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2007年11月

2007年11月30日 (金)

ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、そしてそれに肩を並べる私

家に、10年以上昔に買ったエレクトリックギターが眠っていることを思い出した。

フェンダーUSAのストラトキャスター、それなりに良いギターなのである。少なくとも、アンプとセットで19,800円、みたいな廉価品ではない。私の記憶では、高校生であった私が夏休みにほぼ毎日引っ越し屋で肉体労働をした挙句に買った一品である。

当時、私はとても下手だったのだがギターを弾いていた。私のギター歴は、下手な割には存外に長い。

小学校4年生だか5年生だかの頃に、家にあった親父のクラシックギターを弾いたのが一番初めである。初めて練習した曲は、「禁じられた遊び」と中島みゆきの「夜風の中から」。我ながら、なかなか小学生にしてはシュールなチョイスである。

♪浮気でやくざな女が今夜どこでどうしていようと知ったことじゃないが~

と歌う小学生を想像してみていただきたい。私ならば、光よりも速く、彼を殴る。眉間に的確に拳をヒットさせたい。

ちなみにその二曲が弾けるようになった後にチャレンジしたのは、やはり中島みゆきの「わかれうた」である。確か、その時はもう小学校6年生ぐらいになっていたとは思うが、

♪道に倒れて誰かの名を呼び続けた事はありますか 人事に言うほど黄昏は優しい人好しじゃありません~

と歌う小学校6年生は、私が見たならば、エメリヤーエンコ・ヒョードルよりも力強くテンプルにロシアン・フックをお見舞いしたい。どうやら、もうその時期には既に私の人生は「正しい方向」を向いていなかったらしい。ならば、今、貧窮し喘いでいるのは、何もここ数年の間違いではないのだ。仕方あるまい。人間には「正しい人間」と「間違った人間」がいるらしい。石田ゆり子をネタに自慰に耽った人間とそうでない人間とに人類が二分されるように。私はおそらく「間違って」いる。

さて、ギターである。

小学生の時分は、親父のクラシックギターを弄んで満足していた私であるが、中学に上がった辺りからスティール弦のギター、つまり所謂フォークギターに私は強い興味を抱き始めた。

確か中学一年生の私の誕生日であったと思う。私は親父にフォークギターをねだった。親父は私をお茶の水の楽器屋街に連れて行き、二万円前後のモーリスというメーカーの安いギターを買い与えてくれた。このギター、未だに私は手許に置いている。安物なのだが、非常に弾きやすく、それなりに良い音もするのだ。当時も夢中になって弾いた。そのギター購入と同時に買ってもらった譜面は、「さだまさし全曲集」とか何とかいうさだまさしの譜面集。

♪おしえてください この世に生きとし生けるものの全ての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか 風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

と歌うようになった。ますます根暗な性格に加速度が増した、と考えて相違ない。

高校生に入って買ったのが、冒頭に挙げたフェンダーのエレクトリックギターだ。エレクトリックギターにも興味が出たのだ。間違いなく私が所有しているギターの中でも最も高価なギターだ。

そこからブルーズに興味が出て、今の私に至るのだが、その経緯は別に書いても面白くないので書かない。

問題は、そのギターを買った私は、苦労してアルバイトをして小遣いを貯めて買ったということ、その事自体に満足してしまった節があり、ギターの練習はろくにしなくなった、という点にある。結局私は二十歳前後でギターを弾くことをやめてしまい、その代わりにピアノを弾くようになった。我が家で高価なギターが眠ったままになっていたのだ。

最近、エレクトリックベースとそのためのアンプを買った。ベースは安物だが、アンプはそれなりに良いものを買った。

そう、私は家に眠ったストラトキャスターを久しぶりにアンプに差して弾いてみたかったのだ。

弦を買って、電池を買ってこよう。今度仕事で都心に出た時にでも。

もちろん、弾けもしないくせに、ヘヴィゲージを買う。つまらないこだわりなのだ。

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2007年11月28日 (水)

