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2008年1月

2008年1月31日 (木)

拝啓市川修様

早いもので、あなたがこの世から去ってもう二年が立ちました。

そちらはどうですか。

こちらは相変わらずです。

誰かを傷付けたり傷付けられたり、誰かに助けられたり、たまには誰かを助けたり。当たり前のように毎日が過ぎて、当たり前のように過去ばかりが増えていきます。

あなたの書いた曲を、徒然によく弾いてみます。あなたがどういう意図で、どういう思いで音を紡いでいたのかは、ぼくには図りかねる部分もたくさんあるのですが、あなたの書いた曲は、激しさの中にもとても繊細な美しさがあるようにぼくには思えます。それはまるであなた自身であるかのようで、ぼくは弾きながらやっぱり嬉しくなってしまいます。

ぼくはまだまだ未熟なようで、つまらない事に腹を立ててみたり、前へ進めない事に苛立ってみたり、あまり人様に誇れるような生き方を出来ずにいます。

あなたはとても優しい人でしたね。

たくさん怒られた筈なのに、誉めてもらった事なんてほとんどないのに、ぼくは何故かあなたの優しい笑顔しか上手に思い出せません。

正直に言えば、あなたが死んだ事を、ぼくは今でも悔しく思っていますし、とても寂しいです。二年の年月が流れた今でも、割り切れていません。

寂しいですね。

寂しいです。

二年前の今日も、こんな寒い日でしたね。

もう少し、こっちでやってみます。また、見守っていて下さい。困った時ばかり頼ってしまってすいません。

でも、ありがとうございます。

2008年1月31日

福島 剛

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2008年1月30日 (水)

幾つかの心象スケッチと金麦新CM

このブログを始めてから早くも二年以上が経つ。

下ネタを7割、愚痴を2割、たまに音楽の話や私の音楽活動の宣伝を1割書いて、丁度良い塩梅、と思いながら書いている。

過日、初めて(と言って良いと思うのだが)好戦的なコメントを頂戴した。長いことブログを書いておられる方々には日常茶飯事だとも聞くが、いずれにせよ私には初めてのことだった。

そのコメントを開く際の私の心象風景を福本伸行氏に代筆していただけば以下のようになる。Zawa

私はざわついた。

そして開いてみたならば、そこには
「テメー、ピアノ教師とかやってんじゃねーよ、カス」
という内容の、極めて含蓄深いお言葉が掲載されていた。

それを心して拝読した折の私の心象風景は以下である。Kaiji01

そして、誰やも知れぬ何某から(後から訪問者ログ調べたらすぐわかっちゃったんだけど)いきなりそんな事を言われた悔しさから、私の表情は以下のように歪んだ。Photo

その後私の悔しさは怒りへと変わり、心象風景は以下のようになった。

Photo

さて、折角の初体験だったのでこうしていくつかの画像と共に紹介したが、今回の文章をこのネタのみで引っ張るのはもうやめにしよう。良いネタが出来た、と心が小躍りした自分を、少し恥じなくてはならない。私はかなり暇な人間であるが、私よりも更に暇な人間などザラにいるのだ、という事がわかっただけでも一つの収穫なのだ。

今回私が書きたかったのは、サントリーが販売する「第3のビール」、「金麦」の新CMについてである。

私はこれまでも折に触れて「金麦」のCMに言及してきた。
第一回目は「れいちゃんというらしい」
第二回目は「真相」
である。
参考までに、友人石田ゆうすけ氏がこのCMについて書いた文章も紹介しておきたい。
「移ろいゆくもの」

さて、これら一連の流れの中で我々が知性の限りを尽くしながら論じてきたテーマは、一貫して「れいちゃんの妻としてのあるべき姿」であった。

今回の新CMにおいて、れいちゃんは妻としての新しい側面を私に(他でもない私のみに)見せつけた。れいちゃんは時を経ると共に、妻として移ろいでいる。これは石田氏が危惧し、指摘した通りの展開であった。私は彼の先見の明に、力なく頭を垂れるしかなくなった。

未だ新CMを御覧になっていない方の為に、私が簡単にその内容を説明しよう。こういった辺りが暇なのだが。

~金麦新CM、「ホワッドアイセイ?篇」~

らー、ららっら、らっららら、らっらら、らっららら、らっらら、ららっらら、べべん、べべんべんべん(オールナイトニッポンのテーマ)

