屈斜路湖を肌で感じる
数日間億劫で風呂に入らなかったため、同行人たちが「くさいくさい」と私の事を罵った。
差別に反旗を翻すべく、屈斜路湖で入浴してきた。
感想はただ一言。
寒い!
北海道三日目。我ながら不思議な事に、まだ一日たりとも泥酔の夜がない。日々、昼から(いや、朝からか)へだらへだらと飲酒をしているというのに。
昨日は友人宅でドラマ「北の国から」のDVDを観ていた。
今日は、その舞台、富良野は麓郷へと足を向ける。勿論、普通免許を保持しない私は友人の車の助手席だ。
行く前から、私の脳裏にいくつかの名シーンが浮かんでは消える。
そこにあるのは、紛れもない父の愛、そして家族の愛。醜く愚かな人間の欲、脆弱な人間のぎりぎりの姿。チープなテーマと嘲る事は容易い。しかし、かようなありふれたテーマは、はからずも私の心を打つ。
石の家、空知川、麓郷の森、拾って来た家。
本日の目的地は以上の場所たちだ。
つまり、私はミーハーなのだな。
やーるなーらいーましーかねー
やーるなーらいーましーかねー
何だい、ナカちゃん、知らんのかー?遅れてんなあ。
ながみぞつよしだあ。
さて、行って参ります。
久しぶりに飛行機に乗る。
スチュワーデス(って最近こういう言い方しないらしいね)は綺麗な人だろうか。
機内でお酒は呑めるのだろうか。
色々と愉しみな事が多い。
何で飛行機ってこんなにテンション上がるんだろう。
さあ、北海道。
呑むぞー。
れいちゃんに別れを告げ、千駄ヶ谷から池袋へ。次のレッスンまではあと一時間もある。教室付近のモスバーガーで可もなく不可もないアイスコーヒーを啜る。暇なので、携帯電話から駄文を書く。
トピックは、先日酒の席で話題に上がったマイノリティとマジョリティに関する話。
この話は、私は全くもって普遍性を帯びない話のような気がしている。つまり極私的な話であろう、と。
話の骨子はこうだ。
・人間はすべからく二つのタイプに分ける事が出来る。
・大多数の中に入る事で、セーフティな愉悦を感じる人間。
・逆に少数派の中にいる事で自尊を満足させる人間。
・勿論程度の差はあるだろうし、或いは状況によってそれら二つの人格を使い分ける事の出来る人間がいる事を考えれば、些かのグレーゾーンを設ける事は可能だが、凡そ、上記のように二分出来る。
以上である。
私が先に普遍性を帯びない話だ、と断りを入れたのは、私が後者、つまりマイノリティの自尊を感じる人間であり、また以下はその同胞達に向けた文章になるからだ。前者、マジョリティの愉悦を感じる人間への配慮に欠けた文章を書く為の、前もったエクスキューズなのである。
多数派の愉悦、という部分は、理屈としてはわからなくもない。あくまでも理屈としては。そこには時として「正義」の名が付与される事があるからだ。
政治の事を考えれば、それは端的な例となる。民主主義政治においては、多数決の論理によって意思決定がなされる。多数派は「正義」となり受容され、少数派は「悪」となり排除される。人間の根源的な欲求として「受け入れられたい」、「排除されたくない」というものがある以上、多数派であるがゆえに「認められる」というのは、抗いがたい愉悦であるのだ。
しかし、それとは逆に、少数派である事により、自らの自尊を満たす人間は確実に存在するのだ。根拠は私である。私という極めて自己愛の強い醜悪な人間は確実に存在しているのだから。この問題に関しては、強く共感する人間と全く理解しがたい人間とに別れるだろう。そして私の実感を述べれば、この意見に共感を覚える人間は、やはり自己愛の強い人間に違いない。
自己愛の強い人間は、自らを特別視したがる。かけがえのない私、と心の奥底で、つまり無意識レベルで考えているのだ。
実際にはそんな事はない。「オンリー・ワンにならなくてもいい、元々ありふれたワン・オブ・ゼム」という事実に触れた時に、溜め息と失笑混じりに力無く項垂れ、それを受け入れる。
だからこそ、少数派である事を自尊の拠り所とする。つまり、「周囲と意見を異にする、特別な私」を認識する事で、他者との差異をぼんやりと自覚する。その事に何とも言えない自尊を感じるのだ。
