Ray Charles
Ray Charles
今日の記事は彼の事を書こう、と前々から決めていた。
数ヶ月前、セロニアス・モンクを第一弾としてたまに書こうと思って以来頓挫したままの「ミュージシャンにまつわるエッセイ」第二弾である。
今日からちょうど三年前、2004年の6月10日に彼は亡くなった。確か73歳であったと思う。
その当時、勿論私はレイ・チャールズのレコードを自ら所有していたし、彼の音楽に触れる機会も度々あったが、少なくとも今ほど彼の事を敬愛していなかった。「とても良い参考になる黒人ミュージシャンの一人」、私はその程度の認識ではなかったろうか。ゆえに、彼の死を知った時にも、私はさほど悲嘆にも暮れずにいた。それに比較すれば、ジャズ・ドラマー、エルヴィン・ジョーンズが亡くなった時の方が、私の受けた精神的ショックは大きかった。荒唐無稽な話であるが、私はエルヴィンと共演する事を、一つの大きな目標としていた為だ。
ともかく、彼の死を一つのきっかけとして(その死の直後、映画『Ray』がヒットした、というのも無関係ではない)、私は再び彼のレコードに注意深く耳を傾けるようにしてみた。そこに残された記録(レコード)は、まさしく音楽の奇跡の瞬間の記録であった、と言ってもよかった。
私は以来、今日までずっと彼のレコードに夢中になっている。
「好きなミュージシャンは誰ですか」という質問と「好きな作家は誰ですか」という質問をされるのはとりわけ苦手だ。日によって違う、というのもあるし、気分によっても違う。けれど、その中で、ルイ・アームストロングと宮澤賢治、そしてレイ・チャールズだけは常に私のフェイバリットな位置づけにいる為に、仮にそういった質問を受けた場合にはそう答えるようにしている。
レイ・チャールズの魅力を一言で言い表すのは全くもって不可能な事であるが、私は彼の魅力の大きな一つは、その独特のリズム感にあると思っている。
レイ・チャールズのリズムというのは、待てども待てども「来ない」リズムである。つまり、極端にタメが大きい。聴き慣れない内は戸惑うほどである。このいくらか「違和感のある」リズム感覚を感受出来た時、レイ・チャールズの音楽は更に心の奥底に深く響いてくる。
そういった彼の独特のリズム感を味わう為には、彼のインストゥルメンタルもの、つまりヴォーカルのない、彼のピアノ演奏が楽しめるものをお勧めしたい。
その中で白眉はこの『The Great Ray Charles』。取り分け「Black Coffee」というブルーズナンバーにおける彼のゆったりとした演奏は、まさに真骨頂だと言って良い。ブルージィなもの、ではなく、そこにはブルーズそのものがある。
そうなのだ、彼の魅力はまさにブルーズそのものなのだ。土臭い、決して気取らない音楽、それこそが彼の魅力の最たるものだ。
そして、もう一つそこに彼の魅力を付け足すならば、彼の音楽には「遊び」がある。それは時として「笑い」という形をとって表出される時もある。猥雑で、下品で、そして官能的な笑い、そういったものも彼の音楽には詰まっている。
いくらか言葉を弄してみたが、今日はこれから彼のレコードをつまみに酒を呑みたい。私はレイのように派手にドラッグ遊びをしたりはしないが、それぐらいの遊びは彼は認めてくれる。
いつか、彼のような「本物のブルーズ」にたどり着きたい。
6月10日に、改めて私はそう思う。
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