ふと、あたしは指先が氷のように冷たくなっているのに気が付いた。冬の寒さをあたしはいつも指先で実感する。秋はもう随分昔の事なのだろうか。春はまだ随分先の事なのだろうか。冬がやって来ている。冬に抱かれている。冬は何だか艶やかだ。あたしはぼんやりとそんな事を考えた。

傍らで、時代遅れも甚だしい薪をくべるストーブが独りで熱気を発している。中で、薪のはじける音がパチパチと鳴る。その音が部屋中に響く。しん、とした中で、薪が鳴いているように感じられた。

それはオーケストラの演奏が始まる合図だったのかもしれない。

あたしがそう思った刹那、次いで、ストーブの上に置いた薬缶がしゅんしゅんと音を立て始める。外で木々達が一斉にざわめき出す。瞬間、遠くで鳥の啼く声が、一声、聴こえた。まるでコンサートホールの中にいるかのように、全ての音が混在し、一体となる。ああ、素敵だな。たけちゃんは、まだ、帰ってこない。

遅い、遅い。

最近あいつは帰りが遅い。今までが早過ぎたのかも知れない。仕事が忙しくなるのは良い事だ。たけちゃんが自分の仕事を随分と気に入っているのは、普段から近くにいるあたしじゃなくったってわかる。「今日も忙しかったよ。疲れたあ」って言って帰ってくるたけちゃんは、言葉とは裏腹にいつも満足そうな顔をしている。でもね、あたしだってたまには嫉妬しちゃうんだ。早く帰ってきてよ、この楽団の素敵な音楽を一緒に聴こうよ、って。

たまには早く帰って来いよな。

気がついたらあたしは口に出してそう呟いていた。いけないな、最近愚痴っぽくなって来ている。でもね、あたしはあなたと少しでも長く過ごしていたいんだよ。
早く帰ってきてよ。
早く帰ってきてよ。
早く帰ってきてよ。
あたしの息が、窓にかかって、窓は少し白く曇った。

じゃないとあたし、金麦先に呑んじゃうから。

そうやって呟いた瞬間だった。
家の扉がぎいっと音を立てて開いた。凍てついた外気が中にも少し入ってくる。あたしの心の中にも。それは、すごく象徴的だった。扉が開いたのだ。家の扉も。あたしの扉も。

ただいま。

たけちゃんは寒さで少し顔を赤らめながら家の中へ帰ってきた。あたしは、すぐに笑顔を作れなかった。待ちぼうけて、少し愚痴っぽくなっていた表情を崩せずに、少し怒ったような表情になってしまった。

おかえり。

笑顔を作りきれないままで、あたしはそう言った。言ってしまったら、どこかから笑顔がやってきた。あたしはもう一回言った。

おかえり。

開きっぱなしになっていたあたしの扉の隙間から、とびきりあたたかな風が一陣、舞い込んだ。

(続く?)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

という事である。

以上の流れからもわかるように、れいちゃんは随分と人間臭くなってきている。それは彼女に芽生えた独占欲と嫉妬の為だ。

嘗て仏陀(釈迦)はこう言った。

交わりをしたなら愛情が生じる。
愛情に従って苦しみが起こる。
愛情から禍いが生じることを知って、
犀の角のようにただ独り歩め。
(スッタニパーダより)

れいちゃんの感じている独占欲や嫉妬、そういった禍いの源泉は全て愛情から生まれ出ずるものであったのだ。無論、他でもない私に向けられた愛情である。

れいちゃんは恋人から妻となり、少し変わった。しかし、その変化をもたらした要因が、他でもない愛情の所以であったとするならば、私は何を絶望する事があろうか。彼女のそうした変化を大きく受け止める事こそ、前田慶次郎利益に比類する傾奇者たる私の務めであろう。

れいちゃん、ごめん。

なるべく、早く帰るようにする。

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2008年1月25日 (金)

R25とL25に見る差別と区別

「差別」は良くないが、「区別」はしても良い、といった言葉を稀に耳にする事がある。

私はこの類の言葉が大嫌いなのだ。所謂「正論」というやつが。パイナップルの入った酢豚よりも嫌いだ、と言えばその嫌い度合いはおわかりいただけるであろうか。兎にも角にも嫌いなのである。

「君がさあ、今そうやってブログみたいなヘドロのような空間にグチグチしょうもない事を書き込んでいる暇があるんだったら、将来の為に少しでも努力したら?」

煩い!死ね!