焦燥の十代と焼売

横浜へ寄ったのは27日の事だった。

何か映画の中から抜け出たような夜景が私の現実感を希薄にさせた。

行き交う人々、海に向かって釣竿を振る人、胡乱な目つきの寒そうなホームレス、はしゃぐ修学旅行生。

全てが何やらあやふやで、そこに私だけが取り残されているかのような錯覚が私を襲った。

今、神戸で新聞記者をしている友人がいる。彼は、横浜の生まれで、私と彼は京都で出会った。

18歳で出会った私たちには、思いの外共通点が多かった。好きだった音楽や読んできた本、そして同じラジオ番組を聞いて育った事もわかった。私たちはすぐに仲良くなって、毎晩よく酒を呑んだ。こんな事を書くと顰蹙を買うかも知れないが、酔っ払った挙句に私のバイクでよく遠出をしたりもした。今はすっかり飲酒運転などしないが、その時はしていた。元来私は運転の得意な方ではないので、飲酒運転の末に山中越えで一度転んだ事もある。私と彼は二人して無傷だった。もう二度としないが、そういう事もあったのだ。

嵐山にも夜中によく出かけた。寒い冬の日だった。バイクに二人乗りした私と彼は寒さにぶるぶると震えた。彼が私に「何か暖かいものでも買ってくるよ」と言って自販機のある方へ向かった。「頼むよ」と私は言った。暖かい缶コーヒーを、私は心の中で懇願した。彼は数分後、何故かアイスを携えて戻ってきた。「間違えた」と言って彼は私にアイスを渡した。彼もアイスを口にくわえていた。私も彼も顔を青くしながらアイスを舐めた。どこからどうみても、正気の沙汰とは思えない。

二人して酒を呑んでいる時には、「なあ、大丈夫かなあ」と片方が聞くと、「大丈夫じゃないけど大丈夫だよ」と言ってよく笑った。

十代だった我々は、つまらない事に期待し、つまらない事に不安を感じ、そして焦燥していた。

彼は大学の同級生だったのだが、私が9年かけて大学を出たのに対し、彼は4年で大学を出た。大学を卒業後、彼は生まれ故郷の横浜に戻った。そして数年前、幾年かのフリーター生活を経て新聞記者になったために神戸に居を移した。

その彼のフリーター時代に、私は一度横浜に彼を尋ねていった事がある。彼と私は久しぶりに会い、鎌倉を散歩し、山下公園を歩いた。男二人で何をしていたのだろうか。

その後は酒を呑んだ。随分と酔っ払った記憶がある。

今年の三月、私が京都を離れる前にも彼は京都を尋ねてきた。やはり酒を呑み、そして随分と酔っ払った。

そんな事を、横浜の街を歩きながら思い出した。

不思議と、横浜を離れるのが名残惜しく思えた。

名残惜しかったが、私は横浜を出た。

27日の夜の事である。

その際に、土産として「崎陽軒」のシューマイを買った。横浜名物と言えばこれである。

そして明けて今日、28日。

「崎陽軒」のシューマイは、原材料表示の偽装で販売を一時停止に決めたようだ。

何たる偶然。年に一度も買わぬと言うのに。

今日、満を持して食してみたが、何の問題もなかった。寧ろ、美味かった。

と、きちんとオチをつけた(という気になっているだけ)。

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2007年11月22日 (木)

ダニエル・カールと木村カエラ

日本語の比較的流暢な外国人、というのがたまにいる。

芸能人で言えば、ケント・デリカットやダニエル・カール、デーブ・スペクターなどといった所がその代表格か。

しかし、当然のことながら、彼らの話す日本語は、我々日本人の話す日本語と、イントネーションの点で若干異なる。無理やり文字にして表記する時は「デースカラ、ワターシタチアメーリカノクニデハー」といった感じになる。ダニエル・カールだけは別か。彼は山形弁だからな。これは逆に考えれば、以下のような状況か。

