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2007年12月

2007年12月31日 (月)

足し算と引き算

誉められながら育った子供と、叱られながら育った子供が、異なった性格になる、というのは一理あると思っている。

そもそも一つとして同じ性格などない、という真実はこの際考慮に入れずに頂きたい。個性は十人十色、それは当然だが、傾向というものぐらいはある。

例えば、食卓に並んだ料理の中で自分の好きなものを最初に食べる人間と最後に食べる人間を300人ずつほど集めて、性格にまつわる何らかのアンケートを行えば、そこには何らかの傾向は出るのかも知れない。

育った環境による性格の違いというのは、少なくとも星座や生年月日、はたまた血液型による性格判断などより遥かに科学的根拠もある筈だ。私は元来占いをとんと信じない。血液型による性格の差などない。私自身が良い証拠だ。私はA型だが、一般的な人と比べてさして几帳面でもない。

飲み会の席などで「あー、君は確かにB型っぽいよねー」などと言いながら場を盛り上げている気になっている男をたまに見かけるが、アナルにやや大き目の茄子を突っ込んでからその汚い尻を蹴飛ばしてやりたい衝動に私は駆られる。男たるもの血液型の話などするな。私は血液型性格診断の話が大嫌いなのだ。信じてもいない。○○○作の話と同じぐらい信じてはいない。この例えに関しては、伏字を使わないと私の命に危険が迫るような気がしてきたので、4文字中3文字を伏字にした。ヒントはルーマニア国旗!!

危ない危ない。年の瀬に無駄な暴走をしてどうすると言うのだ。

さて、育った環境が及ぼす性格の差異についてであるが、誉められて育つ、叱られて育つ、の二択でいけば、私は叱られながら育った方だ。勿論完全な悪人や完全な善人がいないのに似て、完全に叱られてばかりで育った人間や完全に誉められてばかりで育った人間というのは稀だろう。私が叱られて育った、と言っているのは、あくまでも誉められるよりも叱られる方が多かった、という話である。大体7:3~8:2ぐらいで叱られる方が多かった。勿論、誉められた経験だってある、という訳だ。

幼少の砌、私が叱られる方が多かったのは、大枠で言えば私が悪かったような気もしている。小学校低学年時代は、机にきちんと座っていられずに廊下に飛び出したりするような子だったそうな。奇声もしょっちゅう上げていたという。自分の気に入らない事があればすぐに暴力に訴えていたし、人の気持ちを汲むような事は当然なかった。マイルドな障害児、あるいはキチガイかのどちらかであろう。もし現在このような子供をお持ちでお悩みの方がいれば、解決策は唯一つ、「子供の人権」や「トラウマ」といったキーワードを一切無視して、叱るべきであろう。そして体罰、これである。言う事を聞かない悪い子には、ライトな気持ちでLet’s 体罰!である。

ちなみにもしも私が人の親になるような事があれば、子供を誉めるのか叱るのかの基準に関しては、私自身の機嫌を最優先させて考えたいと思っている。私が機嫌の良い時には、些細なことでは子供を叱りたくはない。せっかくの上機嫌が損なわれる恐れがあるからだ。それとは逆に、私が不機嫌な時には子供が何をしようと誉めてなどやらない。

私がパチンコで5万円もの大金を負けて帰ってくる。そこに私の息子がにじみ寄る。
「お父さーん、今日、学校のテストで100点取ったよー!」
「うるせえ!てめえ、黙って寝ろ!おい!酒持って来い!バカヤロウ!」

といった、人間としては最終段階の塩梅である。良い事をすれば必ず誉められるとも限らない。悪い事をしても咎められない人間もいる。私は世の不条理を息子にしっかりと教え込まなくてはいけないのだ。ささやかなトラウマと共に。

私に息子がいたとする。その生き物は、この私の呪われた汚らわしきDNAを受け継いだ者なのだ。まともな人間に育つ訳がなかろう。きっと世間に出ても激しく差別され、非難されながら生きていく事だろう。自業自得によって生まれ出ずる、その他者からの悪意に負けぬよう、私は我が子を千尋の谷に突き落とすつもりでいる。