上記のような正論を吐かれた折には、私は口先だけは「そっすねー、ま、ぼちぼち頑張りますわー」などと犬のように卑屈な言葉を、気味の悪い薄ら笑いと共に力無く呟くが、心中では、「煩い!死ね!」と力の限り叫んでいる。それは祖国アメリカの未来を憂うブルース・スプリングスティーンや長渕剛の口調よりも何倍も力強い。

嘗て利根川幸雄氏はこう言った。
「金は命より重い・・・!」と。
全くもってその通りであろう。それは正しい。

しかし、それは「正論」であるがゆえに私には届かない。「お前など、高熱の鉄板の上で誠意を持って土下座をしてしまえ!」とついには心に念じてしまう始末である。

いや、話が脱線した。利根川幸雄氏の事を、私はそれなりに好きなのだった。うむ。失言である。

高校生の頃、学校の教師達が言った言葉にいちいち反感を覚える「尾崎豊タイム(略してOT)」なるものが私にも訪れた。先生あなたはかよわき大人の代弁者だからさー、と自由の追求者を気取ってみた。比較的多くの人間に訪れる時期だと聞くが、このブログを読んでいる方々の中にも「あ、オレもOTが来た事ある!!」と共感される方もいらっしゃるのではないだろうか。兎に角私は当時、盗んだバイクで走り出したい年頃だったのである。

そのOT中に引いたチャンス目は、高確率で「大人はわかってくれないラッシュ(略してOR)」に当選する。かくいう私も、「健全な精神というものは健全な肉体にこそ宿るんだ」というチャンス目からORに当選した事があるし、前述の「差別は良くないが区別は良い」というチャンス目からはロングORに当選した。「正論なんて聞きたくない!ぼくに努力しろなんて言うな!」と、現実逃避を自己正当化する事に成功した。

(上記一連の戯言、モチーフはパチスロです。ギャンブルをしない方々、すいません。)

つまりこの支配からの卒業の確変状態だったのである。フルスペックで、確変は2回セットだった。

更に混迷としてきた。いかんな。

閑話休題・・・!もう一度言う・・・!閑話休題・・・!

差別はいけないが区別は構わない。そんな正論を耳にした青年期(OT期)の私は、その正論に対する無目的な反抗の一手段、一表現として、「区別はいけないが差別は構わない」と危険な思想を無根拠に持ち始める事となった。

そう、無根拠に、という事は、「単に言ってみたかっただけ」なのであるが、私はこの明らかに狂った信念が、実はそうそう間違っていないのではないか、という事に最近では気付き始めたのである。

間違っていない、という言い方が的確であろう。正しくはないが、それほど間違ってもいない。そういった認識だ。

些か面倒な事を書くが、差別とはどこから来るのだろうか。それはまず間違いなく「区別」からである。きちんと言えば、お互いの差異を否定的な見解の元に認識しようとした場合に生じるのが差別、という事ではないだろうか。

「差別はよくないよね!」と澄んだ瞳で言う人を見ると、とてもフユカイになってしまう困った私である。差別は決してなくならない、とどこかで思っている。そして、その根源となる区別もなくならない。実は、ここまでが本日の枕であった。どれだけ枕が長いのだ。

区別がなくならないのがある種仕方がない。それをまずは(便宜的にでも構わない)受け入れてみよう。そしてそこにはもう一つの問題構造が孕まれる事に気付くだろうか。それは、「その区別の境界線を飛び越えようとする者は奇異の目で見られ、時には迫害すら受ける」という残酷な天使のテーゼである。

我々が最も実感しやすい「区別」の最たる例は、間違いなく「性別」である。我々男とあなた方女は、性別という境界線により海よりも深く隔たれているのだ。それは我々がヒトという生物である以上、生物学的には仕方の無い話なのだ。