滑稽である。
それは滑稽であるばかりか、時として醜悪ですらある。
ここから先は私の自己愛を垂れ流す。
しかし、私は滑稽な人間をのみ愛する傾向にある。救い難いバカ。それこそが私の心を捉える。
未成熟で愚かな人間の存在を赦す事が、私の処世術なのだ。
理解出来ない方には理解して頂かなくて結構だ。
私はその事で再びマイノリティになれる。
下らない文章であった。
さて、レッスンだ。
七〇九
春
一九二六、五、二、
陽が照って鳥が啼き
あちこちの楢の林も、
けむるとき
ぎちぎちと鳴る 汚い掌を、
おれはこれからもつことになる
(校本全集 第四巻 「春と修羅」第三集 より)
宮澤賢治の詩である。ふと思い出した。私はこの詩がとても好きだ。
ので、紹介しておく。
いきなりなんですが、ライブをします。
ピアノソロでの演奏です。つまり、一人で好き勝手に無茶苦茶やって良い日です。
本当についさっき決まったので、告知が遅れましたが、是非皆様いらっしゃってください。
グランドピアノを弾けるのも嬉しいのですが、やはりこうやってお仕事としてピアノを弾けるのは何にも代え難い喜び。
すごくテンションが上がってます。
9月21日(金)
錦糸町Early Bird
http://www.geocities.jp/earlybird_mmp/05.htm
03-3829-4770
20:00 start
料金はちょっと不明なのですが、おそらくミュージックチャージは無料。1900円で飲み物おつまみ付き、みたいな超安心料金です。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
ここ半年ぐらいだろうか。ずっと眠りが浅かった。
いや、半年ではすまないかも知れない。少なくとも「よく寝たな」と満足に起きた記憶はしばらく無い。あまりにそういう日々が続くので、私は睡眠に対して変に諦めていた所があった。
いつものパターンとしては、2~3時間毎に目が覚める。何故かいつも強烈に喉が渇いているので、水を大量に飲む。それは、いつも飲酒の果てに寝ている事とも何らかの因果関係があるのかも知れない。そして、その後は再び浅い眠りにつく。意識の覚醒と、身体の非覚醒の間でうたかたを彷徨う。仮に飲酒をしていない時は、ほぼ確実に明け方6時ぐらいまでは意識が覚醒したままでいる。睡眠障害、とまではいかないが、何かしら難儀していた。疲れていないのがいけないのか、とも思うが、疲れていたときは逆に妙な精神の昂ぶりが睡眠を阻害していた。
そんな私だが、今日は久しぶりによく眠れた。
起きたのは午前10時。決して早くない時間だが、今日の予定を考えると、そんなに遅くもない。久しぶりに感じた起きた瞬間の爽快感。睡眠とはかくあるべきだ。
昨夜、深夜。突然私の携帯電話が鳴った。唐突に。
軽く酔った友人が、突如として私に電話をかけてきた。確か深夜3時過ぎ。私は起きて電話に出た。
友人は、同じ話を何回か繰り返していた。「踊りに行きたい」とも言っていたが、私は踊りに行きたくはないので、適当な相槌だけを打った。酔った声が陽気で、私は少しだけ羨ましかった。
今から散歩に出るから電話は切る、と言われて電話を切った。
その後、何故だか私は本当に久しぶりにぐっすりと眠っていた。
「桃の節句に次女に訓示」 辻征夫
なくときは
くちあいて
はんかちもって
なきなさい
こどもながらによういがいいと
ほめるおじさん
いるかもしれない
ぼくはべつだん
ほめないけどね
ねむるときは
めをとじて
ちゃんといきして
ねむりなさい
こどもながらによくねていると
ほめるおじさん
いるわけないけど
とにかくよるは
ねむりなさい
昨夜、「新世紀エヴァンゲリオン」というTVアニメを観た。TSUTAYAで借りてきて。全26話、初めて観たのだが、かなり楽しめた。