子供が中学生になればアルバイトの一つもさせよう。稼いできた小遣いは私が搾取する。無論使い道は酒か博打の二択だ。家にはいつも怒号と泣き声が飛び交う。阿鼻叫喚。素晴らしい家庭ではなかろうか。いや、ますます結婚などしたくなくなってきたな。昭和の最底辺の家庭を目指すのだ。ちゃぶ台を用意しておいてもらわねばならぬ。私が日に一度ひっくり返す為のものだ。嫁の口癖は「やめて!アンタ!」が望ましい。無論泣き叫びながら、である。

閑話休題。

誉められつつ育った人間と叱られながら育った人間との間の最も大きな差異は、他人に対して向けられるような気がしている。他人に対しての評価を自己の内で決定する時に、足し算的な評価をする人間と引き算的な評価をする人間の二種類、つまり、長所を見るか短所を見るか、の差である。どちらが正しい訳でもないのだろうが、そういった違いは生まれても不自然ではない。私もえてして他人の短所を見てしまいがちな傾向はある。私自身が短所によってのみ構成されている人間だと言うのに、全くもって理不尽な話である。

そうなのであるが、音楽に対する評価に関しては、そういった見方をする人間を私は軽蔑している。粗探しをしながら音楽を聞く事ほどつまらない事はない。私は所謂「ジャズファン」を軽蔑しているが、それはそういった所以である。「ジャズファン」と呼ばれる連中には、そうして演奏者の短所、粗を探して悦に入る輩が驚くほど少なくない。そういった連中がジャズをつまらなくしている。

そういった極めてつまらぬ傾向に流されずに、上質なエンターテイメントとしての音楽を提供し続けたのは、先日他界したオスカー・ピーターソンである。彼は私にとっては非常に思い出深いピアニストであったので、彼についての思い出をいくつか綴ろうと思っていたのだが、今日はもう大晦日、私なりに忙しいので、この駄文もここまでにする。

ピーターソンについては年が明けた時にでも書くか。書かぬかも知れぬ。気分による。私は文筆家でも評論家でもないのだから、その辺は恣意的にいく。

私はピアニストであるのだ。

明日、元旦、ソロピアノのライブがあるのでその告知。

東京周辺に在住の方々、正月特番のテレビに見飽きたならば、錦糸町へ行くべきだ。

以下、プロフィール欄に載せているライブ情報からの抜粋。

2008年1月

1月1日(火)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
ピアノソロです。正月です。元旦ですよ。生まれて初めての元旦ライブです。大晦日はやったことあったけど。どうなるんでしょう。客は酔っ払いだらけなのでしょうか。「今年も宜しくお願いします」と来た人みんなに言っていこうと思います。明けましておめでとうございます。
20:00~start music charge:1900円(1ドリンク・おつまみ付)

それでは皆様、今年もお世話になりました。関西の方々も、勿論関東の方々も。そして北海道の人も。

来年も良い年になりますように。

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2007年12月26日 (水)

あと5分!

京都にいます。まともに更新ができません。

ちょっと仕事のメールを片付けるために入ったインターネットカフェですが、もうすぐ延長料金のかかる時間になってしまう時間になるので出ます。なので、とても簡単に更新。

とりあえず、明日、深草でライブをして、その後すぐに東京に帰ります。

今晩は京都の友達たちと「ぎやまん」で呑む予定です。

今から「Lush Life」に行って来ます。

それではまた来世で。

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2007年12月19日 (水)

狂気の沙汰ほど面白い

退路を断ち、脇道にも目をくれず、一つの道にひたすらに進む人間に私たちはどこかで強く憧れる。そういった人間を目の前にした時には、死ぬ覚悟すら定まらぬ自らを恥じる事さえある。眼前にいるその人間は、覚悟を負った人間である。比して自分は「あわよくば」という精神のもとに、二兎をも追えば逃げもする。とても自分が狡賢い人間に見えてくるのだ。

或いは私のような狡賢い思考の人間の方が「まとも」なのかも知れない。しかし、その「まともさ」は、私を苛む。

嘗て赤木しげる大先生(故人・享年53歳)はこう言った。いささか長くなるが、彼の名言を以下に抜粋する。

さあ・・・漕ぎ出そう・・・いわゆる「まとも」から放たれた人生に・・・!
無論・・・気持ちは分かる・・・!
誰だって成功したい・・・!
分かりやすい意味での成功・・・ 世間的な成功・・・!
金や 地位や 名声・・・ 権力 称賛・・・・・・
そういうものに憧れる・・・ 欲する・・・!