生物学上の性差をsex、社会生活上の(或いは文化的な)性差をgenderという。そんな事は大抵の人がどこかで聞いた事のある定義である。それよりも今現在における問題は、私がSで始まりXで終わる三文字のアルファベットを書く事により、意味も無くドキドキしている、というこの一点に尽きる。

ドキドキしていた・・・

↑のセリフを吉岡秀隆のトーンに脳内で変換してから読んでいただきたい。大学教授達は、社会学の授業などでsex、sexと連呼していたが、恥ずかしくはなかったのだろうか。私が教授であったならば、きっと言いながらオニンニンがオギンオギンになってしまっていたに違いない。きっと彼らは普段からエロスまみれの思考回路である為に、そういった三文字程度では何も感じないのに相違あるまい。精神的な不感症、と言っていいだろう。そう考えれば、若干の同情にも値する。

さて、そういったジェンダーの一環として、私たちは「男は男らしく、女は女らしく」といった事をほぼ無意識下で刷り込まれながら育っている。そして、その男らしさや女らしさからはみ出す者を「異端」としてみなす傾向が多かれ少なかれ、あるのだ。

一つの例としてランドセルの例を挙げよう。昨今ではさほどでもないのかも知れぬが、少なくとも私たちが小学生だった時分には「男の子のランドセルは黒、女の子のランドセルは赤」と相場が決まっていた。仮に男の子が赤いランドセルを背負っていた場合には、間違いなくそれは揶揄の対象となった。そういった事は皆子供なりに暗黙の了解として理解していたし、実際私自身も黒いランドセルを背負うのが当たり前だと思っていた。

フェミニストの何某教授みたいな連中がTVメディアに跋扈するようになってから、「ランドセルは男が黒で女が赤って誰が決めたんだい!?」といった発言がちらほら聞かれるようになって来た。多分その教授は、ブス嶋さんとして(或いはストッパー毒嶋さんとして)少女時代を過ごしてしまったためにそういった結論に至ったのだと思うが、そういった彼女の生い立ちは別にして、ある程度リベラルな発言は許されてしかるべきだと私は思う。

しかしねえ!我々の固い頭や少ない脳細胞の中には、最早DNAレベルで「男らしさ・女らしさ」みたいなものがインプットされているのだよ!リベラルな意見という名の「正論」では拭い去る事など出来ないのだよ!私はここで声を荒げたい。

本日、私はそういったジェンダー的な問題に直面した。

私は、電車に乗っている時に、向かいに座っていた女性が読んでいた「L25」という雑誌が、たまらなく欲しくなってしまったのである。

普通に買えば良いではないか、と読みながら鼻で笑った方は、豆腐の角にタマキンの裏をぶつけてきていただきたい。この雑誌、実は女性向けのフリーペーパーであるのだ。

首都圏の地下鉄全域に置いてある無料の女性向けフリーペーパー、それが「L25」である。そしてこの雑誌は出自にちょっとした因縁がある。「L25」に先駆けて刊行された「R25」という雑誌があった。やはり首都圏地下鉄全域で配られた、25歳以上の男性向けのフリーペーパーである。これがそれなりに受けた。その女性版として作られたのが「L25」なのである。

思い出してほしい、先ほどのランドセルの話を。

男の子の黒ランドセルにあたるものが「R25」であり、赤ランドセルが「L25」であるのだ。

私のように、男性ホルモンが顔から噴出している男が、電車内で「L25」を読みながらニヤニヤと笑う図というのは、既に通報に値する図なのである。

そうそう、何故私が急に「L25」を所望したくなったのかを書き忘れた。私と半年後に恋仲になる予定の「檀れい」が載っていたからだ。彼女の顔を、久しぶりに見ておかねばならぬ、という義務感に駆られたのだ。私は、とても義理深いと我ながら感服する。

しかし、「L25」は手元にはない。池袋駅を暫らく歩き回った後、やっとの思いで鎮座する「L25」を発見した。私は、まるで万引きを犯す中学生のように、人目を憚りながらそれを手にし、急いで鞄へと入れた。

仕事帰りの道すがら、電車内でゆっくり読むか、とも考えたのだが、それは電車内で堂々とエロブックを読む事よりも私には恥ずかしく感じられた。

だって、記事の内容が内容なんだもの。

「熱が何度まで出たらあなたは仕事を休みますか?」
とか
「マイペースを取り戻す週末リセット旅in北海道」
といった、宿便が逆流しそうなほどにどうでもいい企画の数々。編集者、出て来い!