他者との関係性を築く事の苦手な主人公の少年の葛藤を中心に描いたアニメ。劇中ではレーゾンデートルなどという随分と懐かしい言葉さえ使われる。それが何故か最後は短絡的に「ぼくはここにいてもいいのだ」と自己肯定に落ち着く。精神イメージの中で、「存在する事」を赦された少年は、周囲の祝福の中で悦楽に浸り、物語は幕を閉じる。
結末にはあまり納得がいかない。
典型的な「収拾がつかなくなったのでとりあえず終わらせてみました」的なラスト。どうやらその後に発表された劇場版にもう一つの結末が用意されているようなので、また気が向いた時にでも観てみようと思う。
それを昨夜観終わったばかりだからなのかどうかは知らないが、私もレーゾンデートル、存在理由について考える。仕事で普段出ない都心に出たからなのだが。
池袋と原宿に行く。何処を見ても人人人である。土曜日なので尚更だ。オシャレな人がたくさんいる。きっと彼らの挨拶はみな「チェケラッチョ」に違いない。
都心に出るからといって、別段服装などは一切気に留める事のない私である。Tシャツに首から手拭いである。ホームグラウンド小岩においては空気の如く馴染むこの出で立ちは、都心では少し浮く。自意識過剰な羞恥心を些かなりとも感じる自分が少しだけ鬱陶しい。
ふと「私はここにいてもいいのだろうか」と思う。
いいのだけれど。
私は悩み易く傷付き易い碇シンジくんではないので自問してからは光の速さで自答する。昔斉藤哲夫とい歌手が「悩み多き者よ」という歌をヒットさせたが、私は悩み少なき者なのだ。
傷付くような事や腹の立つような事も滅多にない。繊細さとは凡そ遠くかけ離れた所で私は生きているのだから。
何の為に生きているのか。
念の為だ。
逃げちゃダメだ。
昼からピアノを弾く。今日は純粋に練習だ。
大体日々やる事は決まっている。文字通りルーティンワーク的な部分も大きくあるのだ。
しかし、ルーティンは時として新鮮さを失う。
仕方ない、それでもやり続ける。
すると次第に「飽きる」。わかりやすい人間の脆さの一つだ。人間は、よく「飽きる」のだ。
私も今日、日々の練習にいささか「飽きて」いた。
そういう時はどうするか。
やらない。単純な事だ。
つまらないからやらない。楽しくないからやらない。とても単純なロジックだ。私はとても我儘なのだ。
しかし、漫然と時を浪費するのは、罪悪感がそれを阻止してしまうので無理である。ピアノを弾き続ける。
今日、重要なポイントは、私は日々のルーティンとしての練習に一時的に飽きた、という事であって、ピアノを弾く事その事自体には全く飽きてはいなかったのだ。
何を弾こうかな、今日は夕方まではジャズはやらんぞ、と強く心に決めていた為、ジャズ以外の譜面を家から探す。出てきたのは「となりのトトロ」の曲集。そうであった、私は大のトトロマニアであった。そういえば昔こんな譜面を買ったのだった。思い出してパラパラとめくる。
私は譜面を読むのがとても苦手だ。しかし、コードと簡単なメロディ譜ぐらいならば読める。適当にメロディを追いながらコードワークで伴奏をつければ、それなりの体裁は整えられる。誰に聞かせるわけでもなく、自分で楽しんで弾くだけなのだから、細かい事は考えなくて良いのだ。
弾いてみたのは、「風の通り道」という曲。
自分で弾いてみて驚いた。
何と「良い曲」なんだろうか、と。
ノスタルジックな雰囲気の中にもそこはかとない荘厳さが漂う。そして独特の哀愁を帯びたメロディライン、コード進行。私も我を忘れてピアノの鍵盤を叩いた。
その後は、見つかった譜面を片っ端から弾いていた。
たまの「さよなら人類」は、今なお秀逸だと感じた。シュールな詩の世界もそうだが、メロディラインには童謡のような素朴さとペシミスティックな悲しみが同居する。
そして、その後弾き始めたのは、私が音楽上かなり強い影響を受けた中島みゆきの楽曲群だ。
はからずも鳥肌が立ったりする自分にいささかの羞恥心すら抱く。中島みゆきの楽曲とは、かくも私を感動させるものなのか、と不思議な感情を抱く。
歌姫
杏村から
ホームにて
親愛なるものへ
夜曲
いやはや、どれも珠玉の楽曲である。私にはこれらの楽曲に対する非難の言葉を紡ぐ事は不可能である。全ては私の記憶であり、私の意識であった。つまり、それらは私の肉体の中で今も生き続けていたのだ。
どうしても中島みゆきの御姿を拝見いたしたく、youtubeを弄ぶ。
いくつか発見した中から私が見たのは、「ヘッドライトテールライト」と「永遠の嘘をついてくれ」の映像。
取り分け後者、「永遠の嘘をついてくれ」の映像には鳥肌が立ちっぱなしであった。
君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでも種明かしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
何もかも愛ゆえの事だったと言ってくれ
何と切ない情景であろうか。中島みゆきが日本語という「可能性の手段」を用いて切り取ったその風景は、嘘にすがる脆弱な人間の姿であった。
傷ついた獣たちは最後の力で牙を剥く
放って置いてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならの代わりに
やりきれない事実の代わりに
苦笑。失笑。人間はそうやってやりきれない情景を冗談にして誤魔化す。そうして自分の感覚を鈍磨させる事で、かろうじて生きているのだと言わんばかりのこの言霊たちに、私はしばし圧倒される。
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
限りない自己否定は、限りない自己肯定と同義である。中島みゆきの言葉たちには、そうしたカタルシスがある。彼女の歌はどこまでも自己肯定的な「赦し」を孕んでいる。
私は彼女の事を、音楽家としてのみならず、「詩人」としては最高の部類に今も居続ける人だ、と感じている。
今日は様々な怠惰の紆余曲折の中で、中島みゆきの素晴らしさを再確認するに至った。極めて有意義な、怠惰であった。
では、気力も充実したところで、今からはジャズの道に戻ります。
ぼんやりと、川岸で缶チューハイを舐める。
深夜1時。当然、辺りに人気は無く、遠くに見える橋の上を時々往来する車だけが私に他者の存在を認識させるが、現実感は稀薄だ。
Tシャツ一枚で出てきたが、心持ち寒い。まだ「涼しい」と強がりは言えるか。
夕方、久しぶりの友人からメールが届く。長野県に住むその友人は、自らの近況を私に綴ってくれると同時に、私に幾つかの励ましの言葉もかけてくれる。メールを返そうかな、と考えていたら夜更けになってしまったので断念する。何処かで誰かが確かに生きているのだから、それで良いんだと自分を納得させる。
件の友人、彼女とはインドで出会った。曖昧な記憶なのだが、確かニューデリーで知り合った。何回か一緒に食事をする機会があって、私はぼんやりと彼女に好意を抱いた。けれど、それだけだ。彼女はそこからバラナシに向かい、私はアムリトサルに向かった。道は幾重にも分かれていた。多分、六年か七年昔の話だ。以来、直接の面識はない。
旅先で知り合った人と、何処かに帰り着いてからも頻繁に連絡を取り合う事は私はあまりない。けれど何かの折りにこうしてふっと連絡が来たりすると、遠い異国の風景が鮮明に脳裏に甦る。しつこい物売りや怪しい薬売りでごった返すニューデリーのメインバザールの風景を思い出して何だかホッとするのは、ひょっとしたらその些かほろ苦い昔話のせいかも知れない。
その頃、私は今よりも少しだけ未熟で、今よりも少しだけ世間知らずだった。何年か経って、苦笑いや愛想笑いが上達した。随分と前向きになった。色んな事を諦めたお陰だと思う。余り後悔もしなくなった。感受性が鈍磨される事は、私にとっては比較的都合が良かったのだ。
新中川。
頭上を見上げると、暗い空が低く見えた。
台風が来た。
自然災害が起きるかも知れない。ひょっとしたら、二次的災害によって何人か死ぬかも知れない。台風は、困ったものである。
だが、多少不謹慎なのを承知で言えば、私は台風が大好きなのだ。心が躍る。ワクワクする。外に飛び出していきたいほどである。
今は電車の中である。池袋へレッスンに向かっている。車窓の外の空模様は、不穏な暗さを湛え、木々が強風に激しく揺らされているのが見える。