けどよ・・・

ちょっと顧みれば分かる・・・!
それは「人生そのもの」じゃない・・・!
そういうものは全部・・・ 飾り・・・!
人生の飾りに過ぎない・・・!

ただ・・・ やる事・・・ 
その熱・・・ 行為そのものが・・・ 生きるって言うこと・・・!
実ってヤツだ・・・!

分かるか・・・?成功を目指すな・・・と言ってるんじゃない・・・!
その成否に囚われ・・・ 思い煩い・・・
止まってしまうこと・・・ 熱を失ってしまうこと・・・
これがまずい・・・! こっちの方が問題だ・・・!

いいじゃないか・・・ 三流で・・・!

熱い三流なら 上等よ・・・!
まるで構わない・・・! 構わない話だ・・・!

だから・・・ 恐れるなっ・・・!

繰り返す・・・! 失敗を恐れるなっ・・・!

以上、赤木しげる大先生の名言である。この言葉を目にする度に、私の胸の奥で何か熱いものがこみ上げてくるのがわかる。そしてその熱いものとは、現実に生きる私と「そうありたい私」との間に生まれた齟齬の証でもある。赤木しげるに、私はなれないのだ。

正直に言おう。

私は随分、ユルい。

音楽を生活の糧として生きているが、いつか私には一切の仕事がなくなるのではないか、という被害妄想に苛まれた時、私は第二の職業を時折考える。

とは言え、最早私に音楽以外にやりたい事などさほどない事を考えると、自然とその夢想は「無為こそ美徳」という価値観の元に行われる。

つげ義春の作品に「無能の人」というものがある。多摩川の川原で石を拾い、それを売る助川という男の話だ。私はこの男、助川のようにいずれ生きるのだろうか、と。

私には特殊な技能など何もない。普通自動車免許すら持たない、ただ歳を重ねただけの男に何が出来るだろうか。

行き着いた結論は、「昆布拾い」である。

北海道の羅臼、或いは十勝、日高。この地域では、浜に昆布が打ち上げられると聞く。その昆布をただ拾い、干すというのだ。海に潜る必要も無い。昆布は、海から勝手にやってくる。潮の流れに乗って。

私はいつか昆布を干すのだろうか。いかんせん労働の嫌いな私であるから、熱心には拾わないだろう。気が向いたときにちまちまと拾い、ちまちまと干す。近所に住む熟練の昆布拾い職人である老婆に低姿勢に教えを請い、脇からそっと昆布を頂く。考えている事は、まさしく屑である。そうして私は、ただ、死ぬのを待つ。全ての事から目を背けながら。

赤木しげる、私もあなたのように、ただ生を全うしたい。

私は、まだ、昆布を拾いたくは、無い。

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2007年12月17日 (月)

偏見

私達が他者を認識する時に、その他者の本質を理解しつつ認識しているといったケースはほぼゼロに近いのではないか、と思う。何が本質なのかという問題はこの際置いておくとして、私達は先入観や偏見を通してしか人を理解することは出来ない。残酷だけれどそれが真実なのだ、と私は半ば諦めている。

「私はありのままに人を見ます。色眼鏡などで見ません。差別もしません。」

仮にそう言う人がいれば、私はその人を一切信用しない。「私は偏見を持たない」という偏見の元に、その人は価値判断を行っている。そういった自覚がない人間を、私はどうしても好意的には見れないのだ。

そもそもにおいて「ありのままの自分」といったものを私は信用しない。自然状態(果たしてそういった状態があるのかすらもわからないが)でいられるほど私の生活は自然なものではない。恐ろしく不自然な日常と、恐ろしく不自然な人間達に囲まれながら私は生きている。それが私にとっては自然なのだ。

