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2007年10月

2007年10月26日 (金)

明日は深草

明日は京都は深草、ざぶざぶでライブしてます。関西の方、よろしければお越し下さい。夜7時半からです。

ボーカル岩井繭子、ベース鶴賀信高というメンツでやってます。

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2007年10月24日 (水)

私は小岩がとても好きだ

私の中学は、ちょっぴりやんちゃな奴が多かった。お世辞にも上品な中学ではなかった。今はどうかは知らないけど。

高校は随分と上品な所だったから、私はずっと居心地が悪かった。息苦しかった。

それが原因なのかどうかはわからないけれど、私が昔から未だに付き合いを持つ人間は、中学時代の友人が多い。数人だが。

私は今日、自分のピアノ教室のチラシを小岩の色々な店に置かせてもらいに行っていた。断られた店もたくさんあったし、快く置いてくれた店もあった。それは大した問題じゃない。

とある美容院にチラシを置かせてもらおうと赴いた時、私はそこに中学時代の友人のいる事を知っていた。以前、ばったり呑み屋で鉢合わせた彼にその事を聞いていたのだ。それも随分と前の話だ。

私と彼は、中学時代、とても仲が悪かった。よく殴り合った。多分、結構酷い怪我もさせた事がある。

以前呑み屋で遭遇した時には、彼はその遺恨など微塵も持ち出さずに、共に愉しい酒を酌み交わしてくれた。嬉しかった。

それでも、彼の働く美容院を訪れるのに、私は或る逡巡を感じていた。それは、そういった過去の遺恨だけが原因だったのだろうか。

彼の店の敷居を跨いで、「久しぶり。オレ。わかる?」と私は彼に喋りかけた。

彼は些か大袈裟に驚いた表情を作り、私に笑顔を返した。「久しぶり。わかるよ。お前、どうしたんだよ?」と。

私は簡単に、今年の四月に小岩に戻り、ピアノで生計を立てようとしている旨を彼に伝えた。彼は美容師になってもう十年以上が経つのだ、と私に教えてくれた。後ろめたさよりも遥かに懐かしさの勝る事に、私は戸惑いすら感じていた。

彼の顔はピアスだらけだったし、一見すれば「厄介な」人間のようにも見えた。けれど、彼が、「お前、すげえな、頑張れよ、オレ、応援するよ」と言ってくれる度に、私は泣きそうなほどに嬉しかった。とても、勇気づけられた。

彼だけのみならず、中学時代の同級生に会うと、私はこうした不思議な感慨と感傷にふける。頻繁に会う中学時代の友人は、二人ほどしかいないが、彼らと会う時にも私は何とも言えない感謝の念を抱く事がよくある。一人は葛西でイタリア料理屋をやっている。一人はもうすぐ二児の父になる。

友人の存在に、改めて感謝する。

こういう事を書くのは、とても恥ずかしいのだけれど。

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2007年10月23日 (火)

ゴキゲン

とびきり明るいメロディが、突然頭の中に、浮かんだ。

急いで五線譜を出して、鉛筆を持って書き留めた。

端から見れば駄作なのかも知れないけれど、私は何だか満足している。

最近こうやって着々と「私の曲」が増えている。

誰かに聴かせたいような気もするし、誰にも聴かせたくないような気もする。

CMに使いたい人は一報をくれ。

ギャラはうんとはずむように。

その金は、びっくりするほど下らない事に使ってやる。

機嫌が、良い。

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2007年10月22日 (月)

イキがった中学生と同等の私

睡眠薬を齧りながら酒を嗜む、という遊びがここの所好きなのだが、その遊びの最中にたまたまメールがやってきた相手に「何をしてるのか」と聞かれた時に、上記のように正直に答えたところ(ちなみに精神安定剤との3連コンボではあったが)、「シンナーを吸っている中学生みたいで無様だから辞めろ」とのこと。

全くもってその通りだ。痛感した。

更にその友人は私を「単なる小心者だ」と責めた。

責めてくれる人間はありがたい。これもまた、痛感した。

私は、このコンボは暫らく封印する事に決めた。

なかなか良い合法的なトリップ遊びであったのだが。

次はガマの油でも吸うか。

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2007年10月20日 (土)

全てが悪い方向に

信じられないほどの体調不良に。咳と鼻水が酷い。風邪の諸症状だというのは何となくわかるが。

加えて、睡眠障害が酷い。お陰で治る筈の風邪も、完全に悪化の一途を辿る。

不必要に世を怨んでしまう。

健康に戻りたい。

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2007年10月18日 (木)

