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2007年7月 9日 (月)

自己暗示としての日記

久しぶりに音楽の話を。

最近ライブをまともに行えていないので自分でも忘れがちだったが、私は音楽家であるのだ、少なくとも自称は。最近その事を時折忘れそうになる。人から「今は何をして暮らしているのか?」と問われた折には私は愚かにも正直に「何もしていません」と答えそうになる時が多々あるが、そういう時こそ見栄を張って「お、お、お、お、音楽を少々…!え、え、ええ、ジャズなんぞを…!」としどろもどろになりつつも答えなくてはならないのではなかったか。私のように意志の弱い人間は、そうした一種の自己暗示でもかけておかなければ、楽な方へ楽な方へと流されてしまう。死ぬまで法螺吹きとして生きると決めたのだから、適当な嘘や法螺を私は吐き続けなければならない。

ウチにはテレビが8台もあるよ。ウチの猫は血統書付きで60万円もするんだよ。実はぼくはピアニストなんだ。

極稀に、嘘が本当になるのだ。

ライブや仕事が殆ど無いという無惨な状況がもたらすたった一つの利点に、基礎に立ち返った練習が徹底的に出来るという事がある。最近では、開き直って徹底的に基礎に立ち返って練習をしている。以下、最近の練習において気付いた事、再確認した事、絶望した事を列記しておく。備忘録的な役割として考えているので、読み手に対しては極めて不親切だろうが、そんな事は知らない。

・根本的な話だが、私のピアノ演奏は「雑」になりがちな嫌いがある。フレーズの一音一音が、もっとはっきりと際立たなければならない。

・フォルティシモの出し方には比較的自信があるが、ピアニシモを出す時にはまだまだ精神的に「ビビり」がある。ボリュームやタッチのコントロールが甘い。

・「ブルージィなジャズ」という最も得意とする分野においても、まだまだ語彙が乏しすぎる。一つの感情或いは一つの情景に対して、それを表現しうる語彙を増やさなければならない。

・私の手は小さいから、コードのアルペジオを3オクターブほどに渡って弾く時には指が届かなかったりする。指のくぐらせ方、またぎ方をもっと強化しなければならない。

・イントロ、エンディングのバリエーションに乏しすぎる。様々な状況に対応出来るように引き出しを増やす必要がある。

・私の集中力は大体一時間ほどしか連続的に持続しない。これを一時間半に延ばしたい。

・早く私を人前に出してくれ。

おっといけない、最後は本音が軽くこぼれた。簡単にまとめれば、「これまで自分で『出来る』と認識していた事を、更に正確に、更に高い水準で出来るようになる事」が目下の一番の課題である。また、一端自分の好みから少しだけ外れて、一般的にモダンジャズピアノの王道と言われる人達(例えばオスカー・ピーターソン、ウィントン・ケリー、レッド・ガーランド、ビル・エバンスなど)の模倣をする事も怠ってはならない。

ちなみに現在模倣中のチューンは

・オスカー・ピーターソン「酒とバラの日々」

・ウィントン・ケリー「枯葉」

・レッド・ガーランド「パーディド」

である。大学のJAZZ研の一年生がやりそうな曲を、今更ながら復習している。その中で新たに気付く事は山ほどある。つまり今更ながらにこうした事をやっている事を告白するのは、決して恥ずかしくない。

明日はきっと2〜3時間ほどしか練習は出来ないのだろうが、焦ってはいけない。

そして、最近少しずつではあるが私は確実にピアノが上達している。こうして自己暗示をかけていくのだ。

来年には東京ドームと日本武道館を満員にしようと思う。

無論、ニートとホームレスで満員にするのだが。

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