さて、そういった事を数日前に私は強く実感した。舞台は電車の中、東京の中心部でいびつな円を描く山手線内である。

私の座った座席の向かい、対面に3人の女性が座った。彼女達は全くの他人であるらしい。私は暇を持て余していたので、彼女達を観察した。

私も最近はよくやってしまう事なのだが、電車の中での手持ち無沙汰を紛らわす為に、携帯電話を弄んでしまう。携帯電話を電車内で弄ぶ自らを考えると、いささか恥ずかしくなってしまう。股間を弄ぶ自分と電車内で携帯電話を弄ぶ自分、どちらが恥ずかしいだろうか。どちらも恥ずかしい。間違いない。

彼女達もやはり携帯電話を弄び始めた。メールをしているのだろうか。ゲームでもしているのだろうか。どちらでも良いが、携帯電話を電車内で弄ぶ女性達は、あまり見ていて可愛らしいものではない。これが私の偏見の一つである。私は電車内で携帯電話を弄ぶ女性に魅力を感じない。そして、その女性達の本質とは遥かに遠くかけ離れた所で、私は彼女達を無意識の内に蔑む事となる。偏見以外の何物でもない。私は大した理由もなく、そして自分勝手で傲慢な理由により、少々陰鬱な気分になったのである。

しかし、その刹那、場の空気は一変した。あたかも青天の霹靂。3人の女性の内の一人、ここでは便宜上「洋子(仮名)」としておこうか、洋子の取った行動によって、車内に戦慄が走ったのである。

洋子は、手に持った携帯電話を憂鬱そうに折り畳んだ。彼氏から何か心無いメールでも届いたのだろうか、と私は考えた。

洋子がふっと眼を閉じる。深く深呼吸を一つしているようだ。吸い込んだ息が彼女の肺を満たしていく。酸素が彼女の体に行き渡り、代わって二酸化炭素が吐き出される。彼女が今まさに思い出している、古い瑕疵の事を思った。私も少し胸が締め付けられそうだった。

洋子は、眼を開けると、隣に座った女の手に持った携帯電話を一瞥した。そして、退屈そうに自分の携帯電話を鞄に仕舞い込んだ。少し鞄の中を探り、洋子は一冊の文庫本を取り出した。パラパラと頁をめくり、真ん中を少し過ぎた辺りで手を止め、ぼんやりとその文庫本を眺めていた。

真正面に座っていた私は、いささか不謹慎な事を知りながら、彼女の手に持った文庫本(その文庫本にはカバーも何もかかっていなかった)のタイトルを探った。彼女の両の掌からこぼれる青い表紙の中の文字を眼で追った。

微かにこぼれてくる文字の中に、私は「宮澤賢治」の言葉と「詩集」の言葉を見た。洋子が私の真正面で読んでいたその文庫本は、おそらく宮澤賢治の詩集であったのだ。

私は彼女が賢治のいかなる詩を読んでいるのかを考えた。「住居」であろうか。「永訣の朝」であろうか。「春と修羅」であろうか。私は賢治の詩の熱狂的なファンであるのだ。何やら全ての事が他人事のように思えなくなり始めていた。そしてその刹那、私は或る奇妙な真理に辿り着いた。

電車内で文庫本を読んでいる女性は(特にそれが宮澤賢治の詩集であったならば)、その女性は5割増し程度に可愛らしく、そして美しく見える。

この真理である。

その境地に到達した時、同時に私は記憶の混濁にも気が付いた。

前述した3人の女性が同時に電車に乗り込んできた時、洋子の傍らにいた2人の女性、(名前を便宜上振るのも億劫なのでこちらはA子とB子で問題ないのだが)そして洋子を加えた3人の中でも、洋子ただ一人が異彩を放ち、そして美しく私の目に映っていたのではないか、という記憶の混濁である。

つまり、洋子が私の眼前で賢治の詩集を読み始めたがゆえに、その事が理由で私の目に彼女が美しく映ったのではなく、それ以前に彼女の魅力に私が気づいていたのではないか、という順序の混乱である。

私は自らの予知能力を疑った。そうだ、私は洋子が鞄から宮澤賢治の詩集を取り出すという事を予め知っていたのだ、と。3人の中で一際美しくあった彼女を、私はしっかりと見据えていたのだ。

