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2007年11月28日 (水)

焦燥の十代と焼売

横浜へ寄ったのは27日の事だった。

何か映画の中から抜け出たような夜景が私の現実感を希薄にさせた。

行き交う人々、海に向かって釣竿を振る人、胡乱な目つきの寒そうなホームレス、はしゃぐ修学旅行生。

全てが何やらあやふやで、そこに私だけが取り残されているかのような錯覚が私を襲った。

今、神戸で新聞記者をしている友人がいる。彼は、横浜の生まれで、私と彼は京都で出会った。

18歳で出会った私たちには、思いの外共通点が多かった。好きだった音楽や読んできた本、そして同じラジオ番組を聞いて育った事もわかった。私たちはすぐに仲良くなって、毎晩よく酒を呑んだ。こんな事を書くと顰蹙を買うかも知れないが、酔っ払った挙句に私のバイクでよく遠出をしたりもした。今はすっかり飲酒運転などしないが、その時はしていた。元来私は運転の得意な方ではないので、飲酒運転の末に山中越えで一度転んだ事もある。私と彼は二人して無傷だった。もう二度としないが、そういう事もあったのだ。

嵐山にも夜中によく出かけた。寒い冬の日だった。バイクに二人乗りした私と彼は寒さにぶるぶると震えた。彼が私に「何か暖かいものでも買ってくるよ」と言って自販機のある方へ向かった。「頼むよ」と私は言った。暖かい缶コーヒーを、私は心の中で懇願した。彼は数分後、何故かアイスを携えて戻ってきた。「間違えた」と言って彼は私にアイスを渡した。彼もアイスを口にくわえていた。私も彼も顔を青くしながらアイスを舐めた。どこからどうみても、正気の沙汰とは思えない。

二人して酒を呑んでいる時には、「なあ、大丈夫かなあ」と片方が聞くと、「大丈夫じゃないけど大丈夫だよ」と言ってよく笑った。

十代だった我々は、つまらない事に期待し、つまらない事に不安を感じ、そして焦燥していた。

彼は大学の同級生だったのだが、私が9年かけて大学を出たのに対し、彼は4年で大学を出た。大学を卒業後、彼は生まれ故郷の横浜に戻った。そして数年前、幾年かのフリーター生活を経て新聞記者になったために神戸に居を移した。

その彼のフリーター時代に、私は一度横浜に彼を尋ねていった事がある。彼と私は久しぶりに会い、鎌倉を散歩し、山下公園を歩いた。男二人で何をしていたのだろうか。

その後は酒を呑んだ。随分と酔っ払った記憶がある。

今年の三月、私が京都を離れる前にも彼は京都を尋ねてきた。やはり酒を呑み、そして随分と酔っ払った。

そんな事を、横浜の街を歩きながら思い出した。

不思議と、横浜を離れるのが名残惜しく思えた。

名残惜しかったが、私は横浜を出た。

27日の夜の事である。

その際に、土産として「崎陽軒」のシューマイを買った。横浜名物と言えばこれである。

そして明けて今日、28日。

「崎陽軒」のシューマイは、原材料表示の偽装で販売を一時停止に決めたようだ。

何たる偶然。年に一度も買わぬと言うのに。

今日、満を持して食してみたが、何の問題もなかった。寧ろ、美味かった。

と、きちんとオチをつけた(という気になっているだけ)。

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