« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月

2007年6月28日 (木)

声に出して読みたくない日本語

オニサン、マッサージイカガデスカ?

私の住む街小岩では、幾度となく投げ掛けられる言葉である。もはや大阪でいう所の「もうかりまっかー?」に近い、特殊な地域性を帯びた一種の挨拶と認識して良いだろう。

女性は好きだが、金が無さ過ぎて女など買える立場にない私であるので、いつもは苦笑いを返すので精一杯だ。別段、自らの見当違いな潔白さをアピールするつもりなど毛頭ないが、私はこの類いの事で女性を買った事がない。ある意味では世間知らずだと言っていい。しかし、「オニサン、マッサージイカガデスカ?」の類の客引きには幾度となく声をかけられた事がある。今日はその客引きに関する思い出を綴ると同時に、ブログというメディアにおいて、言葉刈りの影響はどこまであるのかを調べてみたい。以下、危険なワードが羅列される。人権屋さんとグリーンピースと文部省とPTA、かかってこんかいっ。

さて、先ほども触れた私の故郷小岩は、極めて治安の悪い街である。先日は若者同士のリアルな殴り合いを見た。鼻血が炸裂していて花火のようで見事だな、と思いながら傍観していたのだが、数十人の野次馬の中には知り合いもいた。「あっ、どうも」なんて挨拶を交わしながら殴り合いにしばし見入った。昨日は私の家の近所が警察達によって封鎖されていた。殺人事件か何かがあったらしい。そういえば、1ヶ月ほど前の英会話講師美人外国人女性殺人事件も小岩で起きた。何とも仕様がない。

閑話休題。日本の場合、治安が悪い地域には、風俗店が乱立する。吉原などの江戸時代からの固有の文化を持つ地域を別にして、新宿歌舞伎町、大久保、錦糸町、そして小岩。よく色んな業種が思い付くな、と感心するほどである。そして、それらの店の客引きというのは、一つの伝統芸能であると私は感じている。偽悪的なまでに猥雑な言葉を並べ立て、その中で独特の言葉のリズムを形成する。日本語ラップを歌いたいものは、彼らに一度弟子入りするべきである。以下、私がこれまでに聞いた客引きの名文句である。ここからが言葉刈りと私との戦いだ。

まずは小岩の某おっぱいパブA店の客引きである。地蔵通りという悪名高い小路地があるのだが、その通りを抜けた所でやたらと高いテンションの男が私に話しかけてくる。

「お兄さん!おっぱい揉みませんか!?手マン・クンニ・指入れオッケー!40分間乗りっぱなし!!おっぱいパブAいかがっすかー!?」

どうして笑わずに通過できようか、いやできまい。私も反語を用いてその笑撃(うわあ、ダジャレだぁ)を表すほどである。

次いで、明らかに五十歳を超えた中年女性が私に喋りかけてきた時の事を。彼女はその言葉のイントネーションから、明らかに日本人でない事はわかる。母国から日本にやってきた折には、幾多のドラマがあったに違いない。顔にはその苦労を物語る、年輪のごとき皺が刻まれていた。彼女が口を開く。

「オニサン、朝マデチンチンタツヨ。イチマンエンネ。」

勃たねえよ!!と突っ込みたくなるのだが、彼女の自信の根拠はまた気になる所であった。

最後に一番の笑撃。小岩駅近くの路地に入った時のシンプルな一言である。明らかに風体の怪しげな男がニヤニヤと笑いながら、向かいから私に近付いてくる。男は右手に拳を握り、私の前にそれを出す。すわ、戦か!?と私も心持ち身構える。しかし、男はその拳の人差し指と中指の間に自らの親指を挟み込み、私に大声でこう言った。

「お兄ちゃん!マンコどう!?」

シンプル・イズ・ザ・ベスト。私はついつい吹き出してしまった。

「あ、笑ったら遊んでかなきゃダメだよー」と男は更に言うが、それこそ笑わずにいられるか。

「ごめーん、また今度ねー」と苦笑いしながら言うのが私には精一杯であった。

素晴らしき風俗客引きの文化。彼らにはより一層の技術の研鑽を望む。また、面白いものに出会った時には紹介する。

| | コメント (2)