私は人を偏見で判断する。

電車内で携帯電話を弄ぶ女性は美しく見えない。文庫本の詩集を読む女性は美しく見える。偏見であるが、今後もこういった色眼鏡をかけて人間を判断していこうと思う。

山手線に乗って、私は、池袋で降りた。

洋子はきっと、銀河ステーションで降りた事だろう。

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2007年12月14日 (金)

年末の関西で

今年の4月に住み慣れた京都を離れて、生まれ故郷の東京に戻った。

理由は色々ある。逆に言えば、色々な理由があって、「京都にいてはいけない」と私自身が思い込むようになっていた。決して京都が嫌いになった訳ではないのだけれど。

現時点での結論から言えば、東京に移り住んだのは私にとっては、半ば成功であり、半ば失敗であった。しかし大体の物事はそんなものだ。完全に正しい事や完全に間違った事などそうそうあるものでもない。

東京に出て来た当初、音楽の仕事は一時的に完全にゼロになった。音楽をする為に東京に出て来た、という部分は大きくあったので、我ながら自らの本末転倒ぶりに鬱屈とした。実家でサッカーのTVゲームに興じたり惰眠を貪ったり、またそれを斜に構えて苦笑してみたり。私は自己憐憫の塊だった。無様としか言い様は無い。

様々な縁にも助けられて、少しずつ音楽の仕事が増えて来た。生きているか死んでいるか自分でもわからないような生活からは抜け出せたのかも知れない。

今月末、京都と大阪で少しばかりライブをする。その告知。

腐った屑のような人間でも、こうして生きているのだという自尊。私なりのちっぽけな存在証明。

宜しければ、見に来ていただきたい。

詳細以下。プロフィール欄からの抜粋。

12月24日(月祝)高槻JKカフェ
tel 0726-71-1231
http://www6.ocn.ne.jp/~officejk/cafe/jkcafe.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
サックス黒田氏とデュオで。クリスマスイブの昼下がりにお洒落にジャズなんぞを……やるわけない!そんなの関係ない!前衛デュオ、やります!
15:00~start  music charge:カンパ制

12月25日(火)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
vo:市川芳枝 b:椿原栄弘 ds:飛世昇 pf:福島剛
久しぶりのヨシエバンド!全開ですよ、もうね。ブルーズを愛する方々へ、ジャズを愛する方々へ、自信を持ってお勧めできる一晩です。クリスマスの夜は、煮詰めたエスプレッソコーヒーのように、濃ーく過ごしましょうぜ。
20:30~start  music charge:3000円

12月27日(木)京都深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
vo:岩井繭子 b:鶴賀信高 pf:福島剛
そして関西遠征シリーズの最後は、今年のライブ納めにもなります、深草ざぶざぶでボーカルトリオ。しっとりやろうかな、と考えています。ただ、ここでは嬉しいハプニングがよくあります。その際は「しっとり?何それ?こってり!」となります。
19:30~start  music charge:1500円

関西方面の方々、宜しく。

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2007年12月12日 (水)

虚構が現実を超える日

小説家が殺人のシーンを描く時に、その小説家に人を殺めた経験がなければ真に迫るシーンは描けないのだろうか。

私は違う、と思っている。

虚構を紡ぐ中で真実の欠片を見せていくのが小説家ではないだろうか。勿論、経験が虚構構築の為に有益に働くケースは往々にしてあるだろうが、必ずしもそれは必須ではない。どんな鳥も想像力より高く飛ぶ事は出来ない、と言ったのは寺山修司だが、経験に頼って書いている内は小説家は凡庸なのか、と辛辣に考えてしまう。我々読み手はどこまでも傲慢なのだ。

傲慢ついでに言えば、読み手にも想像力は必要であるのだ。書き手や登場人物に同化する必要がある、とは思わないが、一つの文脈の中で表層化された言葉だけにとどまらず、その中で削ぎ落とされた言葉、またそれによって纏われた空気を感じる事、それは確かに小説を読む一つの醍醐味であるかのように私には感じられる。想像する事と感じる事は、とても似ているのではないだろうか。