家に帰ってから、こっそり読んだ。

どきどきした。

ドキドキしていた・・・

↑のセリフを吉岡秀隆のトーンに(以下略)

区別によって生まれた差別は禁忌を生む。そしてその禁忌を冒す事、この行動には幾ばくかの後ろめたさと共に、ある一定量の快感が伴うのだ。

という事で、区別もして良いし、差別もして良い。結論が変化した。主張が一切首尾一貫していないのが私の長所であるのだ。

ここまで読んだ方、あなたは立派だ。

立派ついでに、明日(長々書いてたら、日付的には今日になっちゃったよ!)、東京は葛飾金町で良いライブがあるので、行きなさい。来世でもっと良いカーストに生まれ変われますよ。
↓ここを見ると良い。
http://www.jazz-inn-blue.net/

来ると良いよ。いや、マジに。

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2008年1月20日 (日)

題名すら思い浮かばない。文章が私からどんどん離れていく。音楽も。

酒は呑んだら呑まれろ、と思いながらかれこれ10年ほど酒に呑まれて来た。振り回されて来ている、と言っても良い。呑まれるの信念を貫いている事に関してのみ多少の評価は出来るものの、私の酒との付き合い方は、確実に「間違って」いる。自らの健康を害するだけならばまだ良いのだが、他人に迷惑をかけるというレベルで言えば、間違っている。

酒による失敗を思い起こせばキリがない。一つ一つそれらを羅列したならば、それだけで「戦争と平和」クラスの超大作になってしまうので書かない。「戦争と平和」がピンと来ない方は、そこを「こち亀」もしくは「ゴルゴ13」に置き換えて頂いても構わない。とにかくたくさんあるのだ。酒による失敗が。

不謹慎な話だが、私は比較的真剣に大麻合法化(解禁)を願っている。無論、違法である限りは手を出す事はないが、私がそれを願う一番の理由は、「大麻が解禁されれば、私も酒を呑まずに済むかも知れぬ」という一点に尽きるのだ。

禁酒や禁煙。あんなものは意志の弱い奴等のする事なンです。とは立川談志師匠のお言葉。全くその通りだ。

しかしね。

私は悩むのだ。呑むべきか、呑まざるべきか。果てなき懊悩。そして呑むのだが。

考えてみれば、深夜に自分の部屋で独りで酒を呑む分には、さほど他人に迷惑もかけていないのだ。深夜に誰かに電話をかけてしまう程度の事は、大した迷惑でもない。外で呑むからいけないのだな。

最近は、文章が書けない。

なので、あまりブログも更新していない。

今宵も酒を呑む。

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2008年1月15日 (火)

歯軋りをしながら

気分が沈んだ時に、音楽を聴くのはよくある事だ。

勿論、ジャズを聴く事が一番多いのだけれど、ジャズ以外の音楽を聴く事だってある。ジャズ以外で取り分け好きなのは、ザ・ブルー・ハーツ。私は彼らの音楽性にとても影響を受けている。

中心メンバーだった甲本ヒロトと真島昌利。ザ・ブルー・ハーツを解散した後にはザ・ハイロウズを結成、そしてハイロウズ解散後にはザ・クロマニヨンズを結成し現在に至る。歌詞の抽象度が次第に増してきたりするような変化はあるものの、彼らは一貫してものすごく「質の高い音楽」を作っている。少なくとも私はそう感じる。

技術的には大して高くない音楽。彼らの音楽に対して一時は私もそう感じていた事がある。勿論それは逆説的に「それでも心に響く素晴らしい音楽」という認識ではあったのだが。しかし、よくよく聴いてみると、彼らはものすごく高い音楽の技術を有している事がすぐにわかる。そもそも聴き手の心に届く音楽を創り上げるのには、やはり相当の技術が要るのだ。

彼らが幾つか有するハイレベルな技術の中での白眉は、私は「言葉の聞こえてくる音楽」或いは「言葉を聞かせる技術」だと感じている。

どんな大音量で音楽を鳴らそうと、逆に消え入るような小さな音で音楽を奏でようと、彼らの歌う歌は、その言葉が一言一言明確に私の耳に聴こえて来る。ヒロトの叫ぶ言葉は、一言一句はっきりと私の耳に届いてくるのだ。

日本語としての発音がはっきりとしている。それもある。メロディに言葉を乗せる。もっと原始的なレベルで言えば、リズムにメロディを乗せる。たったそれだけの事を徹底して彼らはやっている。だからこそ、どの言葉も私の耳に明確に届く。すごい技術だと、私は改めて感服する。

私自身がピアノを弾く際に何より心がけている事、そして私が思い描く「音楽の理想的な姿」を彼らはジャズというフィールドとは別の所で、見事に具現化していると感じるのだ。

複雑なアドリブソロをする事がジャズなのだろうか。難解なポリリズムを組み立てる事がジャズなのだろうか。それもあるだろう。しかし、それらは所詮副産物に過ぎない。

綺麗な(という言い方も抽象的なのだが)音をリズムに乗せる。たったそれだけの事で、見事にジャズは成り立ってしまうのではないだろうか。それはヒロトやマーシーが音楽を創り上げる過程に酷似している。

昼過ぎに、比較的大きな音で「1000のバイオリン」という曲を聴いていた。

誰かに金を貸してた気がする
そんな事はもうどうでもいいのだ
思い出は熱いトタン屋根の上
アイスクリームみたいに溶けてった
(「1000のバイオリン」)

不安な事もたくさんある。何とかなるのだ。何とか。楽しい事をたくさんしたい。面白い事をたくさんしたい。いかんな、今日はあまり笑いの要素を持たせずに書いてしまったな。

そうそう、来週ライブをします。

良ければ見に来てやって下さい。

1月25日(金)東京金町 Jazz inn blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/component/option,com_frontpage/Itemid,1/
pf:福島剛 b:長谷川明弘 ds;松永博行
このトリオでは、第二弾。ぼくが頭に思い描く「ピアノトリオのあるべき姿」を具現化させるために、そして演奏しながらその姿を幾重にも変化させていくために、長谷川氏と松永氏の力を借りてやっております。良いバンドだと思います。個人的には、一番好きなフォーマットなんです、このピアノトリオという形態。ぼく自身も愉しみです。
20:00~start music charge:1500円

という事で最後は宣伝でした。宜しく。

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2008年1月10日 (木)

初恋の女性とオスカー・ピーターソン

数年前、ジャズピアニストのオスカー・ピーターソンが来日した時、友人が私に「一緒にピーターソンを見に行かないか」と誘ってくれた事がある。確か大阪ブルー・ノートだ。

私は「金がないから」という理由でその誘いを断った。それは事実であったのだ。

それがピーターソンを観る最後のチャンスだった。彼は昨年末に亡くなった。

もうピーターソンが長くない事は皆が知っていた。去年のクリスマスにピーターソンは逝去したが、その報せを聞いた時に、悲しいというよりも「ああ、やはりな」という気持ちの方が私は大きかった。健康状態を著しく崩しているという情報が入ってきていたし、実際の彼を見た人達は口々に「まともに歩けさえしていなかった」と言った。

数年前の来日の際は、「もはやこれがピーターソンを観る最後の機会かも知れぬ」という予感が、観客たちの共通認識としてあったのだろう。(そしてその予感は実際に当たる事となったわけだが)。チケットの値段は法外とも言えるほどに跳ね上がった。私が友人から聞いたその値段は、確か15,000円ほどだったように覚えている。

大阪ブルー・ノートと言えば、高級ジャズクラブとして有名だ。そんな所にミュージックチャージが15,000円もするライブを見に行ったならば、出費は最低でも20,000円を軽く超えるだろう。それを高いと思うか安いと思うかは個人の自由かもしれないが、私には我慢がならない。ジャズとはそもそも貧乏人達の為の音楽であったのだ。誤解を恐れず、そして理解を求めずに敢えて言うが、私は「たかがジャズ」とどこかで思っている。20,000円もの大金を払ってまで聴きにいくようなものだろうか。金持ちの、金持ちによる、金持ちの為の音楽になってしまうのではないか。私はいささかうんざりした。

