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2007年5月 9日 (水)

イカ臭さが漂う

悪事のはたらける人間が好きである。

いささか逆説的な言い方になるが、犯罪者が好きなわけではない。今日は徒然の政治の話だ。キーワードは二つ。「リスク」と「覚悟」だ。

追い詰められた場面で悪事の出来ないクリーンな政治家を、私は信用しない。それは、或る意味では信念のなさである、と私は考えている。

自らがどうしても成功させたい政策があったとしよう。そしてその政策を遂行するためには一定額の金が必要であったとすれば、そこで政治家はいくつかのパターンに分類されるのではなかろうか、と私は考える。私の考えうるいくつかのパターンは以下だ。

A:あくまでもクリーンな手法で金銭を稼ぐ。それを可能な範囲で政策に投じる。

B:クリーンな方法では満足に足る金額には達しないと悟り、諦める。

C:或る程度の財力を持つ人間をバックにつける為に奔走する。

D:法律スレスレどころか、法律を秘密裏に犯してでもその金額をかき集め、政策を成功させる。

ここまでの私の意見どおり、私が最も信頼するのはDの政治家である。その資金集めの際に法律の網に引っかかり、仮に逮捕されたとしても、私はそういった信念の元になされた犯罪ならば、割と評価してしまう。そもそも私にとって「いけない犯罪」(実はこれも定義が難しいのだが。とりあえず)とは、

・人を殺す

・強姦をする

・ものを盗む

・賤しいドラッグ(覚醒剤等)の他人への強要

ぐらいのものなので、政治資金集めのための裏工作など、大いにセーフティだ。

閑話休題。なぜ私がそういった「犯罪を犯してまで信念を貫こうとする人間」を過大に評価するかと言えば、そこに見える「覚悟」ゆえである。何かを成功させようと考えた時、そこに「リスク」は必然である。その「リスク」を負う「覚悟」のない者に、何が掴めようか。そういった意味で、極端な話だが、私は「自らの目標の為ならば悪事すらも厭わない」という人間を評価する。リスクを負う覚悟を持った人間のみが、自らの意志を具現化させられる。リスクから逃げる人間は、所詮何も出来やしないのだ、というのがケツの青い私の見解だ。ゆえに現在のわが国日本の総理大臣に関しては、私は何一つ評価をしない。彼には覚悟が微塵も感じられない。が、それは以下略としよう。

無論、純然たる悪事は評価されるべきではない。親鸞の教えにもある通り「万薬あればとて毒を好むべからず」である。それは言うまでもない事なのだが。

最後は少し政治の話から逸れる。私にはきちんとリスクを負う覚悟があるのか。最近それを常に自問自答していた。まだまだ覚悟は中途半端にも思えた。私はリスクから逃げようとしているかのようにも思えた。

しかし、そうやって自問自答している事、その事自体がリスクから逃げている事に他ならない、と当面の結論に至った。つまり、うじうじと貧窮している暇があるならば、何かアクションを起こさなくてはならない、と。

人生の先輩でもあり友人でもある作家の石田ゆうすけ氏のweb上のコラムに、数日前、彼の上京当時の様子が綴ってあった。そこには、リスクを覚悟したものだけが到達出来る、すがすがしいまでの「無謀さ」が綴られていた。

私は今、誰から無謀と言われようと、私の成功を誰一人信じていなかろうと、やるべき事があるのだ、と襟元を正した。

すごく小さいけれど、明日はその一歩だ。私は今、明日の失敗を恐れている。けれど、それでもやらねばならぬのだ。

本日は極めてイカ臭い、自慰日記である。

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