いくらか前の事だが、知人から「何か最近面白い本はないか」と尋ねられた。私が紹介したのは、石田ゆうすけ氏の著作『行かずに死ねるか!』である。

Photo 最近、幻冬舎文庫から文庫化された彼の処女作である。とは言え、文庫化にあたり、ほぼ全面的に加筆修正を加えた、というのは作者の弁。先日筆者に会った時に、「文庫のやつもう読んでくれた?」と聞かれて、「いや、まだ読んでないんですよね」と言うと、「じゃああげる」と言ってプレゼントしていただいた。ついでにサインもしてもらった。お互いに苦笑いしながら。

私のブログを日頃読んで頂いている方の中には気付く方もいらっしゃるかも知れないが、私と彼は友人同士である。2001年の9.11テロの時期に、パキスタンで知り合った。彼はこれまでに数度、自身のブログの中で私の音楽の事について書いてくれた事がある。私も数度彼の著作についてこのブログ内に書いた事がある。要するに、身贔屓も甚だしいのだが、友人同士が互いを持ち上げあって遊んでいるのだ。気持ちが悪いと思った方は、今すぐブラウザの「戻る」をクリックする事をお勧めする。いやいや、今日は大丈夫、下ネタではないからこのまま読み進めていただいても差し支えないはずだ。

さて、私は先ほど書いたように、著者からこの文庫本をプレゼントしていただいたので、つまり本書を無料で手に入れてしまった恰好になる。商業作家(この呼び方が適切かどうかはわからないのだが)の著作を無料で手に入れるのは、なかなかに心苦しい。だがプレゼントは嬉しい。しかもサインも入っているし。仕方ない、と思った私は、自らの金でこの文庫本をもう一冊購入し、私に「何か本を薦めてくれ」と言った友人にプレゼントする事にしたのだ。

「知り合いが書いた本なんだけれど、とても面白いから、あげる」と。

その時、私が本をプレゼントした友人は「ふーん」という感じであまり興味を惹かれていなかったように見えた。それはそうだろう。あまり海外旅行などに興味のありそうな人ではなかったから。

その友人から、『行かずに死ねるか!』読後の感想が私のもとへメールでやってきた。

私がプレゼントしてから数ヶ月が経っていたのだが。

そこにはこうあった。

「多分、自分で旅をするよりも、これを読んでいる方が面白い」と。

私はいささかの嫉妬すら覚えた。何たる賛辞か。

彼の著作を読んで、「自分も旅に出たくなった」という感想をよく耳にする。それはそれで大した賛辞である、と思うのだが、私は嫉妬は覚えない。嫉妬を感じたのは、「彼が構築した虚構が現実を超えた」という点にある。想像力の、飛翔である。

無論、この著作は基本的にはノンフィクションである。彼の7年間に渡る旅行を綴った「記録」が原作としてあるからだ。しかし、それを作者がいかにして「物語」へ昇華させたのか、という事を考えれば、そこには力強い虚構があるのだ。そしてその虚構が現実を超えた。私は、このメールを直接筆者に転送しようかとも思ったが、私の感じた嫉妬も含めて彼に伝えたかった為に、このブログにて書き記す事にした。彼も時折このブログを覗いているらしいので。

ねえ、すごい賛辞じゃないですか。

彼をあまりに持ち上げすぎるのは、先に書いたようにあまりに気持ち悪いので、最後に少し彼を貶めて終わる。

実は、彼には乳首が4つある。

しょうもないな。

気になった方は、是非彼の著作を読んでみましょう。

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2007年12月10日 (月)

コンプレックスとムヒ

何がしかのコンプレックスをも抱えずに生きている人間などいないであろう、と私は考えている。一切の自己肯定に走ってしまう人を稀に見かけるが、それは逆説的にあまりにも強烈な羞恥の裏返しなのだ、と私は感じる。コンプレックスが激しい自己愛の裏返しであるように。

羞恥心と自己愛は表裏一体である。

自己実現欲求、或いはアイデンティティの確立に至るその過程。

「自分はこうありたい、あらねばならない」といったある種滑稽な呪縛の中で、客体を通した自己認識と主体である自己を通した自己認識との間に生じる齟齬。それこそがコンプレックスの正体なのかも知れない。