DVD鑑賞

昨夜、家のCDラックで一枚のDVDが発見された。人にダビングしてもらったものだ。

そこには、2005 12/10 MOJO WEST と記されていた。

随分と以前に頂いたDVDだったが、京都で独り暮らしをしている時には私はDVDを観る機械を持っていなかったので、観れなかった。誰かと一緒に観たいような内容ではなく、独りでじっくりと観たい内容である事はわかっていたので、誰かの家に持っていって観るような事はしなかった。それが、随分と久しぶりに出てきた。

私はコップに焼酎を注ぎ、それを観る事にした。

映っていたのは、トランペッターMITCH、そして我が師市川修。彼らのステージの記録だ。

途中で文章を放棄する訳ではないが、最早何も言うまい。素晴らしい演奏がそこに映っていた。

焼酎が、目にとても染みた。

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2007年10月14日 (日)

幸せな死に方

日曜日に総武線に乗ると、錦糸町駅で降りる多くの人を目にする事が出来る。勿論全員がそうではないが、その多くの人はスポーツ新聞ないし競馬新聞を手に持っている。場外馬券売り場、通称winsがあるからだ。そういえば秋レースのG1戦線が間もなく開幕する。私は競馬をやらなくなって久しい為、今どういったレースが開催されているかまではわからないが、これはこれで一つの風物詩である。電車内にて赤ペンを耳に挟みながら、競馬新聞と睨み合う初老の男性の姿は極めて腑に落ちる。女子供がはしゃぎながらするギャンブルなど、何の風情もないではないか。

車内を見ていると、そうした馬券購入に向かうとおぼしき人の群れの中に、身体中から管を通した男性が見受けられた。私の読みでは、何かしらの病気で現在入院中の患者である。

しかし、右手には点滴類の液体を入れたバッグを運ぶキャリーカー、左手にはしっかりと競馬新聞である。

オッサン、お前は大人しく病院で寝とけよ、と私は心中で毒づくが、オッサンは本当に競馬が好きなんだろうとも思う。彼の脳裏には、シンザンやシンボリルドルフの雄姿が今も鮮明に思い返されている事だろう。

家族に看取られながら、布団の上で死ぬ事だけが本当に良い死に方なんだろうか、と私は、思う。

幸せな生き方が十人十色であるように、幸せな死に方もまた十人十色だ。

名も知らぬ男性の幸せな最期を、私はこっそりと祈った。

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2007年10月13日 (土)

10月と11月

いくつかライブがあります。
関西で一本、東京で二本です。どうぞ皆様お越し下さい。

2007年10月

10月27日(土)京都深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
vo:岩井繭子 b:鶴賀信高 pf:福島剛
京都に帰って、一本だけライブをします。関西の方には是非とも見に来て頂きたい。最近、演奏が随分変わりました。楽しくて仕方がありません。ここはなるべく腹を空かせてくる事をオススメします。(メシが美味いから)
19:30~start  music charge:1500円

2007年11月

11月17日(土)東京錦糸町 Early Bird
tel 03-3829-4770
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
pf:福島剛
ピアノソロです。バンドでは出来ない事を中心にやっていますが、そうなると何故か前衛的な演奏が多くなってしまいます笑。手前味噌ですが、なかなかに面白いですよ。普段酔っ払いのぼくしか見ていない人は、ピアニストのぼくを見に来てください。
20:00~start music charge:1900円(1ドリンク・おつまみ付)

11月18日(日)東京金町 Jazz inn blue
tel 080-1263-0955
http://www.jazz-inn-blue.net/component/option,com_frontpage/Itemid,1/
pf:福島剛 b:長谷川明弘 ds;松永博行
そして翌日はピアノトリオです。こってこってのブルーズからアグレッシブなジャズまで、ぼくも本領発揮です。実力派のお二方との初共演も楽しみです。間違いなく「男臭い」ステージになる事はうけあいです。熱いジャズを聴きたい方は、是非どうぞ。
20:00~start music charge:1500円

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2007年10月12日 (金)

自転車に乗って

先日の事。

夜間、自転車に乗っていると、警察に止められた。

「はーい、お兄さーん、ちょっといいかなー」

所謂職務質問というヤツだな。私はこの職務質問には随分と縁が深い。まず間違いなく止められる。

「この自転車、ごめんねー、疑ってる訳じゃないんだけど、防犯登録だけ、ちょっと調べさせてくれるかなー」

勝手にしろ。眼前の自転車は、私の自転車「流星号(今つけた名前だが)」に些かも相違ない。盗品であるはずがなかろう。好き勝手に調べれば良い、と思っていたのだが、私はその時少しだけ急いでいたので、警察の悠長な対応に、若干の苛立ちを感じていた。