2007年6月27日 (水)

白鱚祭り

どうでも良い徒然の日記を一発。

数日前に釣りに行った。小学生時代からの友人二人と共に釣り船に乗ってシロギスを釣りに行く。朝5時30分、徹夜明けの無駄に高いテンションを引きずって荒川沿いにある釣り船屋に向かう。車の中では美空ひばりの「お祭りマンボ」を大音量で流す。「ワッショイワッショイワッショイワッショイ!ソーレソレソレお祭りだー!!」と車内で絶叫する27歳の男三人。車外からの通行人の視線が痛かった。釣り祭りだったのだから仕方がない。

釣り自体はボチボチの結果に。本命のシロギスは三人で50匹前後だから、良くも悪くもない。サメを釣った時には「うわ!こええ!指咬まれちゃうよぉー!」と女学生のようにキャーキャー叫ぶ。釣ったタコはバケツの中から脱出を試みる。そのたびに「オラ、戻れよう、ばかぁー!」とまたキャーキャー騒ぐ。冷静にむんずと手掴みにする事の出来ない我々へなちょこ27歳トリオであった。

船の帰り道は、大漁旗を忘れた事にいささかしょんぼりしつつも船室で爆睡。帰りの車の中でも美空ひばりの「お祭りマンボ」は欠かさない。ソーレソレソレお祭りなのだ。

家に帰ってキスを喰う。天ぷらと刺身で。釣って、料理して、喰う、という醍醐味を味わう。美味い。天ぷらはとりわけ絶品であった。

次回はアジでも行くか、と鼻息を荒げて祭りは終了。

全て後の祭りであった。

↑これが言いたかっただけなのだが。

| | コメント (0)

2007年6月17日 (日)

新中川

ふと思い出したように、と言うよりはまるで何かに誘われるように、新中川へやってきた。レモン酎ハイを買って。夜の10時過ぎ。まだ街は眠っていない。

とても懐かしくなる。私が十年近く前に、ほぼ毎日のように来ていた場所だ。

コンビニの前に屯する若者たちに、いささかの嫌悪感を覚えつつも決して彼らを全面的に否定できないのは、私はかつて彼らのようだったからである。家にいるのも何か窮屈で、外に出たい。ただし金はないからどこかへ行ける訳でもない。コンビニの前で屯するのはいたずらに大きな自尊心のせいで出来ない。仕方がなく、缶ジュースの一本も買って、近所の新中川や少し離れた水元公園へ行って、暗闇の中でうじうじと屯していた。

友人と話していた会話は、まさに他愛もない。

クラスのあの子と最近よく目が合う、ひょっとしたらあの子は俺に気があるんじゃなかろうか、といった童貞全開の誇大妄想。

会った事もない、そして今後一切会う事はないであろう雲の上の芸能人を勝手に格付け。「いや、安室奈美恵は俺の脳内会議では満場一致でナシっていう事になったぞ」や「てめえキョンキョンって呼び捨てにしてんじゃねえよ、キョンキョン様って呼べよ!」など、童貞全開の身の程知らずトーク。

また理想のデートについて検討する事も怠らなかった。

「何?オマエ一回目から映画行くの?センスねえな〜。一回目からいきなり無言の二時間作ってどうすんだよ。上映中はロクな会話出来ねんだぜ?」

「じゃあお前だったら一回目は何に行くんだよ?」

「オレ?オレならそうだなあ…………釣りかな」

まさしく不毛以外の形容詞の見当たらない会話であるが、これはこれで楽しかったのだ。少なくとも私の惨めな青春時代を慰めてはいた。

新中川で独りで酎ハイを飲んでいる。

たまには悪くない。

| | コメント (0)

2007年6月14日 (木)