かく言う私も、やはりコンプレックスなるものを抱えつつ、魑魅魍魎が跋扈するこの浮世を渡り歩いている。

嘗て私は肉体を激しく鍛えた時期があった。それは大体私が中学生から高校生ぐらいの時期であった。昼休みには学校に置いてあったベンチプレスの器械で100kg近いバーベルを持ち上げ、ほどよく汗をかいた後にプロテインを飲む。銭湯で風呂上りのフルーツ牛乳を腰に手を当てながら爽やかに飲み干す快男児のように、私は満足げにプロテインを飲んでいた。また、新中川の川べりをよく走りこんだ。約10km近い距離のランニング、そして200mのダッシュを10本前後。そうして自らの躯を半ば自虐的とも言える程に痛めつけたその先に、私は強固な躯を夢想していた。それこそが、まさしく強烈なコンプレックスの裏返しであった事は、三島由紀夫の例を出すまでもなく明らかである。私は、ボディビルなぞに精を出した三島由紀夫の気持ちが痛いほどよくわかる。かと言って私は三島は好きではないのだが。

もう一つ、私が若い頃から抱えていたコンプレックスの一つに、脂性、というものがあった。どちらかと言えば新陳代謝は活発な方だったので、余分な皮脂はすぐに皮膚の表層へと追いやられた。すぐに顔にニキビが出来た。何だか全体的に顔が汚らしいのが嫌だった。さほど深く思い悩んだ問題ではないのだけれど。

そのコンプレックスは、加齢により解消された。つまり、体質が変化してしまったのだ。

私は現在、驚くほどの乾燥肌である。先日、酒の席で先輩の音楽家の方と話をしている時に、乾燥肌の話になった。その方、ここでは仮にAさんとしておこう。実名を出すのは憚られる。

私「最近、体中痒いんですよねー、冬だから肌が乾燥してるんですかねー。」

Aさん「福ちゃん、それは恐らく加齢による乾燥肌なんじゃないか?」

私「えっ?歳とってくると肌って乾燥してくるもんなんですか?」

Aさん「あたりまえじゃんか、オレだってむちゃくちゃ痒いもん」

私「確かに、潤いはゼロです!乾燥してます!」

Aさん「あーあ、もうしっかりオッサンの仲間入りだなー」

という何気ないやり取り。

しかし、私はこの加齢による乾燥肌において、一つ重大な問題を抱えている事を自覚していた。

それは、繊細な部分、横文字で言うとデリケートゾーン、直截的な言い方をすれば股間周辺がたまらなく痒い、という事である。

主に痒いのは、臍下から核心に至るまでの部分、つまり下腹周辺。そしてふぐり(或いはタマーキン)の裏の部位である。出来れば、人目を憚らずに掻き毟りたいほどに痒い瞬間が日に数度訪れるのだが、部位が部位なだけに人前ではあまり掻き毟れないのである。

想像してみていただきたい。

私が日頃のジェントルマンな口調で「いやあ、昨日我が家のワイフがミートパイを焼いてくれてねえ」などと和やかに談笑している時に(ちなみに私は独身なのだけれど)、片手にワイングラスを持ち、そしてもう片手では股間をボリボリと掻き毟っているその光景を。

「昨日、うちで飼っているゴールデンレトリバーのジョンが夜中に私の元にやって来てねえ」と言いながら(ちなみに我が家には拾ってきた雑種の猫が一匹いるだけだが)、やおらズボンの中に左手を突っ込んだかと思いきや、その場に居合わせた全ての人間が戦慄するほどの大きな音を立てながら股間を掻き毟り、そして恍惚の表情を浮かべる私の姿を。

まるっきり基地の外の人ではないか。もう少しマイルドに言えば、完全なキチガイではないか。

流石に人前で股間は掻き毟れない。しかし、痒い。

このジレンマ、さながら私は現代のハムレットである。

深遠な哲学者のように思いを巡らせ、諸葛亮孔明のごとく知略駆け巡らせた結果、私が至った解決策は、以下のものであった。

「ムヒを塗ってみる」






この解決策は、諸刃の剣であった、とだけ言っておこう。

痒みは解決する。しかし、それ以外の問題もまた浮上する。

本日、私が諸兄にお送りする一つの格言である。


「ムヒは、無茶苦茶きく」

以上である。

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2007年12月 7日 (金)