「もういいかい?」私は警察に尋ねる。私は君と世間話をしたい気分ではないのだ。

「ごめんねー、あとちょっとだけ」警察は、立ち去ろうとする私を遮った。

「今帰るところかな?」

違う、と私は答える。友達に会いに行くところだ、と。

すると唐突に警察私にこう尋ねた。

「お兄さん、失礼だけど職業は?」

これまでの質問と私の職業と、何の関係があろうか。私の職業など知ってどうするのだ。色んなことがどうでもよくなってきた。

私は憮然として「ピアニストだ」と答えた。

警察が薄ら笑いを浮かべる。

「ちょっとちょっと、真面目に答えてよー。面倒くさいのはわかるけど、そんな適当な嘘ばっかり言わないでよー」

「嘘じゃねえよ!ホントにピアニストなんだよ!譜面は読めねえけどよ!」

私は苛立ちながら言う。警察はまだ納得しない。

「あー、じゃあもういい!ピアニストじゃなくていい!自由業か何かって思っといてくれ!余計なお世話だ!」

「わかった、怒んないでよー。今仕事帰り?」

私はその時悟った。こいつは、暇なのだ。勤務とは言え、夜中に路上に立たされて、私のように風体の怪しげなヤツでも来れば、それは質問も重ねたいであろう。そうか、わかった、同情する。しかし、私は今はお前とは話したくない。

「友達のとこ行くの!もう良いだろ、行くからね!」

私がそういうと、警察は「気をつけてねー」と愛想良く手を振った。

なるほど。警察の業務はなかなかに退屈そうなものもあるな。

ちなみに、友達と会うまでに、私は更に二回、職務質問を受けた。

もはや、ベテランの域である。

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2007年10月11日 (木)

Little Niles

Randy Westonの作った「Little Niles」という曲を昼間に練習する。

エキゾチックなスケールとメロディラインによって作られたその曲は、所謂ジャズの曲とはいささか異質だ。

だが、この曲の持つ何か不思議な魅力に私は惹かれていく。

私の思い描く「音楽」が、「Little Niles」というフォーマットによってどんどんと引き出されていく。すごい。

こうして、曲が私を刺激する事も、ある。

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2007年10月 9日 (火)

ゆで太郎にて

酩酊の末の午前様の立ち蕎麦屋。

店内に入ってきていきなり買ってきたマクドナルドのハンバーガーを頬張るヤンキー集団。注意の一つもしようかと考えたが、多勢に無勢、怖じ気づいてかけそばを無言で啜る。

220円で買える幸せ。かけそばの偉大さに気付く。

幸せの敷居がここの所低い。低いようで高いかも知れない。よくわからない。

一つはっきりとしているのは、今宵も酔っているという事。

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2007年10月 8日 (月)

春のうららの(秋なのに)

台東区と墨田区の間には

深くて暗い隅田川がある

誰も渡れぬ川なれど

エンヤコラ今夜も舟を出す

という訳で私は今隅田川の川べりにいる。雨が水面を穿つその模様は、泡沫と同じで浮かんでは消える。風情がどうだ、などと考えるのは何やら無粋な気もして考えないようにしているが、生来私は無粋で野暮な人間である事も知っている。下町育ちで無粋な人間など、イギリスで育ちながら英語が喋れない人間と同等であるが、例外を切り捨てる社会には未来はない。社会は私を受け入れなくてはならない。私はポジティブな人間ではないのかも知れぬが、決して深刻な人間でもないので何ら問題はない。今日もへらへらと気味の悪い薄笑いを浮かべながら渡世を生きる。

さて、冒頭に挙げた珍奇な数行は、勿論、野坂昭如の「黒の舟唄」のパロディである。例えば男は阿呆鳥、例えば女は忘れ貝、という、稀代の名曲である。

川が実際の境界となる事はよくある話だ。台東区と墨田区のみならず、江東区と中央区を隔てるのも私の眼前の隅田川であるし、江戸川区と葛飾区もまた川によって隔たれている。東京都と千葉県は、江戸川によって隔たれているという例を更に畳み掛けるように出すまでもなく、川が境界としての役割を果たすのは一つの事実である。

それらは便宜的で実際的な境界にのみならず、メタファーとしての境界である、という事も私は知っている。

東京都心部に暮らした事がないので、そちらの人達の印象は測りかねるが、東東京部に暮らした事がある人間ならば、隅田川の持つ境界としての多義性を実感した事のある人間は少なくないのではないだろうか。

歴史的な背景に関してはここでは置いておくが、隅田川の西と東とでは、明らかに文化圏が変わる。インドとネパールの良さ(或いは悪さ)を比較する事が無意味かつ不毛であるのと同様に、隅田川によって隔てられた西と東の善し悪しを比較するのもまた幾ばくもの意味を持たない。それらは、「ただ違う」のだ。私はたまたま東に生まれ、東に育ったが、その事によって東の文化圏を賛美するつもりもない。

ボーダーレスな世界、という流行りの文句に私がえも言われぬ違和感を感じるのは、私の心の中の原始風景として、川のイメージが常にあるからかも知れぬ。我々は、隔絶され、断絶されている。

当たり前の事実を、雨の隅田川の川べりで思う。

全ての道はローマに通ずるか。否、全ての道は、途切れ途切れだ。

言葉と、一緒である。

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2007年10月 3日 (水)

男塾塾生エルヴィン・ジョーンズ

Coltrane エルヴィン・ジョーンズ。

Elvin Jones.

えるびん・じょーんず。

エルヴィン。

彼の名前をひたすらに連呼したい。素晴らしいドラマー、エルヴィン・ジョーンズの名を。

以前から欲しいな、と思っていたレコードを、偶然にお茶の水のレコード屋で発見した。

John Coltrane Quartet の『Live at Birdland』。安かった事もあり、即座に購入した。

メンバーは、サックスにコルトレーン、ピアノにマッコイ、ベースにギャリソン、ドラムにエルヴィン、という無敵のカルテット。このメンバーによるカルテットは、ドラクエで言えば勇者+戦士+戦士+戦士というぐらいに攻撃的なカルテットだと私は考えている。サッカーのフォーメーションで言えば0-1-9。野球で言えば全員エースで4番。後先は考えない。攻撃あるのみ。Dead or alive. All or nothing. 大分頭の痛いバンドだが、間違いなく最強(最凶)の攻撃力を兼ね備えたチームである。

今日はこのアルバムをひたすらに薦めたい。しかし、普遍的な大絶賛は不可能である。何故ならばオフェンスの事しか考えていない、極めてバランスの悪いアルバムだから。

しかし、今流行の言葉を使えば、「そんなの関係ねえ!!」

私的満足度は10段階評価で15。私にとっては最高のアルバムだ。

A面とB面を通して聴いて素晴らしかったが、敢えてA面の一曲目「Afro-Blue」の素晴らしさ、そしてドラマー、エルヴィン・ジョーンズのアホさを今回は大絶賛したい。

エルヴィンは、アホだ。そして、最高だ。

無論、コルトレーンもアホだし、マッコイもアホだ。馬鹿みたいにデカいシングルノートをひたすらに奏でるギャリソンもアホだ。

だが、エルヴィンのアホさには脱帽する。

まず、音が違う。ピシっ、ピシっという音ではない。ドンガラガッシャングアラバキー!という音色がする。それはドラムの音というよりは、大地の地震、そして天空の雷鳴という音色だ。何という太鼓だ。それは大自然の音なのだ。

「Afro-Blue」という楽曲において、彼の類稀なるアホさを我々リスナーは享受出来る。コルトレーンが奏でるアフリカの大地を連想させるテーマの後、マッコイのエモーショナルなソロが始まる。そのソロが熱を帯びてくるにしたがって、エルヴィンの「野性」がどんどん解放されていく。それは獣の咆哮だ。アフリカの大地に鳴り響く、猛々しい雄叫びだ。

さて、ここまで読んでこのアルバムを聴いてみたい、と少しでも思った奇特な方の為に、私なりにこのアルバムの聴き方をレクチャーしたい。

まず、私はLP盤で聴いたが、そこはどうでも良い問題だ。CDだろうとカセットテープだろうと何だって構わない。大事な問題はまず一つ。

近隣家庭との関係が大分気まずくなるぐらいの大音量で聴く事。

これである。

それを考えると深夜に聴く事はあまりオススメできない。近所との良好な関係が崩れる事は必死だからだ。家の近くで大きな音で道路工事などをやっていれば、もってこいのチャンスだ。騒音公害は他人のせいにしてしまえば良い。ステレオのボリュームを右に回せる所まで回してしまおう。

さて、普段ジャズなど聴かないという方は、ひょっとしたら以下のようなイメージをジャズ鑑賞に抱いているかも知れない。

「ぼくはうっとりとビル・エヴァンスのレコードに耳を傾けた。少し感傷的になっているのかも知れない。昨日会ったガールフレンドの事がふっと脳裏に浮かんだ。とびきりドライなマティーニがぼくの喉を流れていった。」