しかし、ピーターソンの日本公演を私が観に行かなかった理由は、他に大きな理由があった。金額的な問題以外に。私は、その時寧ろピーターソンを「観たくなかった」のだ。

それは、思春期の恋愛を考えるとわかり易い。良い喩えになるのではないだろうか。

私は今現在、28歳である。まだまだ若いのか、それとももう若くはないのか、それは自分ではわからない。ただし、中学生の頃の事を思い出せば、それは随分と昔に感じられるようになってきた。20歳ぐらいの時分は、中学生時代など昨日の事のように思い出していたと言うのに。

中学生の頃に好きだった(とは言っても、それは単に私が一方的に淡い恋心を抱いていただけなのだが)女の子(以下Aさんで記そう)と、今更に再会したい、という願望は私の中ではほぼゼロに近い。それは、自分の変わった姿を晒したくない、という事が無いわけではない。

人は生きている限り生活に合わせて少しずつ自らを変容させていく。「自分を貫く」などという自己啓発本に載っていそうな綺麗な言辞は、時としてあまりに空虚だ。自分を貫く為に、カメレオンのように周囲の色に合わせて自らの皮膚の色を変える人間の事を、私は卑怯だなどとは思わない。ある種、当然の帰結だ。それが「変化」なのか「成長」なのかを別にすれば、私は中学生の時の自分とは随分違う。考え方も当時と大分違えば、見た目だって随分と変わった。体力は、確実に当時よりも落ちている。しかしそれが必然である以上、そういった姿を嘗て恋焦がれた(しかもそれが完全に過去形で話せるのならば)Aさんに見せるのは恥ずかしい事でも何でもない。

問題は、私が見たくないのである。

つまり、変化したAさんのその姿を。

Aさんだって、当然10年以上の年月を経れば、「変化」や「成長」を遂げる。或いはもう結婚しているかもしれないし、子供もいるかも知れぬ。28歳で母親になっている女性など珍しくも何ともない。

Aさんではないが、先日中学校の同級生だった女性にたまたま道で会った。彼女の今の苗字など知らぬので、ここでは仮にBさんとしておこう。

Bさんを見て、私は何だかやるせない気持ちになった。

Bさんは若くして結婚し、子供を産んだと人づてに聞いた事がある。そしてまだ若い内に離婚をしたのだと。

一時期はパチンコ屋で働きながら子供を育てていたとかいないとか。そんな彼女は、明らかに私の知るBさんよりも大きく老け込んでいた。だが、そこには確実に「生きている」人間の姿があった。しなくても良かった苦労を、さぞやしてきたのだろうなと一瞬同情してしまいそうになった自分を恥じた。「生きる」事に大差などない。上等だ下等だと、どうしてわかろうか。

Bさんもその時は酔っ払っていたようで、私に「ふくしま、オメエ久しぶりじゃんよお!元気してた!?」と東京のスラム街こと小岩特有の訛りのある言葉で喋りかけてきた。「うるせえよ、てめえ、酔っ払ってんじゃねえかよ」と私が言うと「酔っ払いに言われたくねえよ!」とビッチ全開な言葉で彼女は私に笑いかけた。

自殺を否定する気持ちは私の中にはあまりないのだが、それでも私はどこかでこう思っている。

「人間は生きてるヤツが一番偉い」と。

目の前にいる「生きている」人間が、多少アバがズレた言動を繰り広げていても、そこは許せてしまう。お前はお前で色々あったんだろう、理解する事は出来ないが、肯定する事ぐらいは出来る。私は心の中でそんな言葉を呟く。

さて、そんな姿を、私はAさんに関しては「見たくない」のである。それは間違いなく私の傲慢であるのだが、私はAさんを記憶の中での「中学生の頃のAさん」のまま「保存」したいのである。こんな感覚を抱く私は、変態なのだろうか。いや、変態である事は間違いなかった。

ネギうめえ!超うめえ!