山田と私

本日は私のちんこの話である。が、これから先、ちんこちんことブログに書き記すのも下品に過ぎるので、これから先は便宜的にちんこを「山田」と呼ぶ事にする。ちなみに女性はこれ以下、一切読まないで頂きたい。

今日ふと気付いた事なのだが、山田が痛い。無論激痛、とまではいかない。やんわりと痛かった。

何なのだろうと我が山田を見てみたら、山田のクビから胸にあたる部位が赤く腫れていた。赤くなったミミズ腫れのようなものが三本あった。一つは大体山田の下顎の辺り、次いで山田の喉仏の辺り、そして山田の胸骨の若干上辺りに三箇所、である。痛い。

私の名誉に関わる問題なので、ここで強く訴えておくが、私は27歳、えなりかずきもびっくりのガチ童貞である。これまで女性と最も親密に接した記憶と言えば、高校生の頃に後ろの席にいた同級生の女の子に消しゴムを貸してあげたのが最高である。日々、コンビニで釣り銭の受け渡しで女性の手にうっすらと触れる度にあま勃起である。女性器にはダイヤモンドが埋まっていると信じて疑わない私である。つまりそれが誇張であるか、或いはその真偽がどうであるかは別にして、私が強く訴えたいのは「これは決して性病(別名山田病)の類ではない」という事である。

私には女性との性的交渉はない。少なくともここ最近は確実にない。つまり、誰かから病気をうつされて山田病になる訳がない、という訳だ。

では、何故私の山田が痛いのか。腫れているのか。

一つの結論としては、私の「物理好き」が原因ではないか、と思っている。

私はあまりに物理学が好きすぎて、摩擦係数の実験・研究に日頃から余念がない。自らの山田に摩擦係数を与える遊びをする事によって、私は自分のいささか過剰な物理学への興味を慰める事にしている。或いはその実験に山田が悲鳴を上げたのではなかろうか、と思っている。

物理学に対する研究心は、とめどなく溢れてくるが、しばらくは摩擦係数に関する実験・研究は休むしかないのだろうか。山田が悲鳴を上げ始めたのかも知れない。

山田が、痛い。

| | コメント (2)

2007年6月13日 (水)

たまには四季などを感じつつ

京都に住む何人かの知人から、京都では蛍が見頃だと聞く。6月の京都と言えば、その通り、私的名物は蛍だ。

4月の桜や10月の紅葉、冬場の比叡山の雪化粧などと比較しても遜色ないほどに、京都の蛍は美しいと私は思っている。観光嫌いの私が言う事だからあまり信用がいかないかも知れないが、蛍というのは個人的には一番の京都の見所だ。一年、春夏秋冬を通じて一番好きだ。

この時期になると、賀茂川と高野川の間を流れる琵琶湖疎水で私はいつも蛍を見ていたが、夜中に原付で八瀬まで北上して見に行く事もあった。蛍の数だけで言えば、八瀬の方が圧倒的に多い。

今年はどうやら蛍を見られそうにもない。

もうすぐ夏が来る。

今年の夏はきっと暑くなる。

| | コメント (0)

2007年6月10日 (日)

Ray Charles

Ray Charles

今日の記事は彼の事を書こう、と前々から決めていた。

数ヶ月前、セロニアス・モンクを第一弾としてたまに書こうと思って以来頓挫したままの「ミュージシャンにまつわるエッセイ」第二弾である。

今日からちょうど三年前、2004年の6月10日に彼は亡くなった。確か73歳であったと思う。

その当時、勿論私はレイ・チャールズのレコードを自ら所有していたし、彼の音楽に触れる機会も度々あったが、少なくとも今ほど彼の事を敬愛していなかった。「とても良い参考になる黒人ミュージシャンの一人」、私はその程度の認識ではなかったろうか。ゆえに、彼の死を知った時にも、私はさほど悲嘆にも暮れずにいた。それに比較すれば、ジャズ・ドラマー、エルヴィン・ジョーンズが亡くなった時の方が、私の受けた精神的ショックは大きかった。荒唐無稽な話であるが、私はエルヴィンと共演する事を、一つの大きな目標としていた為だ。

