなのだが)女の子(以下Aさんで記そう)と、今更に再会したい、という願望は私の中ではほぼゼロに近い。それは、自分の変わった姿を晒したくない、という事が無いわけではない。
人は生きている限り生活に合わせて少しずつ自らを変容させていく。「自分を貫く」などという自己啓発本に載っていそうな綺麗な言辞は、時としてあまりに空虚だ。自分を貫く為に、カメレオンのように周囲の色に合わせて自らの皮膚の色を変える人間の事を、私は卑怯だなどとは思わない。ある種、当然の帰結だ。それが「変化」なのか「成長」なのかを別にすれば、私は中学生の時の自分とは随分違う。考え方も当時と大分違えば、見た目だって随分と変わった。体力は、確実に当時よりも落ちている。しかしそれが必然である以上、そういった姿を嘗て恋焦がれた(しかもそれが完全に過去形で話せるのならば)Aさんに見せるのは恥ずかしい事でも何でもない。
問題は、私が見たくないのである。
つまり、変化したAさんのその姿を。
Aさんだって、当然10年以上の年月を経れば、「変化」や「成長」を遂げる。或いはもう結婚しているかもしれないし、子供もいるかも知れぬ。28歳で母親になっている女性など珍しくも何ともない。
Aさんではないが、先日中学校の同級生だった女性にたまたま道で会った。彼女の今の苗字など知らぬので、ここでは仮にBさんとしておこう。
Bさんを見て、私は何だかやるせない気持ちになった。
Bさんは若くして結婚し、子供を産んだと人づてに聞いた事がある。そしてまだ若い内に離婚をしたのだと。
一時期はパチンコ屋で働きながら子供を育てていたとかいないとか。そんな彼女は、明らかに私の知るBさんよりも大きく老け込んでいた。だが、そこには確実に「生きている」人間の姿があった。しなくても良かった苦労を、さぞやしてきたのだろうなと一瞬同情してしまいそうになった自分を恥じた。「生きる」事に大差などない。上等だ下等だと、どうしてわかろうか。
Bさんもその時は酔っ払っていたようで、私に「ふくしま、オメエ久しぶりじゃんよお!元気してた!?」と東京のスラム街こと小岩特有の訛りのある言葉で喋りかけてきた。「うるせえよ、てめえ、酔っ払ってんじゃねえかよ」と私が言うと「酔っ払いに言われたくねえよ!」とビッチ全開な言葉で彼女は私に笑いかけた。
自殺を否定する気持ちは私の中にはあまりないのだが、それでも私はどこかでこう思っている。
「人間は生きてるヤツが一番偉い」と。
目の前にいる「生きている」人間が、多少アバがズレた言動を繰り広げていても、そこは許せてしまう。お前はお前で色々あったんだろう、理解する事は出来ないが、肯定する事ぐらいは出来る。私は心の中でそんな言葉を呟く。
さて、そんな姿を、私はAさんに関しては「見たくない」のである。それは間違いなく私の傲慢であるのだが、私はAさんを記憶の中での「中学生の頃のAさん」のまま「保存」したいのである。こんな感覚を抱く私は、変態なのだろうか。いや、変態である事は間違いなかった。
ネギうめえ!超うめえ!
おっといけない。
今日のこの駄文は、ネギをつまみに焼酎を呑みながら書いていたのだ。そのつまみのネギがあまりに美味かったもので、ついつい脱線した。細かく切った白ネギを、油で炒めて醤油をさっとかけるだけ。これが超美味い。いいちこの緑茶割りも進む進む。
Aさんの変化した姿を見たくないのと同様に、私はピーターソンも見たくなかったのだ。私にとってオスカー・ピーターソンというピアニストは、初恋の女性によく似ているのだ。『We get request』や『Night Train』といったアルバムを発表していた頃の、若くて瑞々しく、そしてどこまでも溌剌として明るいピーターソン。それが私の中でのオスカー・ピーターソン像なのだ。彼の老いた姿は、私はあまり見たくはない。
逆に、老いた(或いは枯れた)演奏が私の心を打つミュージシャンも確実にいる。筆頭はバド・パウエル、ビリー・ホリデイ、セロニアス・モンク、こういった人達。私は、彼らの弾けなくなった(歌えなくなった)演奏まで見てしまいたいのだ。そしてそれを愛したい。ジャンルは違えど、立川談志という落語家に関しても似たような事を感じる。声が出なくなって猶、高座に上がり続ける心意気は、心からの尊敬に値する。衰えた自分を人前に晒すという事には、相当の、恐らく死ぬ事と同等の覚悟がいるのだ。
ピーターソンも勿論そんな覚悟でステージに上がっていたのかもしれない。けれど、私は「もういいよ、オスカー。ゆっくり家で寝ていてくれよ」と思うのだ。私は、パウエルが好きだしモンクが好きだ。けれど、同じぐらいオスカー、あなたの事も好きなんだよ、と言いたい。つまり彼が初恋のピアニストだったわけだから。
もう一度、全盛期の彼の演奏を聴く。
緻密に練り上げられた音楽なのだが、端々から聞こえてくるのは、「音楽が愉しいもので何故悪い?」という彼の主張である。
音楽は、愉しいものなのだ。
初恋が、愉しかったように。
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