おっといけない。

今日のこの駄文は、ネギをつまみに焼酎を呑みながら書いていたのだ。そのつまみのネギがあまりに美味かったもので、ついつい脱線した。細かく切った白ネギを、油で炒めて醤油をさっとかけるだけ。これが超美味い。いいちこの緑茶割りも進む進む。

Aさんの変化した姿を見たくないのと同様に、私はピーターソンも見たくなかったのだ。私にとってオスカー・ピーターソンというピアニストは、初恋の女性によく似ているのだ。『We get request』や『Night Train』といったアルバムを発表していた頃の、若くて瑞々しく、そしてどこまでも溌剌として明るいピーターソン。それが私の中でのオスカー・ピーターソン像なのだ。彼の老いた姿は、私はあまり見たくはない。

逆に、老いた(或いは枯れた)演奏が私の心を打つミュージシャンも確実にいる。筆頭はバド・パウエル、ビリー・ホリデイ、セロニアス・モンク、こういった人達。私は、彼らの弾けなくなった(歌えなくなった)演奏まで見てしまいたいのだ。そしてそれを愛したい。ジャンルは違えど、立川談志という落語家に関しても似たような事を感じる。声が出なくなって猶、高座に上がり続ける心意気は、心からの尊敬に値する。衰えた自分を人前に晒すという事には、相当の、恐らく死ぬ事と同等の覚悟がいるのだ。

ピーターソンも勿論そんな覚悟でステージに上がっていたのかもしれない。けれど、私は「もういいよ、オスカー。ゆっくり家で寝ていてくれよ」と思うのだ。私は、パウエルが好きだしモンクが好きだ。けれど、同じぐらいオスカー、あなたの事も好きなんだよ、と言いたい。つまり彼が初恋のピアニストだったわけだから。

もう一度、全盛期の彼の演奏を聴く。

緻密に練り上げられた音楽なのだが、端々から聞こえてくるのは、「音楽が愉しいもので何故悪い?」という彼の主張である。

音楽は、愉しいものなのだ。

初恋が、愉しかったように。

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2008年1月 8日 (火)

満州を返せ

タイトルには特に意味が無い。

1月8日の遅きにして新年一発目のブログであるし、折角なので不謹慎な言葉を冒頭に持ってきたかったのだ。

ブログの炎上、という事をたまに耳にする。靖国問題や憲法9条問題などに触れて過激な発言をすると、そのブログのコメント欄には2ちゃんねる用語満載で「こいつ、ワロスwww」などの暖かいコメントが多数寄せられる、といった塩梅らしい。現代人の空疎で鬱屈とした葛藤が、絶妙なAA(アスキーアート)と共にシャウトされる。はいはい、わろすわろす。

ちなみに満州に関してであるが、私自身は別にどちらでも良い。「名前に尻の字が入っているから超ワイセツ!!」でおなじみの沢尻エリカよろしく「別に」なのである。愛情の反対は無関心、と言ったのは私の4親等ほどの血縁にあたるマザー・テレサだったと思うが、私はこういった事には無関心であるのだ。興味があるのは、「どこそこの店は今生ビールフェアをやっていて、生中がなんと250円!」とかそういった類の、極めて小市民的な話題にしか興味が無い。

特定の宗教団体を誹謗中傷するのは個人的には好きなのだが、私は自身の命が惜しいのでそこまでアグレッシブな事は書かない。別にツタヤにもブックオフにも興味がない。

先日、男子高校生の三人組とエレベーターにたまたま乗り合わせた。

その内の一人が
「なあ、メンズエステ行きたくねえ?オレ、今チョー行きてーんだけど?」
と、恐らく偏差値は沢村栄治の永久欠番の背番号より下である事は想像に難くない発言を聞かせてくれていた。ちなみに沢村栄治の背番号は14だ。

対して、他の高校生二人は気も漫ろ、「オレ、別に行きたくねえけど・・・」とお茶を濁していたが、冒頭の沢村(仮名)は、「いや、メンズエステ、チョーあちいって。マジやべーよ」と漲る知性全開の発言を展開。彼のIQは恐らく江夏豊の背番号か、それ以下であろうと私は推測した。ちなみに江夏の背番号は28だ。

そんなこんなで年が明けた。新しい年が始まった。

みなさん、今年もよしなに。自分のペースで下らない事ばかり書き綴っていきますので、お付き合い下さい。

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