五月蝿え。喧しい。

このアルバムを聴く時は、呑んで良い酒は焼酎かホッピーのみだ。それ以外は、水道水でも呑んでおけ。村上春樹の小説の登場人物みたいな真似をしてはならない。

女子と共に聴くのも罷りならない。いや、というよりも、女子と共に聴くと、多分フラれるから安心した方が良い。そもそも、女子供はこのアルバムは聴かなくて宜しい。このブログも同様だ。女子供は読まなくて宜しい。

さあ、中学二年生男子の悶々とした性欲のようなエネルギーを胸に抱えたら、この「Afro-Blue」に耳を傾けよう。

わあーーー!とか、ぎゃあーーー!叫びながら聴こう。

聴き終わった時には、間違いなく射精後のような快感と罪悪感と達観の間で揺れる筈だ。

以上、スイング男塾から、一号生筆頭、福島剛がお届けしました。

しばらく、このアルバムは危険だ。

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言語と肉体の分断

数日ぶりに東京に戻る。体がほんの少しだけ北国仕様に変わっていた事を、湿度と気温の差に戸惑う自分から思い知る。実家で感じた久しぶりの猫アレルギーもその一端を担っている。やんわりと、風邪も、ひいている。

簡単な楽器を買いに行くために御茶ノ水へ向かう。久しぶりに総武線に乗ると、不思議な違和感を感じると同時に少し安堵する。

また東京に帰って来た。

体が臭い。

風呂に入ろう。

家を出る前に少しパソコンを弄んでいたら、WEBニュースで気になるニュースが二つ。織田作之介の「夫婦善哉」の続編草稿が見つかったというニュースと、埴谷雄高の「死霊」の構想メモが見つかったというニュース。

見てみたい、と純粋に思うが、叶わない事も知る。

両国の江戸東京博物館では夏目漱石展がやっている。

文学の秋、なんだろうか。

漱石が、昔とても好きだった。即天去私、などと随分と威勢の良いことを言っていながら自らの死には懸命に抗うという自己矛盾ぶりに、彼の傲慢さと未熟さを垣間見た気になって、故にとても好きだった。

何の揶揄でもなく、その自己矛盾こそが漱石のたまらない魅力の一つだと、私は今でも思っている。

言葉が想念に追いつかない。

たまに、こういう時期が来る。

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2007年10月 1日 (月)

釧路という街で妄想したショートストーリー

見上げた空が高くて、もうじき寒くなる、あたしはそう思った。
空は今日も曇っていた。

釧路はいつも曇っている訳ではなかった。
晴れ間が覗く時だってあれば、雨が降る時だってあった。冬になれば、雪も降る。当たり前の話だ。
それは、知っている。
今日は、やはり、朝から曇っている。
あたしが釧路の空を見上げる時、空はいつも重苦しい雲にどんよりと覆われている。不思議だな、と思う。あたしは晴れた空を見ないようにしてるんだろうか。あたしは無意識の内に青い空を視界から遠ざけているんだろうか。
見上げた空が曇っていると、あたしは少しだけ溜息をつきながら安堵する。がっかりしながらほっとする。

朝の釧路は静かな街だった。海に出た漁師たちが帰って来るまで、女たちはしばらく裸の顔になる。隣からやる気のない女の欠伸の声が聞こえた。魚が上がろうが上がるまいが、そんな事はあたしたちはどうだっていい。男たちが帰って来て船を掃除したり漁の道具の手入れをしている間に、女たちは顔を作り替える。あたしもまた、あたしの知らないあたしの顔になる。
日が落ちるのと同時に、釧路の街には灯りがともり始める。便所の匂いと魚の匂いと酒の匂いとが混ざり合った街の隅で、あたしは愛想笑いを繰り返す。不憫だと同情する人もたまにはいるけれど、あたしは別段そんな風に自分の事を感じた事はない。
誰かが嘘をつく。誰もそれを信用しない。あたしも信用しない。多分嘘をついた本人もそれを信用していない。けれどみんなそんな嘘に付き合いながら、けらけらと笑い声を上げながら、溜息を酒に溶かしていく。誰かが誰かを庇いながら、誰かが誰かを傷つけながら、この街は今日も同じ景色を繰り返して行く。それでいいんじゃないの、とあたしはいつも思う。

「昔に戻りたいって、そう思った事ねえかい」
ある時、客がふとあたしに言った。酔っ払って、さっきまで女の話ばかりしていた客が、唐突に、そう言った。
あたしは思わず、聞こえないフリをした。
「なあ、ネエちゃん、そう思わねえかい」
その客は、再びあたしの方を向いてそう言った。酒の呑み過ぎで目が充血していた。潤んだ目が、客を余計に惨めそうに見せていたから、あたしはなるべく笑おうとした。
「変な事聞くわね。呑むと詩人になるタイプ?」
そう言って誤摩化した。
あたしが誤摩化すと、客は一声唸ったきり、そのままカウンターに突っ伏した。きっと酔いが臨界点に達したんだ。誰も悪い訳じゃない。

昔には、戻れない。あたしは、今日を、浪費するだけなんだ。そうやって諦めているあたしがいる。
でも、諦めきれないあたしも、どこかにいる。
ひょっとしたら、まだ始まってもいないんじゃないか。そんな事を思いながら、あたしは確実に自分が生きているという事が、段々信じられなくなってくる。舌打ちがしたかったけど、堪えた。

釧路に来たのは、今から六年前の事だった。あたしはそれまで札幌にいた。札幌で生まれて、札幌の高校を出た。何にもなりたくなかったから、大学には行かなかった。札幌に愛着があった訳ではないけれど、どこか遠くの街で暮らしたいという欲求もなかったから、札幌に留まった。便利な街だったし、それにあたしは生活をするという事はそんなものだと思っていた。生まれた所で暮らす事に、理由なんていらない。それは札幌を離れた今でもそう思っている。
父親は、あたしが小さい頃に家を出てしまったから、あたしは彼の顔も覚えていない。思春期の頃に、自分には父親がいない事が周りとは少し違うと思ったけれど、その事で何か困るような事もなかったし、あまり苦に思った事もない。どちらかと言えば、一般的な家庭と少し違う事で、何か特別な事が起きるんじゃないか、とどこかでわくわくしてさえいた。勿論、そんな特別な事は何一つ起きなかったのだけれど。
母親は、優しい人だった。あたしは一人っ子だったから、彼女の愛情は殆ど全てそのあたしに向けられていた。少し病気がちな所はあったのだけれど、彼女は懸命に働いてあたしを養ってくれた。お陰で、母子家庭だったにも関わらず、あたしは金銭的な部分では殆ど苦労をせずに育ってきた。高校を出る時にも、大学に行きたければ行けば良い、と彼女はあたしに言ってくれた。それぐらいのお金は貯めてある、と。それは丁重にお断りしたのだけれど、彼女はいつでも一人娘のあたしを優しく気遣っていた。

二十歳の時に、ちょっとしたいざこざに巻き込まれて、あたしは随分と札幌にいづらくなってしまった。特別誰かが悪い、とも思わない。もし誰かが特別に悪いのであれば、それはみんなだ。みんな、特別に悪い。だから、あたしは札幌を出た。母親には何も告げずに出た。特別な技術を何か身に付けていた訳ではない。ただ、高校を出てから、やるべき事もやりたい事もなかったから、あたしは投げ遣りに夜の世界に飛び込んだ。それなりにお金も稼げていたし、仕事自体は好きな仕事だったから、どこに行ってもこの仕事をしていれば大丈夫だ、と高を括っていた。住む所と食べるものには困らない。それならば充分だ、と。思い返せば少し恥ずかしいのだけれど、その時は「あたしは体を売らずに夢を売っている」なんていう子供じみた自尊もあった。性を売り物にしている女の人とあたしを同一視する客もたまにはいて、下卑た口説き文句をかけてきたりもした。その度にあたしは腹を立てて、少し、傷ついていた。けれど、今はもう傷つかない。あしらう技術が身に付いた事もあるけれど、少しずつ感覚が鈍くなってきているのが大きい。人間の老化は、生きていく為には必然的な衰えなんだろうか、と考えたりして、そうすると、最近あたしの目尻にほんのりと出て来た皺にも愛着が出てくる。

札幌を出てから、最初は旭川へ向かった。小樽は知り合いに会う可能性が高かったから具合が悪かったし、函館でも良かったのだけれど、函館は地理的にそれ以上逃げ道がないような気がした。なるべく寒い所に行きたかったから、というのもある。実際、旭川はとても寒かった。街が賑やかだから、ついついその寒さを忘れそうになっていたが、旭川はとても寒かった。
旭川には、一年いた。何かはわからないけれど、あたしの中で歯車が一つ狂い始めて、色んな事が憂鬱になって来た時にあたしは旭川を出た。嫌な事から逃げたかっただけじゃないの、とあたしは時々自問するけれど、その自問はどこまでも無意味だ。答えははっきりしている。確かにあたしは逃げ出したかった。あたしが弱かった。
それから富良野と帯広で少しずつ過ごして、釧路に移った。札幌からどんどん離れていこうとしているのは間違いなかった。