再び言うが、私は心を躍らせている。
時折、台風の真っ只中でレインコートを着ながら佇む自分を夢想する。打ち付ける雨を顔中に浴びて、キチガイのように笑う。そんな事がしたい。
台風が通り過ぎれば、もうすぐ秋だ。
昨日のライブは、楽しかった。東京では初となるきちんとブッキングされたライブだったので、緊張もするかとは思ったのだが、始まってしまえばいつも通りにアホさ全開で弾いてしまった。共演者たちやお客さんも広い心でそのアホを許してくれたおかげで、とてもリラックスして演奏する事が出来た。それは、共演者の方々の音楽性や技術が、私を十分に安心させうるほどのものがあったからである。いつもの事ながら、感謝。
さて、そのライブ内で、ボーカルの方が私の紹介をしていただいた折に、「とても面白いブログを書いていて、私もたまにこっそりと見ています。下ネタが嫌いな人には苦手なブログかもしれませんが」と、なかなかに的を射た表現をして下さった。
そうまで言われたら、面白い事を書かなくてはいけないのだが、今日は何一つ面白くないことを書く。期待にいつも応えられるようならば、その道でも金を稼げるのだ。私は文筆業者ではないので、そういった期待には応えない。アマチュアの強みである。
今日書く面白くも何ともない事。何かといえば、私のピアノレッスンの事である。
サイドのリンクに私の教室のブログが紹介してあるが、そこにかなり大きな変更点を加えた。
平たく言えば、ここまでは出張レッスンのみを承っていたが、ここ最近では千駄ヶ谷と池袋に教室を持つ「Jill music school」におけるレッスンがそこに加わった事、そして、来月10月からは、私の小岩の自宅においてレッスンを開始する事を告知した。
演奏活動は、勿論今後も私の生活の核となる活動である。が、それと並行して、最近ではレッスンを行う事にも私は強い興味を示している。
いささか極論であるが、「教える」という事は単なる知識の提供行為ではない、と最近実感している。それは他者の感受性を享受する場でもあるのだ。
一つの音楽に対し、様々な解釈が生まれる。それは、単に音楽に関する知識・造詣だけではなく、聴き手の感受性に拠る所も大きい。私の感受性以外の所から生まれる解釈、それにより私は新たな「気付き」を覚える事が多々ある。
私は生徒に「教えている」ようでいて、「教えられている」時もあるのだ。
「共に考える場」としてレッスンを考えた時、それは双方にとって非常に有意義なものになる、と私は思う。
このブログを御覧の方でも、もし何か興味をもった奇特な方は、左上にある教室ブログ並びにHPをクリックしてみていただきたい。
無論、ワンクリック詐欺の類では、決してない。
明日、9月3日のライブの事。
東京でのきちんとしたブッキングでやるライブっていうのは、正直初めてなんじゃないだろうか、と思う。勿論気負いもあればそれなりに緊張だってしている。
けれど、それ以上に愉しみだ。
フロントはボーカリストの美女二人。どちらも透き通るような声でとてもよくスウィングする実力派。
私と共にボトムを支えてくださるのは、関東一円でひっぱりだこのベーシスト、日下部氏。太い音に、よく歌うベース。何とも心強い。
こうしよう、ああしよう、色々と考えていたことはあったけれど、多分明日は無心でやる。
何も考えずにやる。
つまり、いつものように、やる。
わー、とか、ぎゃー、とかピアノの方から叫び声が聞こえてきたら、それは私だ。
すごく汗臭いにおいがぷんぷんと漂ってきたら、それは私だ。
さて、詳細を以下に。
9月3日(月)水道橋 東京倶楽部
tel 03-3293-6056
http://www.tokyo-club.com/intro/
vo:天宅しのぶ vo:水沢加音子 b:日下部史貴 pf:福島剛
19:40~start music charge:1000円/1ステージ
関東圏の方々、お待ちしております。
手抜きは、一切無しです。
