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2007年7月17日 (火)

african piano

african piano
先週の事なのだが、金もないのにまたレコードを買った。

いくつか買った中で気になった一枚を紹介したい。

Dollar Brand「african piano」。勿論、Dollar Brandとは私が当ブログの中でも度々紹介する偉大なピアニスト、Abdullah Ibrahimの改名前の名前である。

彼のこのレコードを聴くのは、私は今回が初めてではない。以前にも聴いた事がある。そして、今回この「african piano」を改めて聴いて、私は一つの確信に至った。

「Dollar Brandは、怒っている」

何に対して怒っているのかはわからない。しかし、そのレコードに記録されているのは、紛れもなく「Dollar Brandの怒り」である。激しい、怒りである。私はそう確信した。

以前聴いた時にも、「ひょっとしたらこのDollar Brandという男は何かに対して激しい怒りを感じているのではないだろうか」という事を考えた。左手が規則的なリズムを奏でながら音楽を「創る」一方、右手の旋律は音楽を徹底的に「壊しに」かかる。過剰な不協和音、そして明確なリズムの意図的な放棄。全ての音が混ざり合いながら、ギリギリの所で「音楽」という体裁をとる。

私はモンクやエリントンの系譜を辿るピアニストとして彼を考えていた為、それは彼の意図的で冷静な創造性の所産だと思っていた。つまり、「或いは彼は怒っているのではないか」という私の気付きは、そういった付加的な情報により一蹴された。

初めて「african piano」聴いた時から数年。改めてそれを聴いた私は、当時の私の気付きが正しかった事がわかった。

今私は確信している。Dollar Brandという血気盛んな若いアフリカ人が一枚のレコードに記録しようとしたのは、溢れかえる彼の怒りである、と。

それは音楽的に優れたものなのかどうかは私にはわからない。少なくとも私はこのレコードを毎日は聴きたくはない。一週間に一度、いや、一ヶ月に一度で充分だ。それを聴くのは、彼の怒りに触れる行為である。体力と気力が、要る。

簡単になんて聴かせるものか。まるでDollar Brandはそう言っているかのようだ。

私は「今」のAbdullah Ibrahimの音楽を知っている。それは、慈しみ深き深遠な音楽だ。アーシーでファンキーな音楽だ。手放しに絶賛したい。私はAbdullah Ibrahimのピアノが大好きなのだ。彼は、怒る時期を経て、今の音楽性、更に言えば今の人生観に辿り着いた。

怒りを感じる事のない人間を、私は心底からは信頼しない。怒りと愛は、同じ源からやって来ている。

そんな事を思った。

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