傾奇者(かぶきもの)ギャグ

年配の人がよく言う、「間違って覚えた流行りのギャグ」というものを研究してもう5年になる。

最近では、「どんだけ~」と言いたかったのだろうが、「どれほど~」と間違えながら自信満々の表情を浮かべるサラリーマン鈴木さん(50歳仮名)を電車の中で目撃した。鈴木さんは言い終わった後は必ず自分から笑う。部下もそれに合わせて満面の愛想笑いを浮かべる。正しいサラリーマンのヒエラルキー的上下関係を一瞬にして理解することができるのだ。

お笑いコンビ「サバンナ」の高橋が扮する「犬井ヒロシ」というキャラの決めフレーズに「自由だー!」というものがあるが、それを真似したくて「自由なのだー!」と赤塚不二雄風にアレンジしてしまったバージョンも耳にしたことがある。

我が家の母親は、小島よしおの「そんなの関係ねえ!」を言いたかったのだろうが、「それは関係ない!」というフレーズに微妙に変化しており、その際の振り付けは無茶苦茶だった。

これらの例から導かれる教訓というものが確固としてある。我々はそれを学ぶべきだ。

その教訓とは「彼らにその間違いを指摘してはならない」という一点である。

さりげなく教えようとしても、その気遣いは水泡に帰す。

具体的には以下のようなやり取りになる。

サンプルケースとして、先に例に挙げた鈴木さん(50歳仮名)と部下の加藤くん(25歳仮名)に登場願う。

鈴木(以下S)「先日ねえ、部長と行ったんだよ、ゴルフ。」

加藤(以下K)「へえ、どうだったんですか?課長、勝ったんですか?」

S「ロンモチだよ、キミィ。私のゴルフ歴と言えば平安時代からかれこれ1200年にものぼるんだよ!?なんちゃって。」

K「は、はあ・・・ですよね!課長はゴルフお上手だって、色んな方から伺いますから・・・あ、あの!私がゴルフを始めた際には是非ご指導ください!」

S「仕方ないなあ、ま、私の指導を受ければ、キミもメキメキ上達するよ。自分でもきっと驚くんじゃないかな。どれほど~?ってね。なんちゃって。」

K「あ・・・そうですね・・・楽しみにしておきます・・・わ、私もきっと驚くんでしょうね、どんだけ~?って・・・」

S「そうだよキミィ、どれほど~!ってなるよ、どれほど~!って!私にゴルフを教わらない人は、決して上手にはなりませんから!無念!」

K「ですね・・・残念!・・・ですね・・・」

S「ガッハッハ、無念!切腹ぅ~!」

さて、この時にKの頭に去来しているのは、「課長、テメ、ギャグが全部微妙にちげえよ!しかも波田陽区は今は使うのは避けるだろ!?その内アレか?何でだろ~、も歌いだすのか?いや、この課長が何でだろ~、と正確に覚えている可能性は谷亮子がファッションモデルに転身する可能性よりも低いハズ!ならば、何でかな~、ぐらいで歌い始めるのか!?」といった修羅のごとき怒りの想念である。下唇を噛み締めて、最早血も流れ出さんばかりの勢いに相違あるまい。

しかし、ここで怒りを覚えるKは、まだまだ人間として徳が低い。私ぐらい徳の高い人間になれば、それは「新しい笑いの1ジャンル」として捉える事が出来るのだ。

その間違え方、そしてその新ジャンルギャグを飛ばした時の周囲の空気の凍りつき方、これは至高の一品である、と考えて良い。穏やかに周囲がその間違いに気付き修正を試みようとしても、言った本人は「がっはっは」と一笑に付す。そこには「男」ではなく「漢」がいる。前田慶次ばりの傾奇(かぶき)ぶりだ。益荒男、ここにありである。

一見パワープレイに見えるこの笑いを、私も緻密な計算のもとに今後は学んでゆかねばならぬ、という使命感に駆られている。

七年の病なければ
三年の藻草も用いず
雲無心にしてくぎを出るもまたをかし
詩歌に心無ければ月下も苦にならず
寝たき時は昼も寝
起きたき時は夜も起きる
九品蓮台に至らんと思う欲心なければ
八幡地獄におつべき罪もなし
生きるだけ生きたらば
死ぬでもあらうかと思ふ
(前田慶次)

さあ、傾いて候。

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