大学の後輩だった(←過去形。入学年度は私が20世紀、彼が21世紀だったが、卒業年度は共に2006年度なので最終的には同級生)友人からふと一通のメールが届く。
「今、原付で北海道行って来て帰ってくる途中です。明日東京寄るんでメシでも行きませんか?」と。
快諾。気を付けて来いよ、とメールを返し、明日は彼と夕食を共にする約束をした。
同時に、私は何とも言えない居心地の悪さを感じた。それが何故なのかは、私にははっきりとわかっていた。すぐにピンと来た。けれど暫くは自分でも認めたくないような、極めて無価値な自尊を自覚した。翻って、再びその根源を見つめた。
私は、彼に嫉妬していた。
原付で京都から北海道まで行く事に、さしたる意味はない。旅は人を大きく成長させる、などとはよく言うが、旅ごときで成長出来るほど我々人間の業は浅くはない。北海道まで行くのに文明の利器である飛行機や電車を使う事は、原付で行く事と比べて大差はないし、いささか不便に過ぎる北海道原付旅行、その行為を英雄的行為だとは微塵も思わない。
では私は何故かくも彼に対して嫉妬の念を覚えるのか。
私は、自らをずっと嫉妬深い人間だと自覚していたが、最近どうやらそうでもなかった事に気が付いた。無論人並みに様々な他者に嫉妬や羨望の念を抱く事はあるが、どうやら私はさして嫉妬深い方ではない、という自己認識に至ったのだ。どこか根本的な所で私は「彼は彼、我は我、されど仲良し」と考えている部分がある。様々な事を諦め続けた結果なのかも知れないが(例えば相互理解とか)、良く言えばマイペースであるし、悪く言えば浅はかである。つまり思考に深みがない。他者の感受性に対する想像力が貧困なのだ。平たく言えば思いやりがなく我が儘だ、という所だろうか。自虐は適度に留めておくとして。
さほど他者を気にしないタイプである私が、彼に対して覚えた嫉妬。それは、無価値な事に過剰なエネルギーを注ぐ、彼のとった無意味な心意気に対してではないのだろうか。
何が無価値で何が無意味か。それは私的な価値観に拠るのではないかという指摘もあるかも知れないが、前提としての私の意見は、万物が無意味であり万物が無価値である、という事だ。それは決して否定的な意味ではない。寧ろそうあってほしい、という願望にも誓い。
仮に万物が無価値、無意味であるならば、そこに付与された価値や意味というのは、極めて表面的に過ぎやしないか、というのが私の極論的持論である。
酷く大雑把に言うが、価値や意味を決定付ける基準は大方善悪の基準に拠り、善悪の基準は大方多数決の論理に拠る。多数決というシステムを使用している以上、私的価値観という反多数決的な思考システムとの間に決定的な矛盾が生じる。
少し自分でも話が解りづらくなってきた。簡単に整理しよう。
つまり私は「正しさ」が嫌いなのだ。或いはそれを信じていない。
正義を信じる者が、自らの正義の名の元に悪を断罪する。それは、私には「正義と悪」の闘争ではなく、単に多数派が少数派を排除する為のパワーゲームにしか見えないのだ。アメリカ側諸国とイスラム諸国のいざこざなど、面白いほどにその典型ではないだろうか。
閑話休題。ならば、私の友人が行なった北海道原付旅行は、そういった価値や意味が付与されていない、正しく純然たる無意味な行為である。
無意味、無価値な世界に何の躊躇もなく足を踏み入れる事の出来る人間というのは、天才というレベルでしか存在しえない。我々凡人は、感覚としては寧ろ「跳ぶ」。その世界に、なんの気なしに「行く」のではなく、えいやっと助走をつけて「跳ぶ」のだ。
北海道まで原付で行った彼は、ほんの少しだが「跳んだ」に違いない。無意味な意味と無価値な価値で溢れた世界から、もう少しミーニングレスでノンバリューな世界に。
それを私は羨んでいたのではないか。
結局私もそうやって跳びたいのではないか。
アイキャンフライ。
ゴートゥ涅槃。
いやいや。
眠れない日が続くと下らない事ばかり考えてしまって困る。今日はギャグも入れ忘れた。
仕方ないので、今から猥歌を口ずさみながら眠りにつきます。
おっちゃんこの芋何の芋
あ、それ
最近のコメント