・日本人アキラ(仮名)、初めてアメリカに行く。
・英語はあまり得意な方ではない。中学高校と英語の成績は大体「3」。
・行き着いた先は何故かジョージア。周りの黒人たちは、ちょっと聞きなれない英語を喋っている。
・自分も英語を覚えなくては。周りとコミュニケーションを取らなければ。
・喋りかけよう。そうすれば自然と語学力なんて身に付くんだ。
・そうこうしている内に三ヶ月が過ぎた。
・近所のボブやメアリーともすっかり仲良くなった。
・ボブは会うといつも‘Yo, Bro!’なんて気さくに声をかけてくれる。
・男友達同士の挨拶は、英語ではそう言うんだな。
・「今日の仕事はそんなに大変じゃなかったぜ」って言う時は‘Today's work ain't so bitch.’って言うらしいな、この間トムおじさんが教えてくれた。

このアキラ青年が、どこか他の所で英語を喋った時に、「何だ?お前のその訛りは?」と驚かれるであろう事が明白なように、ダニエル・カールは、日本語のごく自然な言い回しとして山形弁を体得したのであろう。

そう考えると、ダニエル・カールは随分とファンキーだな。語学習得方法としては、ある種「正しい」のかも知れない。

話題が完全にそれた。

外国人の話す日本語、である。

母国語のアクセントや発声の仕方によって、発音しやすい言葉やしにくい言葉があるようで、彼らの話す日本語は、純然たる日本語のアクセントとはいささか異なる。

先日、私のライブの席に、少々頭の薄くなった白人がいた。

彼は、たいそう酒を呑み、随分と酔っ払っており、終演後の私に話しかけてきた。

「アナータ、トテモヨカータデスヨー、キョウハー。ワタシメチャメチャhappyデース」

勿論、happyの発音は、無駄に良かった。

「アリガトーウゴザイマース!」

???

何故私まで片言の日本語を喋っているのだろうか。

そしてその後、私はいつの間にかルー大柴のような意味不明の言葉を喋っていた。

日本語とイングリッシュがトゥギャザーしていたのだ。

「ワターシが、トゥデイ、ピアノをプレイしていたとき、ユーはリッスンしていたのでーすねー」

などと。

何故、そうなるのかはわからない。けれど、語学として間違っているのは確かだ。

その白人に向かって、帰りがけに、店のマスターが「今度は娘さん連れてきてよ」と言った。

それに対して彼は「オー、ソレハdreamノヨウナハナシデース」と言った。

くどいようだが、dreamの発音は無駄に良かった。

彼が帰った後、マスターは「あの外人は、木村カエラの親父なんだよ。知ってるか?木村カエラ。」と私に言ってきた。

私は「知ってます知ってます!!おー、すげー!!」と言った。

ちなみに木村カエラ、名前は知っていたが、何をする人で、どういう顔の人なのかは知らなかった。私の中ではニュースキャスター、と朧ろに思っていた。多分、滝川クリステルとごっちゃになっていたのだろう。

私は、結構、そうやって知ったかぶって驚いたフリをする事がよくある。

たまたま暇だったので、今日、グーグルのイメージ検索で、木村カエラの画像を調べてみた。私が想像していたよりも若い女性であった。そして、どうやら、女子中高生に大人気の、歌を歌う人であるらしいという事がわかった。

木村カエラ
うーむ。この人の親父があの酔っ払いのオッサンか。綺麗な娘さんではないか。
私は一つ賢くなった。
木村カエラとは、上の人の事だ。
このブログを読んだ人もしっかりと学ぶように。
ちなみにこの写真は無断転載だ。多分、マイルドな違法行為だと思う。許してくれるように。

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2007年11月14日 (水)

一種の原点回帰

今月の頭あたりから、クラシックの練習をしている。

読譜力を強化する事と、毎回同じ音色で弾く事を目的とした練習である。

所謂「きちんと」弾く事が私は苦手である。

譜面に書かれた事を正確になぞれない。それはそれで構わないのではないか、とどこかで高を括っていたのだが。

それはまずいのだ。つまり、きちんと体をコントロール出来ていない、という事と同義になりかねない。頭に思い描いた音を、現実世界に還元させる為の指であろう。指が勝手に音を紡いではならない。音を紡ぐのは、「私」でなければならない、と考えている。

こう書くといささか語弊もあるか。

決して、利己的に音楽を支配しよう、と考えている訳ではない。

ただ、眼前の風景に五感を研ぎ澄ます必要があるのだ。その為には、体は最低限、コントロール下に置いておかなければならない。そう思っている。

そのクラシックの練習も、今週いっぱいは中断する。

今週末はライブが二本あるのだ。土曜、日曜と。

私はそこでは、クラシックの楽曲は一曲たりとも弾かない。

ジャズをやる。

ブルーズをやる。

それが私の「すべき事」だからだ。

なので、一種の原点回帰である。

今週はひたすらに、ブルーズをやる。ジャズを練習する。

しかし、クラシックの練習の成果は、早くも少しずつだが現れ始めている。

うまく言葉で表現する事は出来ないが、私の出す音が、何かこれまでと違う。

良い変節だ、とせめて自分ぐらいは満足しておく。

さて、以下、宣伝。

読み飛ばさぬように。

そして、暇な人は、演奏を観に来てくれると、私はとても嬉しい。

・11月17日(土)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
20:00~start music charge:1900円(1ドリンク・おつまみ付)

・11月18日(日)東京金町 Jazz inn blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/component/option,com_frontpage/Itemid,1/
pf:福島剛 b:長谷川明弘 ds;松永博行
20:00~start music charge:1500円

どちらも、観に来てつまらなかった、という方がいたら、是非私にご一報を。

ミュージックチャージは、全額お返しいたします。

という、自負なのかはったりなのかわからない言葉を吐いておきます。

一度吐いた言葉は、再び飲み込まない。

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2007年11月10日 (土)

ピアニストだからといって手先が器用な訳では決してない

最近、時折手が震える。

酒、だろうか。

そのせいかどうかはわからないが、過日、友人Yの頭を、謝罪会見時の亀田兄弟も驚愕するであろうほどの、見事な坊主頭に刈り上げてしまった。

事の顛末は以下。

酒を呑んで随分と酔っ払った私の携帯が、突如鳴った。友人Yからだった。

Yは、仕事上で厄介な事があった、と言う。責任問題云々で言えば、Y自身にはさしたる過失もない、との事。しかし、過失がないから頭を下げる必要はない、という正論が常に通用する訳ではなく、Yは「オレが頭を下げれば全て丸く収まる」という趣旨の事を私に伝えた。そして彼は「頭を下げる上で、その下げる頭を丸めておきたい」と私に言うのだ。そして、「ふくしま、お前、バリカン持ってないか?」と尋ねてきた。

私は、バリカンを持っていた。

そして再度言うが、極めて酩酊していた。

Yの話に戻ろう。彼が言うには、その剃髪は「禊ぎ」としての意味合いを持つ一種のポーズである、との事だった。そこまでして頭を下げれば、さすがにそれ以上は何も言われないであろう、と。ポーズであるからには、さほど気合の入った坊主頭は必要ない。Yは「12ミリな!12ミリ!」と私に強く念を押した。

もう一度言う。私は、酩酊していた。

Yと落ち合ってから、剃髪の場が決まらず暫らく難儀したが、結局私の実家で執り行う事で双方の意見が一致し、私の実家の洗面所にYは座った。

私はバリカンを構えた。酩酊しながら。

バリカンというものには、髪の毛の長さを調節する為のアタッチメントというものが付いている。そのアタッチメントを、Yの希望通り12ミリに設定した。

Yの頭にバリカンを入れる。その刹那、私の手に伝わる確かな違和感。

うむ。剃り過ぎた。

Yの後頭部に十円ハゲのようなものが出来上がる。

まずい。

結局この長さに合わせるしかないではないか。

アタッチメントを外さずにそのまま剃り続ける。見事なトラ刈りが出来上がる。

Yは最早呆れ顔である。いや、泣き顔であったか。

ちなみに私は酩酊していたので、ゲラゲラ笑いながら剃り続けた。悪魔の所業である。

一番短かな部位に合わせて剃るしか、他に手段の無い事をお互いに悟り、Yの了承を得て私はバリカンのアタッチメント部を外した。つまり、剥き出し状態の刃を持ったバリカンがそこで出来上がった。

再度スイッチを入れる。

ウーン、という唸り声を上げるバリカンを一瞥してYは、「さっきまでと音が違え・・・お前、この音はちょっとアグレッシヴ過ぎるだろ!」と悲鳴にも似た叫びを上げる。私はへらへらと笑みを浮かべながら、うわごとのように「大丈夫大丈夫」とくり返す。何が大丈夫なものか。

結果出来上がった彼の頭を、私たちは一言で「仏門」と称した。

12ミリの予定は、1ミリという結果に帰した。

何とも苦々しい顔をして、私たちはビールを啜った。

Yよ、この場を借りて一言謝っておこう。

すまんかった。

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2007年11月 9日 (金)

医療費

首から上、顔周辺が色々と悪い。

もちろん、面白フェイスである事は仕方が無いのだが、それ以外、つまり様々な意味で最近顔周辺の健康状態が思わしくない。

一番は、耳、である。

慢性的な中耳炎にずっと悩まされているが、それが最近また悪化した。最近、というよりは、昨日か。昨日は私の28歳の誕生日であったのに。

夕刻にレッスンをしている時に左耳の聞こえ方に違和感を感じた。あ、これはまずいな。そう思っていたら、夜半過ぎには膿が噴出した。痛みを伴って。

今日の朝から、病院にかかる。処置を受けた後に、幾らかの薬と点耳薬(耳の目薬のようなもの)をもらう。薬を飲むと、いささか痛みは解消された。が、勿論、根本的な解決ではない。暫らく病院には通わなくてはならない。薬も、定期的に飲み続けなくてはならない。

耳以外では、目と歯が悪い。どちらも医療的処置が必要だったので、病院に最近かかった。

医療費がばんばん出て行く。私は老人か、というほどに病院に行かなくてはならぬ。

一番悪いのは、脳だ、という事も知っている。

いや、性格か。

いずれにせよ、病院は嫌いだ。

病院に行かなくて済む生活がしたい。

健康が、恋しい。

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2007年11月 5日 (月)

サナトリウム

意識の混濁。

布団を頭からかぶっても、寒い。

浅い眠りの時には、人に追われる夢で目が覚める。走って逃げる私。激しく怯えながら。

夢と現実の境界が随分あやふやになっている為に、現実世界でも私は何かに怯えている。得体の知れぬ何か。それは、人からの拒絶、なんだろうか。

東京の中の、私が点でしか考えていなかった街々が、いつの間にやら線になっている事に驚く。

押上、錦糸町、五反田、池袋、神田、高砂、小岩。

元々は一本の線だったものが、今では複雑に絡み合ってほどけない。どの線がどの線に絡み付いているのか。考えただけでもぞっとする。

間断なく訪れる意識の混濁。

そして言語の混濁。

また悪夢を見る為に、眠る。

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2007年11月 3日 (土)

金曜ロードショーで観たのだけれど

やべー!always三丁目の夕日、ちょーおもしれー!

続編やってるみたい!

ちょー観に行きてえ!

すいません、軽い興奮状態で、言葉が乱れております。

なるべく偽悪的にそういう言葉を使いたくなってしまいます。

吉岡秀隆、良いなあ。

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