ともかく、彼の死を一つのきっかけとして(その死の直後、映画『Ray』がヒットした、というのも無関係ではない)、私は再び彼のレコードに注意深く耳を傾けるようにしてみた。そこに残された記録(レコード)は、まさしく音楽の奇跡の瞬間の記録であった、と言ってもよかった。

私は以来、今日までずっと彼のレコードに夢中になっている。

「好きなミュージシャンは誰ですか」という質問と「好きな作家は誰ですか」という質問をされるのはとりわけ苦手だ。日によって違う、というのもあるし、気分によっても違う。けれど、その中で、ルイ・アームストロングと宮澤賢治、そしてレイ・チャールズだけは常に私のフェイバリットな位置づけにいる為に、仮にそういった質問を受けた場合にはそう答えるようにしている。

レイ・チャールズの魅力を一言で言い表すのは全くもって不可能な事であるが、私は彼の魅力の大きな一つは、その独特のリズム感にあると思っている。

レイ・チャールズのリズムというのは、待てども待てども「来ない」リズムである。つまり、極端にタメが大きい。聴き慣れない内は戸惑うほどである。このいくらか「違和感のある」リズム感覚を感受出来た時、レイ・チャールズの音楽は更に心の奥底に深く響いてくる。

そういった彼の独特のリズム感を味わう為には、彼のインストゥルメンタルもの、つまりヴォーカルのない、彼のピアノ演奏が楽しめるものをお勧めしたい。

Album_the_great_ray_charles その中で白眉はこの『The Great Ray Charles』。取り分け「Black Coffee」というブルーズナンバーにおける彼のゆったりとした演奏は、まさに真骨頂だと言って良い。ブルージィなもの、ではなく、そこにはブルーズそのものがある。

そうなのだ、彼の魅力はまさにブルーズそのものなのだ。土臭い、決して気取らない音楽、それこそが彼の魅力の最たるものだ。

そして、もう一つそこに彼の魅力を付け足すならば、彼の音楽には「遊び」がある。それは時として「笑い」という形をとって表出される時もある。猥雑で、下品で、そして官能的な笑い、そういったものも彼の音楽には詰まっている。

いくらか言葉を弄してみたが、今日はこれから彼のレコードをつまみに酒を呑みたい。私はレイのように派手にドラッグ遊びをしたりはしないが、それぐらいの遊びは彼は認めてくれる。

いつか、彼のような「本物のブルーズ」にたどり着きたい。

6月10日に、改めて私はそう思う。

| | コメント (0)

トイチがダメならトサンがあるさ

♪はっじっめってのアコームー、はじめてのーむじんくんー

という歌をTVCMで耳にした記憶がある人は少なくないのではないだろうか。

この後には

♪ラッラッラッラララララー、ラララララー、ラララララー

と続くのだが、もちろんこれは放送禁止の部分を隠したものだ。

正しくは

♪サラ金まみれの20代、親に見せる顔がない〜

という歌詞なのだが、無論放送出来る訳はない。

日当10000円のジャズ喫茶に年間30万円近い著作権料を請求する事で有名な、ジャスラック改め音楽衰退委員会もびっくりの歌詞内容だ。

この極悪な歌、どちらが先かは知らないが、元歌があったのだ!

社会人一年生の紆余曲折を歌った内容らしく、タイトルもズバリ「はじめてのスズキくん」

♪はっじっめってのスズキくんー、はじめてのーワタナベくーん

ちょっと待てー!金貸しどもー!!

さわやかぶるなー!!

(ここから先のカギカッコ内は竹内力のトーンでお読み下さい)

「遊ぶ金があってぇ、返す金がないゆうのはぁ、通らん理屈でっせぇ?兄さん?」

が正しいお前らのセリフだろうがー!!

「エンコなんかいらんでぇ、内臓くれたらそれでよろしおまんねやぁ」

と言いたいところなんだろうがー!!