初めて釧路に来た時、すごく重苦しいものをあたしは感じた。その日の事をあたしは今でもはっきりと覚えているけれど、やはりその日はどんよりと曇っていて、時々小雨がぱらついていた。やって来たのは昼過ぎで、まだ街には活気がなかった。港町独特の重苦しさなんだろうか。それとも、ここにはあたしと同じ、行き場所の無い人たちが集まっているんだろうか。何か直感的にそういう事を考えた。

それは、そんなに間違ってはいなかった。

釧路に来て最初の一年は、市場で働いた。近くの釧路港で穫れた海産物を売る市場だった。働いているのは半分以上が女だった。女たちは、あまり自分の過去の事を話したがらなかった。だからあたしも聞かずにいたし、逆にあたしが過去の事を聞かれる事も殆どなかった。多分みんな、何かしらの傷を抱えて生きているんだとあたしは思った。
そこはそこで居心地は良かったのだけれど、気付いたらあたしは夜の街で暮らしていた。酔いどれた漁師たちの相手をするのは楽しかった。札幌にいた時のように、華やいだ雰囲気の夜の街ではなかったけれど、そこは停滞した街ではあったのだけれど、あたしはとても気持ちが楽になっていた。
雨がひどければ、男たちは漁に出ずに朝から酒を呑み始めた。赤提灯の暖簾をくぐって来た男たちは既に随分と酔っ払っていて、何だか寂しそうで、それがあたしには可愛らしくも見えた。しばらくここで暮らそう。誰も知り合いのいないこの街で、あたしはひっそりと生きていくんだ、そう考えてから、もう五年が経っていた。

ある日の事だった。
暖簾を一人の女性がくぐった。あたしは言葉を失った。暖簾をくぐって入って来た女性は、あたしの母親だった。

「久しぶりね」
居心地が悪そうに、母が言った。
あたしは何かを言い返そうかと思っていたのだけれど、言葉が喉につまって出て来なかった。何故だかはわからないけれど、あたしの脳裏に遠い異国で雷が鳴る風景が浮かんだ。
おしぼりを出しながら、あたしはやっとの事で母に一つ言った。
「ごめんなさい」
どうしても目を合わせる事が出来なかった。
母は手をおしぼりで拭きながら、少し笑ったみたいだった。
「ビールをくれる?」
母がそう言った。あたしは俯きながら瓶ビールを冷蔵庫から取り出す。栓抜きで栓を抜く。母の前に差し出す。少しくすんだグラスと一緒に。
「色んな人に話を聞いてね、なかなかわからなかったんだけれど、少しずつあなたの居場所を探していって、やっとここに辿り着いたの」
母はグラスにビールを注ぎながらそう言った。
「ごめんなさい」
あたしは再びそう答えるしかなかった。言うと、うっすらあたしの目に涙が滲んだ。
「叱らないわ」
ビールを一口含んでから母は言って、続けた。
「私、最初はあなたが生きていればいい、と思ったの。色んな人の話を聞いている内にあなたが釧路で呑み屋で働いている、って聞いてね。それで先週から釧路にやってきて色んな所に行ってあなたの事を訊いて回って、やっとここまで辿り着いたの。叱らないし、怒ってないわ。こうやって久しぶりに会えたんだもの」
あたしはまた黙り込むしかなかった。久しぶりに会えた安堵感よりも、罪悪感の方が遥かに勝っていた。
「お母さんね、あなたにどうしても会って言わなくちゃいけない事があって、それで必死にあなたの事を探していたの」
あたしは黙って頷いた。
「あなたも何か呑まない?」
母が言った。あたしは首を小さく縦に振って、薄い焼酎の水割りを作った。
母がグラスを近付けてきた。あたしは自分のグラスを差し出して、チン、と合わせた。その音は、ひどく乾いて響いたような気がした。
「お母さん、ね」
母があたしから視線を外して、少し俯いて言った。
「お母さん、ね。再婚したの。」
母はそう言うと少し照れ笑いを浮かべた。照れを隠すかのように、そこからは早口に色々と話し始めた。
「きちんと籍を入れたのはつい先月の事なの。本当はもっと早く籍を入れようって相手の男の人と話していたんだけど、私はどうしてもあなたに一言伝えてからがいい、って思ってて。でもどうしてもあなたがどこにいるのかがわからなくて、それで先月籍を入れたんだけど、その直後にお母さんの知り合いで、あなたを釧路で見かけた、っていう人がいてね。やっとあなたに伝えられる、と思ってね」
「おめでとう、良かったわね。あたし、嬉しい」
あたしはそう言った。その言葉は嘘じゃなかった。
あたしは昔のように母を独占したいとは思っていなかったし、母の愛情があたし以外の誰かに向いても、あたしは今は悲しくならない。嫉妬も覚えない。だから、母が再婚したという事実を、あたしはその時、本当に心から良かったと思っていた。
「実は、相手の人、今近くで待たせてあるの」
母は少し恥ずかしそうに言った。
「会って、くれる?」
私は頷いた。少なくとも戸籍上はあたしの父となる男の人だ。顔ぐらい見ておきたい。出来るならば、良好な関係を持っておきたい。大きな祝福と少しの打算との間で揺れ動いて、あたしは新たな父に会う事を快諾した。
母は鞄から携帯電話を取り出して、早速その男に電話をかけた。
「もしもし、私。うん、ちゃんと会えたわ。ええ、娘もあなたに会っても良いって言ってるし、早くいらっしゃいよ。ええ、待ってるわ」
嬉しそうに電話をかける母の横顔を見ながら、あたしはこれまでかけた心配や苦労の事を思った。突然何の連絡も無く母の前から姿を消したあたしの事を、母はどう思っていたのだろう。何度母はあたしの事を思って涙を流したのだろう。そう考えたら、母の電話をする横顔が切なく見えた。

男がやって来た。暖簾をくぐった。あたしは笑顔で迎え入れる。
男の顔を見た。
血の気が引いた。
あたしは倒れそうだった。

目の前にいるこの男は、かつてあたしを犯した男だった。かつてあたしを汚した男だった。それは、精神的にも、肉体的にも。
男は、あたしの事を覚えていないみたいだった。それはそうだ、あたしはあの時はまだ幼かった。顔立ちも随分と変わっている。
けれど、あたしははっきりと覚えている。
目の前にいる男は、十年と少し前、あたしを犯した男なのだ。忘れようとして、何とか忘れられた出来事だった。しばらく精神的に不安定になった時期はあったけれど、あたしは何とか母にもその事を告げずに済ましてこれた。
けれど、忌まわしい記憶は、完全に蘇った。
その顔が愛想良く歪む度、あたしの背筋が震え上がった。
恐怖?怒り?そのどちらもだ。

「初めまして」
男が笑顔で右手を差し出した。この右手に、あたしは陵辱された。
気付けば、あたしは大きな声を出していた。何と言ったのかは全く覚えていない。けれど、周囲の店にも充分に聞こえるぐらいの大きな声を、あたしは出していた。
空気が、震えた。
水割りの入っていたグラスを、あたしは男に投げつけた。男は、辛うじてそれをよけた。あたしの投げたグラスは壁にぶつかり、大きな音を立てて割れた。破片が飛び散った。母は、一瞬呆気にとられたが、その後に泣き叫んであたしを制止しようとした。あたしは、気がつけばキッチンにあった包丁を手に握っていた。
「出て行って!早くここから出て行って!さもなければあなたたち二人とも、殺すわよ」
あたしは包丁を両の掌でしっかりと握りながら、そう叫んだ。
母はただ泣き叫ぶしかなかった。
でも、あたしはその時にはっきりと見た。男の口元が僅かに歪んだ。

確信した。

男は確実にあたしの事を思い出している。
あたしが出したあの悲鳴が、男の鼓膜に鮮明な記憶として蘇っている。乱れた服から覗いたあたしの肌を、男は切実な肉感として脳裏に想い描いている。

手が、震えていた。
そんな怒りも、そんな恐怖も、これまでに一度も感じた事はなかった。
あたしは、自分が自分でなくなっている事が怖くなっていた。

母と男は、一目散にあたしの店を出た。
あたしは、あたしの体を暴力と共に汚したあの手が、母の体を触る所を想像した。
吐き気がした。それは比喩的な吐き気ではなく、現実的な吐き気だった。胃が、小刻みに痙攣した。
そして、戸籍上だけでもあたしの父である事を思うと、あたしはあたしの法的な存在など捨ててしまいたかった。
涙が、とめどなく溢れた。
悔しかったのだろうか。悲しかったのだろうか。怖かったのだろうか。
何でも良い。とにかく、あたしは声を上げてしばらく泣いた。

隣の呑み屋の女店主が、どうしたの、とやってきた。
何でもない、何でもないの。そう言うのがあたしには精一杯だった。嗚咽で言葉は言葉にならない。
水道の蛇口をひねって勢い良く水を流す。
水を飲む。何口も何口も。
もうこれ以上何も口に入らない、そうなった所であたしはその場にへたり込んだ。
唇の震えがいつまでも止まらなかった。

一つ、はっきりとした事があった。

あたしは、完全に、孤独になった。

もう、どこにも逃げ道はなくなった。

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