いやいや、参った。

愛深きゆえに愛を捨てた男「サウザー」のように、欲深きゆえに欲を捨てた男「たけし」になりてえなあ。

| | コメント (0)

2007年6月 8日 (金)

飛躍的に

久しぶりにパソコンから私のこのブログの中枢部を覗いてみたら、ここ数日間のアクセス数が大変な事になっていた。

裏側をあまり暴露しすぎると面白くなくなってしまうのだが、実のところ、このブログには、1日あたり50~60程度のアクセスがある。その数字が一般的なブログに比較して多いのか少ないのかもわからないし、何よりあまりそういった事には興味がない。頻繁に私が記事を書いている時には若干増える。記事の更新をサボれば若干数字は減る。そんなものだ。大した事ではない。何処の馬の骨が書いたのかもわからない無料で読める駄文である。ゆえに私も気楽に書けるのだ。

それが、ここ数日間、1日に200件近いアクセスがある。何事か、と思ってよくよく調べてみたら、友人のブログに私のこのブログが紹介してあった。そこからの一時的な流入のようだ。

友人は職業的文筆家である為、申し訳ない気持ちもどこかであるが、やはり嬉しい。たくさんの衆目の前で下らない事を書き散らかすのは、非常に気分が良い。

という事で、よろしければ一見さんも今後ともご贔屓に。

今後は、より一層下らない事を書き散らかしていきます。

今日は、ひねもすパイ毛を引っ張ったり抜いたりしながら一日が過ぎていきました、とかそんな事を。

ああ、相変わらず私はダメだ。

| | コメント (0)

2007年6月 3日 (日)

電車ジム

電車に乗りながら思い出した事を。

きっかけはスポーツ飲料の吊り広告。「電車の中は、ダイエットチャンスです。」というキャッチコピーと共に、電車内で出来るさりげないフィットネス法が図解されていた。

1.つり革を左手でつかむ

2.上体を右側に倒す

3.(上体を)元に戻す

4.つま先で立つ

5.(つま先を)元に戻す

6.つま先で立つ

7.(つま先を)元に戻す

との事だ。

無論、さりげなく、人目をはばかりながら電車内で私も実行に移した。何せメタボリック一直線な私である。しかもなるべくならば、楽をして痩せたい。それは当然である。

さて。私が柔道を志していた十代半ば、電車はトレーニングの場であった事を思い出した。以下のようなトレーニングである。

足を肩幅に開いて自然体で立つ。少し膝を内側に入れて、屈伸の余裕を持たせておく。つり革や手すりは、持たない。こうした格好で、電車の揺れに耐える、といったトレーニングだ。揺れに耐えるというよりは、膝をショック吸収装置のように使いながら、揺れを全て吸い取る、というイメージなのだが、実際の所、これは極めて効果的なトレーニングであった。柔道というスポーツの根本的な部分として、「転ばなければ負けない」のである。つまり対戦相手から与えられる力学的エネルギーを、どこかに逃がしてしまえば良いのだ。この電車内でのトレーニングを続ける事により、膝を使った力の逃がし方を体得出来る。身体的バランス感覚は飛躍的に向上するのだ。

今日、久しぶりにそのトレーニングを実行してみた。膝に余裕を持たせて、つり革を手から離して立ってみる。電車が走り出す。慣性の法則に従って私の体に力学的エネルギーが働く。「膝を上手く使え」、そう意識した瞬間、体はぐらりと揺れ、隣りに立っていたカップルの男性の方に軽く激突した。「すいません…」と呟く私。いや、電車内でいちゃついていた君たちに怒りを感じていた訳ではないのだ。単に私の体の衰えは想像以上であって。

脳内で私はしどろもどろになる。いやしかし、出来なくなっている。

そのトレーニングは諦めた。

今日の池袋へ向かう電車の中、山手線内で、私の前に座っていた見るからにスポーツウーマンのごとき雰囲気を身に纏った女性がとても綺麗だったので、私はチラチラと彼女を見て楽しんだ。

ギリギリ、犯罪ではない。

| | コメント (2)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »